「大好き」言えるかな? ④

 言葉が剣と同じ……その意味は、ハリーには少しまだ難しい。

 だが思い出せば、ミス・リードにネチネチと叱責されれば面白くなかったし、前に来ていた剣の師匠がヘラヘラ揶揄ってくるのは内心ムカついた。

 今のドナリー師匠は厳しいけれど、ハリー自身を貶すようなことは言わないし、たまに褒められるとすごく嬉しくてやる気が出る。

 かけられた言葉で、自分の気持ちが動くということは実感できた。


「ハリーはお父様に似て、思ったことがあまり顔に出ないタイプでしょう」

「そう……かも」

「あ、いいのよ、そこがまたかっこいいの。私は大好き。でも、しっかり言葉にして話したほうが、他の人から誤解されなくていいと思うのよね」


 ヒューゴを引き合いに出した杏奈は、照れつつ盛大に惚気を挟む。

 強面の父に瓜二つ。

 褒められていると受け取るには微妙だ。だが、杏奈は気にせず話を続ける。


「もちろん、言わないほうがいいこともあるし、伝え方に気をつけなきゃいけない時もあるけれど。でも、嬉しいとか、楽しかったよ、なんて言われて嫌な気分になる人っていないでしょう?」


 ありがとうと言われて怒る人もいない。

 ハリーもフロリアーナも、そうだと思う。


「好きな人から好きって言われたらすごく嬉しいし、伝えるのは素敵なことなの」

「で、でも」

「ふふ、なんだか照れちゃう? ちっとも恥ずかしい言葉じゃないはずなのに、不思議よね。でもね、言わないでいると、どんどん言いにくくなっちゃうの」

「そうなの?」

「本当よ、フロリアーナ。……もっと、ちゃんと伝えればよかったと後から思っても、遅いの」


 ――お母さんにもお父さんにも、ありがとう、大好き、って言ったことなかったな……。


 思い浮かぶのは、実の両親だ。

 母の日や父の日の贈り物に「いつもありがとう」のカードはつけたけれど、面と向かって改めて言ったことはなかったはずだ。


 突然会えなくなるなんて思いもしなかった。

 異世界に来てしまった今となっては、もはや永久に言葉も気持ちも伝えられない。


 だから今の杏奈は、誰に対しても言葉を惜しまない。

 駆け引きなんかいらない。好きな人には好きだと心を伝えたい。

 後悔は一度きりでいいのだ。


「アンナおかあさま……?」


 少しの間の回想は、杏奈を見上げるフロリアーナとハリーの視線で遮られた。


「あ、うん。だからね、毎日好きって言っていると、大事な時にもきっと言えると思うの。ハリーやフロリアーナに好きな人ができたら、ちゃんと『好き』って伝えてほしいから」

「す、好きな子なんていないしっ」


 杏奈と父の仲良しっぷりを直視できないハリーは、恋愛を自分事としてはまだ考えられない。

 でも、なんとなく――結婚するならこんなふうに、という理想のようなものはできつつあるのかもしれなかった。


「うん。今すぐじゃなくて、もっとお兄さんになってからね」

「わたし、いまだっていえるわ。アンナおかあさま、だいすき!」

「あら! 私もフロリアーナのこと大好きよ!」


 きゃあっ、と楽しそうに喜声をあげてハグしあう杏奈とフロリアーナを、ハリーは赤い顔のままぼんやりと眺める。

 かわいい、かわいい、と杏奈に繰り返し言われながら両手で頬をぷにぷにと包まれて、フロリアーナは本当に嬉しそうに笑っている。


 その笑顔は、たしかに可愛いと兄の目にも映った。

 そんなふうに笑っていたら、今日だって変に絡まれたりせずに、仲良く遊んで過ごせたはずだ。


 遠目に見ても緊張し続けていたフロリアーナは、いかにも機嫌が悪そうで、近寄りがたかった。もしかして、誰か知っている人が傍にいたなら少しは――

 そう思って、ハリーはハッとする。


「……僕が、フロリアーナについていてあげればよかった……?」


 今思えば、アルという愛称しか知らないあの子も、話しかけるタイミングを窺っていた節がある。大した会話もせずに、何度も打ちのめしてしまったが。

 ドナリー師匠にいつも言われるように、もっと周りを見ることが必要なのかもしれない。


「あ、ハリーもほら!」

「!」


 引き寄せられて、フロリアーナと一緒くたに抱きしめられながら、ハリーは再度熱くなった顔と頭でこっそり一人反省会をしたのだった。




 ――そうして、練習が始まった。


「ベーコンとハム、どっちが好き?」

「算数と歴史、どっちが好き?」

「寝る前に読む本はどれにする?」


 そんなふうに日常の些細な事柄に関して、杏奈は二人に何度も問いかけた。

 繰り返し口にすることで、あれだけ「好き」に抵抗があったハリーも、そこまで引っかからずに言えるようになった。

 言えるようにはなったが、だからといって、「好き」の意味が軽くなるようなことも、恥ずかしさが薄れることもなかったけれど。


 さらに一歩踏み込んで、どうしてそう思うのか、と杏奈は重ねて問う。

 自分の感じていることを言葉にするたびに、ふわふわした感覚でしかなかった気持ちの輪郭がはっきりしていくようで、ちょっと面白かった。


 フロリアーナの人見知りに対しては、

「キッチンのキャシーに『献立のことで相談があるから、後で部屋に来てほしい』って伝えてくれる?」

「新しい種を注文したから、次に花屋さんが来たら育て方を一緒に聞きましょうね」


 など、今までより接触する人を増やして、他人に対して慣れさせていった。

 城下にも連れて行って、簡単な買い物をさせたりするうちに、少しずつではあるが構える時間が短くなったようだ。

 初対面の人と話すこと自体はまだ得意ではないが、表情が固まらなくなっただけ、見た目の高慢さは薄れていった。






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