「大好き」言えるかな? ③
「ハリーはどうだった?」
「僕は、まあまあ」
男の子たちは、剣の手合わせなどをしてきたようだ。
貴族家の男子はだいたい全員剣の稽古を受ける。初対面でも共通の話題があるというのは強い。
それを聞いて杏奈もようやくホッとした。
「すてき。誰かお友達になった?」
「友達かは分かんないけど。一番多く対戦したのは、アル」
「ええと、伯爵家のアルバート君かな、侯爵家のアルフレッド君、それとも……?」
アル、という愛称で呼ばれる子は多い。
杏奈の質問に、ハリーは興味なさそうに首を傾げる。どうやら自己紹介はなかったようだ。
身分の差なく、という趣旨の会でもあるので不敬には当たらないはずだが、もしかしてアルフォンス第二王子殿下だったらどうしようと、明日には書かねばならない礼状を思って内心焦る杏奈である。
「お話はしなかったの?」
「あんまり。打ち合っただけだよ」
「そ、そう。楽しかったならよかったのよね、うん」
どうやら、ひたすらに剣の手合わせをしてきたらしい。
それは交流会ではなく特訓ではないかと思ったが、とりあえず不問にした。
ハリーは年齢にしては背も高い。顔かたちだけでなく、少々ぶっきらぼうな話し方もヒューゴに似ている。
理想の旦那様にそっくりで杏奈にとっては好感度抜群だが、同年齢の子ども達は少し怖く感じたかもしれない。
それが原因で会話が弾まなかった可能性は……大いにあるだろう。
――ハリーもフロリアーナも、いい子なのにな。
二人の良さが伝わらないのはもどかしい。
それに、こんなふうに泣いて帰ってくるフロリアーナを見るのは辛い。
だが、いつも親が付いて回って誤解を解いてあげられるわけもない。
どうすればいいのか……二十歳そこそこの杏奈は、子育ては未経験だし、大学でも教職や幼児教育の講義などは取っていなかった。
――要は二人とも、表情や態度で誤解されないようになればいいのよね……うん、よし。
自分の子ども時代の経験と、この世界に来てからの全てを思い出して、脳内で必死に自分にできることを探る。
「ね、少し練習しましょうか」
「れんしゅう?」
「そう。お友達と仲良くなれるように、練習」
ハリーも一緒にね、と誘えば、二人の子どもは目をぱちくりとさせる。
そんな二人に杏奈はにこりと笑って、テーブルの上からフロリアーナのグラスを持ち上げた。
「ここに、オレンジのジュースがあります」
「? うん」
不思議そうにしつつも頷くハリーに微笑んで、杏奈はもう片方の手で自分の前にあるティーカップを指さす。
「こっちには、紅茶があります」
「こうちゃ」
まだまつ毛に涙の残るフロリアーナも、ジュースと紅茶があるのは分かる。
でもそれが、何だというのだろう?
首を捻る二人に、杏奈は質問を投げかける。
「ハリーはどっちが好き?」
「ジュース」
「ジュースが、なあに?」
「え?」
「ジュースが好き? 嫌い?」
「えっ、す、」
好き、という単語を自分に言わせようとしていると気が付いたハリーが、ボン、と赤くなる。
そういった言葉はたとえ対象が無機物であっても、なんだか気恥ずかしいお年頃だ。
「好・き。ハリー、『僕はジュースが好きです』って、しっかりハッキリ言ってみて?」
「ジュ、ジュースが……す……」
「好 き で す」
なんとか言わずに済まそうと頑張ったが、杏奈の笑顔の威圧に九歳児は逆らえない。
頭からふしゅ、と湯気を出しながら、蚊の鳴くような声を絞り出す。
「……僕は、ジュースが、す……好き、です……っ」
「そう! よくできました!」
破顔した杏奈にくしゃくしゃと髪を撫でられれば、ますますハリーの頬は熱くなる。
片腕で顔を隠して下を向いたおかげで、「滅多に見られない、坊ちゃまの照れまくる様子」に静かに悶える使用人たちが目に入らなかったのは幸いだろう。
「フロリアーナは?」
「わたしもジュースがすき」
同じ質問を向けられたフロリアーナからは、スルッと返事が出てきた。
「悲しい」や「嬉しい」は分かっても、恋の告白と同じセリフで照れるほどの情緒発達はまだらしい。
「じゃあ、どうしてジュースが好き?」
「え? ええと……おいしい、から……?」
「紅茶もおいしいわ。お砂糖をいれたら、お茶だってジュースみたいに甘くなるわよ」
「えっと、うんっと……おさとうをいれても、わたし、にがいの。あと、あつくて」
「そうね、渋みがあるものね。冷たいミルクをいれてもまだ熱い?」
「あの、ミルクだけのほうが、いいの」
考え考え、たどたどしく話すフロリアーナの言葉を、杏奈は頷きながら根気強く聞き出していく。
「話すのはゆっくりでいいから。今までよりもっとたくさん、フロリアーナの気持ちを教えてちょうだい」
「まいにち?」
「そう。お話してくれる? あと、これからはもっと他の人ともお話してみましょうか」
「うん!」
大好きな杏奈と話すのは、いつでもどこでも大歓迎だ。
張り切るフロリアーナに満足そうに頷くと、杏奈はハリーに目を向ける。
「あのね、ハリー。大好きよ」
「っ!?」
突然正面切って言われて、せっかく落ち着いた頬の熱がぶり返して、今度は首まで赤く染まってしまった。
涙目を泳がせて、もはや杏奈の顔を直視できないハリーの耳に、柔らかい声が響く。
「好きって言われて、どう思う?」
「ど、ど、どうって」
「嫌な気持ち?」
「い、嫌じゃないっ」
ここから逃げ出したいくらいに恥ずかしいが、決して嫌ではない。
大急ぎで否定すると、それは嬉しそうに杏奈がほっこりと笑った。
「言葉ってね、誰かを嬉しくさせたり、それだけじゃなくて、誰かを傷つけたりもできるの」
だから、練習しようと杏奈は二人に言う。
「言葉は剣と同じ。武器にもなるし、守ってもくれる。上手く使えるように、一緒に毎日練習しましょう」
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