ジュリアのはなし 2


 ジュリアは裕福な商家に生まれた。

 元は祖父から継いだ小さな商会を、父が卓越した経営手腕で事業を拡大させ、王都下で知らぬものはいない豪商として名を轟かせていた。


 しかしどんなに台頭したところで、身分社会では結局、血筋や階級が全てという側面が否めない。

 金払いもガラも悪い末席の貴族相手にさえ下手に出ねばならず、そうしたところで平民風情が、と侮られることが常だった。

 階級を限定されてしか開かれない販路もあり、貴族の身分や縁故は、商人ならば誰でも喉から手が出るほど欲するものである。


 平民が貴族と同等になるには、いくつか手段がある。

 多大な功績をあげて王宮から叙勲されたり、もしくは大枚叩いて没落貴族から称号を買い、自らが貴族となるもの。

 もう一つは、貴族位を持つ者との婚姻で強力な縁故を手に入れる方法だ。


 戦時下でもない現在、一介の経営者が王宮から下賜されるほどの功績をあげるのは現実的に難しい。

 さらに貴族連中は、お互い仲が良くないくせに同族意識が強い。没落した者からとはいえ、金で爵位を奪った元平民に対しての風当たりは強く、逆に商売に差し支える懸念がある。


 そこで主人が目をつけたのが最後の、婚姻によって貴族への足掛かりをつくる方法だ。

 この場合は、縁組をした本人こそ軽んじられる傾向があるが、実家への悪影響は考えなくていい程度だ。むしろ受ける恩恵のほうがはるかに大きい。


 実子のうちで最も容姿に恵まれ、幼いながら才気を感じさせる受け答えをするジュリアが、野心家の父によってその駒に選ばれたのは必然だった。

 必ずや貴族との婚姻に結びつけると決めた主人は、大事な「商品」であるジュリアを徹底して管理した。


「だからねえ、成人するまで家から出たことがなかったのよ。文字通り、一歩も」


 ワイングラスをくゆらせて、あっけらかんとジュリアは言う。

 その言葉に、勧められたチョコレートを摘まみ上げた杏奈は目を丸くした。


「信じられません、驚きです」

「でしょう! あまりに人前にでないから、実は死んだんじゃないかなんて噂も立ったし。そうでないとわかると今度は『ベケット商会の秘宝』なんて呼ばれて……もう、人を何だと」


 後になって二つ名を知り悶絶したと口を尖らすジュリアに、杏奈は深く同意する。貶められているわけではないが、秘宝だなんて恥ずかしいことこの上ない。


 今日は、正式な招待の上で開かれた、正妻ジュリアと側室の杏奈の初交流会だ。

 急に時間ができたとかで呼ばれたのは直前だが、特に外出予定のない杏奈はいそいそとジュリアの部屋へ向かい、こうして予想以上に和やかな会話を交わしていた。とりあえず自己紹介、の内容が色々と驚きだが。


「母屋の一角を私専用に改修して、外部とは直接行き来できないようにして。使用人も家庭教師も、ダンスのパートナーも全員女性。十歳を過ぎた頃からは、兄たちとの面会も禁止されたわ」


 それは、結婚前に恋人を作ったり、好みの容姿などに囚われることなく、父の決めたどんな相手――たとえそれが老人でも、たいへんな醜男でも――と、つつがなく結婚させるためである。


 成人後も外出先は制限された。

 許されたのは完全に女性だけの集まりか、人払いされた自社商会の特別室のみ。

 それも移動中は馬車の中でさえ頭からベールを被せられ、異性を目にする機会を潰されていた。

 本の挿絵ですら父によって検閲されたのだというから、驚きだ。


 結婚前のジュリアが直接目にした家族以外の異性は、商売についての指導をした年配の会計役を除けば、窓の外に見かける庭師の爺だけ。

 その庭師だって帽子をかぶっているから顔はよくわからないし、日に焼けるからとそもそも窓辺に寄ることは許されていなかった。


 そうして外部との、特に異性との交流を絶って育てられたジュリアに、ヒューゴとの結婚が命ぜられる。


ヒューゴあのひとの顔を見たのは、祭壇でベールが上がった時が初めてよ」


 がっしりとした手で雑にベールを上げた男性は、見上げるほど高い背で、礼服の上からでも分かる筋肉質な体をしていた。

 太り気味の父や痩せぎすの指導役とは全く違う異質さに、ジュリアはまず目を奪われた。

 不機嫌もあらわに睨みつける目、造作はともかく凶悪と言って差し支えない表情。しかしジュリアには、その容姿が一般的なのかどうかわからない。


「まあ、こんなものかしらとしか思わなかったのだけど。だって、若い成人男性なんて見たことがなかったのだもの、比べようがないじゃない?」

「そう、でしょうね」

「でもね、あの結婚式の日……人生が変わったわ」


 おざなりな誓いのキスを終えて振り返ると、そこには大勢の招待客がいた。

 知っている顔は女性のうちのごく少数だけ。しかしジュリアの目を引いたのは。


「……男がいたのよ。顔のいい男が! しかも大勢!」


 ちょうどその時リンゴンと高らかに鳴り響いた祝福の鐘が、ジュリアには天啓に聞こえた。


「いいオトコがこんなにいたの! そんな、考えたらわかりそうなことを、今まで知らずにいたなんて!」


 改めて振り仰げば、どう見ても、どう考えても、隣に立つ夫の顔は「美しい」とは言い難い。

 異論は認めない、絶対にだ。


「私はいったい、どれだけの人生を無駄にしてきたのかしら! 冗談ではなく目の前が真っ暗になったわ!」

「ジュ、ジュリア様」


 それこそ神に対する冒涜だ、初めて父を恨んだと、ジュリアは拳を突き上げる。思い出して語気を強めるジュリアの剣幕に、杏奈は少々押され気味になった。


 見れば、テーブルの上にはワインの空き瓶が既に二本。ちなみに杏奈は礼儀として口をつける程度で、ジュリアが一人でカパカパとあけている。

 判断力に差し支えはないものの、酒精により少々感情が高ぶっているジュリアは主張を続ける。


 結婚は契約だ。

 自らも駒だと納得していた。

 商人としての合理的な考えを、骨の髄まで叩き込まれて育ったジュリアはそもそも、性格とか甲斐性とか愛情とかを夫に求めていない。


 だかしかし、だ。


「私は美しいものが好きなのよっ! いないのなら仕方ないわ、でも、周りにこんなにいい男がいるのにはないでしょう!」

「ジュリア様。お言葉ですが、ヒューゴ様は世界で一番かっこいいです」

「アンナの主観の話ではないわ!」

「残念です」


 ジュリアのジャッジに杏奈が異を唱えるが、一瞬で却下だ。


「でもですね、軍属の方なら容姿より体力とか膂力とかが……」

「前任の、アステリア将軍は美男だったわ」

「そういえばそうでした」


 筋肉美も悪くはないが、ジュリアの優先順位はやはり、顔である。

 物の真贋を見分ける眼力、及び審美眼を養われてきたジュリアにとって、美はそれだけで価値があるものなのだ。







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