番外編 そのに

ジュリアのはなし 1

 



 泣く子も黙る強面将軍、ヒューゴ・セレンディアの妻ジュリアの朝は、大抵遅い。


 昨夜は、最近仲良くなった若い貴族と、新しくできた劇場のこけら落としを観に行った。

 帰ってきたのは明け方近く。また今夜の外出のためにたっぷり眠り、目が覚めたのは、日もとっくに中天を過ぎてからだ。


「奥様、こちらを」

「手紙ならいつものところに置いておきなさい」


 優雅に入浴を済ませ、実家の商会が扱い始めた香りのいいクリームを肌にすり込んでいると、専属侍女のケイトがおずおずとトレイに載せた手紙を持ってきた。


「いえ、あの、お仕事の用件ではなく……この度側室になられたアンナ様からです」

「あら」


 それを聞いて、ジュリアは形のいい眉を、くいと上げる。

 今日は、夫であるヒューゴが側室を迎える日だった。


 相変わらず気の利かないヒューゴが日程を知らせたのが昨晩遅くだったとかで、自分が帰宅した未明にも使用人たちは忙しそうに準備をしている最中だった。

 同情はするが、主人ヒューゴがこういったことに気が利かないのは元からで、どうしようもない。


 この居室は離れているから向こうの様子は聞こえてこないが、改めて時計を見ればとっくに婚儀は済んでいる頃合いだ。

 ジュリア自身が選び、育てた使用人たちは、つつがなく支度を整えたに違いないという自信はあったが……一抹の不安が過ぎる。


「なにかトラブルが?」

「いえ、そのような話は聞いておりません。王宮からの見届け人も、十分な対応であったと執事に労いの言葉をかけたと」


 侍女の言葉に満足そうにジュリアは頷く。


「アンナ様ご本人がこの手紙をお持ちになりまして。失礼は承知だが、ぜひジュリア様にご一読いただきたい、と」

「……ふうん?」


 正妻は、本人が希望する場合を除いて、第二夫人である側室を迎える婚姻の場に立ち会う必要はない。

 妻同士で交流を持つにしても、ある程度日を置いて、正妻のほうから声を掛けて初めて面会が成立するというのが常識的な流れだ。


 それなのに、婚姻の当日に側室本人からコンタクトを取ってくるとは。


 確かに、伯爵家から嫁いできた杏奈のほうが実家の家格は高いし、王宮と軍部の強引な依頼による政略結婚という背景があるのも理解している。

 それでも、貴族位のない商家の出のジュリアのほうが、妻として家内の立場は上なのだ。


 ジュリアの生きがいは、社交と商売だ。

 社交には当然、気に入りの愛人を構うことも含んでおり、夫であるヒューゴ自身には、全く、これっぽっちも執着も興味もない。

 二人の子どもを出産後、自分の持参金を元手に始めた商売は軌道に乗り、人生のうちで今が一番充実している。


 女が自分で仕事を興すことに対し、この国はまだまだ保守的だ。

 だが、ヒューゴは妻であるジュリアが事業をすることに口を出さない。

 妻に興味がないからこそとはいえ、世間体を気にする一般的な貴族男性が夫ならこうはいかないのが実情だ。

 それに、将軍の妻という立場は、面倒事からの防波堤として非常に役に立つ。


 それゆえ将軍家を担う実権と正妻の座を手放す気は、さらさらなかった。


 若さや容姿を盾に側室が主人に取り入り、正妻を蹴落とそうと画策する話は珍しくない。

 だがそこは、やり手商家に育ち、今では事業主として生き馬の目を抜く仕手戦にも嬉々として挑むジュリアである。


 ――恋だの愛だのに縋るだけの側室が、私に勝てるとでも?


 にっこりと挑戦的な冷笑を浮かべると、美しく整えられた爪で侍女が差し出すトレイから手紙を取った。


「世間知らずのお嬢様が、なにを言ってきたのかしらねえ」


 鮮やかな金髪に薄水色の瞳。氷の女王のような美貌のジュリアが微笑むと、言うにいわれぬ迫力と冷気が漂う。

 慣れているはずの専属侍女でも、この時の女主人の笑みには久し振りに背筋が震えたとか。


 濡れ髪にしどけないガウン姿のままカウチに場所を移し、呆れた表情で手紙を流し見していた女主人は、しかし、読み進めるうちに表情を変えていった。

 どんどん前のめりになって食い入るように手紙を読む主人に、侍女がおずおずと声をかける。


「あの、奥様?」

「……ふ、ふふふ……面白いわ。ケイト」

「は、はい」


 押さえきれずに口角を上げたジュリアは、読み終わった数枚の便箋をたたむと、侍女に指示を出した。


「メゾン・ド・ボヌールのサンプルは届いているわね」

「はい。昨日」

「持ってきて」


 名が挙がったその店は、ジュリアがオーナーを務める高級ブティックだ。

 上品でありながら、どこか妖艶さも感じさせる夜会用のドレスは、王都のレディの憧れでありステイタスでもある。

 侍女が運んできた箱を開けると、中からは色とりどりの布があふれ出た。

 ただしそれらはドレスではなく、ごく一部の上得意客しか手にすることのできない特別ラインの商品だ。


「アンナさんの容姿は?」

「はい、黒髪で瞳はヘーゼル。背の高さは奥様と同じくらい。体型は華奢なほうですが、か弱い印象はございませんでした」

「……黒髪に黒ではありきたりだし、初々しさに欠けるかしら。無骨な軍人には、清楚感を保ちつつ色香を感じさせるほうがいいわね」


 さほど悩まずに嫋やかな指先が選び出したのは、薄い薄い、向こうが透けて見えるほどの精緻なレースをふんだんに施した、モーブピンクの下着ベビードールだ。


「素敵でしょう、新作よ。一番最初にお披露目するのは、もっと話題にしてくれる人がよかったけれど、まあ、いいわ。これも必要経費……いえ、先行投資かしら」


 細いシルクサテンの肩紐、砂糖菓子を思わせるフワリと波打つ裾フリル、見えそうで見せない絶妙なライン。

 幾度もデザイナーと話し合い、針子と刺繍職人が泣くほどの試作を経て作り出した自信作だ。


 手塩にかけた品の、花びらのように頼りない布に縫い付けられた胸元のリボンを指先で弄ぶ。


「これを彼女に。ラッピングは金のリボンにして。それと、カードをつけるわ」

「すぐにご用意いたします」


 ジュリアは不敵な笑みを浮かべて頷くと、側室アンナとの面会を予定すべく、スケジュール帳を開く。

 ……残念ながら、すぐには無理そうだ。


「アンナさん……期待を裏切らないでね」


 そしてドレッサーの小引き出しの奥から、十年近くも使っていない鍵を取り出すのだった。







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