ご
そして時は流れ。
「アンナお母様、ただいま戻りました」
「ハリー、お帰りなさい! 疲れたでしょう? あら、もしかしてまた背が伸びた?」
「お、おやめください。もう子どもじゃないのですっ」
大喜びで玄関ホールで出迎えた杏奈に飛びつくように抱きしめられて、青年期真っ只中の将軍家の嫡子はくすぐったそうに身をよじる。
父親譲りのしっかりとした背筋と精悍な顔つき、濃い色の髪は清潔感あふれる短髪。
顔立ちそのものは強面だが言葉や態度は柔らかく、鋭い眼差しは賢そうな眼鏡フレームで印象が和らげられている。
文武両道、頭脳明晰で硬派な男前振りは、男女問わず人気があると評判だ。
そのまま間近で身長を比べようとする杏奈の腕を外す素振りだけはしながら、耳を赤くして困ったように笑うハリーを、使用人の面々も微笑ましく見守っている。
「お兄様、チェンジですわ! 私もアンナお母さまにぎゅってするのっ」
「ああ、フロリアーナもお帰りなさい。んー、私の娘は今日もなんて可愛いの!」
ぐいぐいと間に入ってきた令嬢は、サンドイッチの具のようになりながら杏奈に頬ずりされて、年相応の笑顔を浮かべる。
母親である正妻ジュリアによく似た冷たさのある美貌、鮮やかな金髪の娘は、フロリアーナ。ハリーの二つ年下の妹だ。
杏奈が輿入れしてきた時、既に将軍には息子と娘がいた。
一男一女をもうけたジュリアは、義務は果たしたとばかりに将軍とは顔も合わせなくなっていたが、子どものことも使用人に丸投げの状態だった。
彼女の興味は、将軍家の奥と社交を取り仕切る奥様業と、若い愛人――今は売り出し中の俳優――に注がれている。
将軍は将軍で、軍務以外には毛ほどの関心もなく、家内の全ては現状のまま黙認していたのだった。
『私、ハリー様とフロリアーナ様と仲良くなってもいいですか?』
『構わないが、どうしてだ?』
『だって二人ともあなたにそっくりなんです。一緒にいれば、お留守のときも寂しくないですから』
『ん、んんっ、アンナはまた、そのような可愛らしいことを……』
たまの休日、将軍の固い膝の上に横座りして顔を寄せれば、杏奈の大抵の
難点は、せっかく許可がでた
ともかく、この日も甘いあれこれの結果、杏奈は二人の養育監督権を手に入れたのだった。
似ているから、と言ったのは嘘ではない。
実際、息子のハリーは父親と外見がよく似ていたし、娘のフロリアーナはその硬質な雰囲気と頑固な性格が、いじらしくなるくらい将軍譲りなのだ。
でも、それだけが理由ではなく、同じ屋根の下に、両親から見放された状態の幼い子どもがいるということに耐えられなかったのだ。
杏奈がいじめられて苦しかった時に、両親は気付いてくれたし、近所の大人は直接手を差し伸べてくれた。
同じようにはできなくても、頼りにならない大人ばかりではない、少しは期待してもいいんだよ、ということを知ってほしい。
防犯優先で整備された無機質な庭で所在なさげにしている兄妹を見た時に、杏奈の心にはその思いが自然と浮かんだのだった。
惜しみなく愛情を注ぐ杏奈に子どもたちが心を許すのは早かった。
今ではすっかり本当の母子のよう……いや、それ以上に仲が良い。
将軍家の外向きはジュリアが、内向きは杏奈がと、お互いの役割を侵犯せずに分担できているせいか、意外にも正妻と側室の仲も良好だ。
小さかった二人が成長し、今年からフロリアーナも学園に入学して、学園敷地内の貴族専用寮に入ってしまった。
なので、こうして週末や長期休暇に帰宅する日は、杏奈は朝からソワソワと待っているのだった。
「そういえば、アンナお母様。最近、途中入学してきた子が、ちょっと変わっているの」
「あら、どういうふうに?」
ようやくハグを緩めた腕の間から、満足そうに、ぷは、と息を吐いて顔を出したフロリアーナが上目遣いに話し始める。
綺麗ではあるが冷たい印象を与えてしまう顔立ちのフロリアーナは、それが元で友人とトラブルになることが多かった。
違うのに、と泣きじゃくるフロリアーナを慰め、アドバイスをし、最近はそういったいざこざも聞かなくなったのだが。
その時のあれこれが過ぎって眉を下げた杏奈に、兄妹は苦笑する。
「わたしを指さして『悪役令嬢!』とか叫ぶのよ」
「え、なにそれ?」
「さあ、さっぱりです。俺に向かっても『なんで敬語メガネ? 筋肉バカのはずなのに!』とか、意味がわからないことを」
「確かに意味がわからないけれど……失礼ね」
可愛い娘と息子が言いがかりをつけられていると聞いて、ぷんと膨れる杏奈の両腕を兄妹それぞれが左右で組む。
「ハリーもフロリアーナも、自慢の子なんだから!」
「うふふ、アンナお母様はきっとそう言うって思っていました。ね、お兄様?」
「ええ。どこかから耳に入って心配をかけてはいけないと思って、先に報告したまでです。対処は考えていますので」
「ほかに楽しいお話がいっぱいあるの。お茶にしましょう、アンナお母様」
そう言って、居間へ行こうとしたその時。兄弟の手からさっと杏奈の腕が抜ける。
「きゃっ?」
「アンナはこっちだ」
「お父様、いらしたの」
「……ずっといたぞ」
後ろから攫われる格好で横抱きにされた杏奈は、驚きつつも嬉し気に将軍の首へと両手を回す。
今は自分たちの時間だったのに、大人げない、と呆れる子どもたちの声は、相変わらずの強面で一蹴された。
「今アンナは大事な時期だ。お前たちに付き合わせて疲れさせられない」
「もう、あなたってば。つわりも治まったから大丈夫なのに」
将軍は杏奈の顔と、まだ平らな腹部を愛おしそうに見つめる。
結婚して何年もたった今になって、杏奈は将軍との間に初めての子を宿していた。
それが分かったときの将軍の取り乱しようは過去になく、しばらくは軍の指令系統にも影響がでたほどだったのは公然の秘密だ。
お前も人の子だったのだな、という王と宰相の呟きが全てを表している。
「ふふ、居間まで運んでくれますか?」
「……ああ」
本当は自室で休ませたかったのだろう。
しぶしぶ頷く将軍のむすっとした頬に唇を寄せれば、ほんのりと赤くなったのが愛しくて、杏奈はよりいっそうぴったりと身体をくっつける。
相変わらずのイチャイチャぶりに、子ども達は砂糖を吐きそうなため息を落とした。
「あーあ、またお父様にアンナお母様を取られちゃった」
「フロリアーナ、明日は父上も出勤だ。今日のところは譲るとしよう」
――理想の旦那様に、可愛い子どもたち。それにお腹には赤ちゃん……異世界トリップしたら、こんなふうになるなんて。
こっそりと将軍の耳に唇を寄せる。
「……大好き」
「くっ、アンナ……!」
愛する人のたくましい腕に抱かれながら、杏奈はもう一度キスを贈ったのだった。
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