番外編 そのいち

こどもたちのはなし 1



 その朝、フォルテリア国将軍ヒューゴ・セレンディアの子どもたちが目覚めると、屋敷はいつもとは全く違う空気に包まれていた。


 父である将軍が久しぶりに帰宅しているのもそうだが、使用人たちが目に付くところでも忙しなく動き回っている。

 そんな慌ただしい雰囲気を不安に思った将軍家の令嬢フロリアーナに、使用人は朝食のオムレツをサーブしながら疲れた表情で事情を打ち明けた。


「けっこん? おとうさまの?」

「はい。前にお伝えした二人目の奥様が、本日いらっしゃるそうです」

「え、今日?」

「昨晩、旦那様が遅くにお戻りになられて、そうおっしゃいまして」


 兄のハリーも驚きに顔をこわばらせた。ということは、使用人たちも数時間前まで知らなかったということか。

 それならこの慌ただしさも分かる。どうりで、いつもの時間に起こしに来なかったわけだ。


「なので、すみません。本日は全員がそちらにかかりきりになりますので、ハリー様方のお世話は……」

「わかった。ここも、もういい」

「失礼します」


 カチャカチャと常ならぬ音を立てて全部の皿を並べると、使用人は申し訳なさそうに一礼してその場を離れる。

 小走りで去るところを見ても、よほど忙しいのだろう。


「おにいさま……」

「……」


 返事もよこさず黙って食べ始める兄に肩を落として、フロリアーナもカトラリーを手に取った。

 父親が二人目の妻を迎える――その朝の食事は、いつもよりさらに味気なかった。


 話だけは聞いていた。

 嫁いでくるのは、政治上必要にかられた縁組での側室。

 つまり、義務的に迎える二人目の奥方であり、事前の顔合わせすら行われていない。完璧な政略結婚だ。


 もともと最初の結婚も、軍部で出世しそうなヒューゴに目を付けた豪商が、山盛りの持参金をつけて自分の娘を強引に押し付けたという、これまた損得がらみの結婚だ。

 女嫌いではないが、色恋沙汰は面倒がるヒューゴのこと。周囲からうるさく言われ、後継ぎの息子ハリーフロリアーナには恵まれたが、本来、家にも妻にも興味はない。

 妻となったジュリアとの間に愛情らしきものも僅かも芽生えず、軍務に邁進するばかりだった。


 そんな初婚から約十年。ヒューゴは先だっての政変で将軍へと昇進した。

 実力はあるものの、貴族位としては末席にいたヒューゴが上役に就くのを快く思わない者もいる。

 まだ不安定な政治基盤を固持するためにも、由緒ある旧家との縁組を命ぜられたのだった。


 王都のこの屋敷も押し付けられたと感じているのか、すべて妻に任せ、本人は軍の宿舎に泊ってばかりで滅多に帰ってこない。

 使用人たちにしても、結婚をする予定があることは聞いていたが、まさか今日とは寝耳に水だった。


 関係者と見届け人だけを招いて屋敷内の一室で執り行う簡易なもので、教会式も披露宴もしないとはいえ、さすがに最低限の準備は必要だ。

 そんな次第で、屋敷の掃除をはじめ、大わらわで支度をしているのだった。


 屋敷内の喧騒とは裏腹に、ハリーとフロリアーナは時間をもてあました。

 普段なら家庭教師に勉強を教わっている時間だが、授業は急遽中止。

 未成年の二人は婚姻の場に立ち会うこともなく、輿入れしてくる女性と対面の予定もないというから、するべき準備もない。


 自室で時間を潰すにも、扉一枚隔てた向こうでは使用人が目の色を変えて走り回っている。

 その浮ついた感じも落ちつかなくて、もうすぐ側室となる女性が到着するという頃に、二人は庭へと出ることにした。


 青空が広がるいい天気で風も爽やかだ。しかし、将軍家の庭は防犯第一で整備されており、趣に欠ける。夫人が茶会に使う四阿と温室にこそ花もあるが、子どもの立ち入りは禁じられている。

 ハリーが剣の稽古をするときにくらいしか使わない武骨な庭に、面白味もなにもない。それでも、屋敷の中に所在なくいるよりはマシだった。


 防災のためだけに引かれている水路に小石を投げ込むハリーの隣で、フロリアーナが不安気な声でつぶやく。


「おにいさま、どんな人がくるとおもう?」

「知らない。興味ない」


 まだ少し滑舌が幼いフロリアーナに、ハリーはつっけんどんに返す。

 同じ屋敷に住んでいても滅多に顔も合わせることのない母親と、ほとんど帰宅しない父親。祖父母や親戚との行き来もない。

 まだ社交に加わる年齢でもないため、身近な大人は使用人を除けば両親だけなのに、そのたった二人とは没交渉だ。

 今日来る女性がどんな人かは知らないが、これまでを思えば期待できようもない。


「……ミス・リードみたいな人じゃないといいけど」


 ぎゅっとスカートを握りしめたフロリアーナの口から零れたのは、二人につけられた家庭教師の名だ。

 実母ジュリアの目に適った女史は優秀だが気分屋でもあり、将来は王宮に上げられるように、とジュリアの注文が入ったフロリアーナへの当たりは特にきつかった。


「どうせ誰が来たって同じだ」

「やだなあ……」


 肩を落として見上げた視線の先は客間の窓。薄いカーテンが揺れた気がしたが、光に反射してよく分からなかった。






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