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あれよあれよという間に全ては進んでいく。
ごめんなさい、申し訳ないとクリスティーナはしきりに謝るが、「やはり自分が結婚する」とは決して口にしなかった。
もともと、伯爵家では近く杏奈に嫁ぎ先を探すつもりでいた。
この世界のこの国では二十歳前後が適齢期で、行き遅れは特に貴族にとって致命的なのだ。
だからクリスティーナが杏奈に謝る最大の理由は、結婚そのものではなく、相手の将軍についてだ。
「ようやくお父様から少し聞き出してきたわ。あのね、アンナ。セレンディア将軍って、すっごく怖いお顔なのですって。子どもは泣くし、女性は気を失うとか」
「え、それは……でもクリスティーナ様。将軍という職は、ナヨっとした優男には務まらないでしょう」
荒くれ者も多いだろう、血気盛んな軍人をまとめ上げるのだ。それなりに外見も迫力があるタイプであることは必要だろうと思う。
ところがクリスティーナの意見は違う。
「そんなことないわ! 前任のアステリア将軍は吟遊詩人ばりのすっごい美男で、王女殿下や公爵令嬢と恋の噂もあったのよ。彼だったらアンナにお似合いだったのに!」
それが政変で失脚し、もともと貴族位ではあったが、たたき上げの軍人でもあるセレンディアがトップに押し上げられた恰好である。
「むしろ、そっちのほうが私は苦手です」
宮廷で恋愛遊戯に長けた人物など、一介の学生でしかなかった杏奈の手に負えるはずがない。
それに。
「そうですか、怖いお顔……」
「きっと嫌よね、ごめんねアンナ」
「いいえ。伯爵様やジェレミー様のようなご容姿だったらどうしようかと思っていました。屈強な強面、大歓迎です。それを知った今はもう、期待しかありません」
「ねえ、前から少し思っていたけど、やっぱりアンナの趣味っておかしくない?!」
首を振るクリスティーナの手を、杏奈がそっと握ってしっかりと目を合わせる。
「好みは人それぞれですよ、クリスティーナ様。私の理想は吉沢亮より、八名信夫なのです」
「わからないわ、アンナ」
「ドン・ヴィトー・コルレオーネとかも最高です」
「どこの誰よ、それ」
自分の好みが同年代の友人たちとかけ離れている自覚はあった。しかしこれには理由がある。
日本人離れした容姿を、小さい頃から同級生――特に男子にからかわれてきた杏奈は、同年代の男が嫌いだった。
そして、泣きながら下校する杏奈を慰め、いじめっ子を叱り飛ばしてくれるのは地元商店街のおっさんたちだったのだ。
特に、人目をはばかる職業からジョブチェンジしたと噂の、肉屋のおじさんには世話になった。
ギラリと肉切り包丁を見せつけて威嚇する姿にときめきを感じたのが、ランドセルを背負った杏奈の初恋だ。文句は言わせない。
「そういえばこの前だって、出入り大工の棟梁に見惚れていたわね……ありえないから!」
「はしたなくてすみません。人を寄せ付けない三白眼と見事な上腕二頭筋に、ついうっとりしてしまいました」
「わたし睨まれて怖かったのに!」
「違いますよ、彼はクリスティーナ様の愛らしさに照れたのです。はにかんで笑いかけていたのです」
「あ、あれが笑顔だなんて認めないから!」
思い出しただけで涙目になるクリスティーナを、杏奈は微笑ましく見つめる。
……異世界など、物語の中だけの話で自分に関係するとは当然ながら思いもしなかった。
しかし、トリップ先でいきなり魔物に襲われたり、不審者として捕らえられたり人買いに捕まったりせずに済んだのは、かなり恵まれている。
今もこうして、不当に搾取もされず、過酷な労働も強要されず、五体満足で健康に生きている。
身の安全を保障してくれ、将来のことまで心配してくれる庇護者と巡り合えたのは、きっとありえないくらいの幸運で、だから、その人たちに恩返しができるなら身代わりの結婚くらい、と思うのも自然な流れだろう。
それに、いいところのお嬢様らしくワガママなところはあるが、クリスティーナはそのぶん素直で純真な娘だった。
何くれとなく世話を焼いてくれたり、姉ができたようだと逆に甘えてきたり……この世界での一番最初からずっとそばにいた彼女は、杏奈にとって友人でもあり、少し生意気な妹のようにも感じる相手になっていた。
その彼女には思い合う相手がいて、来年の婚礼を今から楽しみにしている。
婚約者のジェレミーにも会ったことがあるが、華奢な長身のキラキラした王子様風イマドキ男子で、可憐なクリスティーナと非常にお似合いだった。
伯爵は杏奈の身上について奔走してくれたし、伯爵夫人も『私を第二の母と思って』などと言って目をかけてくれた。
王命には逆らえないが、本心では娘の幸せな結婚を望んでいる。そんな彼らに同情しないわけがない。
それに、杏奈の抱いていた、結婚に対しての夢や希望は、異世界トリップにより、一度すっかり崩れ去ってしまっていた。
そんなことが重なって……見も知らぬ相手、しかも側室――自分の理想とは程遠いが、引き受けることにしたのだった。
だが、言い渋る伯爵からクリスティーナが聞き出した情報によると、どうやら相手の容姿は杏奈の好みに合致する。
それならば、話はまた違ってくるではないか。
将軍の伴侶としての社交や家の采配に自信はないが、それらは気位の高い正妻が引き受けたまま、側室ごときに譲るつもりはないらしい。願ってもない、大助かりだ。
そんな結婚、断る理由がない。まったく、これっぽっちも。
「……でも、アンナが大好きよ。義妹として幸せを祈っているわ」
「私も、クリスティーナ様の幸せを祈っています」
「アンナ……!」
自ら戦地に赴き、何度も勝利を導いたその体には数えきれない傷痕がある。
戦に関しては超一流。冷酷非道で敵に一切容赦がない。
それが、ヒューゴ・セレンディア――視線だけで人を殺せる、と言われる現将軍閣下であった。
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