杏奈が現れたのはこの令嬢の一族が治める領地で、地元警察のトップでもあり判事でもある父伯爵の元へとそのまま連れて行かれ、身柄を拘束された。


 が、なにもないところから杏奈が突然現れたのを、伯爵家の令嬢その人が目撃していたこと。

 そして杏奈の服装――黒いロングドレスにパールのネックレス、髪はアップスタイルというバイト用の恰好――は、かなり簡素ではあるが、この国の貴族の装いに類するものであったこと。


 さらに、長く通った教会や式場で身についた礼儀作法が、そこそこ通じたことにより、牢屋に入れられることはなく、身元不明ながら客人扱いに収まった。


 フォルテリア国はいわゆる、剣と魔法の世界だった。

 中世というよりは近世だが、杏奈が暮らしていた生活とはだいぶ違う。

 とまどいつつも聞かれるまま正直に話し、その内容は内密に確かめられ、ことごとく「真実である」と認められ……杏奈の異世界トリップが証明された。


 そうして正式に伯爵家の客人となり、一年。

 既に元の世界への帰還は無理だと諦め、こうなったらこの地で生きていくしかないと腹をくくっていた折も折、ついに養子の手続きが取られたのだった。

 と、いうのも。


「わ、わたし、嫌よっ!」

「クリスティーナ様」


 父伯爵が王都から持ち帰った報に、伯爵家の家族室は混乱を極めた。

 わっと泣き崩れるクリスティーナは、隣にいる杏奈にしがみつく。


「クリスティーナ、落ち着きなさい」

「お父さま、無理よ、無理! 将軍と結婚なんてできないわ!」


 杏奈を最初に見つけた伯爵家のご令嬢、クリスティーナに縁談が命じられたのだ。

 貴族のお約束、政略での結婚だ。


「セレンディア将軍は立派な御方だぞ」

「そうよ、クリス。それに、お世継ぎはもういらっしゃるから、子どもも考えなくていいって仰ってくださって」

「お母様、そんなのできるわけないじゃない!」


 おろおろと宥める両親も、この縁談がいいものとは決して思っているわけではなかった。なんといっても。


「わたしには、ジェレミー様がいるのにっ」

「クリスティーナ様……」


 泣き声を高くしたクリスティーナの背を、杏奈はきゅっと抱きしめる。

 もともとクリスティーナには、幼い頃からの婚約者がいた。

 その相手、隣の領地の子爵家の次男ジェレミーが婿入りしてくる予定で、何年も過ごしてきたのだ。


 ところが近頃、中央で政変があり、国内の政治的勢力図が大きく塗り替えられた。

 諸々の事情によりこの度、由緒ある伯爵家と軍部との連合の必要性が指摘され、手っ取り早く縁組を――というのが、この縁談の背景である。


 とはいえ、将軍閣下には既に妻子がいる。

 一定以上の身分の者には複数人の妻帯が認められているため、クリスティーナは第二夫人――要は側室の扱いだ。


 既婚者である将軍と、他に婚約者がいるクリスティーナという、本当に形ばかりの婚姻。

 それでも縁組による派閥の締結が必要になるのが、貴族社会というものなのだろう。


 これがまだ、自領を救うためにとかいう話ならば、クリスティーナも泣く泣く承諾しただろうが、そうではない。

 中央の政権バランスの必要上というのだから、地方に住む伯爵令嬢の乙女心には始末が悪かった。

 初恋の相手でもある同い年のアイドル系イケメンとの婚約を破棄して、十歳以上も年上の武骨な軍人の側室になれ、などという話に反発せずにはいられない。


 姉妹か従姉でもいればよかったのだが、あいにく伯爵家に結婚可能年齢の女性はクリスティーナただ一人。

 輿入れは半月後と時間がないため、平民として暮らしている遠い縁戚を連れてきて淑女教育を施すのも現実的ではなかった。


「失礼ながら、旦那様」


 昼だというのに重苦しい空気の室内で、伯爵家の家令が、クリスティーナの嗚咽の合間に声をあげた。

 壮年の彼は、ちらりと杏奈を見て、思いもよらないことを口にする。


「クリスティーナお嬢様の代わりに、アンナ様はいかがでしょう。髪色もお顔立ちも、親戚と言って通るかと」

「え」


 いきなり名指しされて、杏奈は言葉に詰まった。

 杏奈は日本人の母のもと、日本で生まれ育ったが、父は外国の人だ。

 髪色こそ黒だが、瞳は薄茶色。標準色のファンデーションが合わない白い肌、はっきりした目鼻立ちで、約二十年の間日本ではやや浮いて過ごしてきたのも事実。

 クリスティーナやその母親と、似ていると言えなくもない。


「お相手は、一族の者であればクリスティーナ様ご本人でなくても構わないとのお話。さすがに平民を召し上げるのは問題ですが、アンナ様ならその点も大丈夫かと」

「……ふむ、たしかに」


 伯爵家の後見が約束できるならば、養子でも婚姻は可能だ。

 異世界からきたアンナは、血縁のしがらみもなく逆に好都合というもの。


 その家令の言葉に杏奈は引きつり、クリスティーナはばっと顔を上げた。


「……そ、そうね、そうよね」

「く、クリスティーナ様?」

「一生のお願い! アンナ、私の代わりに将軍と結婚して!!」


 ――そういうわけだった。







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