異世界トリップしたら側室になった私のはなし

小鳩子鈴

本編

いち

 ――わ、本当に悪役顔。


 目の前に現れた男性を見て、杏奈アンナは忙しく瞬きを繰り返した。

 身長は見上げるほど高い。しっかりとした顎の男らしい輪郭、キリリとした太い眉毛と彫りの深い顔立ち。

 浅黒い肌は、もとからなのか日焼けによるものか、判断に迷うところだ。


 硬そうなダークブラウンの髪をオールバックにした額の端には、傷痕まである。

 太い首の下は筋骨隆々たる身体が国軍の正装に包まれて、多くの勲章も光っていた。


 纏う雰囲気は限りなく硬質。他人を寄せ付けない空気と滲み出る威圧感、本気の強面は、映画の中のマフィアのボスそのものだ。

 軍服を脱いで高級スーツに着替え、葉巻でも咥えればパーフェクトだろう。


 ゆったりと隙のない動きで、その男性は杏奈に近付く。

 鋲のついた軍靴のはずなのに、音のしないしなやかさは、猫……というより虎だろうか。どちらにしろ、彼が捕食者であることは違いない。


 さっきから杏奈の心臓は壊れそうに鳴っている。

 一度頭に集まった熱は逆に下がり、青白い顔をしているのだろう。今にも倒れそうなその様は恐怖に怯える姿にしか見えないようで、同席者の目には深い憐憫が浮かぶ。


 しかし。


 ――どうしよう、かっこいい……!


「手を」

「は、はい」


 怒声を張り慣れた掠れ声に耳をくすぐられ、震えながらおずおずと左手を差し出す。

 杏奈のほっそりとした手を、強靭な身体に似合いの厚い手が受け止めた。


 ――ごっつい手ーー!! 固い! え、それなのに、お姫様にするように優しく触れるなんて!? 素敵か!


 節の目立つ太く長い指が幾分戸惑いながら、青い石がついた金色の輪を薬指に嵌める。

 嬉しくて恥ずかしくて、杏奈は顔が上げられない。


「これで貴女は、私の妻だ」

「……はい」


 涙で潤む瞳は感激からだったのに、新郎を始めとしてそれを理解する者はおらず、気まずい沈黙だけが場に満ちる。


 佐藤杏奈、日本国籍の大学生。

 異世界トリップして一年と少しのこの日、つつがなく、フォルテリア国将軍閣下の側室になったのだった。




 §




 まだ慣れない指輪をぼんやりと眺めて、杏奈は物思いにふけっていた。


 ――本当に、結婚……しちゃった。あんな、私の理想が服を着て歩いているような人だったなんて! 譲ってくれてありがとう、クリスティーナ!


 話せばそこそこ長くなる。

 あの日――杏奈が「佐藤杏奈」でいられた最後の日は、いつもと変わらないアルバイトの最中だった。


 杏奈のバイト先は、結婚式場のウエディングチャペルだ。

 子どもの頃から歌うのが好きな杏奈は、それだけの理由で近所の教会の聖歌隊に参加していたほど。

 大学に入って地元を離れてからは、それまでの経験を活かし、チャペル挙式の時に讃美歌やゴスペルなどを歌う、ウエディングバイトをしていた。


 大安の土曜日、式場はフル回転で大忙し。

 とはいえ、無礼講になりがちな披露宴とは違い、おごそかに進められる式は何度立ち会ってもそれぞれに感動的で、杏奈は結婚というものへの希望を失わずに済んでいた。


 特にこの日最後のカップルは、結婚に至るまで波乱万丈、艱難辛苦があったらしい。

 困難を乗り越えて見つめ合う二人の瞳にはお互いしか映っておらず、感極まった相思相愛が遠くからも見て取れる。


 美しいドレスに降り注ぐステンドグラス越しの光、響くパイプオルガン、祝福の拍手、ほろりと零れる新婦の涙……。


 ――私にも、そんな日が来るかな。


 理想の男性像を思い浮かべて小さく首を振り、きっといつか、と心に願う。

 憧れを形にするのは難しいかもしれない。けれど、式に立ち会うたび、自分も素敵な相手と結ばれますように、と祈らずにいられない。


 寿ぎの聖歌を歌いあげ、他のメンバーたちとともに退場した、はずなのに。

 なにかに躓いた杏奈が顔を上げると、そこはバックヤードの廊下ではなく、知らない異国の町へと変わっていた。


 驚いて言葉を失くし立ち尽くす杏奈の前には、濃いブルネットの髪をふんわりと結い上げて、式場でよく見るようなドレス――白ではなく、カラードレスのほう――の令嬢が、同じように目を丸くしていたのだった。








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