28、飛んでいく

 夏の終わりの嵐の予報が、数日前から出ていた。

 観測史上屈指の巨大台風が来るらしいということで、帰島直近でそれでなくても忙しい男性たちも嵐を迎えるための準備にも追われ、てんてこまいでいるらしい。


 私はそういう外の様子を全てマリヤから聞くだけなので、実感としては何もない。謹慎中なので通信類も遮断されており、生徒会の様子もわからない。ただ、たまにレオくんからチャットアプリにたわいもない世間話が飛んで来るだけだ。


 朝、マリヤが運んで来てくれた朝食を食べて、日中は学校から出されている課題をして、夜またマリヤと部屋で夕食をとり寝る。それだけを繰り返す毎日だった。

 寮内放送で嵐に備え窓を守るプロテクトシールを張るようにと指示が出ていたので、それをマリヤと二人で空気がシールとガラスの間に入り込まないよう張る作業をしたりした。

 各部屋に配られる予備食と水を食堂に取りに出かけたり、それだけでちょっとした気分転換になった。


 マリヤが天気図を見せてくれて、明日にはこの島にも上陸すると教えてくれた。この寮は学校の側の高台にあるのでまだ平気かもしれないが、海沿いでは水害が大変なことになるだろうし、ここも山道が崩れるとあっという間に孤立してしまう。

 ずっと部屋にいる私でも、寮内の様子で明日に備えて緊張が高まっていることがわかった。その夜、すでに風の音がうるさくてなかなか寝付けなかった。


 翌日、嵐の上陸は夕方からだということで休校にはならなかった。

 マリヤはぶつくさ言いながら学校へ行き、私は念のために避難するときのための荷物を二人分まとめておくことにした。不安になり外を見ると、真っ黒で厚い雲が張り付き、強い雨がずっと降り続けている。地面がえぐられてしまうのではないかと思うほど、雨の打ち付ける音が荒くてうるさかった。

 避難するときはきっと傘なんてさせないだろう。レインコートがどこかにあったはずだ。そう思って、クローゼットを探している時に手帳が鳴った。

 今はレオくんからしか連絡は来ない。しかし、時間的に授業中だが……?

 妙な胸騒ぎがしてすぐにチャットアプリを立ち上げる。レオくんから数件メッセージが入っていた。


『真生・オオウチが強制送還になった』

『この嵐が去って港が動くようになったらすぐに送還されることになってるみたい』

『弥山の研究所で幽閉状態みたいだよ』

『会いに行くなら、僕がなんとかする』


 いきなりのことで頭が真っ白になる。何度も読み直している自分に気がつく。

 強制送還? なぜ……!?

 強制送還を受けるということは本島に帰ってからの真生さんの将来が閉ざされるということだ。


『どうして? 大人しく謹慎を受けているのに』


 私も真生さんも大人たちの言うことを聞いていた。私たちを閉じ込めておいて、帰島の日を迎えれば、それで何もかもが思い通りのはずではないか。

 すぐに手帳が鳴り、レオくんからの返信が来た。


『真生・オオウチが動いたらしい。君に会いに行こうとしたみたいだよ』


 ……本当に、心なんて無責任なものだ。

 あんなにいろんな人に心配させて説得されて、自分で自分を言い聞かせて整理をつけたつもりでいたのに、レオくんのこの一文で、もう身体が宙に浮くような気持ちになる。

 真生さんが、私に会いに来ようとした。

 何か言いたいことがあるんだ。私に、何か——。

 植物が好きで、生き物が好きで、それに全てを捧げていたあの人が、私のために危険を犯してくれた。他に理由はいらなかった。


『会いに行く。どうしたらいい?』



 *   *   *



 予報では二十時過ぎには嵐が上陸するため、授業が終わり次第生徒たちは寮へ戻ってきた。マリヤも早い時間に部屋へ戻り、私が用意した非常袋の中身を改めて確認してみたり、非常食をつまみ食いしたり、やけにテンションが高かった。


「嵐の前って、ワクワクしない?」

「しないよ。私が雷とか大きな音が苦手なの知ってるでしょ」

「怖いの? じゃあ、今日は添い寝してあげようか?」

「結構ですっ」

「うーそ! 久しぶりに私がいつきと一緒に寝たいの」


 そういえばまだ初等部の頃、こんな風に嵐が来た夜、風と叩きつける雨の音が怖くて二人で寄り添って眠ったことがある。マリヤはそれを思い出しているのだ。

 冗談を言いながら笑うマリヤの顔を見るのが辛い。でも、マリヤにはずっと笑っていてほしい。これから自分がすることを考えると、そう祈らずにはいられなかった。


 夕食をマリヤが運んで来てくれて、一緒に食べる。

 レオくんとの約束の時間にはまだ早いため、マリヤと話に夢中になっているふりをしてゆっくりゆっくり食べた。食後のお茶を頂いて、片付けをして、マリヤが食器を戻しに食堂へ行く時がチャンスだった。

 私は急いでレインコートを着込み、食堂の方とは反対方向の非常階段へ向かう。外階段へ出ると、もう、手すりを掴まないと身体が傾くほどには風が強まって来ている。

 中庭を隠れながら抜けていき、事務員さんが使う裏出入り口から寮を出る。そのまま学園の裏へ周ると普段は使われていない扉があり、そこのロックをレオくんが解除していてくれた。そこから出てしばらく進むと、小型のロボットカーが迎えに来ており、それに乗り込んでやっとひと心地ついた。


 私はロボットカーまで移動できたことをレオくんに連絡すると、彼はもう目的地で待機しているらしい。

 レオくんて本当に魔法使いみたいだ。どうやって抜け出したんだろう……。雲が渦を巻き、雨の風が木を鷲掴みにして揺れ倒そうとしているみたいだ。大木が倒れてきやしないかとハラハラしているうちに、あっという間に目的地が近づいてきた。


 真生さんがいる弥山の研究室というのは真生さんたち植物学者の人たちをはじめ、山の手入れや調査に入る人たちも拠点にする場所だ。きっと、真生さんのことを仁先生が預かったのだろう。

 山の中腹よりもまだ上にあるため、そこまでは二時間の山道を行くかロープウェイで登ることになる。レオくんは、そのロープウェイ乗り場まで迎えによこす車で来るようにという指示を送ってきてくれていたのだった。


 こんな嵐の日にロープウェイが動くのだろうか。車が到着し、そのまま車が行ってしまうのを見送ったあと、恐る恐るロープウェイ乗り場の入り口へ近づくと、自動ドアは解除されていた。ロープウェイ乗り場を覗き込むと、レオくんが、乗り場前の機械室から顔を出した。


「よかった! もう、遅いよー! これ以上嵐がひどくなるとさすがに動かせなくなるところだった」

 レオくんはひょいと飛び出して来て、私の手を取るとカードを渡す。


「なに?」

「研究所のカードキーだよ。真生は中からは開けられないからね」

「どうしてこんなもの持ってるの?」

「作った」


 レオくんは事も無げにそう言うと、ベンチに置いてある自分の荷物から小型PCを取り出して、そこへ座りキーボードを叩き始める。風でロープウェイの機体が揺れ、嫌な音を立てた。


「君が行ったら念のため運転プログラムにロックはかけるけど、この嵐じゃどっちみちロープウェイはもう動かせないだろうな。登山道も崩れまくってるだろうし。別れを言う時間はたっぷりあると思うよ」

「ねえ、なんで……? どうしてここまでしてくれるの? 私のこと、嫌いだって……」

「嫌いだよ。大っ嫌い。僕の遥を横取りしてったんだからね。だから……、初恋を取り上げられることの怒りも悲しみも分かるつもりだけど」

「レオくん……」

「要するに僕に同情されてるんだよ、君は! 喜ばないでよ、プライドないの?」


 そう言って真っ赤になりながら作業を進める。私は込み上げて来るものを抑えながら、その様子を見守っていた。


「急がないと……。これで……よし、いけるかな。……ん?」


 レオくんは軽快にキーボードを叩く手を止め、モニターをしばし凝視する。


「乗って来たロボットカー、君、どうした?」

「どうしたって……。普通に自分の基地に戻ってもらうように言ったけど……」

「なんでよ、僕帰れないじゃない」

「あ!」

「いや、でも、大丈夫。なんでかまたこっちに向かって来てるみたい。……ここの前で止まった」

「なんで……」

「大丈夫じゃないかもだよ? ……さあて、どっちだ」


 レオくんはめんどくさそうに体勢を崩し、口の端を上げて入り口へ目をやった。人が走ってくる足音がし、扉が開いて飛び出して来たのはマリヤだった。


「マリヤ!?」

「あー、僕的に嫌な方が来ちゃったな」

「レオ……。やっぱりあんたの仕業だったのね」


 マリヤはレインコートも来ておらず、全身すぶ濡れだった。肩で苦しそうに息をしている。ロボットカーを拾うまで走って来ていたのかもしれない。

 髪から水が滴り、ブラウスやスカートが肌に張り付いていた。


「マリヤ、なんでここが……」

「いいから、君はロープウェイ乗って」


 レオくんが私とマリヤの間へ割り込むように立ちふさがり、私に向かって囁いた。そして、手に抱えたPCのエンタキーを叩いた。


「ほら、乗れ!」


 マリヤが怒りに満ちた顔で、一段一段、こちらへ向かって上がって来た。


「なんか今日はずっと様子がおかしいなって思ってたの。一瞬、嵐が来るからかと思ったけど、やっぱりこういう事だったのね」

「マリヤ、お願い、見逃して!」

「見逃せるわけないでしょう! あんた自分が何やってるかわかってるの!? レオもよ! こんなことバレたら、あんたも強制送還の上、将来のエリートコースは絶たれるわよ!」

「構わないよ。僕はいつきに償いをしたいだけだ」

「そのちっぽけな自己満足のために、いつきの人生狂わせるわけにはいかないのよ」

「君が黙って見送れば、痕跡は僕がバレないようにやってやるよ! 君はいつきの友達だろう? どうして味方になってやらないんだ」

「友達だからバカなことしたら殴ってでも止めるのよ。しかも、真生・オオウチに会いに行くですって!? こんな非常事態の時に!? バカも休み休み言いなさいよ!」

「もう二度と会えなくなるんだよ!」


 レオくんが叫んだ。

 この風にも雨の音にもかき消されないほどの大声で。あんな小さな身体から信じられないほどに、大きな声で私のために怒ってくれているのだ。


 ……いや、どこにも報われなかった自分の恋心のために怒っているのかもしれない。レオくんは自分の思いを私に重ねて成就させようとしてくれているのかもしれなかった。


「友達ってもんを教えてくれたのはマリヤじゃないか。いつきのことを想うなら、行かせてあげてよ」

「だから、なんでいつきをあんな男のところへやらなくちゃいけないのよ」

「いつきが彼を愛しているからだよ」

「そんなことは許さない!」


 私を連れ戻そうと手を伸ばすマリヤの腕にレオくんがしがみついた。


「わかったぞ! マリヤは本当は自分が可愛いだけじゃないか! 自分の持ち物を取られそうだから、もっともらしいことを言って駄々をこねてるだけだ!」

「レオ、離して……!」

「離さないよ、友達がおかしなことをしてる時は殴ってでも止めるんでしょ!」

「……写真の件の時、追放しておけばよかった」

「そうだよ、気がついてたなら、自業自得だ」


 二人はもみ合い、段から足を踏み外して一番下の段まで掴みあったまま転がり落ちた。マリヤが肩を押さえて小さく悲鳴をあげた。私が思わず駆け寄ろうとした瞬間、機械室へそのまま転がり込んでいたレオくんが「そこにいろ!」と叫んだ。

 ロープウェイに電気が走る音がして、扉が閉まり出す。マリヤは四つん這いでこちらへ走って向かってきた。


「いつき……!」

「マリヤ!」


 マリヤが両手で扉をバン!と叩いたその時、ロープウェイは動き出した。ロープウェイと並走しながらマリヤは扉を叩く。


「やめてマリヤ! 怪我しちゃう……! やめて!」

「いつき!! いつきぃ……!! やだぁ……!!」


 あっという間に発着所を離れ、泣き叫ぶマリヤが小さくなり、やがて嵐に消えていった。

 機体が大きく揺れる。バチバチ!と天井から音がして、車内のあかりが点滅した。私はへたりこむように座り込み、手すりにしがみつき、目を閉じた。

 嵐が刻一刻と力を増し、雨が私を呼び止めるマリヤのように窓ガラスを叩きつけていた。下の方で木が倒れ裂けがなら折れる音がしている。


 祈るような気持ちでやり過ごしていると、エンジン音が変わってきた。

 ガツンっと大きく機体が揺れてゆっくりと目的地の駅へ滑り込んでいった。弥山の中腹まで来た。私はロープウェイから降りると乗り場を後にして、研究所を目指し走り出した。


 風で飛んで来る枝が頬をかすり、ちりっと痛みが走る。レインコートなんて意味もないくらいどんどん雨が身体に侵入して来て容赦無く体温を奪っていった。視界は暗く、手帳のライト機能で足元を照らすのが精一杯だった。

 それでも、足は軽く、いくらでも走れるような気がした。

 視界は黒と白のスピード線と、遠くに見える研究所の明かりのみで、それは自分がワープ空間で時空を超えるタイムマシンになったみたいだった。


 私は今、真生さんへ向かって、飛んでいるのだと思った。

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