27、私のママ

 私の身勝手のせいで真生さんに迷惑がかかるなんてとんでもない。真生さんはこの島にあと少ししかいられないのだ。彼の研究の邪魔をしたくなかった。すぐに謹慎をといてもらわなくては。だけど、誰に、何を、どうすれば——。


 私は考えがまとまらないまま走り、気がつくと真生さんの家の見えるところまで来ていた。とにかく、まずは本人と話そう。エイレイテュイアとどういう話になっているのか確認しないと……。

 近くまで行くと、二階の真生さんの部屋には明かりが灯っていた。本人がいる! 私は心の中で麗華さんに詫びながら、駐車場を通り抜けて縁側へ抜ける家の裏手へ回り込もうとしたところだった。


「いつきちゃん」


 不意に呼び止められ、心臓が口から飛び出るかと思うほど驚いた。恐る恐る声の方へ振り向くと、そこには、麗華さんが佇んでいた。

 いつもの陽気で明るい彼女ではなく、目の下にはクマが浮いて疲れ果てているように見えた。ヒールの音を静かに鳴らしながら、私に近づいて来る。


「どうしたの、今日はあなたと会う予定なかったと思うけど」

「真生さんに会いに来ました、謹慎になったと聞いて……」

「それが?」

「私のせいならば撤回してください。真生さんがこんな目に合うのはおかしいです」

「……いつきちゃん」


 麗華さんは髪をかきあげながら

 しばし言葉を探し、ため息をついた。小さく首を振り、困惑した顔をこちらへ向ける。


「機関の人間じゃなくて……真生の姉として……家族として、お願いしたい。もう、真生に会いに来ないで」

「麗華さん……」

「真生は密告にあったようなことは、きっとしていない。ましてや、あなたに対して恋愛感情なんか持っていない。そんなことはわかってる。でも、火のないところから煙は立たない。あなたを守るために、エイレイテュイアはなんでもやるわ」

「密告って……。内容は? 真生さんが何したっていうんですか」

「それは言えない。でも、真生がこうして通常生活を送れなくなるものだった」

「密告が本当のことなのかどうか、私は確認もさせて貰えないんですか!?」

「……真生は認めた。だから、今こうしているの」

「あの日、彼は自分の仕事をしていただけです。私が真生さんに会いたくて、会いに行ったんです。私が、真生さんに触れたくて抱きついたの。真生さんはちゃんと私を拒否しました。なのに、どうして彼がこんな目にあうの」

「それは……あなたが保護種の母だからよ。万が一のことが起きないとも限らないと機関が判断したから、問題になる人物を遠ざける……」

「だから、それがおかしいって言ってるんです……!」


 自分がこんなに大声を出せるなんて知らなかった。こんな種類の声を持っているなんて知らなかった。

 内臓をえぐりながら怒りが暴れ出す。息が肺まで届かなくなる。この理不尽さが、あの日からずっとずっとまとわりついていた。私に将来を選ばせるようなことを言いながら、大人たちの中では、もう決定事項なのだ。


「私はまだマザーをやると承諾していないのに、どうしてこんなことまでされなくてはいけないんですか!? 初めて好きな人ができて、ただ、会いたいと思うだけの何がそんなに罪なんですか!?」

「会いたいだけじゃすまないでしょう!?」

「こんな風に恋を取り上げられるなら、マザーなんて出来ない!」

「いつきちゃん、今のあなたは初めての恋にのぼせ上がって視野が狭くなってるだけなの! あなたが産まなきゃ、ジーペン人は絶滅するのよ」

「人類全てがいなくなるわけではない! そんな風にここまで来たのは私たち人間でしょ? ジーペンはもう不要だからいなくなるの。今更惜しくなって残しておきたいだなんて、どうして私一人がそんな他人の都合を押しつけられなきゃいけないの……!?」


 私と麗華さんが睨み合うように立ち尽くしたその時、表玄関の方から車が止まる音がして数人の足音が近づいて来た。私たちがそちらへ目をやると、エドアルド先生が慌てた様子でこちらへ飛び出し、その後を静かに校長先生がやって来た。


「浅倉さん! 何をしてるの!」

「どうして……」

米瑪流べいめるさんが早くあなたを追うようにと。自分の進路の打ち合わせを投げ出してまであなたの身を案じていたわよ」


 マリヤが感づいたのだ。私が何をどうするかなんて、彼女にはお見通しってことだ。小さく舌打ちをする私の前へ校長先生は歩み出て、そのまま私の手をとった。


「さあ、帰りましょう。あなたに少し、お話があります」

「嫌です、真生さんの謹慎を撤回して頂くまで戻れません」

「それは本島の方々が決めることですから。私たちが出来ることからやってみましょう。まずは、あなたのお話を、私としましょう」


 校長の深い紺色の目が私を透かしてしまうように見つめる。私は観念し、校長たちと一緒に家の前に停めてある車へ向かう。運転ロボットが後ろドアをあけ、校長がまず乗り込み、私も車へ乗ろうとした瞬間、真生さんの部屋の灯を見上げて私は叫び出していた。


「ごめんなさい……!!」


 部屋の窓のそばで影が揺れた気がした。真生さんに聞こえている! 私は喉が裂けるほど叫んだ。


「ごめんなさい!! ごめんなさい!! 真生さん……!!」

「いつきちゃん! もうやめて、お願い……!!」


 麗華さんはエドアルド先生と二人掛かりで私を押さえ込み、車へ押し戻そうとする。


「真生が悪くなくても、あなたが騒ぎを起こせば起こすほどあの子強制送還になっちゃう! せめて最後まで研究を続けさせてあげて! この島に来るのが夢だったのよ、あの子の……!!」


 麗華さんの絞り出すような声を聞いて、体の力がふっと抜けた。その隙をついて、エドアルド先生は私を車へ押し込み、さらに自分も乗り込んで逃げるように麗華さんの家を後にしたのだった。


 バックミラーに映る麗華さんが小さくなっていく。

 その場にへたり込み、砂埃の中で肩を震わせていた。



 *    *    *



 ここでマザーにならないかと打診を受けて、もう二ヶ月も過ぎたのか。

 窓の外は緑が勢いよく鮮やかに生を謳歌している。蝉しぐれがぐちゃぐちゃな私の心をさらにかき混ぜるようだ。


 校長室に通され、エドアルド先生はレモングラスのハーブティーを淹れてくれた。やがて、私を心配げに見つめてから退室していった。

 私は今、校長先生と向かい合って座っている。校長先生はハーブティーで少し口を湿らせてからゆっくり私の方を見た。


「今日はね、あなたのお母さんのお話をしてあげましょうね」


 全く心の準備もなくいきなりのことに、私は無意識に膝に置いた手を握りしめた。

 私の母はこの島で妊娠し、私を産んだ。女しかいないはずの島で——。


「あなたのお母さんもね、まだこの島の学生の時に管弦祭で入島していらした男性と恋に落ちて妊娠し、あなたを産んでから卒業していったのよ。まあ、なんとなく、そんなことだろうとあなたも思っていたでしょう?」

「……はい」


 それ以外、可能性はない。


「そして、私も母と同じような道を辿ると警戒されているんですね」


 校長は私をじっと見つめてから「あなたは賢い子ですね」と呟く。


「そして、とてもいい子。これまで懸命にこの学園のために務めてくれましたね。真生・オオウチも優秀な学者であり、良識人です。あなた方二人は、あなたのご両親とは違う。……だけど、その後、あなたのご両親二人がどうなったかお話ししてもいいかしら」


 私は頷き、校長先生も私の決意を受け止めるように頷いて少し目を伏せた。


「本島で再会を果たした後、心中しました。父親が、生まれた子供が女の子だったことで、あなたと離れて暮らさなきゃいけないことに絶望したのです」


 とても腕のいい画家だったが、その分誰よりも繊細な人だった。

 父親は私のことを知らず、成人し本島へ渡った母から聞かされておかしくなってしまったのだそうだ。

 まだ学生だった母を一人で妊娠出産させていたという事実を受け止めきれず自分を責め続けた。その上、顔も知らない我が子に情が湧き、自分の子供に会えない苦しみに耐えることが出来ず、父は壊れた。そしてまた、別人のように変わっていく父を、母は支えきれなくなってしまった。


「人間は弱いものですね。あなた方とあなたのご両親は違う人間だと分かっていてもね、そんな風になった人たちを一度見ていると、その二の舞になってしまうのではと考えてしまうものでね……」

「エイレイテュイアも両親の件を把握しているということでしょうか」

「少し後になって気がついたみたいでしたけどね。二人が希少なジーペンだったということは」


 校長先生は深く息をつく。


「赤ん坊の頃からあなたと共にあった私たちは、どうしても、あなたのことを守りたいの。ただただ、あなたの母のようなことにだけはさせたくない。だから……」


 伏せた瞳を上げて、まっすぐ私の目を見つめた。


「弱い私たちを、どうか許してください。浅倉さん、男性たちが帰島するまでの間、自室謹慎と致します」


 私はかたく目を閉じる。

 まぶたの裏を、蝉の声が埋め尽くす。

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