21、美術室
あの日から、校内で写真を撮る人間はぱたりといなくなった。皆が秩序を守りそれでも慌ただしく毎日が過ぎていき、いよいよ明日から夏期休暇だ。
私は生徒会室の最後の戸締りをして、久しぶりに真生さんのところへ寄り道を帰ろうとした時だった。生徒会室のドアをノックする音が響き、返事をして入室を促すと入ってきたのは鷹司くんだった。
「失礼するよ」
あの日からなんとなく避けて過ごしていたので、こうして逃げ場がない状態で対面するのは本当に気まずかった。私はなんとか平成を取り繕った。
「あれ、いつきちゃん一人?」
「ええ、もう閉めるところで」
「そうか……」
鷹司くんは生徒会室の中をぐるりと見回して、頭をかいた。
「何かご用でした?」
「あー……。じゃあ、この後は寮に戻るだけだよね」
「はい」
「あの、実は、いつきちゃんにお願いがあってさ……」
やたらモジモジと言いにくそうに言葉を濁す。いつもの彼らしくないので、また何かを企んでいるのではないかと思い、思わず身構えてしまう。
「いや、警戒しないで。言いにくいんだけど……俺の、モデルにも……なってくれないかなって」
「鷹司くんも写真撮るの!?」
「いや、俺がお願いしたいのは絵のモデルで……」
「ぬ、脱ぐの!?」
「ヌードモデルじゃなくて! なんで君はすぐ突拍子もない発想をするんだ!」
きっと、今回の件で鷹司くんの中の私の印象は随分と変化したに違いない。でも、初めの頃よりも私としてはその方が気楽でいられるような気がした。こうして言い合いになっても恐縮しない自分に気がつく。鷹司くんは小さく咳払いをした。
「横顔をスケッチさせて欲しいんだよ。……夏期休暇の間に美術の課題が出ていて」
「だったらレオくんの方が造形美として勉強になると思うよ。レオくんに頼んだらいいじゃない」
「テーマが『島で見つけた美しいもの』なんだ」
「だから、美しいものを描くのなら、レオくんの方がずっと美しいでしょ!」
「島で見つけたものでだよ! あの日から、君の巫女神楽の姿が頭から離れない」
はたと鷹司くんが真剣な目をしていることに気がついた。いつも余裕しゃくしゃくで王様のような鷹司くんが、言葉を選びながら私に頭を下げに来たのだ。
(慣れてきたからって……ちょっと、調子に乗っちゃったかな)
私は少しだけ自分の態度を反省し、モデルを引き受けることにした。
美術室につくと誰もおらず、鷹司くんはぐるりと教室を見回してから、私を窓際に座らせることに決めたようだった。
丸椅子を出し、暇だろうから外でも眺めていてと言われ、言われる通りにする。
麓に商店街が小さく見え、麗華さんのお家へ遊びに行った時のことを思い出した。こんな夕暮れはいつもあの家のことを思い出してしまう。
鷹司くんはスケッチブックを開くと、足を組みデッサンを始めた。ペンが滑る音が頼りなく教室に響き、完全無欠の王様も絵だけは得意ではないらしい。恐る恐る不器用に自分の形を削り出されていくような気分でくすぐったい。
生徒はほとんど帰っているのでクーラーもつかない。少し暑くなり、鷹司くんが窓を開けた。潮風が吹き込んで、私は酸素をやっと供給された魚のように思い切り吸い込む。鷹司くんが自分の椅子に戻りながらぷっと吹き出した。
「やっぱり島の人だね。潮風が嬉しい? 俺は正直まだ慣れないよ」
「鷹司くんの住んでいるところは、海は近くないの?」
「こんなにはね」
本島で暮らすようになれば海の気配がしないところに暮らす可能性もあるのか。考えたこともなかった、潮騒の届かないところでの暮らしなんて。
「そういえば、歓迎会の時に鷹司くんに言われたこと、ずっと気になってたの。私は島に愛されてるって。あれってどういう意味?」
「え……、そんなこと言った?」
「言ったよ」
きょとんとする鷹司くんへくってかかる。するとまたスケッチブックへ視線を落として少し気まずそうに言った。
「随分浮かれてたんだな、俺。……あれは、君の名前がこの島の昔の名前だからだよ」
「
「そう、ジーペンがまだ独立国家だった頃の、ここの名前」
「知らない」
「調べてみるといいよ。君の親御さんは君をこの島そのものだという思いを込めて名付けてくださったんだな」
「……私、この島で生まれたらしいんだよね。だからかな」
「この島で?」
鷹司くんは驚いて顔をあげた。
「理由は怖くて誰にも聞けないけどね」
「君の親御さんも色々ワケありってことだな。この島の中でジーペンの純血の女の子が妊娠して出産するなんて、考えられることなんか一つしかないじゃないか」
「かなあ……。シスターたちに育てて貰ったから、なおさら聞けないや」
「家族に憧れるなら、俺のところへくるといいじゃない」
また、こういうことをさらっと言う。自分が何を言っているのかわかっているのだろうか。
「それはどうだろう、私なんてこんななのに。鷹司家のお眼鏡に叶いましたか?」
「……想像以上でしたよ」
予想外の声の温度に私は鷹司くんの方を思わず見る。長い前髪の向こうの目が熱がある時のように潤んで見えた。
「あの写真を投稿したの、多分、レオだ」
一瞬、鷹司くんがなんの話を始めたのか全くわからなかった。
「なんらかの手段でケンのカメラのデータをいつでも弄れるように細工したんだろうな。その中で一番ダメージのでかい写真を見つけて、勝手にコンテストへ投稿した」
「なんらかの手段って、あ……」
そうだ、レオくんは一度ケンくんのカメラを没収した。その後しばらくしてからふらりと現れて、写真を気にいったから許してやるとすぐにカメラを返したのだ。
あの時——。
「でも、なんでそんなこと……」
「弥山で自分をいじめた連中の一人だからだよ。あいつ、本当に執念深いんだ。俺でも絶対に敵に回したくない」
「だからって、ここまで……」
「するんだよ」
唖然とする私に鷹司くんは同情の目を向けた。
「そしてあいつはいつきちゃんのことを好きではない。一石二鳥だ」
こんなに人の悪意を真正面から受けることが初めてで、グッと喉に息がつまるような気がした。
レオくんからすれば恋敵も初めてできた友達の親友も私で、目障りでしょうがないのだろう。
だけど、だからって盗撮写真をネットに晒すようなことを、しかも人に濡れ衣を着せるような真似までするだろうか。自分がやられたことへの仕返しだったとしても、今回のことは人の未来や尊厳を踏みにじるに値することなのだろうか。
レオくんの天使のような顔を思い出して、すんと背筋が寒くなった。
「……鷹司くん、知ってたの?」
「いや。……でも君にケンがあのタイトルをつけられるわけがないと指摘を受けて、そこでやっと気がついた」
「知ってて、隠してたの?」
「ケンには申し訳ないけど、レオを守る方が俺には優先事項だった」
「ケンくんの可能性を潰すところだったんだよ」
「レオが潰れるよりマシだ」
「レオくんは自業自得でしょ」
「それを言ったらケンだって自業自得だ。あいつがレオの怒りを買うような真似しなきゃよかったんだ」
怒りで唇が震える。自分たちの範囲のものを守れれば他がどうなったとしても構わないということか。ケンくんが拳を握りしめ言っていたことを思い出し、さらに悔しくて惨めな思いがした。
「……あなたたちは、何様なの?」
「……だから、想像以上だったって言ったんだ」
鷹司くんは私から逃げるように再びスケッチブックに目を落とし、絵を描こうとしているように見えた。
「君に俺たちの常識は通用しない。ただ君はあの時自分が正しいと思うことだけを信じたし、行動した。あんな方法を使ってまで……」
そう言って、鷹司くんは何度も鉛筆を握り直していた手で目を覆い、上半身を丸めるようにして伏せってしまう。
「あの舞が目に焼き付いてしまった。あんな、美しいものを見せられて……」
笑っているのか、泣いているのか、分からない。
「君は美しい。俺は、どうしたらいい」
途方に暮れたいのはこちらの方だというのに、そう言って小さく肩を震わせる鷹司くんを、それ以上問い詰める気もなくしてしまった。
鷹司くんが落ち着いて、スケッチが終わるまで暮れゆく島を見ながら、私の心は落ち着く場所を探しているようだった。
今日もそうめんを食べるのだろうか。仕事後のシャワーを浴びたら、あの縁側で甘いものを食べながら空を見上げて、その日見た草や木や虫たちを思い出しながら、ちょっとでも私のことを思い出してくれていたりしないだろうか。
この島のどこかで、同じ潮騒を聴きながら。
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