20、奉納の舞
寮に帰ると麗華さんがフロントで私を待ち構えており、私の顔を見るなり飛びついてきた。
「もっと早くに来られなくてごめんね! こんな日に限って仕事で本島に戻ってて……。通信制限がかけられてメールも出せないし……」
麗華さんは力を込めて私を抱きしめた。汗に混じった香水の香りが麗華さんの首筋から立つ。どんなに麗華さんが心配して、急いで私の元へ駆けつけてくれたのかを背中の湿り具合で知る。
「……大丈夫ですよ」
「そんなわけないじゃない! この後、もしそんなに疲れてなければ少しカウンセリングさせて。あと、あのコンテストへの投稿は削除させた。あの写真はどこかで無断に上がったとしてもAIが自動で追跡して消していくから、もう人目に晒されることはないからね。安心して」
「麗華さん……」
私は麗華さんから体を離し、至近距離で聞いた。
「コンテスト自体が中止になったりしませんよね」
麗華さんは私の必死な様子に一瞬たじろぐが、すぐに残念そうな顔をした。
「残念ながら、そこまでは出来ないと思う」
「いいんです、なくならないなら、それで」
「……え?」
私は胸をなでおろし、どっと体の力が抜けるような気がした。
それから、麗華さんのカウンセリングを受け、ゆっくりと話を聞いてもらい、幾分気が楽になってから、その日は眠りにつくことができたのだった。
……が、私は鷹司くんを少し甘くみていたかもしれない。心のどこかで、私がこれだけお願いしたのだから聞き入れてくれるだろうなんて思っていたのだ、きっと。
朝、部屋で支度をしているとマリヤの手帳のメール着信音が鳴った。手帳を見たマリヤの顔色が変わる。
「マリヤ?」
「レオから。ケンくん、強制送還が決まったって」
「……え?」
「明日、本島に戻されるみたい」
——私は部屋を飛び出した。
男子生徒会室には鷹司くんとレオくんがすでに自分の席で作業を行なっていた。挨拶もそこそこに私は鷹司くんの席へ向かう。
「おはよう、来ると思ってたよ」
「取り消してよ!」
私はデスク越しに鷹司くんへ相対する。
「情報が早いね。お前が流したの?」
「知らないよ。マリヤには言ったけど」
隣のデスクで作業するレオくんにそう声をかけながらも鷹司くんはこちらを見ようともせずに作業を続けた。私はデスクに両手をつき、鷹司くんの視界に入るよう前のめりになりながら続けた。
「強制送還になってしまったら、ケンくんの将来どうなると思ってるの。この島での留学を終えているというのはあの人たちにとっては重要な経歴になるんでしょ」
「それはここに来ている男子学生全員がそうだよ。将来をふいにしたくないならおかしな行動をしなければいいんだ」
この件は取り合わないという姿勢が頑なな口調から滲み出していた。
「お願い、強制送還は取り消して。私はもう許してる。これ以上、どうしてあなたたちにこんな罰を与える権利があるの!?」
「ちょっと、うるさいなあ!」
レオくんが舌打ちをして怒鳴る。
「あのねえ、いくら僕たちでも鶴の一声で人の人生ブチ切るようなことできやしないよ。ケンは自分がやったと認めたんだ。あれはれっきとした犯罪だ。処遇については男子部の担当教師たちや本島の委員会がそう判断した。だから強制送還されるの。自業自得なんだよ」
「嘘よ! ……聞いて、レオくん。彼にはあんな投稿絶対できない」
「でも、撮影をしたんでしょ」
「……え?」
「彼は撮影したことを認めた。彼が撮ったという証拠も押さえられてる。ケンはね、盗撮行為を罰せられるために本島に帰されるんだよ。そんな下劣なことをする人間はこの島に置いておけないし、大体、そんな奴が優秀な写真家になるとも思えないけどな!」
レオくんは吐き捨てるように言うと、私を睨みつけたまま目で出て行けと訴えかけてくる。
でも、じゃあ、誰が——。
鷹司くんにも取り付く島もなく、何も出来ないまま私は生徒会室を後にした。
朝日の眩しい廊下を行きながらレオくんの言葉を思い出していた。
確かに投稿はしていないかもしれない。でも、この島に来た誰よりも貴重な写真を撮るために、どこからか私のことをつけ狙っていたことは間違い無いのだ。
あんな角度の写真、どこから撮ったのかも検討つかない。
私の生活リズムを掴み、寮の裏の山に潜んで撮影ができるポジションを探して……と考えると、たいした執念だ。
ふと、足を止めると美無神社の海の上に立つ大鳥居の向こうから朝日が大きく膨らんでいくところだった。すぐに熱光線は私の頬にも届き、ポカポカと照らした。
陽は昇る。誰の上にも。
私は、その場で麗華さんへ連絡を入れた。
* * *
「直接謝罪……?」
私の連絡ですぐに学校へ来てくれた麗華さんは怪訝な顔をした。
「はい。まだケン・ハルサさんからきちんと謝罪を頂いていません。帰島されてしまう前に直接本人からの謝罪を要求します」
「気持ちはわかるけど……あなたに対してそんなことをした人間に会いたい……?」
「お気遣いありがとうございます。だから、場所を指定したいんです。絶対に安全で、直接顔を合わさずに話ができる場所を知っているので」
「それは?」
「美無神社」
麗華さんは思ってもみない場所の提案に少し驚いた顔をして私を見たが、私の意思を尊重すると言い、すぐに本島の委員会へ掛け合ってくれることになった。
そしてその日の夕方には、明日ケンくんが送還される前、美無神社で面会できることが決まった。
翌日の朝は、寮からでも波の音がやたらうるさかったように思う。
日が昇る前に、美無神社の本殿にお参りをして宮司さんに挨拶をし、ケンくんを迎える準備をする。私には麗華さんとシスターが一人付き添い、マリヤが準備を手伝ってくれた。
時間になり、本堂の御簾越しにケンくんを待つ。
やがて、宮司さんに案内されケンくんが担当教師と共に入って来た。向こうの様子は分かりづらくはあるが予想より人数が多い。
どうやら生徒会の幹部も同席しているようだった。警備だなんだと理由をつけたのだろう。鷹司くんのやり方に歯がゆさを感じた。
が、ここは絶対に邪魔はさせない。
「では、私が見届け人をつとめさせて貰いますよ」
宮司さんが男性一同が着席し落ち着いたところを見計らって、この場の仕切りを引き受けてくださった。ケンくんたちへ私たちが御簾越しで対応することの了承を得て、ケンくんを御簾の前まで連れてくると詫びの言葉があれば伝えてくださいと彼へ促した。
ケンくんはしばし俯いていたが、ゆっくりとその場で土下座をして言った。
「本当に……申し訳ありませんでした」
御簾越しに薄く、ケンくんの肩が震えているのが見える。泣いているのか、悔しさのあまり震えているのか、推し量ることもできない。
「あなたの口から聞きたいの。どうしてあんなことしたのか、理由を教えて」
「……」
「……ケンくん、お願い」
ケンくんは答えない。頭をあげてしきりに後ろを気にしているようだった。同席している誰かにお伺いを立てている。宮司さんが返事をするように促し、ケンくんは渋々といった様子で話し始めた。
「あれは、君に色々と良くしてもらう前に撮ったものだ。島にくる前からモデルになりそうな人間のリサーチをしていた。僕が狙っていたのは君の同室の米瑪流さんの方で、そのついで……というと、君には申し訳ないんだけど、あの写真は偶然撮れたものだった」
私の後ろでマリヤがピリッとする気配がする。
「じゃあ、本当にケンくんが撮ったことは間違いないんだね」
「僕が撮った」
喉がぎゅっとつかえるような気がした。
「なんの謝罪にもならないかもしれないけれど、あの写真はもちろん僕のカメラからも削除した。なんなら、この島で撮影したものも全て消去した。バックアップも残していない、本当だよ、生徒会が証明してくれる!」
「……コンテストはどうするの」
「……」
「有名な写真家になって、弟さん進学させなきゃいけないんじゃないの」
「そんな資格、僕にはもう……」
御簾の向こうから、喉から絞り出すように息が聞こえ、やがてケンくんは嗚咽を漏らしていた。彼のむせび泣く声と波が打ち寄せる音だけが本堂に響き、誰も何も声をかけられずにいた。
しかし、いつまでもそうしているわけにもいかなかった。ケンくんは時間が来たら本島へ帰ってしまう。この島に来たからには、ちゃんと土産を持って帰って頂かなければならない。
これこそが、本当に私が怒っている相手への仕返しになるのだ。
「ケンくん、私のお願いを聞いてくれるかな」
御簾に映るケンくんの薄い影がぴくりと動いた。
「っていうか、聞いてくれたら許すよ」
「もちろん、僕にできることならなんだって……」
「できることだよ」
私はそう言ってマリヤに目配せをすると、マリヤは御簾の向こうへ移動して宮司さんへ耳打ちをした。二人掛かりで御簾をあげて貰う。
目の前が開けると、すぐそこにケンくんが正座して私を見上げ、本堂の後ろの方で男性教師らと鷹司くんとレオくんが並んで座っており、全員がまん丸な目をしてこちらを見ている。
その向こうには回廊が海に向かって伸びて突き当たりは平舞台と高舞台になっており、そして海が広がり、あの大鳥居がすぐそこにそびえ立っていた。
状況が飲み込めず口が開いたまんまのケンくんに、麗華さんが「はい」と言って彼のカメラを渡した。ケンくんは涙でびしょびしょの手を自分の制服で拭き、恐る恐るそれを受け取ると、声を絞り出すように言った。
「……なんで」
「それで私の写真を撮って欲しいんだ」
私は彼の前で千早の袖を掴み腕を広げてみせる。
私は美無神社に伝わる巫女神楽の正式な装束で、彼の前に立っていたのだった。
「毎年年越しにはね、そこの平舞台で島の神へ舞を捧げるの。今年は私がやらせてもらったんだ。男の人たちが入島出来る夏には絶対に見られないから、私の着替えなんかよりずっと貴重でしょ」
私はマリヤから神楽鈴と扇子を受け取り、男性の皆さんが唖然と見守る中、本堂を突っ切って回廊から平舞台へ移動する。
私は振り返り立ち位置へつくと、まだ御簾前でカメラを握りしめこちらをぽかんと見ているケンくんに言った。
「お囃子がないから、私の歌でごめんね」
しかし、私の元へ来るように促してやってきたのは、怒りで顔を震わせた鷹司くんだった。
「なにを……君は……! 俺がどれだけの思いをしてあいつを追放までやったか分からないのか!?」
「私はケンくんのやったことは大嫌いだけど、写真は……悔しいけど大好きなの」
「ここで自分の写真を撮らせて、こいつがそれをただただ大事に持っていると思っているのか」
「そうだね、言うの忘れてた。これから撮る写真に限って、私はあなたの作品のモデルになることを了承しておりますので、煮るなり焼くなりコンテストへ出展するなり、ご自由に」
「いい加減に……!」
そう言って鷹司くんが私に詰め寄ったその時だった。
「どけ!」
ケンくんが後ろから怒鳴り、こちらへ駆け寄ったかと思うと、鷹司くんの肩を掴み後ろへ乱暴に引き倒してしまった。
「僕のモデルに触るな!」
ケンくんは涙と鼻水でぐしょぐしょの顔を歪ませて、尻餅をついた鷹司くんに怒鳴った。
その気迫にあの鷹司くんが完全に言葉を無くし、ケンくんを呆然と見上げた。
そしてゆっくりと私に振り向き、カメラを構えた。
私はそれを合図に小さく息を引き、神楽鈴を海に向かって響かせた。小さく歌いながら今年の大晦日に捧げた舞を舞う。穏やかに寄せては返す波の音が足の運びのリズムを作る。朝の太陽はだんだんと力を増し、ジリジリと焼けていくようだった。
私はただただ、この人の行く末が幸せであるよう美無の神に祈る気持ちで踊った。ケンくんは、声をあげて泣きながらシャッターを切る。シャッターを切る瞬間だけ、力づくで息を飲み込んでいた。
何が撮れるのかなんてわからない。こんなことをして彼の未来が救われるわけではない。もう、一生会うこともないだろう。
——だけど。
——だからこそ。
私は本堂の祭壇へ向かって深く礼を捧げ、約七分の舞を踊りきった。最後の最後までケンくんはシャッターを切り続け、私が素に戻り彼の方へ向くと、やがて嗚咽しながらその場に崩れ落ちた。
宮司さんが静かに私たちへ近づいてきて、泣きむせぶケンくんの肩をさすってやった。そして、宮司さんは「浅倉さん、君の気はおさまったかな」と私へたずねる。
私は頷いて「彼のことを許します」と応えた。
宮司さんは頷くと、凛とした声をはりこの場の終了を告げた。
男性教師がケンくんを抱えるように連れて行く。私たちは視線が交わることもなく、さよならの言葉もなく、そのまま別れることとなった。
ファインダー越しにたくさん話をした気がしたから、なんだか寂しくなかった。
連れられて行くケンくんの背中を見えなくなるまで見送った。
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