19、晒し者

 その日のうちに教師側から撮影区域設定が全校生徒へ通達された。ほぼほぼ私たちの提案が通り、あとは撮影可能時間が設定された。

 放課後のある時間帯だけ認められ、まずはじめに撮影されることに興味津々で写真部に理解を示した子達がモデルを買って出た。そこから、そのあまりの写真の出来の良さに記念撮影がわりに撮ってほしいという希望者も増え、ちょっとした賑わいを見せるようになった。

 自体はいい方向へ収束したように見えた。

 しかし、男子生徒会はそれでも休み時間や放課後のパトロールをやめようとはしなかった。それが写真部だけでなく、芸術科全体の反感をかい、鷹司くんは影で独裁者だと言われているらしいとレオくんがマリヤに愚痴っていた。


 ある時、鷹司くんにも聞いてみたことがあった。もう少し信じてあげたら?と。鷹司くんは子供に諭すように微笑みながら言った。


「俺たちが見てるぞというアピールをし続けることがあいつらの抑止力になり、女子の皆さんへの安心につながると思ってのことなんだけどな」

「それはありがたいのだけれど、そのせいで鷹司くんが悪く言われてるって聞いて……」


 鷹司くんはそれがなんだといった様子で私をキョトンとした顔で見た。


「大分わかってきたけど、君も大概お人好しだな。俺の心配してくれてるの」

「それはそうだよ。みんなから信頼されているようだったのに」

「信頼も何も、反感を買うのが僕らの仕事じゃないか。今回のことで表立って声をあげるようになったから目につくだけで、あんなやつらはいつだっている」


 これまでの経験で肌で感じているのだ。鷹司くんは今選ぶべき優先順位の話をしている。人気やご機嫌取りでは人をコントロールなんて出来ない。


「人は欲望の前ではそんな簡単に道徳を通せやしないよ。ああいう連中は特にね。あいつらが決められた場所と時間だけで大人しくしてるなんて、本当に思ってる?」

「でも、生徒全員、お互いが譲り合ってそう決めたんだよ」

「逆に聞きたいよ。自分の利益のために平気で盗撮をするような奴らの言うことを、なぜそんなにあっさり信じられるんだ」


 私は拳を緩めて瞬間のケンくんの目を思い出す。

 彼は、分かってくれたのだ。しかし、鷹司くんはきちんとルールを守って活動を行なっている彼らを見てもなお信じようとしない。私は鷹司くんの頑固ぶりに少し苛立ちを見せていたかもしれない。それを察したのか、鷹司くんはまた表情を崩して吹き出した。


「まあ、母親になる人間はそのくらい大らかな方がいい」

「……え?」

「いや、こちらの話だよ」


 意味深なことを言っては顔を背けてしまうので、また何を考えているのかわからなくなる。

 こういう時はあの中庭が恋しくなり、そういえばここしばらく真生さんのところへ行っていなかったなと思い出す。

 久しぶりに訪ねてみようかとそんなことを考えていた時に、それは起こったのだった。



 その日の放課後、生徒会室でいつものように雑務をしている時教室に副会長の亜利沙が飛び込んできた。


「大変! 男子生徒会が撮影区域の撤回を出した!」

「え!?」


 その後ろからまた今度はユンナさんが飛び込んできて叫ぶ。


「大変ですー! 撮影区域の庭園で男子副会長とカメラ部部長が乱闘になってる!」

「はあ!?」


 一緒に作業をしていた数人と教室を飛び出し、庭園に向かう。野次馬が噂を聞きつけて同じ方向へ走っていく。嫌な予感がする。しかし、途中でマリヤに呼び止められた。


「いつき! 行っちゃダメ!」

「マリヤ!」


 マリヤは私の腕を掴み、人の目につかないようすぐそばの空き教室へ私を引き入れた。


「レオくんから何か聞いてるの? 何があったか知ってる?」

「いつき、あのね、落ち着いて聞いてね。いつきのことは私が守るから、絶対に、大丈夫だから」


 珍しくマリヤが焦りを隠さない。私は早く何があったのかを聞きたくて、平気なふりをしてゆっくり頷いた。

 マリヤは自分の手帳を取り出し、私に画面を見せた。

 それを見て、私は胸に氷を詰め込まれたかのように息ができなくなった。


「これ、コンテストの投稿サイトなんだけど一般投票というのがあって自分の作品を一定期間こうして掲載しておくのですって。そこに……」


 ——私が着替えをしている写真が投稿されていた。

 後ろ姿ではあるが、横顔はしっかり写っており自分だと充分確認ができる。白いシャツをはおろうとしている瞬間で、吹き込む風にシャツが揺れ、陽に透けて体のラインが分かってしまう。

 それが寮の外から撮影されており、風に飛んだ葉が舞い、部屋の窓枠が額縁のように見える幻想的な写真で、「ジーペンの乙女」というタイトルが付けられていた。


「投稿者はケンよ。あいつ、いつきの思いを裏切ったのよ。鷹司さんも怒り狂ってる。コンテストの主催側にこの投稿と全てのログを消すように申請はしたって。そうしないと法的にコンテストの中止を要請するって」

「……」

「だから、大丈夫よ。いつきは何にもしなくて大丈夫だから」


 マリヤは泣くのを堪え、鼻をすすりながら私を抱きしめる。私はマリヤの胸の中で小さく混乱していた。頭がすぐに働かず、気持ちだけが焦る。何か、大変なことが起こっているというのに。大事なことを見落としているような気がしているのに——。


「悔しい、絶対に許さない。いつきのことこんな風に辱めるだなんて。鷹司くんがケンを島から追放処置にするってレオが言ってた。こんなやつ、すぐに消えて無くなるから、安心して」


 ——追放?

 それは、絶対にダメだ!

 私はマリヤの腕を振りほどき、止める声も聞かず、再び教室を飛び出して庭園へ走った。



 庭園はすごい人だかりで、その中央に背の高い鷹司くんの後頭部が覗いて見えていた。その方向へ人をかき分けて進む。

 二人の姿が見えた時には、鷹司くんが譲二さんに押さえられ、ケンくんは傷だらけで地面に座り込んでいたが、そこに男性教師たちが駆けつけて二人掛かりで彼を起こしどこかへ連れて行こうとしているところだった。


「ケンくん!」


 思わず呼びかけると、私だと気がついた人たちが一気に視線をこちらへ向けた。しかし、ケンくんはもうこちらを振り向く力も残っていないのか、そのまま教師に連れられ中庭を後にした。

 後に残された生徒たちは今度は私を見ながらコソコソと何か話を始める。譲二さんに説教をされていた鷹司くんはそれに見かねたのか、いきなり私の手を掴み走り出した。

 私は手を引かれるまま、逃げるようにその場を離れた。



 鷹司くんは私を振り返りはしないが私のペースを気遣ってくれていることは手を引く力の強さで感じ取れた。

 男子生徒会室の自分の作業スペースのデスクまで戻ってきたところで椅子に倒れこむように座り、大きな息をついた。


「こんなところまで連れ込んでごめん。米瑪流さんに君のこと頼んだのに……。なんで来たの」


 肩で息をしながら、私は鷹司くんに詰め寄る。


「ねえ、殴ったの?」

「あいつだけはどうしても許せない」


 鷹司くんは悪びれる様子もなく、椅子に深く座り込んだまま顔だけこちらに向けて言った。その態度に、私の中で怒りの火が小さく灯ったような気がした。


「ひどい……。まずはきちんと話を聞くべきだよ」

「ひどいって……君、自分が何されたか分かってんの!?」

「分かってるよ」

「分かってない! あんなことをされて、俺ははらわたが煮え繰り返る思いだ!」


 苛立ちをまた再燃させてしまったようだが、関係ない。私は抗議しなければならない。


「そうだとしてもだよ。まずは話を聞くべきだよ。どうしてあんなことをしたのか……」

「さっきから寝ぼけたことを……。話を聞くだって? あんなことをする奴のなんの話を聞くんだよ。どうしてあんなことをしたのかって賞が欲しいからに決まってるじゃないか。若い女子の……しかも、希少種の裸体が拝めるならそれだけで話題になるからだ。センセーショナルな写真の方が番人が注目してウケがいいからだよ」


 言葉がナイフのように突き刺さる。

 今、この人、私のことなんて言った……?


「……そんな風に思ってたなんて」

「誤解するな、俺は違う! 一般論だ! ああいうゲスな奴らはそう考えるという話だ。君はこの島しか知らない、世間知らずだから甘いことばかり言うが、俺は忠告したじゃないか。大人しく言うことを聞いている連中じゃないぞって。その結果がこのザマだ。俺はあいつだけは絶対に許さない」


 完全に冷静さを失っていると思った。またあの水の底のような目をしている。


「だからって……鷹司くんがそこまで怒り狂う道理はない。撮られたのは私だよ?」

「だからだよ! 君はどこまでバカなんだ」

「バカって何よ!?」

「君がこんな目にあったから俺は怒ってるんだ。俺を誰だと思ってるんだよ! これが君じゃなかったら直接殴りに行ったりなんかしない」

「同じ人種のよしみで親身になってくれるのはありがたいけど、そんなことしてくれなんて頼んでない!」

「あんな姿を全世界に晒されたんだぞ、君は恥ずかしくないのか」

「恥ずかしいに決まってるじゃない!」


 私もこれ以上は感情を制御できる気がしない。鷹司くんと同じ音量で言葉を返した。

 この人は私に羞恥心がないとでも思っているのか。確かに私は何にも分かっていないのかもしれないけれど、バカにしているのは鷹司くんの方ではないのか。


「他の男の目に、よりによって君の……あんな姿が晒されるなんて我慢ならない。君が侮辱を受けるということは俺が侮辱を受けるということだ」

「だから……どうしてそんなに自分のことのように怒るの?」


 鷹司くんは私をじっと睨みつけたまま、言葉を選び考え込んでいるようだった。やがて静かに口を開く。


「君は、将来、俺の子供の母親になる人だからだ」


 私はその言葉を理解できないまま真っ白になる。怒りは暴れ続けるまま、もう、何もかもが頭の中でぐちゃぐちゃに散らかり手がつけられなくなっていた。そんな私にかまわず、鷹司くんは続ける。


「君は、ジーペンの純血だけを産むマザーになると聞いた。ということは、かなり高い確率で俺の精子の提供を受けることになるだろう。こう見えても、俺、いい血筋の家の子の長男でね」

「そんなこと……誰に……」

「ここに来る前、親父に聞いていた。鷹司家にふさわしいお嬢さんか見てこいって言われたよ。出来ればマザーなんかにならず俺の伴侶に貰いたいって」


 背筋が凍る思いがした。

 この前まで顔も知らなかった人たちの間で、そんなことまで筒抜けになっているのか。誰が、どこまで私さえよく知らない私のことを知っているのか。


「私がマザーになるかもって話、本島から来た人はみんな知ってるの? 大人の人たちは知っているようだったけど」

「学生で知っているのは僕ぐらいだろう。大人たちは、君に何かあれば国際問題になっちゃうから知ってて当然だとは思うけど」


(じゃあ、やっぱり……!)


私は、鷹司くんのこの言葉で確信を持つことができた。


「鷹司くん。コンテストの中止要請はしないで。ケンくんの処分も待ってほしい」

「君もいい加減わからない人だね。それだけは君が許したとしてもしない。あんなコンテスト中止させるし、ケンは追放する。必ずだ」

「やったのは、彼じゃない」

「……はっ! まだ君はそんなこと言うのか!? あいつも命乞いするみたいにそんなこと言ってたけどな」

「ケンくんはやってないって言ってたの?」

「俺に殴られるまで、ああだこうだ言い訳してたよ」

「やってないと言っていたのに殴ったの? 本当にひどいよ、鷹司くん」

「じゃあ、誰がやったっていうんだよ」

「今、一番の容疑者はあなただよ」


 鷹司くんは椅子から立ち上がり「はあ!?」と素っ頓狂な声をあげる。


「それは聞き捨てならないな。俺が、こんな低俗なことをする人間だと……!?」

「じゃあ、あの写真が投稿されてるページ見せてくれる?」

「なんであんなもの……」

「いいから!」


 納得いかないといった様子で手帳を出すと素早く画面を操作し問題の写真を表示させて私に差し出した。


「……そんなにすぐ出せるようにしてあるなんて、鷹司くん……」

「ばっ……!! バカか君は! 今回の件の重要資料だから、ファイルが一番上にあるだけで……!」

「これ、タイトル見てくれる?」

「話を聞けよ! え……?」


 自分の方へ手帳を向けなおし、しばらく凝視してからあっと声を出す。


「ジーペンの乙女……?」

「そう、鷹司くんの言うことが本当なら、こんなタイトル、ケンくんはつけられないんだよ」

「まさか、大人の誰かが……」

「鷹司くんじゃなきゃ、そうなるね」


 私の余計な一言にムッとしてこちらを見る。


「俺のこと疑ってんの?」

「ううん、あなたじゃない。それは今話しててじゅうぶんに分かったよ。でも、これで分かったでしょ? ケンくんは誰かから濡れ衣を着せられてるんだよ。私は大丈夫だから、きちんと真実を明らかにしてから罰を受けるべき人に罰を与えて。まずは、ケンくんから詳しい事情の聴取とか、コンテスト側へ投稿者を確認するところからじゃないかな」


 鷹司くんは手帳を見つめたまま私の話を聞き入ってくれていたが、言葉の中に何か引っかかったのかハッと小さく息を吸った。


「処分の要請は今の段階では早すぎるよ。冷静になって、もう少し待って……」

「……」


 彼は口で手を覆い、椅子に再び沈み込むように座って何か考え始めた。しばらく無言が教室を埋め、私もおとなしくそれを待った。

 気がつくと生徒会室の外ではもう、夕日も沈みかけている。

 やがて、ゆっくり立ち上がりやっと口を開いた。


「……分かった。この件はやっぱり、一旦俺に預からせて」


 薄暗い教室でもわかるほど、潤んだ目で悲しそうな顔をして私を見下ろす。


「いつきちゃんは、今日は色々ありすぎた。もう寮に戻って、ゆっくり、休んで」


 そう言いながら私に触れようとして、止めて、手を引く。私は下げられたその手を両手で掴み、再び詰め寄る。


「どうかお願いだよ、鷹司くん」


 必死に頼み込む私へ、鷹司くんは力なく笑った。

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