17、交渉

 結果からいうと、状況は私たちが思っていたよりずっと悪くなっていた。


 翌日、全校朝礼でケンくんから男子写真部各位へ、そして両生徒会から学生全体へ、この件についての説明と注意喚起が行われるはずだった。

 

 しかしそれよりも先に、今朝、早朝プール掃除をしていた水泳部の女子達を隠し撮りしていた三人の男子が見つかり、捕まった。

 そこからお互い罵り合いの揉め事に発展し、私は寮で朝食をとっているところメールでユンナさんから呼び出されて、プールへ駆けつけた時には、鷹司くんが仲裁に入り場は落ち着いたところだった。


 水泳部の女の子達はお互いをかばい合いながら泣きじゃくり、男子達はカメラを死守しつつ、その場に集まった全員を睨みつけている。

 私がその場に到着すると、鷹司くんは「すまないが女の子達を頼む」と一言言い残し、三人を連れて男子達が使っている校舎へ戻っていった。


 その後、その子たちがどうなったか報告を受けないまま、鷹司くんは全校朝礼で朝礼台の上からかなり強い言葉でこの事件を非難し、「今後このような迷惑行為を生徒会は一切許さない、事と次第によってはカメラの持ち込みを禁止する措置も辞さない」と断言した。

 女子の間からは拍手が起き安堵のため息も聞こえてきたが、男子学生たちはしんと静まり返っていており、鷹司くんの演説への静かな反発が伺える。そんな、妙な連帯感を私は感じていた。


 鷹司くんと入れ違いに写真部代表部長のケンくんが朝礼台へ上がる。マイクを不器用に調整している間も、考えをまとめるための時間稼ぎをしているようだった。やがて、息を整え、ゆっくりと話し始めた。


「事のあらましは副会長が説明した通りです。僕たちの活動が女子の皆さんの学園生活を脅かすものとなるのであれば、それは迷惑行為だということを認めて、相手が嫌がることはしてはいけません。いけませんが、……しかし」


 ケンくんの言葉が途切れ、無音に耐えかねた者から顔をあげて壇上の彼を見守った。ケンくんはそのまま下唇を噛み締めてしばし何かを考え、また話し始めた。


「僕たちは、人生をかけて、激戦を勝ち抜きこの島にやってきた。表現を制限されることは、僕たちの呼吸を止められるのと同じだ! 僕たちの芸術活動のため、そして来年以降入島する後輩たちのためにも、そのような事例は作るべきではない!」


 一部の男子生徒から「そうだ!」と言う声が上がる。


「女子の皆さんにどうか理解を頂きたい。僕たちは決してあなたたちを傷つけようとカメラを向けているわけではない。やましい気持ちは一つもない。全ては芸術のため、あなたたちを美しいと思うからこそ撮るのです!」


 ケンくんは真剣な目をして女生徒たちへ訴えかける。それを後押しするように男子生徒から同意の声が次々上がる。しかし、それに反発するように女子からも「冗談じゃない」「理解できるか」という声が上がり、やがて怒鳴りあいとなった。

 鷹司くんがすかさず壇上に駆け上がり、ケンくんからマイクをもぎ取り叫ぶ。


「静粛に! みなさん、静粛にしてください! そんなことは生徒会が許しません、女子の皆さんに安心して生活して貰えるよう自分たちがしっかり監督しますので!」

「うるせえ、生徒会! お前らは点数稼ぎしたいだけだろうが!」

「正義の味方きどりか! 男子生徒会なら男子学生の味方しろ!」


 これまでの生徒会への鬱憤が次から次へと野次となって飛び交い、そこへシスターや男子校の先生たちが自分の担当クラスの生徒へ静かにするようと飛び込んできた。

 私も抑えが効かなくなっている女子たちへ落ち着くようにメガホンで必死に呼びかける。が、お互いの罵倒がヒートアップするばかりだった。


 いよいよその場の収集がつかなくなったその時だった。

 壇上に鷹司くんよりも一回り大きな影が現れ「いい加減にしろ!!」と地鳴りのような声で一喝した。

 耳の奥が裂けたかと思うほどの音量でその声はグラウンド中に轟き、マイクはハウリングを起こし、生徒たちは雷に打たれたように固まり静まった。


 恐る恐るそちらを見やると、その人は男子生徒会総リーダーの譲二さんだった。鬼のような顔をし、何が起こったか理解できず佇む私たちを睨みつけている。


「朝から何事だ、揃いも揃って冷静な話し合いもできずに情けない。全生徒、一旦、担当の教師の指示に従って教室へ戻れ! 副会長はこの件の報告書をすぐに提出しろ! 解散!」


 高等部にまでこの騒ぎが届き、総リーダーが慌てて飛び出してきたらしい。私たちは毒気を抜かれたように素直に教師やシスターたちの誘導に従って自分の教室へと戻っていった。


 私は歩きながら、女子生徒会としてここからどうしたらいいのかを考えようとした。今起こったことを冷静に思い返そうとしたけれど、どうにも腑に落ちない。

 ケンくんはなぜあんなことを言い出したのだ。昨日の一件で痛い目にあって懲りていたはずだ。こちら側の気持ちも理解しを示して了承してくれていたはずではないか。写真部の部長として注意喚起してくれると言っていたはずだ。なのに……。


 午前の授業中はずっとそのことがモヤモヤと頭から離れず気持ちが悪く、昼休憩になった瞬間、私は教室を飛び出した。


 ケンくんの教室へ向かうとすでにそこにはいなかった。踵を返して学食へ向かう。すると、数人の男の子と一緒に食券を購入する列に並んでいるケンくんを見つけた。私はすぐさま彼の腕を掴み「ちょっと話がある」と声をかける。


 ケンくんは何かを察したのか、素直に私についてきた。列を離れる時、一緒に並んでいた男の子たちが冷やかしの声を次々とあげ、私は恥ずかしさで思わず顔を伏せてしまった。


「バカばっかなんだよ、許してやって」

「う……うん」

「別に逃げないからさ、こうやっておてて繋いで歩いてる方があいつら刺激しちゃうよ?」

「ご、ごめんなさい!」


 昨日のこともあり、いつでも手首をきめられるよう握っていたことに気がつき、急いで手を離す。それを見て彼の目元がふっと緩んだ気がした。


「なんですか」

「女ってのはもっとか弱くてはかない生き物みたいなもんだと思ってたんだけどな」

「違いましたか?」

「痛い目にしかあってないよ」


ケンくんはそう言いながら、絆創膏だらけの頬を撫でた。


「自業自得でしょ」

「カメラ越しならあんたもそんな風にしてやれんのにな」

「結構です」


 昨日のピリピリした雰囲気がなく心なしかリラックスしているように感じる。今朝、全校生徒の前で言いたいことを言い、自分の立場を表明したことですっかり開き直っているのだ。

 私はその真意が聞きたくて、屋上のコニファーガーデンの一角へ彼を連れて行った。


 ちょうどいいベンチが空いていたのでそこへ二人で座る。屋上で昼食をとっていた居合わせた何人かはギョッとした顔で私たちを見ると、コソコソと何か話していたが、今は気にしている場合ではない。


「話って?」


 ケンくんが肘をついてこちらを覗き込む。


「今朝のことだよ。あれ、どういうことかちゃんと説明してほしい」

「どういうことって……あのまんまだけど」

「カメラ部の部長として、ちゃんと注意喚起を行ってくれると思ってた」

「注意喚起はしたよ。嫌がることはしちゃいけないって言ったの、聞いてなかった?」

「その後だよ。悪気があるわけじゃないから理解をしてくれって、女子へ言った」

「そうだ。僕たちが写真を撮る理由を知って、分かってくれれば、そういう奴もいるからしょうがないと不満をためる事もないだろう。理解があれば必要以上に怯える事も苛立つ事もない」

「それだよ。私も知って、分かりたいの。どうしてここまで執拗に校内で写真を撮る必要があるのか。それも、女の子たちにこんなに迷惑をかけてまで。あなたたちはその説明を怠って分かってくれ理解しろという。おかしなことを言っていると、自分でも思わない?」


 ケンくんは少し上体を起こしてしばし考え込んでいた。こちらを見る事もなく、じっと、地面を見つめている。


「コンテストって、そんなに大事なの?」


 私がぽそりと呟くと、ケンくんはやっと「そうだよ」と言った。


「この島に留学生として入島できる男子は基本的にエリートで、大人でも専門職や研究者がほとんどだ。僕は学生としてはそんなに優秀ではないが、今回芸術部門のカメラ専攻でこの留学を勝ち取った。今回問題行動を起こしてるとされてる奴らみんなそうだよ。あんなでも、本島ではカメラで将来を有望視されてる賞レースの常連ばっかりだ」

「そうなの!?」


 私が素っ頓狂な声で驚くと、ケンくんは「失礼な奴だな」と笑った。


「でも、帰ったら、今回の国際コンテストで大賞が獲れないとそこ止まりだ。僕は、特に」


 ケンくんがやっとこちらを向いた。顔中に貼られた絆創膏が歪むほど、泣きそうな顔をしていた。


「金、ないんだ、うち」

「お金……?」

「僕が行きたい学校はね、特待生で入学できない限り、庶民の手が届くようなレベルじゃないんだ。だけど実力があればチャンスはある。どうしてもそこで勉強して、留学も勝ち取りたい。僕にはカメラしかないんだ。僕がここまでくるために家の金使わせちゃったから、弟は義務教育終わったらその先進学できないかもしれない。俺が早く有名になって、稼げるようになって、弟を勉強させてやらなきゃ」


遥くんのように恵まれた人ばかりではない。自分の全てをベットしてこの島へ来ている人もいるのだ。男の子たちの裏側に横たわる格差の無情さに、少なからずショックを受ける。


「……そうだよ、この島にだって来られたんだ、運は向いてる。本島の奴らが誰も撮れない写真を撮ってこいとカメラの神様が言ってるに違いないんだ」


 確かに、悪気はないのだった。彼らは自分たちの夢のために、事情のために、未来のために必死になっているに過ぎなかった。だけど……。


「でも、撮るのは人じゃなくたって、ここは本島では珍しい景色がいっぱいあるんじゃないかな」

「被写体に何を選ぶかなんて、それは人が決めることじゃない。鷹司……生徒会のあいつもそうだ。あいつは由緒ある血筋の出のボンボンだからいつも正論を振りかざしていい格好しいで、まるで正義のヒーロー気取りだ。金と力で押さえつけることしか知らない。僕は……芸術はああいう奴に屈しない」


 ケンくんは膝の上で怒りを握り潰すようにこぶしを固めた。


「全てを持っている奴にはわからない。僕らがどんな思いをしてここへ来たのか、知りもしないくせに……!」


 溢れてしまうと思った。これまでケンくんが受けてきた痛みが、屈辱が、叫びが。私にはきっと想像もできないようなことがたくさんあったに違いない。この島で写真を撮れるということはラストチャンスを掴むための他のライバルたちへ差をつけるアドバンテージになると信じ込んでいるのだ。


「分かったよ」


 私は膝の上で固められた拳をほどいてやりながら言った。


「話してくれてありがとう、コンテストがあること説明して女子を説得できればいいんだね。私がやれるところまで、やってみるよ」

「……本当?」


 ケンくんは信じられないといった表情で私を見返す。私はその目を見据えて頷いた。


「約束するよ。だから、ケンくんたちも女の子が怖がるような撮影はやめてくれないかな。生徒会が圧力かけて取り締まるより、部長からの呼びかけの方が写真部の皆さんだって気が楽だろうし、気持ちよく受け入れてくれると思うんだ」


 ケンくんは、素直に頷いた。交渉は成立ということだ。


「それから……」


 でも、これだけは言っておかなくてはいけない。


「写真家が被写体を選ぶ権利があるように、被写体にも写真家を選ぶ権利がある。それは、忘れないで」


 すっと、ケンくんの顔から笑顔が消えた。

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