16、医務室にて

 鷹司くんたちとの会合の後は生徒会の事務作業をしばらく行い、その後、寮に戻るついでに中庭へ寄って帰ろうと寄り道をしたところだった。

 中庭前のテラスに、ここで普段は見かけない珍しい人たちがいた。


「あれ? ……マリヤ?」


 ……と一緒にいるのは、レオくんだ。

 マリヤはテラスのテーブルで頬杖をつき、その後ろにレオくんが立ってマリヤの髪を結ってやっている。サイドの根元から丁寧に編み込まれ、ところどころ毛束をくずし、それを後ろで上品にまとめてあるのだ。パーティーなどでドレスに合わせたらとっても素敵だろう。

 レオくんはワックスを揉み込んで後れ毛を調整し、最後の仕上げをしている様子だった。

 大きな窓を通って夕日になりかけの木漏れ日が優しく二人に降り注いぎ、これがまた宗教画のように美しい風景であった。


「あら、いつき?」


 ふと、こちらの気配に気がついたマリヤが目線だけを向ける。


「すごい……。とっても素敵。これ、レオくんがやったの?」


 マリヤに見とれながら二人に近づくと、レオくんが相変わらずガルガルと唸りながら言う。


「なんか文句があるの?」

「いや、そう言うわけじゃ……」

「すごいでしょ、レオの特技なのよ。いろんな髪型にしてくれるから楽しくて。たまにこうして遊んでるの。レオ、将来スタイリストになりたいのよね」

「僕の他の類稀なる才能が許してくれないけどね」


 レオくんの悪態にマリヤはクスクス笑う。私は手元の様子を見たくて、マリヤの襟元を覗き込みながら言った。


「そういえば鷹司くんに聞いたことあるよ。エンジニアさんとしてもすごい才能の持ち主だって」

「へえ、そうなの? レオ、すごいじゃない」

「べ、別に……。他の奴らがバカばっかなんだよ」


 マリヤが褒めるとレオくんはまんざらでもない様子だった。レオくんにされるがままのマリヤは頭を動かせないので、目だけをこちらへ向けて怪訝な顔をしてみせる。


「いつきはこんなところで何してるの?」

「あ、えっと、今、生徒会おわってちょっとお茶して帰ろうと思って……」


 そう言いながら中庭をぐるっと見回してみるが、真生さんは今日はいないようだった。すると、レオくんが間髪入れずに嫌味を言う。


「えー。今終わったの? こんな時間かかる? どうせ僕らが帰った後もずっと男子の悪口で盛り上がってたんでしょ」

「そんなことしないよ! 本当に事務作業してただけだもん」

「え? レオ、女子生徒会室に来てたの?」


 マリヤがそう聞くと、レオくんはマリヤの頭の上から覗き込むように彼女へ寄り添う。


「そうなんだよー。そのせいで約束の時間ちょっと遅くなっちゃったんだ。本当ごめんね」

「そんなのは全然いいのよ、何かあったの?」

「聞いてよ、それがさー」


 私は二人のお喋りを聴きながら、さっきから中庭が気になっていた。真生さんが整える、素朴で小さな世界。しかし、今日は何か秩序が乱れているような、雑音が混ざっているような、何か引っかかりを感じるのだった。


「盗撮!? 本当に最っ低ね、今年の入島組。そんなことでいつきに余計な仕事増やすんじゃないわよ」


 マリヤが両手を組みながら顔をしかめながら言うと、「僕も僕も!」とレオくんがマリヤの腕にしがみつく。


「はいはい、そうね。レオ、男子生徒会でしっかり取り締まってよ」

「僕が出しゃばらなくても、遥が張り切ってるよ。総リーダーも怒り心頭って感じだったから、もう校内にカメラ持ち込めなくなるかもね」


 そんなやりとりを眺めながらもまた中庭へ気が散ってしまい、ちらりと目をやったその時、小さな池の向こう側で何かが光った気がした。


(なんだろう……)


 じっとそちらを凝視していると、髪を整え終わり、レオくんの手から解放されたマリヤが私の腕をつん、と、人差し指で刺した。


「いつき? どうしたの?」

「……いや、ちょっと」


 私は反射した何かを確かめるため、テラスから中庭へ出て、池の向こうへ回り込む小道を行く。無法地帯のようだったその小道も、今は雑草も苔も綺麗に掃除されて歩きやすくなっていた。

 その先は小さな森のように背の高いの植物が植えられている。そろそろ対岸といったところで、ガサリと葉が揺れる音がした。


「誰かいるの」


 少し大きな声で呼びかけるが返事はない。しかし、夕日が強く差し込む時間帯だ。風に揺られて差し込んだ木漏れ日に反射した何かがキラリとまた光り、自分の居場所を告げた。


「動かないで!」


 私は声をかけて小走りで向かう。が、それよりも先にそこへかがんで隠れていた人物が中腰のまま走り出した。


「あ! そっちに行ってはダメ!!」


 その人物は森のさらに奥へ潜るように逃げ出して行く。


(そっちは真生さんが最近植えたばかりの大切な……!)


 その瞬間「いででででで!!!」と言う絶叫が中庭にこだまして、隠れていた人間が小道へ転がるように躍り出た。這いずるようにして私の方へ向かって来たので、条件反射でその人間の手を捻り上げ、その手首に全体重をかける。


「うがああ!!!」


 その人物は痛みから逃れるためうつ伏せに倒れ込むしかなくなり、そのすきに後ろから馬乗りになる。

「手を後ろに回して!」と声をかける。こうすると痛みのために言うことを聞くしかなくなるので、両手をきめるとそのまま太ももで固定してしまう。


「うあああ!!」


 男の悲鳴で加減を調節しつつ、完全に動きを制圧するまで力をかけ続ける。

 するとすぐに騒ぎを聞きつけたマリヤとレオくんが私たちの元へ駆け寄り、その様子を見たマリヤは悲鳴をあげた。

 うつ伏せに倒された人物へ「大人しくすると約束して」と声をかけると、その人物はウンウンと大きく首を縦に振った。体からどいてやるとどっと大きな息をつき、その場に座り込み、いててと言いながら手首を摩った。

 これ以上は抵抗する気配がないようだ。ほっとしたのもつかの間、レオくんはどこから拾って来たのかカメラをひょいと持ち出して、その人物の前に掲げた。


「悪いけどこれは没収させてもらうね」

「……それは!!」


 その時初めて顔をあげたその人物は、レオくんとは違う学校の制服で、ツーブロックの爽やかな印象の青年だった。が、腕まくりしたワイシャツは汗と泥で真っ黒に汚れて、濃いブラウンの学生パンツも土まみれになっている。そしてその顔は傷だらけだった。

 彼が逃げた方向には真生さんが植えたばかりのノイバラがあり、尊敬していた教授から譲り受けたものだからと大切にしていたのを知っていたから、逃げるに任せて突っ込んで行ってダメにされたくなかったのだ。

 ……だから行くなと忠告したのに。顔から突っ込んだのだろう、ノイバラの棘は特に強い。

 彼はカメラを見せられると目の色が変わり、「そいつだけは返してくれ! 庭の花を撮ってただけだ!」と叫びながらレオくんに飛びかかろうとした。

 反射的に「いけない」と思った私は、また彼の手首の関節に力を入れる。


「いっでぇ!!!」

「お願い、静かにしてて。私たちは生徒会です。ちょっとお話、聞かせてくれる? 申し訳ないけれど、カメラも調べさせてもらうね。問題ないとなればもちろんすぐに返却させて貰うから」


 彼は観念したのかガクンと頭を下げて脱力したようにその場に座り込んだ。


「怖い女……」


 レオくんが見世物でも眺めるようにニヤつきながら、ぼそっと呟いた。



*  *  *



 レオくんは検分するからとカメラを持ったままどこかへ行ってしまった。

 私とマリヤは、まずノイバラで傷だらけになった顔や体の手当のため、彼を医務室へ連れて行った。


 保健医が不在だったので、椅子に彼を座らせてから、マリヤがキャビネットから消毒薬とガーゼや絆創膏を見つけてくる。私は傷の様子を確認し、消毒をしてからピンセットで棘を抜いてやった。


「痛っだぁ!」

「あっ! ごめんね!」


 悲鳴に反射で手をすくめる私に、マリヤは手際よく消毒用のコットンを用意しながら「手加減無用よ」と言った。


「そうは言うけど、痛いものは痛いよね。ごめんね、でもまだたくさん刺さってるの。少し我慢して」

「……っ」


 そこからは彼は声を殺して痛みを我慢し、されるがまま大人しくしていた。

 あらかた治療が終わり、私が顔の傷がひどい部分に絆創膏を貼っている時、マリヤがその様子を覗き込みながら聞いた。


「あなた、そういえば名前は?」

「……ケン」

「ケン……? ケン・ハルサ?」


 最近聞いたことがある名前を呟くと、男子学生は驚いた表情でこちらへ顔をあげる。


「なんで知ってるの」

「え、本人?」

「いつき知ってるの? どういうこと?」


 マリヤが私たちを見比べながら聞いた。


「あなた、写真部の部長なんだよね。教えて欲しいことがあるの。最近、構内で写真撮影をしてる男子が多いんだけど、何をしてるの?」

「そんなの僕たちの勝手だろう」

「勝手じゃないんだよ。それで迷惑を被ってる女子学生が増えてきてるの。女の子たちはみんな怖がってる。このままじゃカメラ校内に持ち込むの禁止にされちゃうよ。事情を知りたいの。どうして人に迷惑をかけてまでそんなに写真を撮ってるの?」


 ケンくんの目を見据えてしっかりとお願いをする。すると彼は気まずそうに目線を外し、しばらく考え込むように俯いてから言った。


「……賞レースが、あるんだよ」

「賞レース?」


 私は反射的にポケットの中で手帳の音声録音スイッチをオンにする。


「国際センターが主催する権威のある写真コンテストが帰島する頃にあるんだ。将来カメラで食っていきたい奴らは必ずといっていいほど誰もが目指すコンテストで、それで……」

「なるほど。この島の風景なら、そっちでは物珍しいものね」


 マリヤが腕を組みながら呟いた。


「学生部門の大賞を獲れれば、特待生で写真の名門クラスがある学校へ進める。望めば留学もできる。道が一気にひらける。この島は審査員が好きそうな素材の宝庫だ。特に、女性は美しいから……その……」

「そっか。理由はわかったよ」


 私は俯くケンくんの顔を覗き込みながら言った。


「ただ、なんの断りもなく、予告もなく、いきなりレンズを向けられるということがどんなに恐怖を人に与えるかってことは、プロを目指す人なら、知っていなくちゃいけないんじゃないかな」


 ケンくんの頬がヒクリと引きつった。


「そんなに大切なコンテストがあるのならカメラを取り上げられるようなことになってほしくないの。でも、女の子たちは怖がってるよ。安心して学校に居られなくなるものがあるのなら、生徒会としては対処していかなくちゃいけなくなるのは分かるよね」


 ケンくんは小さく頷いた。


「男子カメラ部の部長へ要請します。カメラ部生徒の迷惑行為をやめさせて。もちろん、あなたも」


 ケンくんは下唇を噛み、深くうなだれた。……反省している。私は彼を信じてみようと思った。小さく息をつき、立ち上がろうとした時、医務室の扉が空いた。


「あ、いたいた。はい、カメラ」


 そう言いながらレオくんが軽い足取りで入ってきて、ケンくんの目の前にカメラを掲げた。


「返してくれるのか」


 ケンくんは信じられないといった様子で顔をあげる。


「そんな顔しちゃダメだよ。まずいものいっぱい撮ってましたって、自白してるようなもんだ」


 レオくんが皮肉いっぱいの笑顔で彼を見下ろしながらそう言うと、ケンくんはまたしょんぼりとうなだれた。


「……で? 何が写ってたの?」


 マリヤがカメラを覗き込もうとする。するとレオくんは待ってましたと言わんばかりにそばへ駆け寄り、わざわざプリントアウトしてきた写真を並べて出した。しばし写真を眺めていたマリヤが、やっと口を開く。


「……すごいわね。これ、私たち?」

「そう。庭の花を撮ってたなんて嘘っぱち。僕たちを隠し撮りしてたの。ほんっとにキモい奴だよね」


 その言葉にケンくんがレオくんを睨みつけた。


「なに? また殴る気? いつき、やっちゃってよ」

「あの、私、そういうのじゃないから……」

「なんでよ、君すっごい強いじゃん」

「この学校の女の子ならみんな出来るんだよ。護身術は必須授業にあるから、冷静に対応できればあれくらいなら……」

「そうなの!? ここの女子、超怖いじゃん」


 レオくんが口元をおさえながら、冗談なのか本気なのか、顔を歪めて怯えて見せる。

 私は相手にするのもくたびれて、マリヤの手元の写真を覗き込んだ。

 そこには咲き誇る夏の花の向こうで、テラスの椅子に俯き加減で座るマリヤと、その絹糸が光るような髪を結いあげて遊ぶレオくんが写っている写真が数枚あった。

 それは生命力の塊の向こうに儚げな天使の楽園が存在しているかのように見え、夕日がそのコントラストをさらに際立たせていてる。幻想的で厳かな、祈りを捧げたくなるような雰囲気の作品だった。


「本当だ……。綺麗……」


 素直にそう思った。確かに、マリヤとレオくんの組み合わせならこの学校一の被写体だろう。しかも、こんな最高の場所で二人がお戯れを始めるまで、辛抱強く待ちに待ったのだ。レオくんは気持ち悪いだろうが、それだけコンテストに対して本気だという気迫も伝わってくる。


「ケンくん、すごいね」


 その言葉に驚くようにこちらを見上げたケンくんと目があう。初めて表情の和らいだ彼を見た気がした。そこへレオくんが彼の前へ立ち、カメラを手渡す。


「……ということで、カメラは返したよ。こんなに綺麗に撮ってくれてなかったら叩き壊してたところだったからね。あと、この写真はギャラとして頂いておくから」


 ケンくんは受け取ったカメラを大事そうに抱え込み、「ありがとう」と、小さく言った。


「ちなみに、僕とマリヤの写真データは全消去してあるけど、悪しからず」


 傑作だったが、しょうがない。レオくんは反撃は終わったといった様子で、軽い足取りで医務室を後にした。

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