14、夕暮れ
あの日から、ちょっと面白いことが起こった。
マリヤは昔から割と誰とでもすぐ仲良くなり顔も広いのだが、私の他の誰かと連れ立って歩いたりするところを見たことがない。
ところが、日が経つにつれ、レオくんと一緒にいるところの目撃情報が増え、男女ともに生徒達の話題の的になっていた。
多くの男子生徒がレオくんに嫉妬し、多くの女生徒がマリヤを妬み、それに輪をかけて凄いのが、その逆も少なくないらしいということだった。
私も放課後、真生さんに差し入れを持って中庭へ行く途中、渡り廊下の向こう側にいる二人を見かけたことがある。
圧倒的なビジュラルの美しい二人が並んで話し込んでいると、ただの窓が美術館に飾られた絵画の額縁に見えてきて、ヴィーナス誕生のアフロディーテとカラヴァッジォのナルキッソスが一緒に立ち話をしているようで、目眩がした。
「なんだかなつかれちゃって」と、マリヤは言っていた。
「あの子、普段ガルガル言ってるけど、忠犬なのよ」
私はもうちょっと寂しさを感じるかと思っていたが、純粋に嬉しかった。マリヤの心の奥まで入ってくれる人は滅多にお目にかかれない。忠犬は忠犬らしく、今日も私にガルルと唸っている。
私は、そんなたわいもない話をしに中庭へ通った。実はシスター達が最近の私のこの行動を面白く思っていないのも知っている。いつもなら空気を察した時点ですぐにやめているだろう。
だけど、ちゃんと考えてみると、別に何か悪いことをしているわけでもなく咎められるようなことは何もないという自分なりの正義が、こうして毎日背中を押すのだった。
真生さんが休憩をとる時間を見計らって、差し入れを持っていき、少しお喋りをする。それだけで怒られる理由がわからない。
「僕もあの二人は見かけたことあるよ。迫力あるよね、二人並ぶと」
真生さんは差し入れのマフィンをかじりながら言った。並んで座って休憩をして眺める中庭は、いつもと変わらないような雰囲気をしながらも明らかに前とは違っている。
真生さんに大切にされ、真生さんの秩序に従ってまとめられていく。庭から人の手が入った嬉しさが滲み出しているような気がした。
素朴で可愛らしくあたたかい、ただそこにあるだけの中庭となっていた。私はそれを眺めながら単純な疑問を質問した。
「なにか、新しい花とか、植えないんですか?」
「植えたよ」
「え!? どこ?」
「バラの植え込みのあたりにカモミール。あと、あの辺少しペパーミント」
「そうじゃなくて、もっと、派手な……」
「カモミールもペパーミントも害虫除けになっていいんだよ。ただ……」
「ただ?」
「ペパーミントは繁殖力がものすごく高いから、あっという間にミントだらけになっちゃうんだ。いつきちゃん、僕がいなくなったら、たまに間引きに来てよ。お茶に浮かべて飲んだらスッとして美味しいよ」
真生さんはそう言って、持っていたお茶を一気に飲み干すと、立ち上がってごちそうさまと、笑った。
「うん、わかった」
「じゃあ、もうひと頑張りして来ます」
そう言って、足元に置いてあった籠を担ぎ、芝生をそっと踏みながら庭の奥へ戻って行く。
その背中を見送りながら、私の「うん」を心の中で反復していた。
どこへ向けての「うん」だったのか。私はいつでもとっちらかっていて、自分で自分を片付けることもままならない。
世間話でさらりと自分がいなくなった後の話をすることへ?
こんなに手をかけてる庭にも自分がいた痕跡なんか残そうとなんてしないことへ? ごちそうさまという言葉に? 頑張って来ますという言葉に?
どれに向けての相槌を私は打てたというのだろうか。
真生さんが見えなくなったら持って来た荷物を片付けて私も立ち上がる。テラスへ戻り、寮へ足を向ける。そして、思った。
私も整えられたい、真生さんに。この中庭のように。
途中で本島まで見渡せる渡り廊下を通る。
晴れた日は夕焼けがそれは見事で、この島で生まれ育った私でもその美しさに立ち止まる。今日も映画で見るようなカクテルの色をした空と海とに出来上がり、それを真っ赤に浴びながらそこには鷹司くんが立っていた。
本島を睨みつけるように、手すりに手をかけ海を見ている。たまに潮風が鷹司くんの長い前髪を揺らし、息を飲むほど美しい。
一人でいるなんて珍しいし、声をかけづらい雰囲気で、でも、そこを通らないと寮へは戻れない。私はそこに佇むしかなかった。そうしているうちに気配を感じたのか、遥くんは私と目が合った瞬間「わっ」と声をあげて驚いた。
「いつきちゃん!? いつからいたの?」
「ご、ごめんなさい。なんだか声をかけちゃいけないかと思って……」
「そんなわけないじゃない、びっくりしたよ」
「ごめんね」
私は申し訳なさに荷物を両手で抱え、会釈をしながら通り過ぎようとした、その時だった。
「すごいな、気持ちが通じたのかと思ったよ」
鷹司くんは私を見下ろし、顔をくしゃくしゃにさせて笑う。
「いつきちゃんが、ここに来て、一緒にこの夕日見られないかなって思ってたんだ」
私は体中の血が頭に上って来たのではないかと思うくらい、カッと熱くなった。どうしてこう、そんなことを何のてらいもなく、恥ずかしげもなく言えるのだ。
言葉をなくし、パクパクしている私をよそに鷹司くんは続ける。
「本島が、こんなに近くに見えるのにな。連れて帰りたいな」
「……冗談が過ぎますよ」
鷹司くんの顔が見られないし、自分の顔も見せたくない。私は荷物に顔を埋めて下を向く。
ぬるい潮風が熱した空気をどこかへ運んでいくようだ。波の音と、部活に励む生徒たちの掛け声が遠くにして、私たちの無言を埋めていた。
やがて、鷹司くんが静かに言った。
「いつきちゃんに、忠告したいことがある」
突然、そんなことを言われて私は顔を上げた。
私を見下ろす鷹司くんの目はいつものおちゃらけている彼ではなく、生徒代表として仕事をしている時のような、大勢を指揮するような時のような、厳しい目をしている。
「庭師の彼のところへ通うのは、ほどほどにしておいた方がいい」
「知り合いになった人とお喋りをしているだけです」
「……ここは校内で、大人たちは君を見ているよ」
人を指導する時の、冷静で冷たい口調で私に語りかける。
「君はこの学園の生徒代表で、そんな立場にある人間が本島の大人の男性と、しかも校内でしばしば会っているという事自体が、どんな憶測を呼ぶかという事だ」
鷹司くんは私の様子を伺いながら、言葉を選んでくれているのがわかる。
「誰も見ていないなんて思ってる? 君、自分の立場、本当にわかってる?」
「どういう……意味ですか」
「シスターたちはもちろん、本島側の学園の先生方でも問題視している人が出てきているよ。あんまり問題行動に見られることはしない方がいい。庭師の彼にも迷惑をかけることになるよ」
ドキっとした。
真生さんに迷惑をかける。そんな事、考えたこともなかった。私はぐうの音も出ず、ただ頷いて、また下を向いた。
「分かってくれてありがとう。おせっかいかもしれないけど、友人だから聞いて欲しかったんだ」
鷹司くんはそう言ってポンと私の肩を軽く掴むと、そのまま寮へ戻っていってしまった。
私は鷹司くんの居た場所で、鷹司くんのように本島を見た。
赤からオレンジ色へグラデーションになって海と空を色が繋ぐ。そこへ黒いシルエットで本島が浮かぶ。真生さんは、あそこから来て、あそこへ帰っていってしまう。
ただ会いたくて、おしゃべりがしたくて、差し入れしてただけなのにな。
大人たちは何が気にくわないと言うのか。
「自分の立場、本当にわかってる?」
鷹司くんはそう言うが、生徒代表がそんなに偉いと言うのか。それとも……。
これ以上は考えたくもない。
もう少し、夕日が沈むまでここで海を見ている。
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