12、奇跡の火

「なんで、僕は呼び捨てで、遥は遥“さん”なわけ?」


 あまり行き交う人がいないのか、お堂への小径は落ち葉が柔らかく跳ねるように歩くことができる。これなら足を怪我しているレオくんもそんなに辛くならないかな。山道を登るよりも、進む足にリズムが出る。 

 しかしレオくんは少し後ろから息を切らして、マリヤに文句を言いながら進む。


「だいたい、あんた誰なんだよ。ブスにいっつもくっついてるから、顔だけはいい加減覚えたけど」

「次、いつきのことブスって呼んだら、殺すわよ」


 マリヤが語尾を食ってかかった。


「本性出したな。いつもはすました顔してるくせに」

「あんたが失礼なこと言うからよ。もう、すぐそこなの。時間もないし、急ぎましょ」


 嫌がらせのようにマリヤは歩く速度を上げ、それに気づいてレオくんは小さく舌打ちをする。この木々のトンネルのような道を抜けたら、そのお堂はあるのだ。

 視界がひらけて、陽の光が瞼を刺す。

 まるで時間が止まったかのように、その小さなお堂は去年見つけた時のまま佇んでいた。


 マリヤは早速引き戸を開けようとするが、立て付けが悪くガタガタと音を立てるばかりだ。私は遅れてやってきたレオくんに自分の水筒を渡し、しっかり飲むのを見届けてから、マリヤの作業を手伝った。

 二人掛かりで少し戸を浮かしてからずらす。小石か何か引っかかっていたものが外れ、ガタリと重い音を立てて戸は開いた。舞い上がった埃が差し込んだ光にキラキラと反射していた。


「ここのこと、美無神社の宮司さんに聞いてみたら、やっぱりあそこが管理してたみたいよ。行くなら換気しておいてって言われてるから、いつき、あっちの窓開けてくれる?」

「いつの間に!?」


 マリヤは祭壇の近くにある木の窓を押して開け、備え付けてあったつっかえ棒で支えた。私は部屋の逆側にあった同じような窓を、マリヤと同じ要領で開けた。

 すると新鮮な空気が吹き込んで、窓からの明かりでお堂の内部の姿がよく見えるようになった。


「何? ここ」


 訝しげにレオくんがお堂を覗く。キョロキョロと室内を見渡しながら、タオルを口にあてて「僕、埃っぽいのダメなんだけど。ブツブツ出ちゃう」と言い、入り口から中には入ってこなかった。


「これ、なんだと思う?」


 マリヤは部屋の中央にあるものを指差し、レオくんに言う。


「知らない。初めて見た」


 お堂の中央には、煤で真っ白になった大きな囲炉裏があり、その向こうには、少し微笑んだような顔をした古い仏像が、それを見守るように据えられていた。

 マリヤは囲炉裏の中を指差して、ここを見てと、レオくんに促した。


「ここ、種火が燃えてるの、見える?」

「だから、何?」


 面倒くさそうにレオくんが答える。


「この火、消えないの。絶対に」


 まだ私たちが子どもの頃、先輩のお姉さん方が噂をしていたのを聞いたことがあった。この島には「消えることのない火」があって、それは世界の全ての火の種火なのだ、と。

 私たちがお料理に使う火、バースデーケーキのロウソクに灯る火、鉄を溶かす火、戦争の大火、そういったもののすべての元になった、世界で一番最初に灯った火。

 七不思議みたいに、誰がどうやってつけたんだろう、水をかけても消えないのかしら? などと、しばらくは話題になったが、やがてそのまま忘れていった。


 去年、マリヤとこのお堂を見つけた時これのことではないのかと盛り上がり、来年も火が消えていないか確かめに来ようと約束をしていたのだった。


「本当に、消えてないね」


 私は囲炉裏の淵で体を支え、炭の間を覗き込む。微かな熱を頬に感じた。中心がオレンジ色の不思議な光は、間違いなく火だった。


「宮司さんがね、言ってたの。昔の人はこの火に願い事をしたのですって。奇跡の火はなんでも望みを叶えてくれるって」


 レオくんの表情は、お堂の中にいる私たちには逆光になり、わからない。


「あなたを連れて来たかったの。奇跡の火、見せてあげたかった」


 火を見るふりをして、そう言ったマリヤの背中を見上げた。

 そうだ、マリヤは心底レオくんに同情しているのだ。

 私も気づいていた。彼は、きっと心は女の子だ。生殖器が雄ということだけで本島で男として育てられ、だけど異物のように扱われ、自分で自分を守るしかない環境にずっといるのだ。


 マリヤのやり方で、マリヤなりに彼を元気付けたかったのだと思うと、その態度もなかなか素直じゃない。この二人、実は似ているのかもしれないな。


 私はそう思うと彼に何かしてあげたくなった。

 私もレオくんに元気を出して欲しくなったのだ。私は入り口で佇むレオくんのそばへ行き「願い事、叶うそうだよ」と話しかける。そこでやっと、彼の表情を伺い知ることができた。


 目にいっぱいの涙をためいて知らない大人のような顔をして「あんたが消えますようにってお願いするよ」と呟やいた。


「レオくん……」


 レオくんは私を見ることなく、ずっと囲炉裏の方を見つめている。彼の皮肉にうまく返す言葉も紡げず、私はなんの慰めにもなりはしない。それでも、私は一緒にそばにいることしか出来ないから、このままこうしていようと思った。


 しばらくしてレオくんの口先が小さく「女の子に……」と言った気がした。そして、少しの間、星のように瞬きながら小さく燃える火を見てから、顔を伏せ、頭をブンブンと大きく横に振った。


 私もマリヤも、ただそれを黙って見ていた。

 レオくんが再び顔をあげたとき、瞳にいっぱいに浮かべていた涙は蒸発したように消えていた。


 この人は、強い。私は彼の気高さに息を飲んだ。

 やがてレオくんはそっと目を閉じ、祈りの言葉を捧げるように静かに囁いた。


「僕が、僕らしくいられますように」




 その後、レオくんは余計に体調悪くなっちゃったと吐き捨てるように言ったかと思うと、あっという間に医療班を呼びつけ、さっさと下山してしまった。

   

 私たちはそれを見届けたあと、山頂を目指さず、お弁当のおにぎりだけ齧りながら下山ルートに合流するためゆっくりと歩いた。

 夕方前でまだ日は高い。海からの風が生温く木々の間を抜け、私たちの汗を冷やした。蝉時雨の中マリヤと歩く山道は刻み込まなければと思うほど、美しく感じた。


「マリヤ」

「うん?」

「ありがとね」


 私の言葉にマリヤは微笑んだかと思うと


「おせっかいは性に合わないのよね」と、小さくため息をつきながら歩いていた。

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