第4章 弥山
11、 滝つぼ
毎年、管弦祭からちょうど一ヶ月経つ日に中高生は男女全員で登山をする行事が恒例であった。
原生林の中を通るので、庭師さんや植物の研究をするために入島した大人が臨時講師として同行してくれる。真生さんが来るかと思っていたが、今年は見たことのない可愛らしいおじいちゃんが同行解説員だった。
朝、5時には起きて、
私はマリヤと数人の女の子とお喋りをしながら山道を歩いた。マリヤは木々の枝がトンネルのようにお生い茂り少し暗くなる道が大好きで、そこに来ると毎年のように「天然のクーラーね」と自然を褒め称える。そして私は毎年「それ、去年も言ってたよ」と、教えてあげるのだった。
「ねえ、去年見つけたお堂、また行ってみない?」
「ああ、行きたい! あれ、まだあるかなあ」
「そう、それを確認したいのよ」
マリヤはそう言いながら、歩き固められた道を軽く蹴りながら歩く。今日は長い髪をポニーテールにしていて、マリヤに合わせて小気味よく弾んで揺れる。それを見て歩いていると、リズムが作れるのか息が上がらず距離を歩けるのだった。
一緒のグループになった子が「お堂って何?」と、興味津々の様子で私たちに並んで歩く。マリヤは私に小さくウインクをし、その子へ「なんでもないのよ、気のせいだったかも」と言うと、まったく違う話を始めて誤魔化してしまった。
いつでもマリヤは他の子にはちょっぴり意地悪で、そうやって優しくあしらわれてしまう子達に申し訳ないと思いつつも、こんな特別扱いされることによってよりマリヤに忠誠を誓うような、そんな大げさな気持ちになってしまうのだった。
山頂で昼食をとることになっている。コース通り沢沿いを歩くと最後の休憩に絶好な苔むした広い岩場がある。椅子にするのにちょうどいい大きさの岩が沢山あり、それに座り滝からの霧を浴びると、登山で火照った体をクールダウンさせることができて最高に気持がちいい。
男の子達なんかは水浴びをする子も多く、女子の間でも山頂よりもこの滝つぼのある川の方が好きだと言う生徒も少なくない。
今年も私たちが到着する頃には、とっくに男の子達の多くのグループは水浴びを始めていて、その場所は大盛況だった。私たちは岩場の隅の方に場所を見つけ、水筒から水を飲み、みんなの移動食を交換して食べてみようと盛り上がっていたところだった。
その時、私たちの会話を裂くように男の子達の騒ぐ声が飛び込んできた。滝つぼ近くの川縁でやけに騒いでいる集団がおり、周りにいる生徒達もその異変に気がつき始めているところだった。
「みんなも泳いでんだから、お前も来いよ!」
「ほら、濡れちゃうから脱いで脱いで」
「脱げよ、おらっ」
「脱—げ! 脱—げ!」
数人の男の子達が、一人の男子生徒を囲んで囃し立てている。その男の子たちは上半身裸で全身濡れており、どうやら川でひとしきり遊んだあと仲間に入ってこない一人を川へ引き摺り込みたいようで、数人はその子のTシャツを無理やり脱がそうとし、数人はその体を持ち上げようとしていた。
「先生、呼んだ方がいいんじゃない?」
そう言いながら、私のグループの一人の子が手帳を広げ通信を始めようとする。そうだね、と一緒にそれを覗き込もうとした時、マリヤが私の腕を掴んで言った。
「ねえ、あれ、レオじゃない?」
私はその場で立ち上がり目を凝らした。マリヤの言う通り、引っ張られる服を両手で抑え、ハーフパンツから覗く白い足は岩で傷だらけになり、それでもその場に座り込むようにして抵抗している小さな男の子は、レオくんだった。奥歯を噛み締め、体を丸めてひたすら暴力に耐えている。
「なんだこいつ、細っせえ肩!」
「なんか、女脱がせてる気分になってきた」
「ギャハハ! お前、最っ低!」
「おら、空気読めよ! 脱げって!」
一人の男の子がレオくんの後頭部の髪を掴んで、無理やり顔を上げさせた。さすがのレオくんも痛みに声を上げ、それを見て連中はバカ笑いをした。
「やめてっ」
思わず走り出そうとした瞬間、私は掴まれた腕を引っ張られそのままマリヤの胸へ倒れこんだ。抱きかかえられたので岩で体をぶつけることはなかったが、その分の衝撃はマリヤにかかっただろう、急いで体を起こして、マリヤを見上げる格好になる。
マリヤは怖い顔をして、首を横に振る。
「マリヤ、離して! レオくんを助けなきゃ……!」
マリヤはさらに力を入れて私を静止させようとするので、少しもみ合いになりかけたその瞬間だった。
どこからともなくやってきた上半身裸の男に、レオくんの髪を掴んでいる男子は後頭部へ回し蹴りを喰らい、そのまま川の方へ吹っ飛んだ。それを見た、囲んでいた連中が一斉に飛び退く。
男は、その場に倒れこむレオくんをひょいと左腕で抱き上げ吼えた。
「お前らの顔全員覚えたぞ。ただで帰れると思うな!」
見たことのない恐ろしい顔をした鷹司くんだった。
そこに居た全員がその怒りの圧に固まり、次の瞬間には、連中は蜘蛛の子を散らすようにその場から四つん這いで逃げて行った。
すると、すかさずマリヤはバックパックからバスタオルを取り出し、二人へ駆け寄り、レオくんの肩からかけてやる。
鷹司くんとマリヤは、みんなの視線からレオくんを守りながら、木の陰になっているところまで抱えるようにして連れて行きそこの岩場へ座らせた。
レオくんは、タオルに顔を埋めるように俯いており、怒っているのか、泣いているのかもわからない。
マリヤはすぐに自分の荷物から応急セットを取り出し、足の傷を消毒し、血が滲んでいる箇所には傷テープを貼った。乱暴された頭なども丁寧に確認をする。いつもだったら、触るなブスなどと騒ぐだろうに、レオくんはされるがままになっていた。鷹司くんはレオくんに寄り添いその様子を見守っている。
私は鷹司くんの後ろまで駆け寄りはしたものの、かける言葉を見つけられず、そのまましばらく突っ立っていた。何もできず、何も言えず、一緒にマリヤが作業をするのを見守った。
鷹司くんが心配そうに汚れたレオくんの顔を拭いてやる。肩にかけたバスタオルを引っ張ったので、首元が破れたTシャツが覗いた。それを見逃さないマリヤが、自分の替えのTシャツを渡す。
「嫌だよ、そんな、趣味悪いの」
レオくんはそうポツリと呟き、私を見上げた。
「あんたの貸してよ。サイズも合いそうだし」
「! うん!!」
私は急いでマリヤの隣にしゃがみこむと自分のバックパックからTシャツを取り出し渡した。替えのTシャツ、黒にしてよかった。レオくんにも違和感なく着てもらえる。……が、渡したTシャツを広げながら「僕、黒好きじゃないんだよね」とひとりごちた。
レオくんは私を睨みつけてから、バスタオルを引き剥がし、そのまま鷹司くんへ渡した。
「着替える。隠して」
鷹司くんはそれを無言で受け取り立ち上がりながら広げた。女の子用のバスタオルですっぽり隠れてしまう小さなレオくん。
私は悔しさと、いたたまれない思いでいっぱいになり、他にも何か役に立つものはないか、バックパックを探りながら待っていた。
そうしているうちに、鷹司くんがバスタオルをたたみマリヤに「これ、洗って返す」と言って申し訳なさそうに笑った。「別に大丈夫よ」と、マリヤはそれを受け取る。
そんな会話を聞こえないかのように、私のTシャツに着替えたレオくんが、自分の荷物を片付けていた。Tシャツをぴったりと着こなし同じものなのに私が着るよりも上等に見えた。
緊張状態だった岩場も、だんだんと元の活気を取り戻し、休憩を終えたグループが頂上を目指してこの場を離れ始めていた。私のグループの子達も先に行ってもらった。もう、お昼の時間も過ぎようとしている時だった。マリヤが覗き込むように、レオくんに言った。
「ねえ、レオ、ちょっと私たちに付き合わない?」
「は? どこに。足痛いんだけど」
レオくんはそんなこと言いつつも、少し照れ臭そうにしている。
「いいところよ」
そう言って、マリヤは私を見てにっこり微笑む。そうか、あのお堂に連れて行きたいのだ。それからマリヤは時計で時間を確認して、鷹司くんに言った。
「もう、時間も時間だし、遥さんは先に行って。私たち、後からゆっくり行くわ」
「いいところなんでしょ。俺も行くよ」
「野暮なこと言わないで。仲間同士がいい時って、あるのよ」
不意をつかれたのか、驚いた顔をして鷹司くんがマリヤを見返した。私もマリヤに賛成だった。
「……一人で歩けるか?」
鷹司くんはレオくんに心配そうに聞くと、レオくんはすっと立ち上がり「後で行くね」と言った。
鷹司くんは少しレオくんを見てから、小さく頷いた。
「頂上着いたら、連絡する」
そう言いながらバックパックを担ぐと、崖に住む山羊みたいにあっという間に山道を登って行ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます