6、 蟻
(パーティを楽しめと、言われても……。)
ユンナさんのお気遣いはありがたいが、仕事を取り上げられてしまうと身のやり場がない。とりあえずマリヤと合流しようと思った矢先、校庭の隅で地面に這いつくばって何かを探している男の人を見つけた。
顔が土に擦りつきそうな距離で、スーツが汚れるのも気にせず校庭のフェンス際を茂みの方へ茂みの方へ進んでいく。
私はその人へ駆け寄り、探し物を手伝うため声をかけようとしたその時「走らないで!」と、男の人は地面に向かって怒鳴った。
かと思うと、自分で吹き上げた土の埃を思い切り吸い込んだのか、そのまま苦しそうに
「ッア! す、み……ゴホゴホゴホ! に、げっ……!」
そんなふうに何か言いながら、目にも砂が入ったようで、咳き込みながら私と地面を気にかけているが、探し物も私もよく確認が出来ないらしく、座り込んだまま、ただジタバタしているので、スーツはどんどん汚れていく。
私は男の人から怒鳴られたショックで、しばしその様子を見ながら佇んでいたが、無意識に両手を胸に当てようとした時、飲み物を持っていることに気がついて急いで男の人へ差し出した。
男の人は目をシバシバさせながら私を見上げ、手だけでありがとうのジェスチャーをしながら紙コップを受け取ってくれた。一気に飲み干し息を整えている間に、私はハンカチを運動場の水道で濡らして来て「目、拭いてください」と握らせた。
「あっ、なにからなにまで……すいません」
男の人はハンカチで両目を拭い、遠くを見ながら目をしばたたかせるのを何度か繰り返し、そのうち私を見上げへらっと笑って見せたかと思うと、また地面に顔を近づけてキョロキョロと探し物を始めてしまう。
「あの、探し物ですか? お手伝いましょうか?」
恐る恐る尋ねるが、「あー」とか、「えーっと」とか、言うばかりでどうして欲しいのかがまるで分からない。
「何を無くされたんですか?」
埒が明かないので、隣にかがみ一緒に地面を見る。もう、だんだん日も沈みかけてきているので、茂みの方は薄暗く見辛い。
あの、と、男の人を見ると、彼は驚いた表情で私を見ており、目が合うと後ろへ跳びのき、尻餅をついた。
(もう、なんなの、忙しない人!)
お尻をさすりながら痛みをこらえているかと思えば、地面についていた両手を急いで離し、あ! しまった! と言いながら手のひらを必死に確認している。
もう放っておけばいいのだが、私はその両手をぐっと掴み男の人の目線まで座り、顔をしっかり覗き込んでから「あの! 大丈夫ですか?」と尋ねた。
ちょっと音量を間違えたかもしれない、通りすがりの人たちの視線を感じる。端から見てる人は、きっと、大人が子供に叱られているように見えるかもしれない。
しまったな、と思っていると、男の人はなんだか心細そうな、捨てられた犬のような、そんな目をしながらしょんぼり言った。
「あ、蟻が……」
「蟻、ですか?」
恐る恐る尋ねる。
「はい、蟻が」
いたもので……、と、語尾はなさけなく消えていってしまった。
蟻がいたらなんなのだ。どうしていいか分からず、しょげて視線を落とす男の人を見ながら途方に暮れていたその時、「いつきちゃん!」と女性の声に呼ばれた。
声の主は、薄い黄緑のワンピースに小さなハンドバックを持っていて、ヒールを鳴らして駆け寄ってくる。髪を結い上げていたので最初は気がつかなかったのだがその人は麗華さんだった。その声に反応してずっと下を向いていた男の人も顔を上げ麗華さんを見ている。
もう薄暗い。提灯に灯りが灯り始め、お互いの顔が見える距離まで近づいて来た時麗華さんはぎょっとして私たちを見た。
「
麗華さんは男の人の前で仁王立ちになると、その腕をむんずと掴み引っ張り上げて立たせた。
「あんた、こんな薄暗いところで、女の子とうずくまってなにやってんの!」
「ちがっ……!」
私と真生と呼ばれた人の声が重なった。
思わず立ち上がった私をみて、麗華さんは少し驚いた様子だった。
「え? 浅倉さん!? 真生も土まみれじゃない! スーツ着てる時まで仕事しなくても……」
麗華さんは男の人のスーツを払いながら叱りつけ、男の人はされるがままになって所在なさげにぽりぽりと頭をかいた。
「急いで着替えて着なさい。挨拶回らなきゃいけないんだから。スーツ他にない? じゃあ、目上の方にも失礼のない格好で戻ってきなさい、早く!」
男の人は追い立てられるように校門から坂を下っていく。一度振り返り、ぺこりとお辞儀をしてそのまま走って行った。
麗華さんは、それを見送りながらハアっと大きなため息をつき、申し訳なさそうに私へ振り返った。
「あれね、弟なの」
「弟さん!?」
素っ頓狂な声が出る。だって……。
「うん、全然似てないでしょ。母親が違うの。私も弟も母はマザーじゃないんだけど、普通に色々あって、今は私の母のところで一緒に暮らしてる」
「そう、なんですか」
「植物学者の卵でね、まだ身分は学生だけど試験勝ち抜いて研究のためやっとの思いで入島できたのよ。この島の原生林、本島では絶対に生息できないすっごく貴重な世界遺産だって知ってた?」
「知りませんでした」私は首を横に振る。「私も」と、麗華さんはにっこり笑って見せた。
「それにしても、こんなとこで何してたの? なんか変なことされた? 適性検査も通ってるしおかしなことしでかす奴ではないはずなんだけど……!」
「あの、違うんです! それが……」
これまでのことを話すと、麗華さんの視線はみるみる沈み、最後には顔を手で覆い、やがて腹の底から絞り出すような大きなため息をついた。
「本当に申し訳なかったわね。野生の蟻なんて本島では滅多にお目にかかれないから……。そういうもの見つけるとなりふり構わず夢中になっちゃうの、あのバカ。」
え? 本島って蟻いないの!? そう思った時、麗華さんは私の肩越し遠くに何かを見つけ「あら、お友達かしら?」と呟いた。
振り返るとマリヤが真っ青なミニのワンピースに淡い黄金色のボレロを羽織り、潮風で顔にかかる髪をおさえこちらへ歩いて来ていた。
「あ、ルームメイトです。マリヤ!」
私が手を振ると、マリヤは少し微笑んで「探したわよ」と言いながらかけてきた。私の横に並ぶと、麗華さんへごきげんようと挨拶をする。
私は二人を互いに紹介した。
「彼女はルームメイトの小川マリヤです、マリヤ、こちらエイレイテュイア機構の柳麗華さん」
マリヤの目の色がスッと変わった。
「どうも、よろしくね」と麗華さんが差し出した手を握り返し、にっこりと握手をするマリヤの横顔を伺いながら、どうかこのマリヤの敵意が麗華さんに気づかれていませんようにと願っていた。
麗華さんと別れ、校舎へ歩き出した時マリヤは鼻でふんっと息を吐き、私の手をとるとぎゅっと固く握った。
私はなんだか申し訳なく感じて、おとなしく後をついていった。
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