第1章 エイレイテュイア機構

1、 ホットミルク

 昔は男と女がおんなじくらい、たくさんいたのだそうだ。

 今は、なぜかは知らないけれど、女は滅多に生まれない。女も子供を産まない。それでなくても数少ない女性に、そんな危険で野蛮なこと、進んでさせる人はいない。


 それでも、もし、妊娠することができて、さらに女を生むなんてことが出来ると、その女性は一生が保障されるほど国から手厚い保護を受け、特権を与えられる。産まれた女の子はすぐに国の保護下に入り、この保護区となる島で成人するまで教育を受ける。


 私は女で、この島で生まれた。

 女しかいないこの島で、母は私を産んだ。


 どうしてそんなことになるのかとは思うが、考えないようにしていた。シスターにも聞かない。みんな親切で、私の母たちで、困らせたくなかったし、何よりそれを知ることで、何の得があるとも思えず、今のこの楽しい学生生活に煩わしいものも必要なかった。


 —— そんなことより、もうすぐ管弦祭かんげんさいだ。まず目の前のこれをしっかりと務めなければ。

 生徒会長を任されて初めての大仕事だし、段取りを悪くしてみんなに迷惑かけたくない。明日から高等部生徒会のお姉様方やシスターとの打ち合わせをして、タイムスケジュールと役割分担と予算の大枠を作ったら、委員会を招集して仕事を割り振って……。


 ベッドに入って三十分以上たつというのに、眠くなるどころか頭のスイッチが仕事モードに切り替わり動き出すのがわかる。目を固く閉じ、頭が働くまま明日の予定をたてる。


 タオルケットをふくらはぎに絡ませてあちらこちらへと寝返りを打っていると、ふと、頭上に人の気配がしたかと思った瞬間、自分の眉間に柔らかく圧力がかかった。


「またシワがよってる」


 薄く目を開けると、白くて細い指が私の眉間を撫でている。指の主はクスクス笑いながら私を覗き込んでいた。

 肩から胡桃色くるみいろのウェーブがかかった髪が、さらさらとブレザーの制服を滑り落ちるその様子を見られるのは、私の小さな楽しみだった。


「こんなところにシワができたらブスになっちゃうよ」

 

ルームメイトの、米瑪流べいめるマリヤ。

 彼女は小学校に上がる際、この寮に入った時からのルームメイトで、なぜか私の世話を焼きたがり、同い年なのに姉のような存在だった。


「ドアの音、全然気がつかなかった」


 両目を擦りながら起き上がる。視線の先でマリヤは部屋着に着替えている。


「もう寝てると思って……ね」


 音を立てないよう、静かに入ってきてくれたんだ。


「寝つけないんでしょ、ホットミルク入れるから、一緒に飲もうよ」

「うん、ありがと。ずいぶん遅かったね、そっちの宿題そんなに多いの?」


 少し蒸し暑いのでベッド横にある窓を少し開けた。生ぬるい風に潮の香りが乗って入ってくる。もうすぐ、本格的な夏だ。


「ううん、宿題はそうでもなくて、学習室に珍しくシェリー先生がいらっしゃっていたの。授業でどうしても解らないところがあったから聞いていたら、そのうちどんどん別の話になっちゃって、話し込んでたら、こんな時間」


 部屋の脇にある小さな流しの下は冷蔵庫になっており、マリヤはそこから牛乳瓶を取り出し、お揃いのマグカップに注ぐ。少しの調味料を並べた棚からはちみつ瓶をとると、ハニーディッパーで器用に掬い、私のには少し多めに入れてくれた。私が寝付けなかったり、疲れている時はいつもこれだ。マリヤのベッドに向かって座り、マグカップを受け取る。マリヤはその向かいにサイドテーブルを持ってきて座る。これで、私たちの小さなカフェの出来上がりだ。


「管弦祭がもうすぐあるじゃない、あれね、今は男の人たちの入島行事だけど、昔は違ってたんですって」

「へえ、どんな風に?」

「昔はね、貴族が池や川に舟を浮かべて楽器を演奏させて遊んでたのだけど、それをこの島に社を作ったえらい方が、神様をお慰めする神事にしたのが始まりだったんだって」

「知らなかった、それであんなに大げさなのか。大きな船で静かに来ればいいのにって思ってた」

「何十隻もの小さな船で手漕ぎでくるのは、その名残なんだって。なかなか見応えあるものね。もう、国を代表する伝統行事だし、やめられないんでしょう」


 マリヤ特製のホットミルクをすすると、口の中に甘さが広がる。お腹がほんのり温まる。


 この島の名を「木花島このはなとう」と呼ぶ。

 ここではアジア地区の成人するまでの女性を一堂に集め、保護、教育する特別区間で、このような施設がここを入れて世界に六箇所にある。私たちはここで教育と職業訓練を受け、成人したら自分の母国へ帰ることになるのだ。


 今の時代、女性はそれほどに貴重だ。


 島から大きな川のような海を隔てて、すぐそこには私の母国の本島が見えている。あちらには本や映画で見るような一般社会があるのだそうだが、本や映画で見るものは私にとってはフィクションだ。フィクションに送り込まれるために、私の今の日常がある。そう思うと不思議におかしみを感じる。


 もちろんいきなり一般社会へ放り込むわけにはいかないだろうし、私のように社会をフィクションだと思うことのないよう、措置はある。

 私たち学生の社会研修やこの島のありとあらゆる設備のメンテナンスのため、夏の間だけ三ヶ月間、専門職や留学生として厳選された学生の男性たちが入島してくる。


 その際に男性たちを迎え入れるために行われる行事を管弦祭かんげんさいという。たくさんの小舟に篝火かがりびを炊き、島のシンボルである海に立つ大鳥居をくぐってやってくるのだ。

 私たち学生はその翌日に、三ヶ月間を一緒に過ごす男子学生たちへの歓迎会を開く。その後、夕方からは大人の方も招いてパーティーをする。

 生徒会はその運営を任されており、その準備にこれからしばらくは忙しくなるというわけだ。


「……お船を浮かべて遊んでいただけなのに、こんな茶番に利用されちゃって。昔の貴族の方々は呆れられてると思うわ。粋じゃないなって」

「ふふ、マリヤったら。その茶番の準備に、私、これからてんてこ舞いになるのよ」


 そう言って私がカップを飲み干すと、マリヤはそれを優しく取り上げ、そのまま私を横にして胸までタオルケットをかけてくれた。


「いつき」


 マリヤが私の名前を呼んでくれると、声が耳に溶けていく。


「明日から忙しいんだから、早く寝なさい」


 自分もね、と、思いながら、素直に瞳を閉じた。

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