第6話

 元気はしばらく小説を読むことをやめ、高校受験の勉強に集中した。それほどの苦労もせず、高校に合格した。しかし、希望して入った高校ではあるが、元気はなかなか高校の同級生に馴染めなかった。皆一様に勉強一筋という人間ばかりだった。元気にとって勉強は手段でしかなかった。周りの子たちは勉強をし偏差値の高い大学に入ることを人生の目標のように考えていた。元気は大変違和感を感じた。また親が大学の教員や医者をしているような、お金持ちの家の子が多かった。世の中一般で言ってもあまりそういう人はいないとも言えただろうが、親がゲイバーで働いているというような子は一人もいなかった。元気はどんどん内向的になっていった。クラスになかなか友達ができなかった。高校の部活は文芸部に入った。同人誌を出している部だった。そして、通常は図書委員会がしているであろう高校の図書室運営の手伝いもしていた。週に一度昼休みと放課後に図書室のカウンターで貸出・返却などのサービスをした。その高校の図書室はカウンターと閲覧席の間がガラスの板で仕切られていた。ガラスの下の方に、ちょうどJRのカウンターのようにくり抜かれた部分があり、そこから本を受け取り手続きをした。元気は図書室のそのカウンターの中にいると、高校の他の子たちと自分が仕切られているように感じ、居心地のよさを覚えた。元気は昼休みなど、空いた時間があると図書室へ行くようになった。そこで文学作品をひたすら読んだ。高校の図書室には学校図書館司書の方がいらっしゃった。おそらく三十歳前後の女性だった。大人しい方で、自分から何かを話すことは滅多になかった。髪をショートカットにし、顔に際立った特徴はなかったものの、そのことが奥ゆかしさを感じさせた。元気はその女性に恋心を抱き始めた。元気にとっての初恋の女性だった。図書室にさだまさしの詩集があった。元気は幸恵の影響でさだまさしが好きだった。幸恵がアルバムを全て持っていたので、毎朝高校へ出かける前に一枚アルバムを聴いてから登校することが日課になっていた。元気がある時、図書室のさだまさしの詩集を見つけてカウンター当番をしながらそれを読んでいると、図書館司書の方がそれを見て、尋ねられた。

「さだまさし好きなの?」

「はい」

 元気はその方に初めて話しかけられて少し戸惑いながら、それだけ答えた。

「私も好きよ。どの曲が一番好き?」

「一番っていうのは難しいですね。例えば「夢一匁」とかかな」

 元気は初めて司書の方と会話ができていることと、それがさだまさしの話題であることにうれしさを感じていた。

「「夢一匁」が真っ先に出てくるって、相当さださんのこと好きなのね」

「はい、母の影響もあって」

「そうなの。お母さんもお好きなのね。ちなみに「夢一匁」は「自分症候群」の中の曲だったわね」

「はい。でもそれが分かるって、兵頭先生も相当さださんの熱烈なファンなんですね」

「さださんは随分若い頃から本当に大好きよ」

「そうなんですね。では、兵頭先生はどの曲がお好きなんですか?」

「私?私も一曲というのは難しいわね。でもあえて言うと、例えば「奇跡~大きな愛のように~」とかかな」

「「奇跡」ぼくも好きですよ」

「私がさださんを好きになるきっかけがこの曲だったの」

「そうなんですね。テレビかラジオか何かで聴かれたんですか?」

「そう。私が中学一年生の時、NHK FMを何気なく聞いていたら、この曲が流れてきたの。雷に打たれたような感動を覚えたわ。そして涙がこぼれたの。後にも先にも何かの曲を聴いて泣いたことって、この時だけだったわ」

「そうなんですね。そういうことで言うと、ぼくも母がCDを聴いている時に、「夢一匁」が流れてきて、泣いちゃいました」

「そうなのね。さださんを好きな人って、何かの曲で泣いた経験がある人は多いみたいね」

 その後も元気は兵頭先生と、さだまさしについてあれこれと語り合った。元気にとって、兵頭先生と話ができたことも大変うれしかったが、兵頭先生が自分も大好きなさだまさしが好きであるということがさらに喜びを増幅させた。家族以外で自分がさだまさしを好きだと話したのは兵頭先生が初めてだった。それ以来、元気が図書室のカウンター当番の際には、兵頭先生と話をするようになった。もっぱらさださんの話だったが、それ以外にも好きな本の話やプライベートなことも話題となった。元気が自分の弟がダウン症であるという話をした時、兵頭先生はぽつりと尋ねた。

「弟さんが小さい時、子供の城に通われてたの?」

 元気には兵頭先生が子供の城について知っていることが不思議だった。

「よく子供の城のことご存知ですね」

「私の子どものお友達でダウン症の子がいるの」

 兵頭先生は答えた。元気はびっくりして、尋ねた。

「兵頭先生はお子さんいらっしゃるんですか?」

 兵頭先生は何事でもないように答えた。

「ええ、二人。両方男の子で、上が六歳で、下が三歳」

 元気は兵頭先生は当然独身だと思っていたのに、独身どころかお子さんまでいることを知り、あまりのショックにそれから言葉が出てこなかった。元気の初恋はあっけなく破れた。しかし兵頭先生のお人柄のよさが変わることは当然なく、高校での良き話し相手として、その後もいろいろなことを気軽に話せる関係であり続けた。元気は中学生まで学校で習う勉強で分からないことは全くなかったが、高校生になると学校の勉強に付いていくことがやっとになった。特に英語が苦手教科になった。クラスの他の子たちはまるでネイティブの人のように、英語の発音ができた。ほとんどの子が小さな時から英語の勉強を塾などで習っていた。帰国子女の子もいた。元気は中学生から学校で英語を習っただけだった。どうしても正しい発音をすることは無理だった。発音に限界があることはリスニングにも影響を与えた。英語がまるで聞き取れなかった。さだまさし好きであることから、サイモンとガーファンクルも好きだった。必死に歌詞を聞き取ろうとした。しかしどれだけ集中しても、何を歌っているか聞き取ることはできなかった。「サウンド オブ サイレンス」も、最初の「ハロー ダークネス マイ オールド フレンド」以降は、何を歌っているのか、さっぱり分からなかった。元気は大学では文学部に絶対入るつもりでいたため、英語は大切だった。しかし思うように英語力を高めることはできなかった。むしろ特別に勉強をしなくても数学や理科はすらすら理解できた。テストでも英語や国語の文系教科でいい点がとれず、数学や理科はほとんどテスト勉強をしなくてもいい点がとれた。それでも元気は文学部以外に行く気は全くなかった。自分が大学に行く目的は作家になるためだという確固たる信念があった。元気は休み時間の度に図書室に行っていて、クラスの子と話をする機会もあまりなかったため、クラスにほとんど友達がいなかった。それでも元気と同じようにクラスになかなか馴染めない子がクラスには何人かいて、そんな子たちと自然に仲良くなっていった。みんな運動が苦手で、体育の時間にバレーボールなどをすると、見ていられないくらいぎこちない動きしかできない子ばかりだった。元気も運動が苦手だったので、運動が苦手だというただ一点のみの共通点で、その子たちとつながっていた。その中に佐藤くんという子がいた。彼は哲学に詳しかった。まだ高校一年生だというのに、現代思想に精通していた。さすがに有名な哲学者の原書を読むところまではいかなかったけれど、現代思想の入門書などを多数読み込んでおり、元気には聞いたこともない外国の哲学者の思想について語ってくれた。彼もどこかの大学の文学部に入ることを目指していた。佐藤くんは英語や国語、そして数学等、すべての教科の勉強がよくできた。成績のいい子揃いの南野高校の中でも、一学期の中間試験でトップレベルの点数をとっていた。佐藤くんはそんな自分の成績のよさを少しも鼻にかけることはなく、性格もよかった。元気は高校の同級生は自分とは違う人種の人たちばかりだと思い込んでいたので、佐藤くんと出会えたことは元気にとって幸いなことだった。元気も佐藤くんに文学の話をあれこれとした。佐藤くんは文学作品はあまり読んでいなかったけれど、元気の話を興味深く聞いた。元気が坂口安吾の「堕落論」について熱く語ると、佐藤くんは柄谷行人が安吾について本を書いていることを紹介し、後日その本を元気に貸してくれた。元気はその本をとても面白く読んだ。佐藤くんから文芸評論という世界について触れさせてもらい、そのことは元気の文学に対する関心をさらに高めさせた。一人気の合う友達ができただけで、元気の高校に対する印象は大きく変わった。高校生活の中に佐藤くんと話をするという楽しみができた。また、勉強により一層励もうという意欲も芽生えてきた。苦手な英語を何とか克服しようと、NHKのラジオ講座を毎日聞いた。図書室のカウンター当番も楽しみの一つであり続けた。兵頭先生は現代文学に大変詳しく、元気がまだ読んだことがない比較的最近の小説について教えて下さった。兵頭先生から安岡章太郎や大江健三郎、村上春樹や小川洋子などの面白さを聞かされ、図書室で借りて読んだ。全ての作家の作品が新鮮でそれぞれに違う面白さがあった。

 文芸部では、同人誌を秋と春の年二回出していた。秋の同人誌に載せる文章の締め切りが迫ってきた。元気は初め短編小説を書こうと意気込んでいた。数週間、小説の内容を考えた。全くオリジナルな物語を作るつもりでいた。目標としては、志賀直哉の短編のようなものを書きたかった。しかし何も書くべきことが思い浮かばなかった。まだ自分には空想上の物語を作り出すことは無理だとある日あきらめた。エッセイを書くことに切り替えた。幸太との思い出を書こうと決めた。幸太との思い出で書きたいことは無数にあった。元気が物心ついた時から幸太は家族の一員であり、幸太のあらゆる行動を元気はしっかりと覚えていた。その中で一番印象に残っていることを元気は考えてみた。一番という思い出を決めることは元気にはできなかった。全ての思い出が大切なものだった。生まれて初めて人の目に触れる文章を書くことになるため、読んだ方に何らかの印象を強く残せるものを書こうと考えた。いろいろな思い出が頭の中を巡り、何日間か考えあぐねた結果、幸太の小学校の入学式の日の一日の出来事を文章にしてみることに決めた。元気としては、坂口安吾の「風と光と二十の私と」のような読後感を残すようなものを書きたかった。原稿用紙に向かい、出だしを書こうとしたけれど、なかなかいい書き出しを思いつけなかった。あまりいい文章にこだわっていても仕方がないと、出だしは後から書き直すことにし、元気は文章を書き始めた。こだわりを捨てると、どんどん原稿用紙のマス目は埋まっていった。一日の幸太と家族の様子を書き終えると、原稿用紙十枚になった。元気に与えられていた枚数は十二枚以下ということだったので、それにさらに部分的に詳しく書き足して十二枚ほどにした。推敲を重ね完成とした。同人誌は特に誰かに審査してもらうこともなかったので、元気が書いた原稿を同じ部でパソコンを持っている子にデータ入力してもらい、冊子が出来上がった。元気にとって自分が書いた文章が初めて活字になったことが非常にうれしかった。少し気恥ずかしさもあったけれど、それを両親に読んでもらった。幸恵もトド子さんも自分のことのように手放しで喜んだ。トド子さんは元気に言った。

「こないな文章書けはるんやさかい、元気は将来絶対作家になりはるわ」

 元気が書いた文章を以下に載せる。


 その日は家族全員が朝早く目を覚ましました。幸太が小学校に入学するのです。幸太は興奮して前の夜なかなか寝付けませんでした。小さい時のように、母が子守唄を唄い寝かしつけました。母が唄うさだまさしさんの「小夜曲」を聴きながら、同じ部屋で寝ていた小学校三年生になろうとしている僕もいつしか眠りについていきました。翌朝、僕が起きた時には幸太も父母も起きていました。僕は朝六時前に起きましたので、幸太に尋ねました。

「何時に起きたん?」

「五時前に目が覚めたねん」

 幸太は答えました。

 父はゲイバーで踊り子の仕事をしていますが、その夜は仕事を休み、家にいました。それでもいつも夕方から明け方まで起きて働いているため、一睡もできなかったようでした。母は幸太が学校へ行く準備をするため五時半に起きたとのことでした。僕が起きると家の中に味噌汁のいい匂いが漂っていました。幸太は入学式に着ていくために買ってもらった黒色のスーツを朝ごはんの前に着ました。生まれて初めてスーツを着るので要領が分からなかったのでしょう。Tシャツの上にスーツを着て、決めポーズを作っていました。母がそれを見て、

「Yシャツをまず着ないとね」

 と、スーツの上着を脱がせてYシャツを着せました。

「折角だから、ネクタイもしちゃいましょうよ」

 と、ネクタイもして、すぐにでも出かけられる格好になりました。六時半頃に妹の恵子を起こして、家族で食卓を囲み朝ご飯を食べ始めました。普段はそんなことは絶対にしないのに、幸太が味噌汁の入ったお椀を手からすべり落としてしまい、味噌汁がスーツの上着とズボン、それにネクタイに、びっしょりとかかってしまいました。みんなで慌ててティッシュやタオルに水をつけたものでスーツについた味噌汁をふき取ろうとしました。しかし、スーツは無情にも味噌汁の水分を簡単に吸い込んでしまい、なかなか取れません。黒色のスーツだったので、見た目に目立つ痕が付くことはなかったのですが、かすかに味噌汁の匂いがします。幸太はすっかりしょげ返っていました。これを着せていくことはできないと母が思い、言いました。

「大丈夫、大丈夫。お兄ちゃんが着ていったスーツがあるから、それ着ていけばいいわ」

 そしてタンスの中から僕が入学式に着て行ったスーツを取り出しました。服は出かける直前に着ることにし、幸太は残りの朝食を食べました。入学式は十時から始まりますので、まだまだ時間があります。それまで母が幸太に教えてきた「起立」、「礼」、「着席」の練習を再び何度かしました。幸太は素早く立ち上がり、きれいな角度で礼をし、素早く座りました。「気をつけ」の練習もしました。幸太は背筋を真っ直ぐに伸ばし、直立して体を硬くしました。それを見て父が言いました。

「体の力は抜いといてええんやで。しんどならんように、格好だけちゃんとしとったらええさかい」

 幸太はそれを聞き、体の力を抜こうとしましたが、そうすると直立して立つことができませんでした。幸太はどうすればいいのだろうと少し混乱しているようでした。すかさず母が言いました。

「力入れて立っていても大丈夫よ。そんなに長い時間、気をつけをしてることはないはずだから」

 そんな様子を横で見ていたぼくは登校する時間になったため、出かけました。

 ぼくは入学式には出ていませんので、後に父母から聞いた話によりますと、幸太は入学式で誰よりも立派に振る舞っていたとのことでした。大袈裟ですが、親の目にはそのように映ったのでしょう。その代わり父母に一緒に付いていった恵子が、式の途中で飽きてきて、じっと椅子に座っていることができず、何度もトイレに行きたがったとのことでした。まだ三歳でしたから、二時間ほどの長い時間をじっとしていろという方が無理なことだったでしょう。

 入学式が終わり、幸太はあおぞら学級という特殊学級へ行き、これからの学校生活に関する説明などを父母と一緒に聞いたとのことでした。そして昼前に家に帰ってきました。ぼくもその日はまだ給食がなかったので、昼前に家に帰りました。幸太に、

「入学式、どないやった?」

 と聞くと、

「ちゃんと、できたで」

 とだけ答えました。そう答えた幸太の顔はどこか誇らしげでした。

「幸太の入学式の記念に、桜の前で写真撮ろや」

 父がそう言いながら、カメラを取り出してきました。

「幸太はそのままの格好でええな。元気と恵子は一番ええ服着いな」

 父はそう言うものの、ぼくも恵子も一番いい服と言えるような上等な服は持っていませんでした。母がタンスの中からそれなりに上等そうに見える服を取り出して来て、ぼくたちに着替えさせました。ぼくたちが着替えている間に、父は真っ赤なドレスに着替え、顔にオバQ のメークをし始めました。

「これが私の正装やさかい」

 そう言いながら、顔に化粧を塗りたくっていました。父の準備が整い、近くの公園へ行き、満開に咲き誇った一本の立派な桜の前で家族で写真を撮りました。ぼくと恵子はピースをして笑顔で写真に写っていましたが、幸太はずっと気をつけの姿勢で、口をぎゅっと結んで写真に写っていました。初めのうちは父が写真を撮っていましたので、父が幸太に、

「もっとリラックスして、笑顔になりなや」

 と言っても、幸太は姿勢を崩そうとはせず、ますます険しい顔で写真に写っていました。次に母が写真を撮り、家族全員の写真も撮りたいということで、その公園にいたどこかのおじいさんに父がお願いしました。

「カメラのシャッター、押してくらはらへんか?」

 家族全員の写真を撮ってもらいました。その間も幸太はずっと気をつけをして、真剣な顔をし続けていました。何枚かその方に写真を撮って頂き、家に帰りました。家に帰り撮った写真を見てみると、おじいさんに撮ってもらった写真がピントが合っておらず、枠内にも家族が入っていない状態になっていました。どうやらデジカメにあまり慣れておられなかったようでした。

「これはあかんわ。もう一遍公園行って、誰かに撮り直してもらわな」

 父は言い、みんなを急かして公園まで再度行きました。

「若い子にお願いせんとあかんな」

 父は言い、公園の横を若い人が歩いていないか物色し始めました。大学生くらいの若い女の方が通りかかったので、父は早速近くに寄って行き、声をかけました。

「姉ちゃん、姉ちゃん。写真撮ってくれはらへんかな?」

 その方は父の姿を見てぎょっとしながらも、

「いいですよ」

 と言い、何枚か写真を撮って下さいました。

 一旦家に帰ると父が言いました。

「今日はめでたい日やさかい、お昼はうまいもん、腹一杯食べよか?ガスト行こか。ガスト」

「いいわねえ。それじゃあ、今日のお昼はガストにしましょ」

 母も賛同しました。ぼくたちは着替えて早速ガストへ行きました。家から歩いて五分ほどのところにガストはありました。店に到着し、しばらく待って席に座ると父が言いました。

「折角やから、今日はみんなドリンク・バー頼みなはれや」

 幸太と恵子は無邪気に喜びました。三人でジュースを入れに行きました。食べ物の注文で、ぼくはハンバーグを、幸太と恵子はお子様プレートを頼みました。幸太も恵子もお子様プレートを注文すると、ガチャガチャができることを知っていたからです。幸太と恵子は店員さんからコインをもらい、ガチャガチャをしに行きました。幸太にはアンパンマンのハンカチ、恵子には飛び跳ねるかえるのおもちゃが出てきました。恵子がアンパンマン欲しいとだだをこねるので、母が幸太に言いました。

「アンパンマンのハンカチ、恵子にあげてやってもいい?」

 幸太は少し悔しそうではありましたが、

「ほなら、かえると交換や」

 恵子にアンパンマンのハンカチを渡しました。食事を終え、家に帰りました。家に着くと父母が幸太にプレゼントがあると言い、部屋の奥から箱を取り出してきました。父が幸太に言いました。

「箱、開けてみ」

 幸太は言われるままに、箱を包んでいた紙をまず破りました。中身はランドセルでした。幸太は目を輝かせ、箱を開け、中から真っ黒で新品のランドセルを取り出しました。

「明日から、それ背負っていくんやで。今一回背負ってみな」

 幸太は言われた通り、ランドセルを背負いました。幸太にはまだとても大き過ぎるように見えました。それでも幸太はうれしかったのか、ランドセルを背負ったまま、家の中をぐるぐると歩きました。それを見ていた恵子が、

「私もランドセル欲しい」

 と言い、半分泣き顔になりました。

「恵子にはまだ早いわ。小学生になったら買ってあげるからね」

 母が言いましたが、恵子は納得しませんでした。

「私もランドセル欲しい。え~ん」

 恵子は泣き出しました。

「ほなら、一回幸太のランドセル背負わせたるさかい、それで我慢しときや」

 父が言い、幸太にランドセルを恵子に背負わせるように言いましたが、幸太は自分のランドセルを恵子に取られると思ったのか、決して恵子に渡そうとしませんでした。恵子の泣き声がどんどん大きくなりました。

「それじゃあ、元気兄ちゃんのランドセル背負わせてもらい。元気、ランドセル貸してあげて」

 母がぼくに言うので、ぼくのランドセルを恵子に背負わせました。恵子はまだ泣きながらぼくのランドセルを背負い、ひとまず満足したようでした。しばらくして泣き止み、ぼくのランドセルを背負いながら幸太の後ろを付いて歩きました。

 夕方になり、父が仕事へ出かけ、その晩は少し早めに夕ご飯を食べました。翌日に備え、早めに布団に入り、皆眠りにつきました。


 元気が高校二年生になると、同級生はさらに大学受験に向けて勉強に励むようになった。今の生活を楽しむより、大学に入ることを重視し、それに向けてがむしゃらに勉学に励んでいた。元気も楽しむことは大学に入るまで我慢し、今は勉強中心の生活をすることにした。二年生から文系クラスに入り、英語の授業がさらに難しく厳しくなった。毎日の楽しみだった読書も我慢し、その時間を勉強に充てた。勉強のほとんどの時間を英語に費やした。それでもなかなかリスニング力は思うように付かなかった。あきらめずに毎日NHKのラジオ講座を聞き続けた。国語は全く勉強しなくても何となく分かった。数学や化学も文系で習うことは元気にとっては物足りないくらいにすらすらと理解できた。図書室のカウンター当番は相変わらず週に一度あった。その時間も元気は勉強に励んだ。起きている時間はほぼ勉強をするという生活を高校二年生と三年生の二年間、ずっと続けた。

 幸太は中学校を卒業し、高校からは養護学校の高等部へ通うことになった。それまで特殊学級とは言え、家の近所の学校にずっと通い続けたが、これからは少し離れた学校まで行かなければならなくなる。養護学校が巡回させているバスで通学することもできたが、便利さとこれからの社会勉強のために、市バスで通学することになった。幸太は一人でバスに乗り、目的地のバス停で降り、定期券を見せることは、難なくできた。入学する前に、ほぼ一日がかりで養護学校での生活の様子を幸太と幸恵で見学してきた。重い障がいを抱えた子どもがたくさんそれぞれの課題をこなしていた。学校の雰囲気は明るく、幸太も幸恵も悪いイメージは抱かなかった。学校に通い始めると幸太は持ち前の朗らかさを十分に発揮し、すぐに何人か友達ができた。高等部では通常の勉強の他に職業訓練に関わることに時間が多く割かれていた。例えばパソコンでローマ字入力を授業時間に練習した。高等部を卒業してからの幸太の仕事について、幸恵もトド子さんも意識せざるを得なくなっていった。学校の先生との懇談の際にはもっぱらそのことについて話し合った。子供の城で仲良くなったお母さんたちからも様々な情報を得た。二年生の夏休みに幸恵と幸太はある作業所を見学した。そこでは和紙を作り、それを封筒にするという作業が行われていた。和紙は牛乳パックを再利用して作っていた。根気がいる作業のように思われたが、みんな集中して取り組んでいた。そして、おそらくそれぞれの作業グループに分かれていたのだと思われたが、作られた和紙を型紙に当ててなぞり、最終的には封筒を作っていた。幸太は面白そうと感想を述べた。幸恵もこの仕事であれば幸太には十分立派にできると感じたが、あらかじめ情報として作業所では月々一万円以下の工賃しかもらえないということを聞いていた。将来幸太に自立して生活できる環境を整えたいと考えていたため、やはり作業所より一般就労ができるよう努力したいと幸恵は考えた。学校の先生からハローワークに行くことを勧められ、幸恵は相談に行ってみた。障がい者の就職に関する担当の方がいらっしゃった。幸太の障がいの程度や希望する仕事などを聞かれた。希望する仕事というものが確固としてあった訳ではなく、むしろどのような仕事があるか分からなかったため、逆にどのような仕事があるか尋ねた。担当の方は現在求人が出ているものの職種を教えて下さった。工場での軽作業や、運搬、包装、清掃が比較的多く、サービス業もそれなりにあるようだった。過去に就職した方の中には、一般企業で正社員として働いている人もいるとのことだった。想像していたより色々な選択肢があることを知り、幸恵はほっとした。幸太に向いた仕事にうまくいけば就けるのではないかと希望を抱いた。失礼かとも思ったが、大体の給与も聞いてみた。平均して月十万円ほどとのことだった。十万円あれば幸太は住むところにお金がかからなければ、何とか生活していけるだろうと考えた。自分たちが死んだ後のことを考えると、分譲マンションでも買って、幸太に残しておいてあげないといけないというようなことも頭を巡った。

 幸恵はハローワークで話を聞き、前向きな気持ちになり家に帰ってきた。トド子さんに色々な職種の求人があること、給料は月十万円ほどもらえそうなことなどを話した。トド子さんも十万あれば何とか生活できると幸恵と同じ感想を述べた。

 幸太は三年生になると学校から色々な所へ現場実習に行った。作業所でパンを作ったり、工場でベルトコンベアを流れてくる箱の中にタオルや石鹸などを詰めていく作業、割り箸を百本ずつまとめる作業や、NPOで運営されている障がいを抱えた方が働く喫茶店での接客などなど、色々な経験をさせてもらった。幸太はどんな仕事も教えられた通りのことができ、終わった時には褒めてもらえた。一つ一つの経験が幸太に自信をつけさせた。十月頃から幸恵と学校の先生とハローワークへ頻繁に通い、次年度の四月から知的障がい者を雇う求人募集を出している会社を探した。家からあまり遠くない場所で、幸太が楽しんでできる仕事を探した。想像していたより求人は多くはなかった。給料が高い職場はどこも障害者雇用促進法対策で雇おうとしているところだけだった。仕事として楽しんでできるという感じはしなかった。しかし月々にいただけるお金は作業所とは一桁違ったため、そのようなところで幸太がなるべく楽しんでできそうな仕事を探した。幸恵が幸太に尋ねた。

「どんな仕事をしたい?」

「何でもする」

 幸太はすぐに答えた。実際、幸太はそれまでの現場実習でまじめにどんな仕事にも取り組んできたので、環境さえよければ、幸太はどのようなことでもできるように幸恵には感じられた。入社試験を受ける候補として、ある有名企業の雑務と、比較的家の近くにある大学の清掃作業の二つをまず選んだ。幸太はどちらでも頑張ると言った。ハローワークを通して、二つの求人に応募した。ハローワークの担当の方が募集についての細かいことは全て行って下さった。幸い二ヶ所とも面接を受けられることになった。まず企業の面接を受けた。面接にはハローワークの担当の方も来て下さった。幸恵も会社までは一緒に行ったが、面接会場には幸太とハローワークの担当の方のみが入った。和やかな雰囲気の中で面接が行われた。まず名前を尋ねられた。大きな声ではっきりと、答えた。

「村上幸太です」

 その後、年齢、住所、休日にしていること、仕事でやりたいことなどを優しい口調で尋ねられた。面接で聞かれそうなことはあらかじめ幸恵とトド子さんと一緒に考えて練習してあったので、すらすらと答えられた。また、IQやできること、できないことなどの幸太の知能の発達の程度については、ハローワークの担当者の方から会社側に詳しく説明がなされていたようだった。暖かい雰囲気の中で面接が行われたため、幸太は全く緊張することなく普段と同じように振る舞うことができた。特に何の失敗もなく面接は無事終わった。後日面接結果をご自宅にお伝えしますと言われ、最初の面接は終わった。幸恵は面接の様子をハローワークの担当者の方から聞かされ、ひとまず安心した。その会社の結果が伝えられる前に、もう一つの候補とした大学の面接を受けた。こちらの面接もやはり大学までは幸恵も一緒に行ったが、面接会場には幸太とハローワークの担当者の方のみが入った。こちらの面接でも面接官の方は優しい口調で質問をした。初めの面接と同じようなことを聞かれた。幸太はまた、はきはきと答え、失敗らしきことは何もなく無事面接を終えた。

 初めの企業の面接から二週間ほどが経った頃、幸恵の家に企業から電話がかかり、合格と言われた。その電話を切ってから、幸恵はしばらくその現実を簡単に受け入れることができなかった。しかし、じわじわと幸恵の中にうれしさという言葉だけでは片づけられない何かが込み上げてきた。幸恵はそれまで幸太の将来について漠然とした不安を抱き続けてきた。ひとまずその不安が前向きに打ち消されようとしていることに徐々に徐々に体が反応してきた。そしてあらゆることへの感謝の気持ちとでもいうものが沸き起こってきた。居ても立ってもいられず、幸恵は近くの神社へ行き、手を合わせた。幸太が学校から帰ってきたら早速そのことを幸太に伝えた。

「ヤッター」

 幸太は言い、ガッツポーズを作った。家族のみんなが大いに喜んだ。それから数日後に、二つ目に受けた大学から電話がかかり、こちらも合格と言われた。幸恵にとっては信じられない事態だったが、冷静になり、どちらに決めるか仕事の内容や職場の雰囲気、待遇や給与のことなどの詳しいことをハローワークに行き、聞いてきた。初めに受けた企業での仕事は清掃やコピー取りと、可能であればパソコンに過去の書類の内容などを入力する作業とのことだった。他の社員の方と同様に空調の効いた室内での作業で、肉体的にはきつくはないであろうとのことだった。また障がいを抱えた者を雇うということに理解がある人たちばかりの中で働くことになるはずなので、精神的にも大丈夫だろうと言ってもらえた。給与はほぼ最低賃金と同じ時給八百二十円ということだった。一方の大学での清掃作業は、一日中大学構内のキャンパスに落ちている落ち葉やゴミを集めたり、草を抜いたりする作業とのことだった。知的障がいを抱えた方が五名ほどのグループに分かれ、指導する人に言われたことをするようだった。こちらは一日外で立って仕事をすることになるため、肉体的にはきついだろうと言われた。また指導する人の人柄次第で、場合によって厳しく叱責されるようなこともあるかもしれないとのことだった。他の大学の同じような仕事で、指導者が雇用されていた知的障がい者を虐待した事件が起こったこともあることを聞かされた。給与は時給八百六十円だった。

 この話を聞き、幸恵には明らかに一つ目に受けた企業にする方がいいように思われた。幸太は決して体力があるわけではなかったため、一日空調が効いた部屋で過ごせ、基本的には座って仕事ができるところの方がいいと思われた。またパソコンを使わせてもらえるようなので、仕事のスキルも付くように思われた。幸恵はトド子さんにその話をし、トド子さんもそれは企業の方がいいだろうと賛同した。しかし幸太の就職なので、幸太の意見を尊重しようと言った。

「幸太の人生やさかい、幸太が決めんとな」

 トド子さんはそう言った。幸太が学校から帰ってきて、早速幸恵は面接を受けた二ヶ所から合格の連絡があったことを伝えた。そして、その二ヶ所の仕事の内容や職場の雰囲気、そして給料を伝えた。給料は時給では分かりにくいと思い、企業が月給十三万円ほどで、大学が月給十三万五千円ほどと言った。

「幸太はどちらの仕事を選ぶ?」

 幸恵は尋ねた。

「大学で働く」

 幸太は間髪入れずに答えた。幸恵は仕事のやりがい等から幸太も企業を選ぶと思っていたため、説明が不足していたと思い、再度言った。

「企業の方はパソコンを使って仕事ができるから、新しい色々なことを覚えられるし、建物の中で働けるから、夏はエアコンの効いた涼しいところ、冬は暖かいところで仕事ができるのよ。大学だとずっと掃除ばっかりしてるだけだから、何も新しいことが覚えられないし、外でする仕事だから夏は汗をだらだらかいて暑いし、冬は凍えるほど寒いのよ」

 それでも幸太は頑として言った。

「大学で働く」

 おそらく給料が五千円大学の方が高いために、そう言っていると幸恵は思い、丁寧に二つの仕事の内容と将来性について説明し続けた。

「大学で掃除したい」

 幸太はそう言い、全く意見を変えようとしなかった。幸恵は自分の力では無理だとあきらめ、トド子さんから説明してもらおうと考えた。トド子さんにお願いし、トド子さんも幸太の体力や仕事の内容から明らかに企業に就職した方がいいと考えていたため、幸太に丁寧に二つの仕事の違いを説明した。しかし幸太は全く考えを変えず、ずっと言い続けた。

「大学で掃除したい」

 幸太は自分の部屋を掃除することもまるでせず、幸恵がいつも部屋をきれいにしていたため、掃除が好きなはずがなかった。明らかに給料の五千円の差に拘っているとしか考えられなかった。幸恵は次は元気に幸太を説得してもらおうと考えた。幸恵が元気に状況を話すと、元気もそれは明らかに企業で働く方がいいと考えたため、幸太に分かりやすく企業で働く方がいいことを必死に話した。それでも幸太は、言い続けた。

「大学で掃除したい」

 ハローワークから、二ヶ所の内どちらで働くかという返事を二週間以内にして欲しいと言われていたため、しばらく時間をおいて幸太に自分で冷静に考えさせようということにした。今は自分が一度言ったことに固執している状態であるように幸恵には思われた。その後一週間は仕事のことは何も話さなかった。一週間後、幸恵が幸太に尋ねた。

「仕事のこと考えた?どちらにする?」

「大学で掃除する」

 幸太は答えた。まだ考えを変えていなかった。返事の期限があと一週間と迫ってきているため、何とか幸太に考えを変えさせようと幸恵はそれまでも説明してきた仕事の内容の違いと、給料が一ヶ月で五千円違うことは大したことではないことを力説した。それから一週間、幸恵もトド子さんも元気も幸太を何とか説得しようと、あの手この手で言い方を変え、仕事のことを話した。しかしそれから一週間経っても幸太は考えを変えようとはしなかった。まるで子どもが駄々をこねるように、

「大学で掃除したい」

 そう言い続けた。幸恵は大変悔しかったが、家族で話し合い幸太の考えを尊重し、大学で清掃をするという返事をハローワークにした。

 元気は高校三年生となり、日々勉強に邁進した。高校の図書室は進学校だけに各大学の赤本や受験参考書・問題集などが豊富に揃っていた。元気はそれらを利用し大学受験に向け勉強をした。高校三年生の秋頃に、受験する大学について先生との面談があった。元気は予備校が行っている模擬試験はお金がもったいないため受けたことがなかった。学校で行われた実力テストの点数を参考にして受験できそうな大学を先生と相談した。先生は今の実力を受験日まで維持できれば東大に入れる可能性は五割だと言われた。元気は確かに東大文学部に行きたい気持ちを持っていたが、幸太や恵子のこれからのことで、お金が必要になるだろうから、下宿をすることはあきらめることにした。私立大学もお金がかかるため、受験自体をしないこととし、合格できるかどうか分からないけれど挑戦の意味で京大を受け、おそらく確実に受かるであろう阪大を抑えに受けることとした。幸恵もトド子さんも大学受験のことはよく分からなかったし、元気が高校に入った時点からそうすることに決めていたため、元気の決定にそのまま従った。元気は毎日午前一時まで勉強をし朝五時まで眠り、また勉強をするという生活を続けた。センター試験の前日は早めに寝て、朝は普段通りに起きた。落ち着いて試験を受けることができ、結果も想定していた位の点数だった。予定した通り、前期日程で京都大学文学部を受けた。受験勉強はほぼ英語ばかりをしてきたと言っても過言ではなかったが、それでも英語の試験につまづいた。分からない問題が多かった。試験結果は案の上、不合格だった。私立大学はどこも受けていなかったため、後期日程の阪大文学部にどうしても受かる必要があった。後期日程は募集人数が少ないため、厳しい状況に追い込まれた。前期日程から後期日程までの一ヶ月弱の間、元気はそれまで以上に集中して英語の勉強をした。毎日毎日朝から寝るまで英語の勉強をした。すでに高校は休みとなっていたため、家でずっと英語の勉強に没頭した。試験の前日まで元気は変に緊張していたが、試験当日には平常心となり、穏やかな心持で受験できた。苦手な英語も勉強の甲斐があり、出来たという手ごたえがあった。試験結果の発表は一人で阪大まで出かけて行き、掲示板に張り出された紙を見た。自分の受験番号があった。うれしいというより、ほっとした。

 四月、恵子が中学生になった。恵子はどちらかと言えば内向的だったが、常に仲良くしてくれる友達がいた。中学校でも小学校の時から仲良しだった宏美ちゃんと同じクラスになり、学校での友達関係に不満はなかった。恵子が学校生活で唯一困ったことは、男の子からなぜかラブレターを頻繁に渡されることだった。恵子は幸いトド子さんの血を外見上はほぼ受け継がず、幸恵の血を多く受け継いだ。愛らしい顔をし控えめな性格ということで、男受けするタイプの女の子だった。小学校の五年生の時に、全く好みではない男子からラブレターを渡された。からかわれているだけとしか思えなかったけれど、友達に相談し、「無理」とだけ書いた返事をその男子の下駄箱に入れた。六年生の時も何人かからラブレターをもらった。毎回中身をあまり読まずに、「無理」と書いた返事を下駄箱の中に入れた。中学生になり、渡される回数が増えた。直接手渡される場合もあったし、下駄箱の中に入れられていることもあった。下駄箱の中にラブレターが入っている時には、上靴に画鋲でも入れられていたかのように、嫌な気持ちになった。男子にもてることはむしろいいことのはずだが、思春期の恵子には迷惑なことでしかなかった。恵子にも素敵だと思う男子もいた。しかし自分にラブレターをくれる男子は皆例外なくぱっとしない男子ばかりだった。いっそ腕力の強いイケメンの男子と付き合えば、このようなこともなくなるかとも思った。しかし恵子はそういう男子はタイプではなかった。元気兄ちゃんのような人が好みだった。クラスにそんな感じの男子が一人いた。しかし、その子は全然女の子に興味がなさそうだったし、恵子も自分から告白するということは夢にも思わなかった。ラブレターを渡されてはつれなく断るということを繰り返した。場合によっては、そのような女の子はクラスの女の子から妬まれる可能性もあったかもしれないが、恵子にラブレターを渡す男子が嫉妬の対象になりにくい子ばかりだったため、恵子はむしろクラスの女子から同情された。恵子は勉強で分からないことがあると元気に教えてもらい、中学校生活を無難に過ごしていた。

 幸太は四月から仕事に行き始めた。就職した大学は電車で十分くらいのところにあった。幸太と同じように新規に採用された知的障がいを持った方が五名いた。年齢はまちまちで、高等部を卒業してすぐに採用された者は幸太だけだった。二十代から四十代の方が四名で、既にこの仕事をされてきた方が十名いた。全部で十五名が三つのグループに分かれて作業をした。それぞれのグループに指導する方が二名いて、その指示に従った。キャンパスの中を箒で落ち葉やゴミなどを掃き集め、ゴミ袋に詰めた。幸太のグループの指導する方は二人とも六十代で、もともとこの大学の事務職員をしていた方だった。定年後の再雇用で今の仕事をしているということだった。二人とも温厚な方で、幸太にも他の方達にも優しい口調でするべきことを指示した。一緒に働いている方達も優しい人ばかりで、幸太は精神的に辛いと感じるようなことは全くなかった。仕事は単調ではあったけれど、幸太はするべきことをひたすらすることを苦痛に感じなかった。一日中立って仕事をしなければいけないと思っていたけれど、指導する方は、一時間に十分の休憩時間を作ってくれた。キャンパスのアスファルトや土の上ではあったが、座り込んで水筒の水を飲めた。それでも一日働くとくたくたになり、家に帰って夕食を食べるとすぐに寝てしまった。時には夕食を食べながらうとうとした。

 幸恵は子育てや家事にさほど時間をかける必要がなくなったため、パートに出ることに決めた。スーパーに置かれていたバイト募集のパンフレットには家の近所のコンビニのバイトがたくさん載せられていた。幸恵は今まで仕事をした経験はコンビニのバイトだけだったため、またコンビニで働こうと決めた。示し合わせたように、どのコンビニも時給は同じだった。家からなるべく近いところがいいと思い、あるコンビニへバイトの面接に行った。面接と言っても、店長が週何回、どの時間に来ることができるかを尋ねただけで、適正を見られるようなことは全くなかった。翌日から来るように言われた。よほど人員が足りていないように感じた。昔は夜間にアルバイトをしていたけれど、子どもの生活時間に合わせるために朝の十時から昼の四時まで働くことにした。翌日さほど緊張することもなく、コンビニに働きに出かけた。男の大学生の子と一緒に仕事をした。その子から仕事の細かいやり方を学んだ。どうやらその子は比較的長くこのコンビニで働いているようで、新人の教育を任されているようだった。幸恵が昔バイトしていた頃と比べて、コンビニでする仕事は多岐に亘っているように感じられた。その子は仕事の内容について話す前にまずこう言った。

「店長の言うことは聞き流しとけばええですわ。それでも、どうしてもいやんなったら辞めればええですよ。コンビニなんて腐るほどありますさかい」

 その言葉を聞き、幸恵はこの子が何を言わんとしているかが分かった気がした。前日面接を受けた際に、その店長という方はこのような対応だった。

「あのー、バイト募集の案内を見て来たんですけど」

 幸恵が店内の男の方に話しかけた。

「あっ、そう」

 その方はそれだけ言い、「こちらへ来てください」とも何も言わず、奥の事務室に歩き出し、幸恵は付いていけばいいのだろうかと躊躇していた。

「こっち」

 その方はそれだけ言い、その事務室に幸恵を招き入れ、名前や住所なども何も聞かなかった。ただいつ働けるかだけを尋ね、明日から来るようにと言った。世の中の仕組みをあまり知らない幸恵だったが、雇用契約を結ぶにあたり何の書類も取り交わさないことは不可思議だった。また、その方はコンビニの店長をされているけれど、よく言っても接客が向いているようには思われなかった。しかし幸恵はそのことにはそれ以上触れず、その後は仕事の説明をその子から聞いた。初日はあまりお客さんも来ず、仕事を覚えるだけで時間が過ぎていった。翌日も同じ時間にコンビニに仕事に行った。また前日と同じ子が一緒のシフトに入り、前日伝え切れなかった仕事の説明の続きをしてくれた。どうやらその子がバイトのシフトを組んでいるようだった。幸恵にどれだけバイトに入ってもらえるかを尋ねた。幸恵は土日は家族で過ごしたいと考えていたため、土日は無理であることを伝えた。また家の仕事が何かと溜まってしまうかもしれないため、水曜日は休みにしてもらいたいと言った。このことは初めの店長による面接の際にも言っていたことだった。店長はその話をした際に黙って聞いていただけだったが、実情は厳しいようだった。バイトの人員が圧倒的に足りていないとのことだった。大学生や高校生の子がバイトとして採用されてもすぐに辞めてしまうため、年配の子育てが一段落した女の人がバイトの大多数を占めているようだった。それらの方達は幸恵と同じように土日にバイトに入ることは望まないため、どうしても土日が手薄になってしまうらしかった。無理を言って何とか土日にも来てもらい、どうしても人が埋まらない場合、店長とその子で何とかしているとのことだった。その子の大学の友達はこの店のバイトとして契約している訳ではなかったが、人手が足りないときには自分の友達に仕事に入ってもらい何とかしのいできたようだ。ちなみに夜間は店長が全く店に来ることはなかったため、定着した若いバイトがいて、大丈夫とのことだった。幸恵にも誠に申し訳ないけれど、土日に時折シフトに入ってもらいたいと懇願された。たまにであればそれも致し方ないと考え、幸恵は了承した。ある日、初めて店長と一緒のシフトに入った。店長はお客さんが店に入ってきても決して「いらっしゃいませ」と言わなかった。何かそうすると不吉なことが起きると思い込んでいるかの如く、決して挨拶というものをしなかった。当然のようにバイトの者に対しても挨拶は全くしなかった。それどころか会釈をしたり、目を合わせることすら全くしなかった。バイトをしにコンビニに来た店員に対して、完全に無反応を貫いた。そのコンビニは通常二人の店員でシフトを回していた。しかしなぜか店長がシフトに入る時には三人体制となっていた。逆であれば分からなくもないが、そのことは初め幸恵には不思議に感じられた。しかし同じシフトに入ってみてその理由が分かった。店長はお客さんに対して全く接客をしなかった。お客さんがレジに来られても完全に無視した。一つのレジにお客さんがたくさん並んでも、まるで人事のようにただぼんやり見ていた。店長もコンビニのスタッフの服を着ていたため、初めてのお客さんは露骨に不快感を表した。時に文句を言うお客さんもいた。それでも店長はまるで意に介さず、そんなお客さんをも無視した。家の近所だからこのコンビニに来ているお客さんは、この店長がそんな人だと知っており、初めから相手にしなかった。店長は店長でありながら、このコンビニで新しい商品がトラックで運び込まれた時にそれの搬入を手伝うことしかしなかった。幸恵は数時間、店長の様子を見ていて、大学生のバイトの子が言っていたことはこういうことかと納得した。しかしそういうことではなかったことがすぐに分かった。

 昼になりお弁当などを買われるお客さんなどでレジが比較的混雑している時、あるお客さんが「十二番一つ」と幸恵に言った。当然タバコのことだと思ったので、タバコの棚から十二番を取ったつもりになり、お客さんに渡した。

「これやのうて、その隣やで」

 お客さんにそう言われた。間違えて十一番のたばこを取ってしまったようだった。早速十二番を取り直し、

「すいませんでした。こちらでよろしいですか?」

 お客さんに渡そうとしたら、奥の方から

「こらー、あかんやないか」

 怒鳴り声がし、店長が顔を真っ赤にしてつかつかとこちらに近寄ってきた。

「何考えとんや。お前は数字も数えられへんのか。究極のあほんだらやな」

 幸恵に対してひどい剣幕で、お客さんの前であることも全く気にせず、怒鳴り散らした。

「そんなに怒らんでええわ。そないに大したことやあらへんがな」

 お客さんが間に入って下さった。

「あほが。あほが。どうしようもないあほんだらが」

 店長はぶつぶつとつぶやきながら、奥へ引っ込んでいった。幸恵は一体何事が起こったのかよく理解できず、ぽかんとしていた。しばらく時間が経ってようやく店長が自分の失敗に対して怒ったということが分かってきた。しかし些細な失敗に対してあれほど真剣に怒ることに合点がいかず、これこそが大学生のバイトの子が言っていたことかと納得した。もう一人のバイトの人が小声で幸恵にこっそり話した。

「店長はバイトの人がどんな些細なミスをしても、ひどい剣幕で怒鳴り散らして、いつまでもそのことをぐちぐち言わはるの。若い子は一回そんな目に遭っただけで、いやんなって辞めていくわ。だからここのバイトはいつも人が足りてないの」

 幸恵は怒鳴られたことで気分が乱れてまともに頭が働かなかった。しかしこの店長は今までの経験の中から、何らかの発達障がいを抱えているとしか考えられなかった。このバイトを辞めることは簡単だけれど、それは自分も障がいを抱えている人を否定することになると幸恵はぼんやりと考えた。その後もずっとそのようなことを考え続け、仕事が終わる頃には、自分が精神的に耐えられるのであれば、このバイトを続けていこうと決めた。

 元気は大学の入学手続きも授業料免除や奨学金申請など、大学へ入る手続きは全て自分で行った。入学式も一人で参加した。そのことについて両親に対して何の不満もなかった。大学へ行かせてもらえるだけで、元気にはありがたいことだった。元気は大学の四年間は目一杯勉強をし、小説を一つは完成させるつもりだった。ただ色々な経験をしたいということと、生涯の友達をできることなら作りたいという気持ちから、ボランティア・サークルに入ることにした。幸い大阪大学には規模の大きなボランティア・サークルがあった。授業が始まってすぐに入部手続きをした。新入生の部員だけで五十名近くいた。サークルでは障がい者に関わる活動が行われており、元気は訪問活動として、知的障がいを抱えた子どもたちの入所施設と、児童養護施設へ通うことにした。極力、大学生活に関わる費用は自分で賄いたいという気持ちを持っていたため、大学の学生課で家庭教師のバイトを二件見つけ、それを行うことにした。ボランティア・サークルには人として魅力的な同級生や先輩が数多くいた。高校生までに出会ったことのない色々なタイプの人と話ができ、元気はすぐにこのサークルが好きになった。活動で出かけていた知的障がい児の施設には、幸太と同じダウン症の子どもも何人かいた。何かの事情で療育があまり十分になされなかったのか、幸太とは随分違う成長をしていた。ダウン症ではない、もっと重度の知的障がいを抱えた子どもたちがたくさんいた。保育士さんの子どもたちに対する献身的なふるまいに元気はまず心を揺さぶられた。そして熱心に活動する先輩にも敬意を表した。先輩の多くは知的障がい者を取り巻く社会制度上の問題について、詳しかった。子どもたちとのふれあいとは別の場で、社会運動に取り組んでおられる方が多かった。幸太の今後の生活は元気にとってもまさに他人事ではなかったので、それらの取り組みについて有益な情報を得ることができた。元気はサークルの中で、ある女性に一目惚れをした。名前を岡崎佳奈美さんと言った。同じ一回生の子だった。彼女は背が低く、おそらく身長は百四十センチほどだった。瞳が大きく、またまつ毛も長く、顔の中で目が強調されていた。しかしいつも伏し目がちにしていて、さらに鼻と口が小さく、そのことから控えめな印象を与えた。長い髪をいつもポニーテールにしており、常に柔和な笑みを浮かべていた。いわゆる幼児体型で、性的な匂いを全く人に与えなかった。初めて岡崎さんに会った時から、元気はそれまでに経験したことのない状態になった。高校生の時、兵頭先生に対して抱いていた感情とは全く別種の気持ちが芽生えた。この人とどうあっても付き合いたいという願望が心の底から湧き上がった。岡崎さんと話をすればするほど、その気持ちは強くなっていった。岡崎さんは話をしていても元気をいつも違う世界に連れて行った。元気の話すことに全く自然に反応し、元気の話をどんどん引き出していってくれた。元気がそれまでに会ったことのない種類の才能を有する人だった。岡崎さんは将来カウンセラーになりたいという夢を持っていた。元気は素人ながら、岡崎さんであれば素敵なカウンセラーになれると心底思った。元気は岡崎さんと仲良くなるにつれ、付き合うことを真剣に考えるようになった。いっそストレートに告白しようかとも考えた。しかし岡崎さんが自分のことをそれほど意識してくれているとはとても思いにくかった。しかも同級生や先輩の中で、岡崎さんのことをいいと言う人がどんどん増えてきた。元気にとっては不安な状況になりつつあった。幸い元気は岡崎さんと児童養護施設に通う日が同じだったため、そこへ行く電車の中や道中で話をする機会をもてた。元気はもっぱら近代の日本の作家についての話をした。他にもっと面白い話を岡崎さんにしたかったのだが、話題を思いつけなかった。岡崎さんは音楽はクラシックが好きだった。元気はさだまさしや中島みゆきばかり聴いていたので、クラシックのことは全く分からなかった。元気が自信を持って話ができることは小説のことだけだった。それでも岡崎さんはいつも元気の話を深めてくれ、楽しい時間を過ごすことができた。岡崎さんと話をする時間を重ねるうちに、元気は自分の育ってきた過程を自然と話すようになっていた。

 幸太は四月十七日に初めての給料をもらった。銀行に振り込まれたため実際のお金を手にした訳ではなかったが、幸恵の予想した通り十三万五千円ほどを頂いた。幸太は給料の明細書を幸恵に見せ言った。

「十三万円は家に入れる」

 幸恵はそんなつもりは全くなかったため答えた。

「いいのよ。幸太が働いて頂いたお金なんだから、自分で全部使ってかまわないわよ」

「ぼくは五千円あれば十分やねん。みんなでつこてや」

 幸太は言い、引き下がろうとしなかった。幸恵も幸太が一生懸命働いて得た給料の大部分をもらう訳にはいかないと、必死に幸太を説得したが、幸太は全く言うことを聞かなかった。トド子さんから説得してもらうことにし、その場は幸恵は一旦引き下がった。翌朝トド子さんが仕事から帰ってきた時すぐに幸恵が幸太の給料のことを話した。トド子さんもそんなお金を受け取る訳にはいかないと考え幸太に言った。

「幸太、自分で儲けたお金は自分で好きにつこたらええんやで」

「ご飯も食べさせてもろうとうし、服もこうてもろとる。自分でいるお金なんてほんま、ほとんどいらんで」

 幸太は言い、聞く耳を持とうとしなかった。

「そやさかい、月五千円は少な過ぎるんちゃうか?せめて三万くらいはつこうてええで」

 トド子さんはそう言った。

「ほなら、しばらく五千円で、足りんようやったら、もう少しもらうわ」

 幸恵もトド子さんも幸太のお金を家に入れてもらおうなどと全く考えていなかったが、しぶしぶそうさせてもらうことにした。幸太からもらったお金は全く手をつけることはなく、幸太のこれからのために、全額貯金した。

 元気は大学のサークルの活動として、夏休みに十日間知的障がい者が千人以上生活しているコロニーで、ボランティアをしながらキャンプをすることになっていた。元気はそのキャンプの期間中に岡崎さんに告白しようと決めた。結果がだめであったとしても、何もしないよりはいいと前向きな考えになれた。どんなシチュエーションで告白しようかと考えたかったが、キャンプがどのようなものか分からなかったため考えられなかった。どのような表現で告白しようかとも考えた。自分にとって初めての経験であるため、悔いの残らない言い回しをしたかった。近代日本文学から引用しようかとまずは考えた。「岡崎さんは野菊のような人だ」はあまりにべた過ぎる。「月が綺麗ですね」はおそらく告白と受け取ってもらえないだろう。「私、死んでもいい」も同様だ。それどころか突然こんなことを言ったら、びっくりさせるだけだろう。やはり自分の言葉ではっきりと自分の気持ちを伝えたい。

「好きです。ぼくと付き合ってください」

 そんなダイレクトな言葉を岡崎さんにぶつけてみることに決めた。その方が岡崎さんも答えやすいはずだ。キャンプの日が待ち遠しくもあり、怖くもあった。元気はバイトとサークルで日々忙しく生活していたため、キャンプの日はあっという間に訪れた。山の奥にコロニーはあった。緑豊かで空気が澄んでいた。そこで毎日猛烈に暑い中、肉体労働をした。色々な作業があり、部長の指示で毎日することが決められた。六日目に幸いなことに元気は岡崎さんと二人だけで物干し台の錆取りをする作業を命じられた。昼の間ずっと岡崎さんと二人だけでいられる。こんな幸運は二度と訪れないに違いない。神に感謝した。しかし逆に朝から夕方までずっと一緒にいられるため、告白するタイミングを図りかねた。元気は朝から岡崎さんと錆取りをしつつ、他愛もない話をした。元気の心の中ではいつ言おうとずっと考えていたが、あまり早く告白し、その後気まずい時間が長くなるのも嫌だと考え、作業が終わる三十分前に言おうと決めた。元気はそう決めてしまうと気が楽になり、岡崎さんとずっとあれこれと取り留めのない話をした。そんなに長い時間岡崎さんと二人で話したことがそれまでなかったため、話は多方面に広がった。岡崎さんは子どもの頃からピアノを習ってきたこと。今でもピアノを弾くと心が落ち着くこと。お父さんは大学の先生であること。三人姉妹の真ん中であること。高校の頃はブラスバンド部で忙しかったこと。などなど、自分についての様々な話をしてくれた。

 元気もお父さんがゲイバーで踊り子をしていること。ダウン症の弟である幸太との思い出。幸太の失敗談。幸太の就職について。自分がスポーツが苦手なこと。などなど、あまり普段気軽に話せないことを岡崎さんに話した。二人とも楽しい時間を過ごし、いよいよ作業が終了する三十分前の四時半になった。元気はそれまで笑顔で話していた顔を引き締め、岡崎さんに向かって言った。

「唐突だけど、岡崎さん。聞いて欲しいことがあるんだ。ぼくはずっと岡崎さんのことが好きでした。ぼくとちゅき合って下さい」

「ちゅき合う?」

 岡崎さんはくすっと笑いながら聞き返した。

「あかん。大事なところで噛んでしもた。付き合って下さいやねん」

「本気で言ってる?」

 岡崎さんは今度は真顔になって尋ねた。

「もちろん、本気で」

 元気も真顔で答えた。

「私、今まで誰かと付き合ったりしたことって全然ないの。でもこんな私でよければ、友達から」

 岡崎さんは元気の目をじっと見つめて言った。

「ありがとう。すごくうれしい。今までの人生の中で一番うれしい」

 元気は飛び上がって喜びを表現したいほどだったが、我慢して冷静を保ちながら言った。

「なんだか大袈裟」

「いや、まじで、ほんまにめちゃめちゃうれしい」

「キャンプが終わったらどこかへ遊びに行きましょうか?」

「うん、ありがとう。すごいうれしい。どこがいいかな。どこかで花火がやってないかな」

「淀川の花火大会が八月の初めくらいにあったと思う。ちょうどいいわね」

「淀川の花火やったら、うちの家のそばからきれいに見える穴場知っとるわ。ちょうどええやん。初めて一緒に行くんにはそれ、すっごいええわ」

 それからもキャンプはまだ続いたが、元気はずっと気分が高揚したままだった。キャンプ自体も内容の濃いもので、元気にとって興味深かった。成人した知的障がい者がどのような生活をしているかを元気は実際に自分の目で見、幸太の将来を思った。キャンプが終わり淀川花火大会までの二週間、元気は小説を書こうと思っていたが、気分が浮わついて、それどころではなかった。花火大会当日、元気は岡崎さんと淡路駅の西改札口で待ち合わせをした。岡崎さんは薄いピンク色の浴衣を着てきた。紺色の帯がピンクを引き立てていた。

「岡崎さん、浴衣似合うね」

 元気は自然に言葉が出た。コンビニでお菓子やジュースを買い込んで、早速目当ての場所へ行った。そこはそのあたりで一番高いマンションで、石橋タワーマンションというところだった。当然中に入るためには入口のナンバー式の鍵を開ける必要があったが、そこの番号を元気は知っていた。「一四八四」だった。それはトド子さんが発見した。子どもの頃から毎年家族でこのマンションの屋上で花火を見ていた。今年は元気以外の家族は、トド子さんの職場の同僚から有料席の券をもらったため、そこへ見に出かけたため出会う心配はなかった。元気はさもそこの住人であるかのように、何気なく鍵の番号を押し、入口を開けた。エレベーターで屋上まで上がった。そのマンションの住人らしきグループが何人かいたが、広い屋上でゆったりと自分たちの居場所を確保できた。外はまだぼんやりと薄明るく、屋上の反射熱でかなり暑かった。元気も岡崎さんもジュースをたくさん飲んだ。元気はここから毎年家族で花火を見た思い出を話した。恵子が小学生の低学年まで、ずっと花火を怖がっていたこと。トド子さんがお酒を飲みすぎて屋上で吐いたこと。幸太が大きな花火にびっくりして、もんどりうって倒れたことなど、花火の思い出は色々あった。岡崎さんは元気の話を大きなリアクションで聞き、けらけらと笑った。そうこうしているうちに、すっかり日が暮れてあたりは暗くなった。一発目の花火が突如上がった。花火はくっきりと元気たちの目の前で花開いた。岡崎さんはあまりの美しさに逆に何の反応もできなかった。そして、それから驚くほどの数の花火が打ち上げられた。岡崎さんはこれほど豪華な花火を生まれて初めて見た。言葉を発することを忘れ、ただ呆然と人工的に明るくなっている空の映像に引き込まれた。花火は一時間続いた。花火の音がうるさかったということもあるが、二人とも花火に夢中になり、ずっと黙ってただ空を見上げていた。花火が終わり、近くのファミレスで食事を食べた。二人とも花火で気分が高揚していた。特に岡崎さんは初めての経験で興奮気味だった。二人でどの花火がきれいだったか言い合い、その夜はそれで分かれた。

 幸太は幸い仕事も順調にでき、生活に不満はなかった。むしろ毎日の生活に一つ楽しみができた。阪急淡路駅のそばにマクドナルドの店があった。ある日の仕事の帰り道、幸太は何気なくその店に入った。カウンターに立っていた女の店員さんの顔を見た時、幸太の体に電流が流れた。

「かわいい」

 素朴にそう思った。

「何にいたしましょうか?」

 その店員さんは幸太に向かってそう尋ねた。その声と笑顔にまた幸太は全身を打ちのめされた感覚を味わった。なんて透き通った声で、どこまでも朗らかな笑顔なんだろう。幸太はすでにその女の店員さんを好きになっていた。

「ファンタグレープのS下さい」

 少しどもり気味に幸太はそう言った。

「ファンタグレープのSですね。少しお待ちください」

 その店員さんは変わらぬ笑顔でそう言い、ファンタをカップに入れた。

「お待たせしました。ファンタグレープのSです」

 幸太は少し手を震わせながら、ファンタを受け取った。

「百円になります」

 店員さんは言った。幸太は財布の中からお金を取り出し、また少し手を震わせてお金を渡した。

「ありがとうございます。ちょうどいただきます。またよろしくお願いします」

 店員さんは最後まで笑顔を絶やさず、明るい声で言った。幸太はファンタを飲みながら歩いて帰るつもりでいたが、店の空いた席に座り、そこでファンタを飲んだ。次の日の仕事の帰りも幸太はマクドナルドに行った。するとまた前日対応してくれた店員さんがいた。即座にその店員さんの列に並び、またファンタグレープを買った。幸太は土日が完全に仕事が休みだったが、土日もその店員さんがお店にいないか開店の時間にお店の外から中をうかがった。しかしお目当ての店員さんはいなかった。その後も二時間おきくらいにその店に行き、外から中を見てみた。しかし、その店員さんはいなかった。土日はきっとバイトに入っていないのだとあきらめ、平日の仕事帰りに必ずマクドナルドに行き、ファンタグレープを飲んで帰った。平日の帰りには必ずその店員さんはいた。場合によってその店員さんの方にたくさんお客さんが並んでいて、もう一人の店員さんから

「こちら空いてますよ」

 そう言われることもあった。それでも幸太は聞こえないふりをして、必ずお目当ての店員さんからファンタを買った。一日のその数分の時間だけで幸太は毎日が満たされていた。それ以上何を望むこともなく、ただその女の店員さんから決まりきった言葉をかけられ、ファンタを受け取り、お金を払うだけで十分だった。

 恵子は相変わらず学校の同級生達から時折告白をされた。即座に断り、みんなそれですぐに諦めてくれた。しかし何回断っても一ヵ月後くらいに何事もなかったかのように、遊びに誘う人が現れた。しかも毎回なぜかこう誘った。

「通天閣に一緒に行きませんか?」

 通天閣へは恵子も行ったことがあるし、初めて遊びに行く場所としてふさわしいとは到底思えなかったが、その人はずっとそう言い続けた。さらに誘う時に必ず何かを手渡された。その人にとってはプレゼントのつもりだったのかもしれないけれど、率直に言って恵子にはいらないものばかりだった。全てその人の手作りだった。ペットボトルを半分に切ったものを二つ逆さにつなげたけん玉、段ボールで作った空気砲、牛乳パックに輪ゴムを付けてかえるの絵が描かれたもの、手作り万華鏡、ガチャガチャのカプセルにだるまの絵が描かれた起き上がりこぼし、などなど、どれ一つとしてもらってうれしくないものを毎回渡された。むしろその取扱いに困った。小学校の自由工作かと恵子は思った。そもそもその人は他のクラスの人で、どんな人なのか恵子は全く知らなかった。恵子はその人のことを心の中で「つうてんかく君」と呼んでいた。外見は意外とさわやかで、誠実さが内面から湧き上がってくる風貌をしていた。背も高く、嫌な印象を人に与えることの全くない人ではあった。時折学校の中ですれ違うことがあった。つうてんかく君は必ずいつも違う人と談笑しながら満面の笑みを浮かべていた。遠目から見た感じは特に悪くはなかった。それでもつうてんかく君と一緒に通天閣に行こうという気持ちには恵子は全くなれなかった。毎回渡されるよく分からないものも印象を悪くしていた。今度誘われた時には、きつい調子で二度と話しかけないように言おうと思いながら、毎回そうできないでいた。そうこうしていたら、またつうてんかく君に放課後校庭の裏庭で話したいことがあると言われた。今度こそはっきり断ろうと恵子は考えた。とりあえず放課後になり、裏庭に行ってみた。するとすでにつうてんかく君は待っていて言った。

「これ、ぼくの気持ちです。よければ読んで下さい」

 そして一冊のマンガを手渡した。そのままつうてんかく君はどこかに走り去っていった。裏庭に一人ぼっちになった恵子は渡されたマンガの表紙を見た。「たそがれ時に見つけたの」というタイトルで、作者は「陸奥A子」となっていた。恵子はそれなりにマンガを読んでいたけれど、知らない漫画家さんだった。いつのマンガか知りたくて、奥付を見た。一九七五年発行となっていた。お母さんが生まれた頃のマンガだと恵子は思った。少しだけ読んでみようと、恵子はページを開いた。何だか懐かしい感じのするマンガだった。エピソードがまさに少女マンガというものだった。意外に面白くて一気に全部読んでしまった。ただ恵子にとっては不思議だった。どのマンガも女の子が男の子にあこがれを抱くというストーリーだった。つうてんかく君は「ぼくの気持ち」だと言った。このマンガの主人公の女の子の気持ちがつうてんかく君の私への気持ちなのだろうか。恵子は複雑な気分になった。それでも悪い気はしなかった。何よりこのようなマンガを好んで読んでいる人が悪い人だとは思えなかった。不思議とつうてんかく君と話をしてみたい気持ちに恵子はなってきた。今度誘われたら一緒に通天閣に行ってみるかな。そう思いながら、家に帰った。それからしばらく経ったある日の夕方、校門のところにつうてんかく君がいた。恵子が来たことを見つけるとつかつかと近づいて来て、尋ねた。

「あのマンガ読んでくれましたか?」

「はい。読みました」

 恵子はつうてんかく君の目を見られずにうつむいて答えた。

「ぼくの気持ち、分かってもらえましたか?」

「多分、何となく」

「ほんとですか。ありがとうございます。それじゃあ、お暇な時、通天閣に一緒に行きませんか?」

「じゃあ、一回だけ」

「ありがとうございます。いやあ、うれしいなあ。この日が来ることをずっと信じてました」

 そして恵子は日にちを決めて、つうてんかく君と通天閣へ行った。梅田のビッグマン前で十一時に待ち合わせをし、環状線で新今宮へ行った。恵子は同年代の男の子と二人だけで遊びに行くことは初めての経験だった。もともと人と話をすることは得意ではなかったため、沈黙の時間が続いたりしたら嫌だなあと思い緊張していたけれど、それは全く杞憂だった。つうてんかく君はとにかくよく喋った。恵子に気を遣わせたくないというような思いからそうしていたわけではないことは明らかだった。どこからそんなに話題が湧いてくるのだろうと不思議に思うほど、様々な方向へ話題は広がっていった。つうてんかく君はとりあえず物知りだった。歴史や古典文学などの固いことから、最近のお笑いやアイドルのことまで、幅広く何にでも興味を持っている人だった。あっという間に新今宮に着いた。ジャンジャン横丁を通りながら、つうてんかく君はしきりにホルモンうどんを食べようと恵子に言った。恵子はあまりホルモンは得意ではなかったため、違うものがいいと言ったが、つうてんかく君が絶対に食べて損はしないと言うので食べてみた。恵子には決しておいしいとは思えなかった。それでも大阪名物にはこのようなものもあるのかと興味深い経験ではあった。ジャンジャン横丁にはまだお昼だというのにお酒を飲んでいる人がかなりたくさんいた。中にはかなり酔っ払っている人もいた。恵子が生まれ育った淡路も大阪らしい街だと思っていたが、大阪出身以外の人がイメージする大阪という街はこういうところなのかなと恵子は感じた。いよいよ次は通天閣に行った。展望台に上がる券を買い、早速展望台に上がった。以前に来た時より大阪の町がくっきりと見渡せるように恵子には感じられた。おそらく大阪の町について詳しくなっていたからだろう。梅田のビル群が目の前に横たわっていた。あべのハルカスが妙に高くそびえていた。淡路の街のあたりも見渡せた。つうてんかく君と二人で、通っている中学校が見えないか探したけれど、よく分からなかった。展望台のさらに上にある展望パラダイスというところにつうてんかく君は行きたがったけれど、ガラスのない屋外だと聞かされ、とても怖くていけないと恵子は必死に断った。ビリケンさんを参った。ビリケンさんは意外とアメリカ発祥の神様であること、明治時代に大阪に入ってきたこと、今のビリケンさんで三代目であることなどをつうてんかく君は恵子に立て板に水の如くに説明した。足の裏を撫でるとご利益があると言うので二人で撫でた。恵子は世界平和を祈ったけれど、つうてんかく君は恵子と付き合えますようにと祈った。ビリケンさんのお土産がたくさん売られていて、恵子は何も欲しくなかったけれど、つうてんかく君が財布を二つ買い、一つを恵子にぜひ持っていて欲しいというので、さほどうれしくもなかったけれど、恵子は頂いた。通天閣の中にはなぜかキン肉マンを展示したフロアがあり、恵子は全く関心がなかったため、さっと通り過ぎようとしたが、つうてんかく君は世代的にキン肉マンのことをさほど知っているはずはなかったのに、一つ一つの展示を興味深そうにじっくりと見た。そこを一通り見終わってから、天王寺動物園に行った。恵子はコアラを見てかわいいと思ったけれど、つうてんかく君はなぜかシシオザルに夢中になった。動物園を一通り見て、地下鉄に乗り帰った。帰りの電車の中で恵子はつうてんかく君に絶対聞いてみたいと思っていたことを尋ねた。

「どうして私に手作りの工作みたいなものをくれたの?」

  つうてんかく君は即座に答えた。

「あれはぼくが小学生の時に夏休みの工作で作ったものなんだ。ぼくの宝物だったんだ」

「そうかもしれないけれど、それ伝わらないわよ」

「そうだった?ぼくにとっては大切な贈り物だったんだけどなあ」

「なんだったら全部返しましょうか。正直に言って私がもらってもちょっと困るし」

「そう?そうか。なんだかぼくは滑稽なことをしてたのかなあ」

「いやいや。いいんだけど、事情が分からないと分かりにくかっただけ」

「ごめんなさい。ぼくは冷静に物事を考えることができないんだ。ほんとにごめんね」

「いえいえ。でもそういうの逆にいいのかも。みんな空気読んでばっかりだもんね」

「空気も読めないといけないと思うけれど、どうもぼくは突っ走っちゃうんだ」

「そういうの悪くないと思う。大事にした方がいいと思う」

「村上さんにそう言ってもらえると、とてもうれしいけど。でも直すようにするよ」

 そんな会話を交わしているうちに電車は淡路駅に着いた。つうてんかく君が尋ねた。

「村上さん。よければまた一緒に遊びに行ってくれませんか?」

 恵子はためらわずに答えた。

「喜んで。でも次は私の行きたいところでいい?」

「もちろん。ぼくは村上さんと行けたらどこでもうれしいよ」

 つうてんかく君はそう言い、その日はそれで分かれた。恵子は今度つうてんかく君とどこに行こうかと考えた。考えながらわくわくしている自分を発見した。西宮北口のガーデンズに行こうと決めた。そして映画も見ることにした。何の映画が上映されているか調べた。「風立ちぬ」がいいと考えた。そして、それまでつうてんかく君と心の中で呼んでいたけれど、これからは「つっくん」と呼ぶことにしようと決めた。思えば恵子は彼の本名をまだ知らなかった。次につっくんと学校の廊下で出会った時、恵子は小声で聞いた。

「今度、西北のガーデンズに行かない?」

 つっくんは即答した。

「いいねえ。ガーデンズまだ行ったことないんだ。今度の土曜日はどう?」

「大丈夫。空いてるわ」

 恵子も即答した。

「それじゃあ、昼の十一時に淡路駅西改札でいい?」

「ええ。いいわ。それじゃあ」

 簡単に話はまとまり、土曜日になった。恵子は何事でもないかのように冷静を装って待ち合わせ場所に行ったが、気分は昂ぶっていた。駅に着くと待ち合わせの十分前だというのに既につっくんは待っていた。とびきりの笑顔を恵子に見せ言った。

「いやあ。うれしいなあ。ありがとう」

 そしてすぐに改札に入って行った。恵子はあわてて切符を買い、つっくんの後を追いかけた。電車の中でまたつっくんはほぼ一人で喋っていた。少しの沈黙ができた時、恵子は尋ねた。

「ところで、お名前を教えてくれない?」

 つっくんは、しまったという表情をしながら答えた。

「そうか。そう言えばまだぼくの名前を言ってなかったね。ごめんなさい。ぼくは山田裕二と言います」

「山田君なんだ。でもこれからつっくんって呼んでいい?」

「つっくん?なんで?どこにもかぶってないやん」

「いいの。いいの。これからつっくんって呼ぶわね。つっくんて言われたら自分のことだと思ってね」

「うん。何て呼んでもらってもいいけど。村上さんのことは何て呼べばいい?」

「私は村上さんでいいわ」

「そう?それじゃあ、村上さんって呼ぶね。ぼくはつっくんか。なんだか変な感じだけど、まあいいや」

 電車はあっという間に西宮北口に着き、歩いてガーデンズまで行った。中に入りまずそのフロアのお店で面白そうなところを覗きながら少しずつ奥へ歩いた。どこまでもお店が並んでいた。かわいい雑貨やアクセサリーのお店があったけれど、恵子には高くてとても買うことはできなかった。それでもただ見ているだけで楽しかった。つっくんにとっては恵子が立ち寄る店の商品自体には関心を持てなかったが、恵子はどの店でも目を輝かせてうれしそうに品物を見ているので、それがつっくんにとっても楽しくて黙って恵子の後を付いて行った。そのフロアを一通り見て回るだけで一時間以上かかった。お腹が空いたので、フードコートに行った。もう一時を回った頃だったけれど、フードコートは人であふれていた。座る席をとても探せないねと二人で言い合い、レストランのあるフロアに行ってみた。そこのどの店にも何十人と人が並んでいた。しかも中学生には高価すぎるお店ばかりだった。仕方なくまたフードコートへ行き、空きそうな席の後ろに並び、席が空いたところを慌てて取った。せわしない気持ちで二人ともラーメンを食べた。食べながら恵子は言った。

「これからよければ映画観ない?風立ちぬがいいかなあと思ったんだけど」

「風立ちぬ、いいねえ。観たいと思ってたんよ。ここで映画も観られるの?」

「そう、スクリーンが十個くらいあって、いろんな映画がやってるのよ」

「すごいね。家のそばにこういうところが出来たらいいなあ」

「淡路にはあんまり空いた土地がなさそうだもんね。ここは昔西宮球場っていう野球場があったのよ」

「あっ。そうなんだ。西宮球場って、阪急ブレーブスのホームグラウンドやったんだね」

「あまりよく分からないけど、そうらしいわ」

「だからこんな広い施設が作れたんやね。食べ終わったら早速映画観に行こうか?」

「そうね。そうしましょ」

 二人は映画館のあるフロアにエスカレーターで上り、風立ちぬのチケットを購入しようとしたが、あいにく次の公演のチケットは満席となっていた。その次の公演のチケットを買い、さらに店内をぶらぶらすることにした。今度は三階をゆっくりと見て回った。アウトドア用品店が二店あった。つっくんは熱心にそこに置かれていたテントやシューズなどを見た。

「アウトドア好きなの?」

 恵子が尋ねると、つっくんは答えた。

「いや、世の中にはこんな面白そうなものがあるんだって思っただけ」

 恵子はかばん屋さんが興味深かった。お母さんに買ってあげたいなと思ったけれど、当然のように恵子に買えるような値段ではなかった。ぶらぶらと色々な店を覗いて回り、四階へ上がった。馴染みのユニクロやABCマート、HMVなどがあった。それらの店を回っていたら映画が始まる時間になった。映画館のフロアに上がり、風立ちぬを観た。意外と重いストーリーだった。それでもさすがに宮崎監督の作品だけあって、物語に引き込まれた。恵子は二郎と菜穂子の別れのシーンで涙が流れた。つっくんは後半ずっと泣きじゃくっていた。映画が終わり、二人とも厳粛な気持ちになりながらガーデンズを後にした。電車に乗り、つっくんは気分を変えようと好きな音楽の話をした。ビートルズが大好きだとつっくんは語った。恵子はいきものがかりが好きと言った。つっくんはいきものがかりも全部聴いていて、恵子に尋ねた。

「どの曲が一番好き?」

「一番って難しいけど、例えば「ありがとう」かなあ」

 恵子は答えた。

「ぼくは意外と「じょいふる」かなあ」

 つっくんは言った。

「「じょいふる」もいいよね。気分が沈んだ時に聴くと明るくなれる」

「カラオケで盛り上がれるよね」

「私、家族以外とカラオケって行ったことないの」

「それじゃあ、今度カラオケ行かない?」

「そうねえ。それもいいかも」

「ありがとう。すごいうれしい。また今度日にち決めよう」

 そんな話をしてその日は分かれた。その後も恵子とつっくんは近所の図書館へ一緒に行ったり、梅田などへ行ったりし、何となく付き合いが続いた。

 元気はその後も岡崎さんと二人だけでいろいろなところへ遊びに行き、夜も頻繁に電話で話をした。それでもずっと健全な関係を続けた。元気は正直なところ、体の関係も持ちたかったけれど、岡崎さんが全くそれを望んでいないようだったので、元気はずっと我慢し続けた。元気は岡崎さんとも親密な間柄になれ、サークル活動もバイトも大変楽しく毎日を過ごした。学生時代に小説を書こうと思っていたが、それをする時間がまるでないまま毎日の生活を満喫していた。次第に学生時代に小説が書けなくても人生はまだまだ長いので、今はこの充実したリアルライフを精一杯楽しもうという気持ちになっていった。実際元気にとって大学生活は毎日がわくわくの連続だった。そんな楽しい毎日を送り、就職について考えなければいけない時期になった。元気は就職してから小説に真剣に取り組もうと考えていたので、なるべく時間に余裕があり、かつ自分の興味を引くような仕事がないか考えた。それまでもうっすらと考えていたことだが、図書館司書になることがいいように思われた。公共図書館の司書は忙しそうに思えたので、大学図書館司書を目指そうと決めた。岡崎さんにその話をしたら、元気にお似合いの仕事だと言ってくれた。私立大学で大学図書館司書を公募しているところはあまりなかったので、国立大学の大学図書館司書を目指した。毎年それほどたくさんの採用枠があるわけではなかったため、真剣に試験勉強をした。一般の企業に行こうという気持ちは全くなかったので、就職活動は全くしなかった。図書館司書の試験勉強だけをした。元気は図書館は好きだったが、知らないことが多くあった。覚えるべきこともたくさんあったけれど、試験対策をどのようにすればいいかよく分からないまま、とにかく図書館学の本を徹底的に読み、大切そうなところを覚えた。一次試験が四年生の八月にあった。近畿地方の採用は五名だった。試験会場は三箇所あったけれど、元気が受けた大阪会場だけでも二百人以上が受験した。この倍率で受かるかどうか不安だったが、最善は尽くした。九月中旬に試験発表があり、元気は無事合格した。十月初めに二次試験となる面接が各大学で行われた。元気は実家から通える大学であればどこでもいいと思い、一番初めに面接が行われた神戸大学附属図書館へ行った。何を聞かれてもその場で適切なことが言えるだろうと思い、特に面接の対策はしなかった。いざ面接が始まると、特に答えに窮するような質問はされず、全ての質問にすらすら答えられた。翌日の朝、神戸大学から合格の連絡があった。無事就職も決まり、その後も元気は大学生活を目一杯楽しんだ。岡崎さんはカウンセラーになるため、大学院に進学すると決めていた。岡崎さんも毎日必死に勉強していた。

 時が流れ、幸太の成人式が行われた。幸太が二十歳になる。幸恵は幸太が小さかった頃の思い出を胸に式に臨んだ。トド子さんは朝から何だかはしゃいでいた。成人式に出席した後、家族で写真館へ行き、記念写真を撮ることにしていた。元気も恵子ももちろん幸太も正装をし、幸恵はあまりない中から最も上等な服を、トド子さんは仕事場で着ているお気に入りのきれいなワンピースを着、さらに普段のオバQのようなメークをして写真館へ出かけた。幸太を真ん中にして回りを家族で取り囲んで写真を撮った。カメラマンの方が

「はい、チーズ」

 そう言ったと同時に幸太が間髪入れずに言った。

「ふんだらぼっけ」

 みんな意味が分からないなりに、吹き出した。

 その笑顔ばかりの家族の写真が部屋の真ん中に飾られている。

 幸恵は子どもの頃、自分の名前が皮肉か何かの悪い冗談のように思って生きていた。幸せとはほど遠い生き方しかできていないと感じていた。しかし部屋に飾られた写真を眺め、幸太の何とも朗らかな笑顔を見ていると、自分はまさにこの名前の通り生きているのだと実感することができた。

「しあわせにめぐまれる」

 幸恵は心の中で呟いてみた。

「しあわせにめぐまれる」

もう一度呟いてみた。自分にこの名前を付けてくれた両親に対する感謝の気持ちとでもいうものが湧いてきた。幸恵の頬を一粒の涙が流れた。幸太がそれを見て幸恵に尋ねた。

「ママ、泣いてるの?何か悲しいことがあったの?」

 幸恵は幸太をぎゅっと抱きしめた。ぎゅっとぎゅっと強く幸太を抱きしめた。幸恵は涙がさらに溢れてきてそれを止めることはできなかった。幸太はどうして突然ママが自分を抱きしめたのか分からないまま、それでもうれしくてそのままにっこりと笑顔を浮かべていた。


「完」


参考文献

「ダウン症児の育ち方・育て方 ; 新版 / 安藤忠責任編集 ; 学研、 二〇〇二.九」


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しあわせにめぐまれる @tomohikoito2001

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