第5話

 幸太を育てることにも自信がついてきて、今度は女の子が欲しいとトド子さんが言い出した。年をとると女の子はお母さんのことを大事にしてくれるから、幸恵のために女の子がいた方がいいということを熱心にトド子さんは幸恵に言った。幸恵も今の生活に必ずしも余裕があったわけではないけれど、女の子が欲しいという気持ちもあったので、トド子さんの話に乗ることにした。今回はしっかりと排卵日を計算して例の子作りをしてみた。今度は一度で子どもはできなかった。何回か試みて、五回ほどしてみたところで、ようやく子どもができた兆候があった。二人ともとりあえずほっとした。女の子ができるかどうか分からなかったが、男の子であってもにぎやかな家族はいいと思っていた。

 幸太はよく病気にかかったが、幸恵やトド子さんがかいがいしく看病をし、それほど深刻な状態になることもなく時間が過ぎていった。幸恵も、お腹の中の子どもも順調で、一家に平安な時間が流れた。お腹の中に赤ちゃんができて八ヶ月の時、お医者さんに言われた。

「おそらく赤ちゃんは女の子ですね」

期待していた通りになり、幸恵もトド子さんもうれしかった。いよいよ出産が近づいてきても幸恵は三人目ということもあり、あまり怖さを感じることもなかった。その時になったら何とかなるという確信を持っていた。実際陣痛が来て、病院に行き、まるで何事でもないかのように三人目の子どもは産まれた。言われた通り女の子だった。恵子と名付けた。

 恵子が生まれるまで、ずっと幸恵とトド子さんが出会った部屋に住み続けていた。しかし子どもが三人になり、さすがに四畳半二間の部屋では狭いと感じるようになり、引っ越しをしようと決めた。それまで住み慣れた場所で愛着もあったのであまり遠くに行かず、近場で探すことにした。近所の不動産屋さんでなるべく安い賃貸で3LDKの物件を探した。あまりお金に余裕がなかったので、賃貸料がまず問題だった。同じくらいの賃貸料の部屋を三つ見て回り、一番清潔な感じがする部屋に決めた。引っ越しの日、幸恵はそれまで住んでいた部屋で起こった色々なことを思い出しながら、淋しい気持ちで扉を閉めた。ここに住んだおかげで自分の人生が劇的に変わったのだと、しみじみとした気持ちになっていた。

 恵子が生まれて二ヶ月ほどは、幸恵は完全に恵子に付きっ切りになった。恵子はぴったし三時間おきに眠りから覚めて、乳を欲しがって泣いた。大きな声で泣いた。幸太を育てることに慣れてしまっていたので、元気が0才だった頃の記憶がまるでなくなっていた。恵子の泣き声がとびきり大きく感じられた。恵子はお乳もぐびぐび飲んだ。たくましい赤ん坊だと幸恵にもトド子さんにも感じられた。幸太は自分に妹ができたことが何となく分かったようで、幸太なりに恵子のお世話をしようとしてくれた。恵子が泣き出すと幸恵に知らせに来てくれたり、近くに幸恵がいない時には、恵子の頭をなでて泣き止むようにしていた。もっとも恵子はそんな幸太の善意には全く構わず、全力で泣き続けた。幸太はそんな時、決まっておろおろしているように傍から見ていると感じられた。そんな幸太の様子がかわいくて、時折幸恵はしばらく二人の様子を眺めていることがあった。恵子が生まれて三ヶ月が過ぎた頃から、恵子もようやく夜によく眠るようになってくれた。恵子がお腹の中にいる時から定番のモーツァルトをずっと家の中でかけ続けていた。幸恵もモーツァルトの軽快な曲が好きになっていた。

 恵子を育てるにあたり、幸太の療育の癖が幸恵にもトド子さんにも付いてしまっていて、次に何かをしなければいけないとつい考えてしまった。恵子がある時、突然寝返りをして、二人ともびっくりした。思えば元気も突然寝返りをしたので、何かの訓練は必要がないのだと頭では分かりながら、何か不思議なことのように感じた。恵子はあらゆる面で力強かった。おそらく赤ちゃんとして標準的だったのだろうが、どこかで幸太と比べてしまいがちになったため、泣き声もおっぱいの吸い方も何事にも逞しさを感じずにはいられなかった。寝返りをするようになってからも、ベッドの中で柵にがんがんぶつかって、将来どんな女性になるのだろうとトド子さんは心の中で心配していた。

 恵子は離乳食もびっくりするほどたくさん食べたし、食べるのも早かった。離乳食を作ることは幸恵もトド子さんも十分慣れていたので、初めの頃のお粥から徐々にかぼちゃや人参などを食べさせていった。恵子はどんなものも嫌がらずにうれしそうに食べたし、大抵もっと欲しがった。作った分以上にいつも欲しがるため、幸恵はその都度授乳した。ある意味まるで手間のかからないことに驚かされた。恵子はハイハイを始めるのも早かった。七ヶ月になった頃にもうハイハイをした。おすわりができるようになったと思ったら、ほどなくしてハイハイもできるようになった。しかも足腰が強かったのか、かなり早いスピードでハイハイをした。部屋中をハイハイで動き回るため、キッチンにつっぱり棒のガードをした。幸太が危ないものを触らないように、家の中の下の方には物を置かないようにしてあったため、恵子もその点は安心だった。しかし、恵子は幸太が遊んでいるおもちゃをしきりに欲しがることが問題だった。幸太が目を離した隙に、恵子が幸太のおもちゃをすごい勢いで奪っていくことが何度もあった。幸太はその度に怒って恵子を追いかけ、おもちゃを奪い返したが、恵子が負けじとおもちゃを離そうとしないこともしばしばあり、時に幸太は癇癪を起こした。幸恵はその都度、幸太をなだめ、恵子からおもちゃを返させ、手遊びなどをし二人の気分を変えさせた。

 そのうち、恵子はつかまり立ちや伝い歩きを始め、一歳になる前に、よちよちとではあるが、一人で歩けるようになった。初めて自力で歩けるようになった時には、さすがに幸恵もトド子さんもびっくりした。恵子は何でも予想していたよりも早くできるようになってしまい、初めて寝返りした日も初めてハイハイした日も全くカレンダーに書き込むことを忘れてしまっていた。さすがに初めて歩けるようになった日は記念日として記録しておこうと、カレンダーに書き込んだ。幸恵もトド子さんも恵子を笑顔で褒めた。

「すごいわね。恵子。どんどん何でもできるようになって」

 それを見ていた元気が二人の真似をして言った。

「すごいな。恵子。どんどん何でもできるようになって」

 すると幸太が、その空気を感じ取ったのか、恵子の頭をなでて、にっこりと微笑んだ。恵子が歩けるようになり、部屋の中をよちよちと歩いていると、幸太は恵子にライバル心のようなものが起こったのか、意味もなく部屋の中をすたすたと歩いた。恵子がよちよちと、幸太がすたすたと部屋の中をぐるぐると歩いた。しばらくそんな日々が続き、トド子さんが元気を連れて行く公園に幸太と恵子も連れて行ってみた。トド子さん一人で三人の子どもを連れて行くのは危険なので、幸恵も一緒に行くことにした。幸恵にとって公園に行くことは初めての経験だった。幸恵と恵子にとっての公園デビューだ。みんなで公園へ行くと、トド子さんが初めて小さな女の子を連れてきたこと以上に、初めて奥さんらしき人を連れてきたことが珍しかったのか、公園中のお母さんたちが集まってきた。幸恵はたくさんのお母さんたちにじろじろ見られて、一気に心が固まった。

「トド子さん、そちらは奥様?」

 いつも仲良くしているミドリさんという友達に尋ねられた。

「そうなの。公園に来るのは初めてやわね。よろしくね」

 トド子さんは普通に答えた。その後も幸恵に対して色々な質問がみんなから浴びせられた。幸恵が緊張していることがトド子さんにも分かったので、全ての質問にトド子さんが不自然にならないように答えた。子どもたちはそんなことに構わず、広々とした場所で三人で自由に遊べることがうれしくて、元気と幸太は走り回り、恵子は公園の中をよちよちと歩き回った。幸恵は恵子が転ばないように、恵子のそばにずっといた。トド子さんはお母さん方にずっと幸恵のことを聞かれていた。

 幸太も四歳になったので、ずっと家にいさせては社会性が身につかないからと、元気が通っていた幼稚園に行かせてはどうだろうとトド子さんは幸恵に提案した。幼稚園でダウン症の子どもを預かってもらえるものなのか幸恵には分らなかった。しかし確かにずっと家に閉じ込めておくことはよくないと幸恵も思っていたので、まずは幼稚園に行き尋ねてみることにした。全ての幼稚園が無条件にダウン症の子どもを引き受けてくれることはないのかもしれないが、幸い元気が通っていた幼稚園は過去にもダウン症の子どもを預かったことがあるとのことだった。幸太の成長の具合など色々と質問されたけれど、四月から入園できることを園長先生が約束して下さった。入園前に幸太を連れて面談したり、体験で一日入園したりし、四月から幸太は幼稚園へ通い出した。年中のひつじ組という組に入った。通わせる前は幸恵は幼稚園の他の子どもたちに幸太がいじめられないだろうかと心配だった。一番気にしていたことは、幸太の発声がなかなかうまくはできていなくて、他の子が幸太が言っていることを全然聞き取れないのではないだろうかということだった。それでもそのことを幸恵がフォローすることはできないため、何とかうまくいきますようにと祈りながら、幼稚園へ連れて行った。

 初日で幸恵の心配は全く杞憂であったことが分かった。幼稚園の同じクラスの子たちは幸太がちょっと変わった子だとは感じたようだった。しかし子どもは、必ずしも変わった子という存在がいじめの対象になるという思考にならないようだった。幸太はすぐにクラスの人気者になった。何を言っているのか分かりにくいということはむしろ逆にいい方向へ作用した。幸太が話したことが分かりにくかった時に、今何と言ったのかを当てるクイズ大会が始まった。幸太には支援して下さる先生を一人つけていただけた。この先生がとてもうまく子どもたちの関心をいい方向へ向けて下さった。幸太はとてもいい気分で幼稚園の初日を過ごせた。

「幼稚園、どうだった?」

 家に帰り幸恵が、幸太に聞いた。

「すんごい、楽しかった」

 幸太は笑顔で答えた。その後も幸太は毎日楽しく幼稚園生活を過ごした。幸太にとって幼稚園は楽しい場所というだけでなく、成長にとっても有益だった。幼稚園に通い始めた時、幸太はまだ立っておしっこをするということができず、おむつをしていた。しかし幼稚園の同じクラスの男の子は当たり前のように立っておしっこをした。それを見ていた幸太は、しばらく経ったある時、男の子用の便器の前でズボンを下ろしておむつ姿で立っていた。支援の先生がそのことを発見し、幸恵にそのことを伝えた。幸恵はその話を聞いてびっくりした。それまで幸太にどれだけ教えても尿意を伝えるということが幸太にはできなかった。幸太が便器の前に立っていたからといって、尿意を感じてそうしていた訳ではなかったかもしれない。それでも立っておしっこをしようという努力をしたということが幸恵には大変うれしく感じられた。その後、支援の先生がうまく指導して下さり、それから二ヶ月ほどで幸太はおむつをしなくても自分でおしっこをすることができるようになった。おしっこをすることだけではなく、箸を使うことや、一人で靴を履くことなども幼稚園に通ったため、簡単にできるようになった。支援の先生の教え方がうまかったということももちろんあっただろうが、たくさんのお友達の中で、みんなの真似をしているうちにできていったという側面もあっただろう。

 幼稚園のクラスの中に、幸太は仲良しの友達ができた。淳君という男の子だ。淳君は誰に言われた訳でもないのに、他の子と同じことができない幸太に、いろいろなことのやり方などを丁寧に教えてくれた。幸太の話すことが分かりにくい場合でも粘り強く理解しようとした。幸太は淳君に対しては臆することなく何でも話しかけられた。ずっと淳君が優しくお世話をしてくれたので、逆に幸太は淳君の言うことであれば何でも聞くようになった。時折幸太は頑としてみんなでしている遊びなどをしようとしないことがあった。支援の先生が優しく幸太にそれをするように誘っても全く言うことを聞かなかった。しかし、淳君が「一緒にやろや」と言うと、幸太は素直にそれをやり始めた。淳君以外にも幸太はいろいろな子に助けてもらい、大変楽しい幼稚園生活を過ごした。毎朝決まった時間に自分で起き、一人で服を着て、幼稚園へ行く準備をした。幼稚園から帰ってきてからも、幸太はその日にあった楽しかった出来事を幸恵にうれしそうに話した。

 それまでも幸太を診て下さっていた病院でずっと言われていたことだが、幸太が五歳の時、そろそろ心臓の手術をしてはどうかと言われた。今のままでは幸太は心臓の疾患で二十歳まで生きられる可能性がかなり低いということだった。心臓の手術をし、うまくいけばもっと長く生きられるが、心臓の手術が必ず成功するかどうかの保障はできないとのことだった。幸恵はどうすればいいか迷った。トド子さんはその話を聞いた時、こう言い、手術をすることをすぐに了承した。

「あんなに幸せを運んでくれる子が死んだりするわけないわ」

 手術の日もトド子さんは次のように言い、手術に立ち会うこともしなかった。

「絶対に手術はうまくいく。神様があの子を奪ったりしない」

 手術の前日も普通に仕事に行った。幸恵はそんなトド子さんの気持ちが分かる気もしながらも、せめて一緒に手術の時は立ち会ってほしかった。しかしトド子さんは手術の日、一人で伊勢神宮にお祈りに行っていた。トド子さんには人の健康を祈る場合に伊勢神宮に行くことが適切なことであるかどうかは分からなかった。ただ、大阪育ちのトド子さんにとって、最もご利益がある神社はお伊勢さんだという気持ちがあった。朝方、仕事が終わってすぐに近鉄電車に乗って伊勢まで行った。電車に乗っている間、眠気が襲ってきたけれど、ここで寝ては悪いことが起こる気がし、トド子さんは必死に眠気を我慢した。二時間ほど電車に乗り伊勢神宮の外宮まで歩いてお参りをした。幸太の手術が無事成功することをしっかりお祈りして、今度は内宮までまた歩いて行った。徹夜明けのトド子さんには随分遠く感じられ、永遠に内宮に着かないのではないかという気がするほどだったが、歩いていかなければいけない気がして必死に頑張った。内宮でまた幸太の手術の成功をお祈りした。そしてまた近鉄電車で大阪に帰った。大阪に着いた頃にはもう夕方になっていて、心の中で幸太の無事を祈りながら幸太が手術をした病院へ行った。すでに手術は終わっており、今後の経過を見る必要はあるけれど、とりあえず手術は成功したと言われた。トド子さんは心の中で大変ホッとしながら言った。

「ほらな。幸太は幸せに包まれて生きてはるんよ」

 トド子さんはかなり長い時間寝ていなかったので、本当は家に帰って眠りたかったが、そうすると幸太の容態が急変するように思われた。そのまま仕事に行くことにした。ショーで踊りながら自分が何をしているのかも分からないくらい頭の中は真っ白だった。しかし、それまで体が覚えてきた通り、何とかその夜のステージをこなすことができた。体力的にも立っていることが不思議なくらい疲れ切っていたが、何とか持ちこたえることができた。仕事を無事終え、トド子さんはようやく家に帰り、ぐっすりと寝た。幸太は幸い手術後の経過も順調でしばらく入院し、家に帰ってきた。

 恵子は幸恵の遺伝子を多く受け継いだのか、成長するにつれて非常に内向的な子どもになった。しかしトド子さんがやはり愛情をたくさん注ぎ、もちろん幸恵も多くの愛情を与えたため、精神的に健康な子どもとして成長していった。元気も幸太も恵子をかわいがった。

 幸太はいよいよ小学校を選択する時期になった。子供の城のお母さんたちからの情報で、ダウン症の子には、養護学校・普通学校の特殊学級・普通学校の普通学級という三つの選択肢があることが分かった。お母さんたちは情報を豊富に持っていたし、考え方も様々で色々な意見が聞けた。まずは教育委員会に行って相談すべきだということで、その通りにした。幸太と恵子を連れて、幸恵とトド子さんは教育委員会に行った。二人とも特にどの学校に行かせたいという希望はなかった。ただ幸太の成長にとって一番いいところへ行かせる事が望みだった。教育委員会へ行き、まず幸太の知能検査を受けた。それまで幸太に知能検査を受けさせたことがなかったので、トド子さんはその結果が楽しみだった。幸恵は楽しみでもあり、不安でもあった。知能検査の結果は六十五ということだった。それがどの程度の値なのか二人にはよく分からなかったが、教育委員会の先生には、ダウン症の子どもとしてはいい点数だと言われた。これだけの知能があれば普通学校の特殊学級に行くことは十分できるし、もし親御さんが希望されて受け入れ先の小学校の許可も得られれば、普通学級にも入れるとのことだった。まずは地元の小学校の特殊学級を見学して、教頭先生と相談してみて下さいと言われた。とりあえず元気が通っている小学校へ幸太も通えそうなので、それは二人にとっていいことのように幸恵にもトド子さんにも思われた。

 ある日、幸恵とトド子さんは幸太と恵子を連れて、小学校の特殊学級の見学に出かけた。特殊学級はこの学校では「あおぞら学級」と呼ばれており、知的障害クラスと情緒障害クラスの二つに分かれていた。幸太は知的障害クラスに入ることになるため、そちらのクラスを見学した。クラスには九人子どもがいた。学年はまちまちで、一年生から六年生まで同じクラスになるようだった。先生は三名で、それぞれの子どもを順々に指導されていた。全員発達の状態がまちまちなため、課題がそれぞれの子に与えられているようだった。一応授業の科目は決まっているようで、見学した時には算数の勉強をしていた。みんな熱心にそれぞれの課題に取り組んでおり、トド子さんも幸恵もいい印象を持った。見学をさせてもらった後に、教頭先生に幸太の就学について相談した。教頭先生は特殊学級で勉強することが一番幸太にとっていい選択だと思うと話された。

 家に帰り、幸恵とトド子さんは幸太の小学校について話し合った。幸太は数字は5まで数えることができた。まだ足し算は全くできなかった。言葉も最低限の意思疎通はある程度できていたが、元気がその年齢の時と比べると、明らかに語彙力などは劣っていた。トド子さんも幸恵も無理に普通学級に入れたいという気持ちはなかった。特殊学級の方が幸太に合った指導をしてもらえるように感じていた。そして、長年たくさんのお子さんを見てこられた教頭先生が自信を持って特殊学級の方がいいと言われたことが二人には大きく響いていた。幸太のことなので、幸太本人の意見も聞いた。

「特殊学級行きたい」

 幸太はすぐに答えた。見学した時に、自分と似た子どもがいる環境だということを感じとったのかもしれないし、幸恵やトド子さんが大方そう考えていることを幸太なりに見抜いていたのかもしれなかった。いずれにせよ、幸太も特殊学級に行くことを否定的には捉えていないということは確認できた。

「ほなら、幸太は小学校は特殊学級に行くことにしよか」

 トド子さんが言った。幸恵も幸太もうなづいた。そして諸々の手続きを経て、幸太は小学校の特殊学級へ通い始めた。幸太は自分でトイレもできたし、給食も食べることができた。授業時間中、ずっと椅子に座っていることもできたので、何も自立介護の必要はなかった。授業での課題が普通学級の子と比べると易しいという程度の違いだった。小学校までの通学は初めの数日は幸恵が付き添ったが、元気がしっかりと連れて行ったので必要はないと、その後は元気に任せた。幸太は特に小学校に対して不満もなく、平穏な時間を過ごした。大きな問題も起こらず、一年が過ぎた。

 恵子が幼稚園に入ることになった。元気や幸太が通った幼稚園だ。恵子に幼稚園にこれから通うということを話すと、わーわー泣きながら言った。

「いやや。いやや。幼稚園行きたない」

 幸恵はこんなに嫌がるのに無理に行かせることは可哀想だと思い、一年後から通わせることでもいいかという気持ちになった。しかしトド子さんは幼稚園にまだ行ってもいないからそう言ってるだけで、通いだせば友達が出来て楽しくなるから大丈夫だと楽観的だった。トド子さんの考え方も一理あると幸恵も納得したので、とりあえず幼稚園に通う手続きはした。幼稚園の入園式の日、幸恵が恵子を幼稚園に連れて行き、クラスに入らせ、幸恵が帰ろうとすると、恵子はわーわーと泣いた。

「だっこ。だっこ」

 恵子がせがむので、幸恵は恵子をだっこした。そして泣き止むまでだっこをし、また帰ろうとすると、恵子はわーわーと泣いた。先生が来られて、「大丈夫ですよ」と言って下さったので、幸恵は後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも何とかその場を立ち去った。

 その後も数日間は毎朝恵子はわーわー泣いた。その都度だっこをして泣き止ませて、そして帰ろうとするとまたわーわー泣いて先生に助けられるということを繰り返した。幸恵がやはり恵子にはまだ幼稚園は無理ではないかと思い始めたある日、恵子は幼稚園での別れ際に泣かなかった。

「バイバイ」

 そう笑顔で言った。幸恵はあまりの変わりようにびっくりした。その日を境に恵子はむしろ自分から積極的に幼稚園へ行くようになった。話を聞いてみると、仲良しの友達ができたとのことだった。幸恵は子どもは単純でいいなと思いながらも、ほっとした。

 幸太は小学校で普通学級のクラスの子と廊下などですれ違っても、からかわれるようなことは全くなかった。おそらく先生が厳しく指導していたのだろう。当然特殊学級の中で不快な思いをすることも全くなかった。学校でいじめられるようなことは全くなかったが、家の近所の子にからかわれることが時折あった。幸太自身は全く気にもせずに、何を言われてもにこにこと笑っていた。ただ一度こんなことがあった。元気と幸太が二人で家の近所の駄菓子屋さんにお菓子を買いに行った帰りに、近所の子に「鼻ぺちゃ。鼻ぺちゃ」とからかわれた。元気は大変腹を立て、その子のところまで行き、言った。

「何やねん。もう一遍言うてみい」

 その子が再度、「鼻ぺちゃ」と言うと、元気は思いっきりその子の頬をグーで殴った。その子はもんどり打って倒れた。そこにさらに元気は足で脇腹を力一杯蹴った。幸太が

「兄ちゃん、兄ちゃん、やめてよ。喧嘩はだめだよ」

 二人の間に入って元気を止めた。

「二度とそないなこと言うなよ」

 元気は捨て台詞を吐いてその場を立ち去った。そんなことがあったことを幸恵は全く知らなかった。その日の夕方、殴られた子のお母さんが幸恵の家へ来て、今日あなたの子どもにうちの子が殴られたと言いに来た。

「それは大変申し訳ございませんでした」

 幸恵はすぐに謝ったが、その時まだトド子さんが仕事に行く前で家にいた。事情を元気から聞き、相手のお母さんに言った。

「そんなの殴られて当たり前やおまへんか」

「それは申し訳ございませんでした」

 相手のお母さんも自分の子どもが幸太をからかったことを知らなかったようで、そそくさと帰って行った。子育てに正義が存在する土地柄だった。元気は幸太を自分が守らなければいけないという信念を強く持っていた。また恵子も元気ほどではなかったかもしれないが、幸太兄ちゃんを守るという気持ちを持っていた。

 秋になり元気と幸太の小学校で運動会が行われた。それまで元気だけが運動会に出ていた時はトド子さんは起きていられないからということで、元気に申し訳ないと思いながらも、幸恵だけが見学に行っていた。しかし、今年からは幸太も運動会に出て、しかも普通学級の子たちと一緒に踊るということで、トド子さんも張り切って見学に行くことにした。幸太は「となりのトトロ」の曲でポンポンを持ちながら踊ることになっていた。運動会前の一ヶ月間ほど、普通学級の子たちと一緒に練習をしてきた。特殊学級の先生が付きっ切りで踊り方を教えてくれたし、幸恵もトトロの曲をカセットで流しながら、家で幸太に教えてきた。幸太は完璧に踊り方を覚えて、本番で緊張しない限り、普通に踊れるはずだった。運動会当日、トド子さんは仕事から帰ってきて、朝食を食べ、そのまま運動会の見学に出かけた。九月の下旬だったが、朝からかなり暑い日だった。トド子さんは絶対にのどが渇くと思ったので、ビールを何本かクーラーボックスに入れて小学校の運動場に行った。早い時間に行ったと思ったけれど、すでに観覧席の前の方は人が一杯いて、立錐の余地もなかった。仕方がないので、日の当たらない場所にレジャーシートを敷き、そこにトド子さんと幸恵と恵子が座った。運動会が始まるまで一時間以上あったし、幸太の踊りまでは二時間以上あった。日の当たらない場所と言っても、かなり暑かった。トド子さんはシートに座るやいなや、ビールを一本取り出し、ぐびぐびと飲み始めた。お店でも朝まで飲んでいたので、ビール一本でもそれなりに酔った。それでも運動会が始まるまでは特に何もすることがないため、手持ち無沙汰になり、二本目のビールを取り出してさらに飲んだ。二本ビールを飲み干すと勢いがついてきて、三本四本と立て続けにビールを飲んだ。その内運動会が始まったけれど、トド子さんには何が目の前で行われているか認識できなくなっていた。そしていつの間にかシートに横になって寝てしまった。幸恵は起こすのも可哀想なので、そのまま眠らせておいた。幸太の出番になった。あらかじめトド子さんがハードオフでビデオカメラを買ってきていた。幸恵はなるべく運動場の前の方に行き、幸太の姿を探した。事前に運動場のどの辺りで幸太が踊るか教えてもらっていたので、すぐに幸太を探し出すことができた。ビデオカメラで撮ろうとしたけれど、トド子さんが撮る予定でいたため、幸恵には操作方法がよく分からなかった。ビデオカメラの色々なスイッチを押していると音楽が鳴り出し、幸太の踊りが始まった。幸恵はビデオカメラで撮影することはあきらめ、幸太の踊る姿をしっかりと自分の目に焼き付けておくことにした。幸太は立派に一つも間違えることなく、しっかりと踊りきった。幸恵は胸が熱くなった。トド子さんは昼過ぎにようやく目を覚ました。暑い中で寝ていたので、汗びっしょりになっていた。

「家に帰って寝なおしてくるわ」

 そう言い残し、トド子さんは家に帰って行った。幸恵は恵子と二人で、元気のかけっこやダンスを見て、運動会が終わるまで小学校にいた。

 幸恵は授業参観がある度に小学校へ行き、元気と幸太の様子を見た。元気は分かっているはずの問題でも決して手を挙げることはなく、いつもマイペースで授業を受けていた。元気は授業参観の時でも、時折隣の子に話しかけたりして、学校生活を無難に過ごしているように感じられた。幸太も比較的明瞭な発音で先生の質問に答えているように幸恵には感じられた。毎回以前習っていたことよりも高度な内容の勉強をしていて、知的にも発達していることを実感できた。授業参観に行く度に、元気も幸太もそれぞれ小学校生活を楽しんでいるように感じられ、幸恵はほっとした。

 もうすぐ学年が終わる頃、家族でひらパーへ行った。元気も幸太も恵子も前の晩からわくわくしてなかなか眠れなかった。三人で布団の上でプロレスごっこをした。翌日になり、みんな朝早く起きた。京橋まで行き京阪電車で枚方公園に行った。トド子さんと幸恵は入園券のみ買い、子どもたちはフリーパス券を買った。元気はジェットコースターや五十メートルほど上から急降下するメテオという乗り物などに本当は乗りたかったが、幸太に無理をさせてはいけないと思い、メリーゴーランドや観覧車などの平和な乗り物だけに乗った。それでも元気にとっては初めての遊園地だったので、ものすごく楽しかった。幸太もいつも以上に、にこにこして、わーっと園内を飛び跳ねていた。幸恵とトド子さんはそんな子どもたちの様子を眺めて、うれしい気持ちになった。五時までひらパーで遊んで帰った。帰りの京阪電車の中で幸太と恵子は眠ってしまった。幸太をトド子さんが、恵子を幸恵が抱いて家まで帰った。家族全員くたくたになって、その日はみんな早く寝た。

 幸太は何かを叩いてリズムを奏でることが好きだった。ある夕ご飯の時、幸太が箸で自分の茶碗を叩いてYMOの「ライディーン」を歌い出した。

「タッタッター タタタタタララッタッター タッタッター タタタタタララッタッター」

 トド子さんはもともと乗りがいいので、その音に合わせて踊り始めた。それを見て幸太はうれしくなりテーブルの上のお皿や湯飲みやお椀など色々なものを叩いて「ライディーン」のリズムを奏でた。しばらく見ていただけの元気や恵子も一緒になって踊り歌った。

 恵子が小学校に入学した。入学式の朝は幸恵も早く起きたし、トド子さんも仕事から帰って眠いのを我慢して起きていた。肝心の恵子がなかなか起きなかった。時間ぎりぎりになって幸恵が恵子を布団から引きずり出して何とか起こした。慌てて服を着させ、入学式の時間には辛うじて間に合った。

 それ以降、兄弟三人揃って毎朝登校班の集合場所へ行った。しかし、元気と幸太は毎朝決まった時間に家を出ることができたけれど、恵子はほぼ毎朝起きるのが遅くなり、いつも家を出るのがぎりぎりの時間になった。時には集合時間に遅れることもあり、元気と幸太はぎりぎりまで待って、あきらめて先に集合場所へ行くこともあった。元気と幸太は規則正しい生活をし、それまで登校班の集合時間に余裕を持って出かけて行っていたのに、恵子だけはなぜか毎朝慌ただしく朝ご飯を食べて歯を磨き、乱暴に服を着て出かけて行った。恵子のルーズな性格は自分に似たのだと幸恵は思っていた。元気は何か特別勉強を塾で習ったりするようなことも全くなかったけれど、学校のテストでいい点をとった。幸恵は誰に似たのだろうと不思議だった。ただそのことが特別すごいことだとは思わなかったし、元気も特にそれを報告することもなかった。幸恵はいつも元気が机の上に無造作に放っている百点のテストの答案をなんとなく片付けていた。元気にとっては自分がドッジボールがうまくないことが何より悔しかった。何とかして敵の投げてくるボールを受けたかったが、全くできなかった。友達はみんなドッジボールを楽しそうにやっていたのに、元気はドッジボールをしていても全く楽しくなく、ただボールから逃げているだけだった。学校は基本的に楽しかったけれど、休み時間のドッジボールが元気には苦痛だった。小学校の中ではドッジボールがうまい子が一番のヒーローだった。ドッジボールが誰よりも下手で、そのくせテストの点だけはいい自分は最低な人間だと元気は思っていた。一人そう思いながらも、そのことを幸恵やトド子さんに言うことは決してなかった。

 中学生になり、元気にとって幸いなことに、ドッジボールを休み時間にすることは全くなくなった。体育の時間にバスケットボールやバレーボールをし、それら全ての競技を元気はうまくすることはできなかったけれど、毎日のことではないので何とか学校生活を普通に過ごすことができた。中学になって少し勉強は難しくなってきた感覚はあったけれど、元気にとっては授業を普通に集中して聞いてさえいれば、全てのことを理解することができた。学校で習う勉強を理解できないということが元気には理解できなかった。当然のように定期試験でもいい点をとった。ただそのことは元気にとっては当たり前のことだった。何か特別価値のあることだと感じず、普通のこととして受け止めていた。自分が運動が苦手であることが、元気にとっては惨めに思わざるをえないことだった。しかし、中学になると学校の中で勉強ができるということが評価されるようになっていることを、元気は徐々に感じ取るようになっていた。小学校まではあれほどドッジボールに夢中になっていた周りの友達が、試験が近づくと一生懸命勉強するようになった。中学になり、学校区が広くなって、違う小学校から来た子がたくさんいた。そのような子の大多数は塾に通っていた。塾で学校で習うことをあらかじめ教えてもらっているようで、授業の内容をすでに知っている子がたくさんいた。

 元気は時間を見つけて図書館で借りた小説を読んだ。日本の近代小説、太宰治や夏目漱石、芥川龍之介や森鴎外などを貪るように読んだ。代表的な作品をまず読んだが、どれも面白くその世界に引き込まれた。特に太宰治の小説に打ちのめされた。「人間失格」を読んだ時には夢中になり、夜眠らず一晩で一気に読んだ。この小説の主人公は自分だと元気は思った。読み終わってからもその世界から抜け出ることができず、何日間か人間というものについて考え込んだ。小説をたくさん読んでいくうちに自分も将来作家になりたいと元気は思い始めた。そのためには、さらに小説をどんどん読んでいくことと、元気が読んできた作家はほとんど東大出身だったことから、勉強もしっかりやって、自分も東大に行こうと決心した。元気は時間の全てを小説を読むことと勉強をすることに費やした。集中して小説を読み勉強をした。

 幸太の中学校への進学先を決める時期になった。幸太は小学校の特殊学級の環境を大変気に入っていたため、中学校の特殊学級へ行きたいと言った。小学校の担任の先生も教頭先生も、幸太は中学校の特殊学級へ行くことが一番いいと言われたので、他の選択肢は全く考えず、中学校の特殊学級へ行くことにした。あらかじめ見学に行くようなこともせず、幸恵が手続きだけをした。入学式の日、幸太は元気と一緒に中学校へ行った。入学式の始まる時間に間に合うように幸恵とトド子さんは出かけた。入学式は一時間程度の形式的なものだった。ただ、入場の時や校歌斉唱の時にブラスバンド部の人たちが演奏をし、妙にうまいと幸恵もトド子さんも感じた。後で知ったことだが、この中学校のブラスバンド部は全国大会に毎年出るほどレベルが高いということだった。幸太の特殊学級の同学年の子は小学校の特殊学級で同じだった健一君以外に、他の小学校から来た子が三人いたため、五人となった。幸太は入学式が終わり教室へ入った時から、みんなに声をかけて回った。幸太も朗らかな笑顔をいつも浮かべていたが、他の子たちもみんな優しそうな子ばかりだった。幸太は一日で中学校の特殊学級が好きになった。次の日も幸太は朝自分で起きて元気と一緒に中学校へ行った。この日から通常の勉強が行われた。基本的に普通学級の科目と同じカリキュラムが組まれていて、その中でクラスの一人一人の発達段階に合った課題が与えられた。このことも小学校の特殊学級と同じだったので、幸太はすぐに中学校生活に慣れた。しばらく中学校に通っていると幸太が幸恵に言った。

「部活に入りたい」

 通っていた中学校は必ずしも全員が部活に入らなければいけない訳ではなく、元気も何も部活に入っていなかったため、幸太がどこで部活のことを知ったのか幸恵には不思議だった。

「何の部活に入りたいの?」

 幸恵が尋ねた。

「美術部」

 幸太は答えた。部活に入るとなると、普通学級の子たちと一緒に活動をすることになるため、そのことも幸恵は心配になった。

「パパとお兄ちゃんと相談しましょ」

 幸恵はとりあえずそう答えた。元気は大したことだと考えず気楽に答えた。

「美術部は大して活動しとる感じやないねんから、ええんちゃう」

 トド子さんも楽観的な意見を言った。

「幸太が自分で入る言うとるんやさかい、入れたげればええやん」

 幸恵も変に幸太の生活を縛るのはよくないと考え、幸太に部活に入るように言った。ただ、幸太がそれまで描いた絵や工作が必ずしもうまいとは言えないものだったため、なぜ美術部を選択したのか幸恵には謎だった。美術部の活動は毎週月・水・金の夕方に行われた。部活のある日は毎晩六時半頃帰ってきた。初めのうち、幸恵は幸太が同じ部の子にいじめられたりするのではないかと心配だった。美術部の顧問の先生は当然のように美術の先生がされていて、その先生は世俗を離れたいい意味で先生らしくない方だった。幸太が美術部に入りたいとその先生のところにお願いに行った時も本心から、手放しで喜んで下さった。

「それはええ。美術部はおもろい子ばっかりやで」

 顧問の先生は美大出身で、現代芸術を専攻されていた。

「常識に囚われるな。可能性は無限だ」

 それが口癖で、常に摩訶不思議なものを創っていた。先生が創られた作品が美術室に無造作に置かれていたけれど、何なのか全く分からないものばかりだった。美術部の部員は顧問の先生の影響を完全に受けていて、いわゆる美術として普通に思い浮かべる絵画や彫刻を創作している子は一人もいなかった。皆それぞれに意味不明なものを部活の時間に熱心に創っていた。幸太がそもそもどんな意図を持って美術部に入りたいと言ったのかは誰にも分からなかったが、幸太も他の部員の子と同じように、よく分からないものを創った。幸太が初めて創った作品は、どこかで拾ったであろう丸みを帯びた石に、油性ペンで半分を黒く、残りの半分を赤く塗ったものだった。幸太が先生にそれを見せると、先生は満面の笑みを浮かべた。

「なかなかええ感じや。作品名を付けよか?何にしよ?」

「光る石」

 幸太は答えた。

「ええなあ。それ。かっこええわ。幸太君の記念すべき第一号作品や。大事に家に持って帰って親御さんに見せなはれ」

 幸太は早速家に持って帰り、幸恵にその石を見せた。

「これ、ぼくが初めて創った作品やで。「光る石」言うねん」

 幸恵は芸術では印象派の絵画をこよなく愛していた。幸太が美術部に入り、それまで部活で絵を描いているとばかり思っていた。いきなり石を見せられ、しかも「光る石」と言われても、光ってないしとしか思えなかったが、幸太が誇らしげにその石を見せるので、何とか言葉を探し出した。

「前衛的だね」

 幸太は美術部でいじめられるどころか、みんなにかわいがられた。幸太の笑顔は万人を幸せにするようだった。部活で嫌な思いをすることは全くなかった。美術部の他の部員の子たちが一風変わった子が多かったということもあったのかもしれない。幸太は特殊学級の勉強も部活も楽しんで中学校生活を過ごしていた。

 元気が中学三年生になり、進路を決める時期となった。元気は普通校に行きたかった。しかしトド子さんは工業高校へ行くことを勧めた。勉強をすることや、まして学力の高い高校へ行くことにトド子さんは露ほども価値を見出していなかった。むしろ勉強をすればするほど人間はだめになっていくという考えを持っていた。トド子さんはインテリを心の底から軽蔑していた。トド子さんがそれまでに出会ってきた人間でインテリと言われる人の中に立派な人間は一人もいなかった。学を積めば積むほど人間は堕落していく。トド子さんはそんな確固とした信念を持っていた。自分の子どもがそのようになっていくことを黙って見過ごすことはできなかった。幸恵も勉強ができること自体に大して関心はなかった。ただトド子さんほどインテリを嫌悪するという気持ちも持っていなかった。そのような人は今まで自分と関係のない世界の人だと思っていただけだった。幸恵としては元気が望む通りのことをさせてあげたいという思いのみがあった。元気が普通校に行きたいと言っているのであれば、その通りにさせてあげたいと考えた。幸恵はいつでも元気の味方でいたかった。トド子さんは信念を持って元気が普通校へ行くことに反対した。元気は自分で働いて高校へ行けるとは思っていなかったので、トド子さんがそこまで反対するのであれば工業高校へ行くことも仕方がないかとも思い始めていた。幸恵は何とかして元気の思い通りにさせてあげたかったが、トド子さんを説得する力を持ち合わせていなかった。自分の力では無理だと思ったので、トド子さんに公園で会うお母さん友達に相談してもらうことをトド子さんにお願いした。元気は普通に試験を受ければ家の比較的近くにある南野高校へ行けると学校の先生から言われていた。そこへ行くことと工業高校へ行くことのどちらがいいか、友達の意見を聞いてもらえるように幸恵はトド子さんにお願いした。トド子さんはそんな相談を友達にしても意味がないと初めは言っていたが、あまりに幸恵が何度も懇願するので、軽く相談してみるという約束をした。それでもトド子さんは誰に何と言われようと自分の考えを変えるつもりはなかった。全く軽い調子で公園でいつも会うママ友にトド子さんはその話をしてみた。トド子さんはみんな自分の考えに賛同してくれると思っていた。トド子さんが事情を説明すると、すみれさんが言った。

「あたしも工業高校より普通校へ行くのがええとは全然思わへんわ。でも問題はそういうことやあらへん思うの。元気くんが自分でしっかり考えはって、普通校行きたい言うんやったら、それはその通りにさせてあげはったらええんちゃうかな。もう中学生いうたら立派に自分で考えられる年や。親が自分の思い通りにさせるいうのは親のわがままや思うで」

 他のママ友もすみれさんの意見に賛同した。予想外のみんなの反応にトド子さんもその通りかもしれないと思い始めた。それでも自分の人生の中で培ってきた考えをすぐに変えることはできなかった。トド子さんはしばらく一人で考えてみた。しかし自分だけの考えでは人の一生がかかった問題だけに、信頼できる人の意見を参考にした方がいいと考えた。トド子さんが世の中で一番尊敬しているゲイバーのママに相談してみた。事情を説明すると、バーのママも、一言だけ言った。

「お子さんのしたいようにさせなはれ」

 その言葉でトド子さんも考えを変えた。

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