第4話
トド子さんが元気をあやしながら、ふと幸恵に言った。
「ねえ、幸恵ちゃん。元気も一歳になったことやし、二人目の子どもを作ってみない?」
幸恵は元気を育てることに一生懸命で、二人目の子どもを今作り無事に育てていける自信はなかった。しかし、自分もトド子さんもどんどん年をとっていくわけだし、早めに二人目を作ることもいいかもしれないと思わなくもなかった。それでも今の生活もぎりぎりという感覚があったので、こう答えた。
「私もいつかは二人目の子どもが欲しいとは思うけれど、今はまだ余裕のある生活ということでもないから、子どもができるかできないかは神様に任せて、一回だけ子作りしてみるってことでどうかしら」
「そうねえ。元気も一回だけでできたんやし、そうしてみようかしら」
トド子さんも賛成した。必要な道具を揃え、早速元気を作った時と同じ要領でやってみた。二人とも全く恥ずかしさを感じず、機械的に作業をした。
「これで子どもができたら神様から与えられたもんやわ。できへんでも、もう何年か時間をおいてやってみよやないの」
トド子さんは言った。一ヶ月が過ぎ、不思議なもので、幸恵に生理が来なかった。
「そういうこともよくあるからまだ分からないわよ」
幸恵にとっては今の生活でも十分忙しかったため、どうしても子どもができてほしいということでもなかった。もう一ヶ月待ち、それで生理が来ないようだったら検査薬を買ってきて確認してみようということになった。さらに一ヶ月が過ぎ、やはり幸恵に生理は来なかった。薬局に検査薬を買いに行き、確かめてみた。子どもができているという結果だった。幸恵は複雑な気持ちだったが、トド子さんは無邪気に喜んだ。
幸恵につわりが来て、お腹が目立つようになり、あっという間に十ヶ月が過ぎた。トド子さんは相変わらず夜仕事をして、昼過ぎは元気の面倒をみた。もう陣痛が来てもおかしくないという時期になってもトド子さんは仕事に行ったし、幸恵もそれまでと変わらず元気の面倒を見て、日々を過ごしていた。二人目の子どもということで、出産に対しあまり緊張感がなかった。産まれる時が来たら産まれてくれるというような気楽な気持ちでいた。ただ、いつ陣痛が来てもいいように入院の準備などは怠らずにしていた。また、しばらく元気の面倒をトド子さんだけで見ることになるため、ミルクの作り方や飲ませ方など、それまでやったことのないことをトド子さんは覚え、いつ産まれても大丈夫な準備は整えていた。
ある晩、トド子さんが仕事に出かけた頃、幸恵はお腹に痛みを感じ始めた。陣痛が来たのではないかと思ったが、間違いであってはいけないので、しばらく様子を見ることにした。痛みは時間が経つとなくなったが、またしばらくしたらお腹に痛みが来た。やはりこれは陣痛に間違いがないと思い、入院のために準備しておいた袋を持ち、痛みのましな時に病院へ向かった。病院に着いて、受付で陣痛が来ているように思うと告げ、とりあえずベッドに寝かされた。痛みがひいている時に公衆電話からトド子さんに今病院に来ていると電話をかけた。幸恵に元気を産んだときのような不安感はなかった。次第にお腹の痛みが激しさを増していって、痛みの間隔が短くなっていき、もうすぐ産まれるかもしれないと幸恵も思い始めたが、看護師さんの指示を聞いていれば大丈夫だという安心感も持っていた。もうすぐ分娩室に入るかもしれないという頃にようやくトド子さんが病院に着いた。今回は化粧を落とし余裕を持って来た。到着して横になっている幸恵に対してトド子さんは声をかけた。
「頑張ってね」
元気の時と同じように、陣痛の間隔が短くなり、看護師さんが幸恵に分娩室に入るように指示した。トド子さんも入るように促されて、やはり一緒に入った。痛みが激しさを増していき、腹式呼吸をして必死にお腹の中の子どもを外に出そうと努めた。トド子さんはまだまだ産まれるまでには時間がかかると分かっていたので、分娩室に置かれていた椅子に腰をかけて、長時間の出産に備えた。幸恵はずっと必死に大きく呼吸をして出来る限りの力をこめて産もうとした。ただ元気を産んだときの記憶がまだあるため、力んで力んで死にそうなくらいの状態にならないと産まれてこないということは分かっていた。真剣になりながらも長丁場を何とか乗り切るんだという心持ちでいた。何時間もそのような状態が続き、ようやくそろそろ赤ちゃんの頭が出てきそうだという頃になった。看護師さんが電話でお医者さんを呼んだ。しばらくして女の先生が分娩室に入ってきた。幸恵の状態をみて、早速仕事に取りかかった。
「もうすぐですよ。さあ頑張って」
するとほどなくして赤ちゃんの頭が見えてきた。
「はい、いいですよ。ここで最後の力を振り絞ってお母さん、がんばろう。赤ちゃんもがんばってますよ」
幸恵は必死になり、本当に最後の力を振り絞るようにお腹に力を入れた。徐々に赤ちゃんの頭が大きく見えてきて、最後はすっと体全体が外に出てきた。ようやく終わったと幸恵はほっとした。赤ちゃんの小さく泣く声が分娩室に響いた。看護師さんたちは、産まれてきた赤ちゃんをタオルできれいに拭き、ベッドに寝かせた。このとき、元気の時にはみんなが「おめでとう」と幸恵に言ってくれたけれど、今回はそのような言葉がなかった。お医者さんや看護師さんの中に何か緊張感のようなものがあることを幸恵もトド子さんも感じた。しかし幸恵は無事出産を終えられたことで満足感があった。
「よくがんばったね」
トド子さんも幸恵に声をかけた。幸恵が分娩室から病室に移動してから、トド子さんがお医者さんに呼ばれた。お医者さんは言った。
「まだ血液検査の結果が出てみないと分かりませんが、お子さんはお顔やお体の柔らかさなどを拝見させていただいた限りのことですが、ダウン症である可能性があります。でもそうだからと言って何も気を落とされることはありません。今は医学も進歩してダウン症のお子さんも立派に成長されています。まずは検査の結果をお待ちいただき、一応の覚悟をしておいて下さい」
トド子さんはそう聞いてもあまりピンと来なかった。ダウン症の子どもというものがどういうことかあまりよく分からず、何か障がいを抱えた子どもなのかなと感じた程度だった。それにどのような障がいを抱えた子どもであろうと自分たちの子どもが無事産まれてくれたため、一つの命が誕生したことはただ喜ばしいことだとしか思えなかった。トド子さんは幸恵の病室に行き、お医者さんから聞いたことを幸恵に伝えた。
「あっ、そう」
幸恵は一言そう答えただけだった。幸恵はダウン症のことについて、トド子さんより知識はあったけれど、自分の子どもがダウン症であるとしても自分の子どもとして精一杯かわいがって愛していこうと思った。障がいを持った子どもを産んだということに対してマイナスな気持ちには全くならなかった。そして、早く今産んだ子どもに会いたかった。子どもは保育器に入れられてしまい、しばらく会えないようだった。六日間、病院に入院していたけれど、その間幸恵は子どもを全く抱っこすることができなかった。お医者さんから子どもの様子を聞かされていたが、何か特別な処置が必要だったらしく、ただ数回保育器に入った子どもを部屋の外から見ることができただけだった。子どもは少し平板な顔つきをしていたけれど、幸恵にはとてもかわいらしく思えた。トド子さんも自分の子どもを見て、やはりかわいいと思っていた。血液検査の結果、やはりダウン症であることがはっきりした。それでも幸恵もトド子さんも全く気にも留めなかった。お医者さんからダウン症の子どものことについていろいろと説明してもらった。育て方の注意なども細かく話して下さった。産婦人科の先生がダウン症の子育てについて知識が豊富だったということは大変幸いなことだったと後から振り返ると、幸恵もトド子さんも先生に感謝せずにはいられなかった。赤ちゃんが入院している間に、先生から三ヶ月になるまでの子どもの具体的な育て方と、ダウン症の赤ちゃんにとって療育がいかに大切なことであるかを大変分かりやすく噛み砕いて説明してもらった。先生からそのような話を聞かされていなかったら、元気の時のように健常者の赤ちゃんを育てるように育てたに違いなかった。先生はこう言われた。
「ダウン症の赤ちゃんに療育をしないことは、健常児の赤ちゃんに何も話しかけず、絵本の読み聞かせも音楽も聞かせないで、ずっと押入れに閉じ込めておくのと同じことです」
トド子さんはそれを聞いて、しっかりと療育という聞きなれないものをしていこうと決めた。また、先生はすぐに保健所に行き、ダウン症の赤ちゃんの育て方に詳しく、家から近いところにある小児科を紹介してもらうようにアドバイスをして下さった。幸恵もトド子さんも素直にそれに従うことにした。そうしているうちに、すぐにも名前を決めなければいけない時期になった。
「どんな名前にしようか?」
幸恵がトド子さんに尋ねた。
「私はこれがええと思う名前を考えたわ。この子は私らの家族に幸せを運んできてくれはる思うの。それにこの子もたくさん幸せになってほしいさかい、幸せが太いと書いて、幸太いうのはどないかしら?」
「幸太か。幸太くん。こうたくん。そうね。いいわね」
「ほなら、幸太で決まりやね。早速市役所行ってこなね」
幸太は合併症があるかもしれないということで、しばらく病院に入院して検査をしてもらった。心臓に疾患がある可能性があるという結果だった。幸恵は先生から紹介してもらったダウン症の子の育て方についての本を何冊か買ってきて、一通り読んでみた。ダウン症の子に特有の気を付けるべきことが細々とそして色々とあることを知った。しかし基本的には愛情をたくさん与えて育てればいいと幸恵なりに解釈した。トド子さんは色々な知識も必要となるだろうけれど、基本的には人間として真摯に幸太に向かい合えばいいと考えた。療育をしっかりすることは当然として、それ以上ダウン症ということを変に意識せずに、元気に対する時と同じように、元来の子ども好きの性格をそのまま幸太にぶつけて、思い切りかわいがりたかった。
幸恵が退院し、トド子さんと二人で保健所へ小児科を紹介してもらいに行った。幸い近所に大きな病院で小児科もある病院があった。そこで定期的に検査をしてもらうことにした。生まれてから二週間ほど経ち、ようやく幸太は退院し、家で育てられるようになった。幸太は元気と比べると大人しい赤ちゃんだった。泣くこと自体とても少なかったし、泣いても小さな声で激しく泣くということがなかった。寝てばかりいて起きることが極端に少なかった。目を覚ました時は、おなかが空いているせいか、小さな声で泣いた。その声を聞いて幸恵は確実に起きることができた。幸太はおなかが空いているはずなのに、なかなかうまく乳を吸うことができなかった。自分でもそのことがもどかしいのか、やはり小さな声で泣いた。幸恵は幸太が何とかうまく乳を吸うことができるように、乳首の位置を変えてみたりしたが、なかなか幸太はうまく吸えなかった。それでも少しずつ飲めているようで、元気より時間はかかったけれど、満足するまで乳を飲み、そしてすぐに寝入ってくれた。いつもその繰り返しだったため、幸太はこういう飲み方をするのだと幸恵は思うことにした。そのことでそれ以上、困ることは何もなかった。トド子さんは仕事で疲れているはずなのに、睡眠時間を削り、四時間ほど寝て起きた。幸太のおしめを替えたり、幸恵の食べるものを作った。掃除や洗濯も献身的にした。トド子さんは何も頑張っているつもりはなく、体が自然にそのように動いた。起きている間、ずっとモーツァルトをかけていた。
幸太が生まれて一ヶ月が経った時、詳しい検査をしてもらった。やはり心臓に疾患があり、心房中隔欠損症という病気だということだった。自然に治ることもあるということで、しばらくは様子をみてみましょうとお医者さんに言われた。他には特に問題となることはないとのことだった。産婦人科の先生に教えてもらったことだが、幸太が家に来てすぐに外気浴ということに気をつけた。一日に何回か窓を開けて空気を入れ換えた。そしてまず幸太を連れて五分間外に出てみた。幸太は特に何の反応も示さなかった。外に出る時間を十分、二十分と徐々に長くしていった。一か月半になった頃から、乾布まさつを始めた。初めのうちは素手で幸太の体のいろいろな部分をマッサージした。幸太はやはり特に何の反応も示さずに、されるがままになっていた。幸太が生まれて二ヶ月が経った時、トド子さんが中山寺へ初参りに行こうと言い出した。中山寺へは安産祈願もしていないし、元気の時もお宮参りをしなかったため、幸恵には意外なことに思えた。幸恵はトド子さんに聞いた。
「どうして元気の時はお宮参りに行かなかったのに、幸太は行こうって言うの?」
トド子さんは率直に答えた。
「幸太は神様に守ってもらわんといかんさかい」
幸恵はトド子さんが言わんとすることがなんとなく分かったので、それ以上聞くこともなく、次の大安の日に行くことにした。予定した日が来て、家族四人で出かけた。昼の一時に阪急電車で淡路から中山寺へ行った。幸恵は元気と手をつないで乗り、幸太をトド子さんが抱っこをした。電車に乗っている間、幸太はずっとぐっすり眠っていた。中山寺の駅に着くと、中山寺までは歩いてすぐだった。本堂受付で初参りご祈祷の予約をし、祈祷料をお支払いした。待合室でしばらく待ち、予約の時間になり祈祷室に案内された。幸太はまだ眠ったままだった。二十分ほどご祈祷をして頂いた。やはりその間も幸太は眠っていた。淡路に帰り、写真屋さんへ寄って、家族で写真を撮ってもらった。以前トド子さんと幸恵の二人で写真を撮ってもらった写真屋さんだ。元気の時はそんな写真は撮ってもらわなかったので、一枚もきれいな写真はなかった。それでも幸恵はトド子さんの気持ちを察し、何も言わず写真を撮ってもらった。幸太はずっと眠ったままだったけれど、起こすのもかわいそうだということで、そのまま寝顔で写真を撮ってもらった。
幸太はほぼずっとというくらい便秘だった。買ってきたダウン症の本にも便秘になりやすいと書かれていたため、毎日のようにこより浣腸をした。綿棒の先にオリーブオイルを染み込ませ、綿の部分を肛門に入れて出し入れするのだ。幸恵もトド子さんも初めの頃はなかなか慣れなかったけれど、何度もしているうちに当たり前のことのように普通にできるようになった。部屋の中の日があたる場所で、日光浴を徐々にさせた。最初、手首と足首の先だけを三分間だけ太陽の光を浴びさせた。四日間それをして、次に手首から先、ひざから下を三分間、やはり四日間させた。徐々に、ひじから下、ひざから先と陽の光を当てる場所を広げて行き、最終的に前全身と後ろ全身を陽に当てた。毎日十分ほど陽の光を浴びさせた。
乾布まさつは素手からタオルを使うことに変えた。毎日十分間行った。なるべく楽しい感じにするために歌を歌いながらした方がいいとお医者さんに言われたので、幸恵は毎回歌いながらした。ただ楽しい歌と言っても、幸恵が知っている歌はさだまさしや中島みゆきくらいだったので、幸恵にとって最も楽しいと思われた「パンプキン・パイとシナモン・ティー」を極力明るく歌った。それが終わると、濡れたタオルで顔・手・足をふいて、水の刺激に慣れさせた。幸太は時折にこやかな表情をするようになった。幸太の笑顔を見ていると、幸恵も幸せな気分になり、朗らかに歌を歌った。
元気は二歳を少し過ぎたばかりだった。幸太を生む前には元気が赤ちゃん返りするのではないかと幸恵は心配していた。しかし元気は赤ちゃん返りするどころか、幸太のお兄ちゃんであることを既に自覚しているかのように、元気なりに幸太にいろいろと世話を焼いた。幸太が小さな声で泣いているのを元気が見つけると慌てて幸太の元へ駆けつけて、幸太のお腹をとんとん叩いてあげたりした。元気もまだまだ甘えたい盛りの頃であったろうに、幸恵やトド子さんの空気が伝わったのか、わがままを全く言わなかった。幸太にかまっている元気の姿を見ていると、幸恵は場合によって涙が流れてきた。幸太中心の生活になっていたため、どこかへ出かける時には必ず元気を連れて行った。元気は自由に歩けることがうれしくて仕方がないという表情をし、てくてくと歩き、道端の花を眺めたりした。元気は家の中でも歩き回りたがるので、幸恵が料理をする際には、かわいそうだけれど、近所のハードオフで買ったつっぱり棒のゲートをし、元気がガスコンロの傍に来ないようにしていた。
幸太が四ヶ月が経った時、四ヶ月検診を受けに病院へ行った。まだ首は全くすわっていなかったので、トド子さんがしっかりと抱いて行った。幸太は順調に体重や身長が増えていたものの、心臓の疾患はまだ穴が塞がっていないとのことだった。BCG接種をしてもらった。注射をすると幸太が大きな声で泣いた。それまで小さな声で泣く幸太しか見たことがなかったので、幸恵もトド子さんもびっくりしたが、うれしかった。大声で泣くという赤ちゃんにとっては当たり前かもしれないだけのことが、二人には奇跡的なことのように感じられた。新大阪に、子供の城療育センターというところがあることを病院で教えてもらった。早速予約をし、幸太と元気を連れて、幸恵とトド子さんは出かけてみた。見るからに優しそうな男の先生が、幸太の今の状態について質問を次々とし、まず何をすればいいかということを具体的に教えて下さった。赤ちゃん体操という系統だった体操を幸太の発育段階に従って行っていこうということになった。
赤ちゃん体操を行う前に、準備体操として、手を開いたり腕を曲げたり伸ばしたりというようなことを教えてもらった。この一連の準備体操を幸太にさせるだけで、幸恵もトド子さんも随分疲れた。赤ちゃん体操は、まずあおむけで、頭をまんなかに向けていられるようにしたり、手を口にもっていくことから始められるようだったが、それらは幸太はすでにできた。はらばいにして、頭を床から持ち上げることができなかったので、そのことから始めた。うつぶせ練習を毎日するようにと言われ、そのやり方を教えていただいた。うつぶせに寝かせて、頭を起こすという練習だが、色々な工夫が必要とのことだった。まず、固い場所にうつぶせに寝かせる方がいいとのことで、畳の上ですることにした。そしてうつぶせにした時に、お尻が浮かないようにしながら、同時に肘が開かないようにすることがポイントとのことだった。幸恵が初めにやってみた時には、お尻がどうしても浮いてしまってうまくできなかったが、自分の肘で幸太のお尻を押さえ、自分の両腕で幸太の肩と腕を支えればうまくいくことを発見し、それからはそのようにした。幸太は初めの数回は頭を上げようとするものの持ち上げられなくなり、すぐに顔を畳につけてしまった。それでも何度かしているうちに、頭を少しの時間持ち上げられるようになってきた。幸太がもっと頑張りやすい工夫はないかと幸恵は思い、テレビの前でやってみたり、おもちゃを前に置いてみたりした。あまり効果がなかったので、元気に買った「はらぺこあおむし」を目の前に来るように置いてみた。すると幸太は不思議とがんばって頭を起こし、その絵本を見ようとした。うつぶせ練習を毎日毎日一ヶ月間ひたすらした。
元気がそれをしたかどうかも覚えていないことを順序立てて、幸太にはさせた。療育センターでいろいろなことを教えて頂き、それをその通り幸太にさせた。例えば、あおむきになり、手で足を持ち口へ持っていくという練習をした。元気がこれができていたとしても、全く気にも留めなかったに違いなかった。しかし、これも大切な療育の方法ということで、忠実に従った。その他にも、はらばいになり、頭を床からもちあげる、両ひじで支える、片ひじで支える、両手で支えるということをできるようになるまで順番に幸太にさせた。
子供の城へは一ヶ月に一度行くことにした。毎回、今するべき体操を教えていただいた。筋力をつけるための体操のやり方ばかりではなく、子供の城ではコミュニケーション力とでもいうものをつけるための方法や言語発達のための方法も教えていただいた。幸恵とトド子さんは教えられたことを忠実に幸太にさせていった。
元気を四月から幼稚園に行かせた。家の近くに公立の幼稚園があったので、元気に家でテレビばかり見させていてはだめだと幸恵もトド子さんも考え、行かせることにした。元気はこれから幼稚園に通おうと幸恵に言われても特に何の反応も示さなかったし、四月になり、毎朝トド子さんに幼稚園に送ってもらう時も全く嫌がらなかった。通い始めてずっと、元気にとって幼稚園が楽しいのか、楽しくないのか、よく分からないながら、ともかく淡々と毎日通った。幼稚園は午前中だけだったが、その間、幸恵は幸太に全力で接することができたので、大変ありがたかった。
幸太が八ヶ月になった時、寝返りが初めてできた。幸恵が子供の城で教えてもらった通りのことをしてみた。あおむきの状態からはらばいにするために、まず右手を精一杯伸ばさせて、幸太の頭が起き上がってくるのを待ちながら、幸太のお尻をゆっくり回してみた。すると横向きになったので、左手も伸ばして、ひじが肩より前に出るように支えてみた。すると幸太はくるりとあおむきからはらばいに寝返りした。偶然かもしれないと幸恵は思い、もう一度全く同じことをしてみた。すると幸太は同じように寝返りをした。幸恵は楽しい気分になり、何度も何度も同じことをした。幸太が一つ一つ新しいことができる度にカレンダーに書き込んでいっていたので、カレンダーが記念日だらけになってしまっていた。
言葉を覚えることに役に立つからということで、ガラガラを幸太の斜め後ろなどで鳴らして、どこから音が鳴っているかを気付かせる練習をした。それがどのように効果的な結果を生むのかということも説明をしていただいたが、幸恵は単純に幸太の反応が面白かったので、時間があればそれを遊びのようにやっていた。幸太はすぐに音の鳴る方を向いたが、幸恵は幸太が首を向かせにくいところであえてガラガラを鳴らし、幸太がとまどう様子を見て喜んだ。それでもそのうち幸太はどこで鳴らしても分かるようになり、例えばテーブルの下でガラガラを鳴らしても、そこで鳴っているというしぐさをするようになった。幸太が九ヶ月になった時に指示された体操は、幸恵の膝の上でおすわりをさせることだった。幸恵は、両ひざを前に投げ出し、幸太を向かい合わせにして膝の上に座らせた。幸恵の親指で幸太の胸を、他の指で肩の骨を押さえて幸太を支えた。幸太の肩が少し前の方にくるようにして、おすわりの姿勢をとらせた。幸太はすぐに頭が後ろに落ちそうになるので、その度に幸恵の人差し指から小指までの指の先で幸太の頭の後ろを軽く押し、幸太が自分で頭を持ち上げてくるようにした。初めのうちは幸太はなかなか自分で頭を持ち上げられなくて、ほとんど幸恵が幸太の頭を指で支えていた。あまり無理をすることもないと幸恵は思っていたので、毎日少しずつこの練習をした。二週間ほどしていたら、幸太は徐々に自分の力で頭を支えられるようになってきた。幸恵は幸太を膝の上にのせて、幸太を少し後ろへ傾けて、どれくらいまで幸太が自分で頭を持ち上げることができるか試してみた。頭が後ろに落ちそうになったら、幸恵は自分の指先で頭を支え、幸太が自分で頭を起こすことができるぎりぎりのところまで頑張らせた。同時に、時折幸恵の右の膝を少しずつ持ち上げ、ゆっくり幸太の体を右の方向に回しながら、頭を起こさせたりもした。この運動を毎日午前十時から行った。幸恵は立てた膝の方から声をかけたり、ガラガラの音を聞かせたりした。また、声かけを左側からしてみたり、右側からしてみたり交互に繰り返した。一ヶ月この運動をしていたら、幸太はおすわりが随分上手になった。
幸太は随分前から、にっこりととても幸せそうな笑顔をみんなに見せるようになっていた。それでも声を出して笑うことはなかった。笑顔になった時に、笑い声も一緒に出せるといいということを子供の城で言われ、その練習をした。幸太は特別幸恵たちがあやさなくても満面の笑顔を見せてくれたが、そんな時に笑い声を出して遊べる工夫をするといいということだった。軽くくすぐるとキャッキャッと言って笑い声を出した。本当に楽しそうな声で笑った。幸太がにっこり笑う度に幸恵はくすぐって幸太に笑い声を出させた。この練習はトド子さんがすっかり気に入って、幸太がまだ笑っていなくてもくすぐって無理やり笑わせた。もっと違う方法で笑わせられないか色々と試して、トド子さんがお店でしている般若の顔をすると笑うことを発見し、それ以来トド子さんは幸太の顔を見るたびに般若の顔をした。幸太は受けのいいお客さんのように、必ず心の底から楽しそうな笑い声を出して笑った。実際トド子さんの般若の顔はどんなに沈んだ状態の人でも思わず笑ってしまうほど滑稽だった。元気もトド子さんの般若の顔を気に入って、しきりにその顔をするようにせがんだ。おかげでトド子さんは毎日顔が引きつるほど、般若の顔ばかりさせられた。それでも幸太も元気も確実に笑ってくれたので、トド子さんはプロ根性とでもいうものを発揮して、般若をし続けた。
幸太が十ヶ月になった頃、手遊び歌で遊ぶことがお気に入りになった。「むすんでひらいて」が一番のお気に入りで、手を開いたり、むすんだりして、しきりにそれをするようにせがんだ。幸恵は朝から晩までずっと「むすんでひらいて、てをうってむすんで」と歌い続けた。初めのうちは幸恵がすることを幸太は眺めて喜んでいただけだったが、そのうち自分も真似をして、一緒にぎこちながらではあるが、するようになった。幸太はなかなか自分だけでは動きを覚えられなかったので、幸恵が手を持って歌いながら動きを教えた。自分だけで完全にすることは難しかったが、幸太は幸恵が「むすんでひらいて」の歌を歌い、何となくそれに合わせて自分の手を動かしているだけで、とても幸せそうな笑顔になった。「げんこつ山のたぬきさん」や「グーチョキパー」なども幸恵は歌いながらやって見せたが、これらは何か幸太のつぼにはまらないようで、関心を示さなかった。なぜ「むすんでひらいて」だけが幸太の心を打ったのか分からないが、ずっと幸恵は「むすんでひらいて」を歌い、幸太はそれに合わせて手を動かした。
幸恵もトド子さんも、幸太が生まれた時から幸太に何かをする時には、「おっぱい飲みまちゅね」とか、「パパでちゅよ」などと、あれこれと話しかけるようにしてきた。それでも幸太はなかなか声を発するということがなかった。しかし、ようやく何を言おうとしているのかは分からないけれど、何か言葉を発するようになった。幸恵には「ママ」と言っているように聞こえたので、
「私がママよ」
と答えていた。トド子さんにはなぜか「パパ」と聞こえていたようで、
「私がパパよ」
と答えていた。そんな中、元気はすっかりいろいろな言葉を話すようになっていたが、幸太が発する言葉の意味が分かるのか、幸太が何かを言う度に的確と思われる言葉を元気は返した。そして二人で会話のようなことをしていた。幸恵にもトド子さんにも二人が何を話しているのか全く分からなかったが、まるで二人で秘密の会話を楽しんでいるかのように、何か分からないことを喋りあっていた。
幸太が十一ヶ月になった時、子供の城で両手をついて座る練習をすることを指導された。おすわりをさせた時に、ひじが曲がり、十分に支えることがまだできなかったので、幸太のひじの後ろに幸恵の手をそえて支えた。この練習を毎日毎日一ヶ月間した。子供の城に通い始めてよかったことは、ダウン症の他のお子さんの様子を見たり、その親御さんと仲良くなれたことだ。幸恵は生来の人見知りから、人に話しかけることはできなかったが、トド子さんは誰彼構わず話しかけた。いろいろな情報を得られたということもあったが、親御さんの苦労話を聞かせてもらうことはトド子さんにとっては勇気をいただけることだった。幸恵は人と話をすることは全くできなかったけれど、ダウン症で幸太より年齢の上の子たちが立派に成長している姿を見て、励まされた。子供の城に来ている子の中には、幸太よりうんと生きづらい状態にあると思われる子が何人もいた。そんな子たちが必死に体操をしている姿を見ていると幸恵は流れ落ちる涙を止めることができなかった。みんな何とか立派に成長できますようにと幸恵は祈った。
幸太にどうしても構いがちになるので、昼の四時から五時までは元気を連れて公園へ行くことをトド子さんは日課にした。公園にいつも来るお母さんとすっかり仲良しになり、みんなのプライベートなこともトド子さんは随分気軽に聞けるようになった。公園に来るお母さんは、不思議と夜の仕事をしている人が多かった。淡路は十三や西中島南方、新大阪といった風俗街が近いということで、そのような仕事をしている人が多く住んでいたのかもしれない。トド子さんはずっとその世界で生きてきたので、自分のどんなことでも話せたし、みんなのかなり深刻な悩み事や相談にも親身になって応じた。ピンサロで働いていた三十歳くらいのお母さんがいた。元気と同い年くらいの女のお子さんがいて、名前を彩香ちゃんと言った。お母さんは智子と言い、源氏名は茜とのことだったが、彼女はその名前を嫌悪していた。トド子さんはともちんと呼んでいた。彩香ちゃんの父親は誰か分からないとのことだったが、ともちんはそれを何事でもないかのように語った。
「お客さんの誰かかもしれへんし、昔の彼氏かもしれへんし、よー分からへん」
ともちんの当面の悩みは、今一緒に暮らしているけんちゃんという彼氏がパチプロで、収入が安定していないということだった。それでも二人の収入で何とか生活はできていたし、けんちゃんが彩香をとてもよくかわいがってくれ、自分が仕事に行っている時も安心して任せられることを本心から感謝していた。
「あんなええ男は世の中どこを探してもおらへん」
ともちんは口癖のようにそう言っていた。トド子さんもけんちゃんの話をともちんから色々聞かされて、本当に立派な人間だと思っていたので、いつもこう言っていた。
「絶対離したらあかんで。早くけんちゃんの子ども作んなさい。そしたら一生一緒にいられるで」
他にもよく公園に遊びに来るお母さんで、すみれさんという女性がいた。本名は名乗らず、源氏名のすみれとみんなに呼ばれていた。すみれさんはデリヘルの仕事をしていて、仕事にとても前向きに取り組んでいた。シングルマザーで三歳の拓也くんという子どもがいた。すみれさんは特にストレートにそのようなことは言わなかったけれど、自分の今の仕事に誇りを持って取り組んでいることが、言葉の端々から感じられた。すみれさんは誰に対してもすぐに心を開ける社交的な人だったけれど、芯はしっかりしていた。どこかに誰にも譲らない自分というものを持っていた。
「私、下の毛、永久脱毛してるんよ。お客さんが喜んでくれはるの」
すみれさんはある日、そんな話をした。トド子さんたちは、この人は本物のプロフェッショナルだと感じた。すみれさんは子どもが悪いことをすると、厳しく叱った。人前でも平気で叱ったし、拓也くん以外の他の子どもに対しても同じように叱った。しかしそのことで不快に思うお母さんは一人もいなかった。すみれさんの叱り方は、自分が感情的になって叱っているのではなく、その子のことを思って叱っているのだという子どもに対する愛情を感じさせる叱り方だった。すみれさんは公園に遊びに来るお母さん方から一目置かれる存在だった。元気は公園の砂場で穴を掘ったり、すべり台で遊んだり、その時間を目一杯楽しんでいた。幸恵は相変わらず人と話をすることが苦手だったので、公園へ行くことは決してなかった。買い物へ行く以外は、一日中家の中にいて、幸太と向かい合っていた。それで息がつまるということは全くなかった。幸恵にとっては家の中に好きなだけいられることがむしろうれしかった。そして幸太が時折見せる笑顔が何よりの癒しになった。
幸太は一歳の誕生日を迎えた。幸恵は近くのケーキ屋さんで苺のデコレーション・ケーキを買ってきた。トド子さんが仕事に出かける前に家族四人で誕生日会をした。BGMにモーツァルトのピアノ協奏曲二十番をかけた。ケーキに一本だけローソクを刺し、それに火をつけた。まだ陽が落ちる前で外は暗くなかったが、カーテンを目一杯閉めて、部屋の中を薄暗くした。「ハッピーバースデイトゥユー」を幸恵とトド子さんが歌い、幸太はまだローソクの火を吹き消すことはできなかったので、代わりに元気が吹き消した。みんなでケーキを食べた。
子供の城で立つための練習を始めようと言われ、まず今からするべきことを習った。幸太が立って手をつけるくらいのちょうどいい高さのテーブルを用意しなければいけなかった。家にはあいにく見当たらなかったので、近所のホームセンターへ幸太と一緒に行き、ほどよい高さのテーブルを探した。なかなかいい高さのものが見当たらなかったので、トド子さんが自分で作ると言い、材料の木材や天板などを買ってきた。トド子さんは大工仕事は意外とうまく、わりと見栄えのいいテーブルが出来上がった。幸太をテーブルに手をつかせて立たせた。幸恵が幸太の後ろから上体が起きるように胸やおなかに手をあてて支え、正しく立つ姿勢にした。この練習を毎日少しずつやっていった。同時に、幸太を壁に軽くよりかからせて立たせてみることもした。幸太は初めのうちは怖がってすぐに幸恵に抱きついてしまったが、幸恵がそばについて励ましているとそのうち何とか出来る様になってきた。それらができるようになってきたら、次は幸太の好きながらがらのおもちゃを使って、がらがらを鳴らして幸恵が「こっちよ~」と誘い、テーブルから片手が離れるようにした。幸太はやはり初めのうちは、がらがらに興味を示しながらも怖がって手を離そうとしなかったけれど、一度ふと離れたことがあり、それ以降は怖がらなくなった。幸恵ががらがらを鳴らして、前や横、そして体をひねって後ろの方まで手を伸ばさせるようにしてみた。しばらくこの練習を何週間かしていると、幸恵が何も言わなくてもがらがらに幸太自ら手を伸ばすようになってきた。意地悪な感じではあったが、がらがらを幸太の手がやっと届くくらいのところに置くと、幸太はがらがら欲しさに精一杯手を伸ばして、足が浮いてしまうくらいになった。
幸太は一歳二ヶ月になった。子供の城で、つかまって立ち上がる練習をするよう指導された。足の底が床にきちんとつく椅子が必要ということだったけれど、あいにく家にはちょうどいい椅子がなかった。そこで元気が使っていた椅子の前に本を積んで練習をした。幸太を椅子に座らせ、足の底を本の上にぴったりと付け、足を肩幅の位置に揃えた。きれいなこしかけの姿勢をまずはとらせた。幸恵は幸太の両ひざを手で支えながら、足底にきちんと体重がのるように押さえた。足底を押さえる時に、体重が足の指先の方にかかるように、やや前方へ押していくようにするとよいとのことだった。こしかけの姿勢から立つという練習を毎日行った。
幸太にずっと何かの度に言葉をかけるようにしてきたけれど、ようやくこの頃になって「バンザイ」と幸恵が言うと、腕を上に上げることができるようになった。そのうち言葉も分かるようになるから全然心配はいらないと子供の城でも言われていた。そのため特に幸恵もトド子さんもあせるような気持ちはなかったけれど、幸太が万歳をした時には、二人とも本当にうれしかった。幸恵の場合はホッとしたという表現の方が適切かもしれない。元気の時には特別言葉を理解させようなどということを全く意識することなく、いつの間にか何となくこちらの言葉が分かるようになっていった。しかし、幸太は完全に意識しながら、いつできるようになるだろうと常に思い、何かプログラムに沿ったように育ててきたので、ひとまず一区切りついたという気持ちになった。トド子さんにとっては、このような子育ての仕方に若干の違和感があったけれど、こんな風にしなければいけないものかと割り切ってもいた。幸太は「マンマ」も分かるようになった。
「マンマでちゅよ」
幸恵がそう言うと、口を開けた。それまで、ご飯を食べさせる時にスプーンを見せながら、「マンマ」とずっと言い続けて幸太の口を開かせて食べさせてきたため、スプーンと「マンマ」という言葉がつながったように思われた。幸太にどうしても構いがちになるため、元気にテレビを見させておく時間がわりと長くなってしまっていた。あまりいいことではないことは幸恵も十分分かってはいたが、仕方がないと割り切り、なるべく内容のよさそうな番組を見させていた。NHK教育を見させることが多かった。元気はその中でも「忍たま乱太郎」がお気に入りのようだった。テレビをつけていると、幸太もぼんやりと元気と一緒になって見ていることがあった。幸太は内容が分かっているのかどうか定かではなかったが、「おかあさんといっしょ」を楽しそうに見ていた。そしていつも番組が終わるとき、テレビの画面に向かって、「バイバイ」と手を振った。その姿を見ると、幸恵にはほほえましくもあったが、時に悲しく思うこともあった。
幸太が一歳四ヶ月になった時から、つたい歩きの練習を始めた。まずテーブルにそって、つたい歩きをする練習から始めた。テーブルの上に幸太がお気に入りだった、木でできたデザイン積み木を幸太から少し離したところに置いた。そして幸恵は幸太に頻りに言った。
「幸太、幸太、つみき、取ってみようよ、つみきよ、つみき、取ってみよう」
幸太はまだデザイン積み木と「つみき」という言葉が一致していないようで、なかなか初めのうちは反応してくれなかった。幸恵が「つみき、取ろう」と何度も言いながら、幸太の手をつかんで、積み木に手を伸ばさせるということを何度も何度もした。初めの日はそれをするだけで幸太も疲れてきたみたいだったし、幸恵も自分が疲れてきたので、それだけでやめた。このことを何日もしなければいけないのだろうという気持ちになりながら、次の日、またテーブルの上にデザイン積み木を置いて、幸太に一応言ってみた。
「幸太、幸太、つみき、取ってみようよ、つみきよ、つみき、取ってみよう」
すると前日はまるで反応がなかったのに、幸太は一生懸命手を伸ばして積み木を取ろうとした。積み木を幸太からあまりに離したところに置いてしまったため、幸太はなかなか手が届かなかった。しかし、右手を必死に伸ばして、積み木を取ろうとした。
「幸太、がんばれ、がんばれ、もうちょっとよ。がんばれ」
幸恵が励ますと、幸太はあきらめずにさらに右手を伸ばして、何とか積み木に触ることまでできた。積み木を置いた場所があまりに幸太から遠すぎたと幸恵も思ったので、積み木を少し幸太の近くに移し、再度、幸太に言った。
「幸太、よくがんばったわ。すごいわ。もう一回つみき、取ってみよう」
すると幸太はまた必死に右手を伸ばして、今度はちゃんと積み木を自分の手許に引き寄せて取ることができた。幸恵は幸太の頑張りに驚き、幸太を精一杯褒めた。
「幸太、すごいわ。できたじゃないの。すごい、幸太。よく頑張ったわ」
この練習はテーブルの上のものを取ることが目的ではなく、その時に伸ばした手の逆の足を持ち上げるところがみそであったのだけれど、幸恵は幸太が足を上げたかどうかを意識していなかった。幸恵は冷静になってそのことを思い出し、翌日この練習をした時にそのことに気をつけていればいいと思い、この日はこれだけで満足した。次の日、幸恵はまたテーブルに積み木を置き、前日と同じ練習をした。
「幸太、幸太、またつみき、取ってみようよ、積み木」
幸太に言うと、幸太はすぐにテーブルの上の積み木に手を伸ばして取ろうとした。ちょうど必死に手を伸ばさないと届かないところに積み木を置いたので、幸恵は幸太の足がどうなっているかをよく見ながら、言った。
「がんばって、幸太。もうちょっとよ」
幸太は自然に左足を浮かせて、右手を一生懸命伸ばして積み木をつかんだ。
「すごいわ。幸太。よくがんばったわね。それじゃあ、もう一回やってみよ」
こんな調子で、何度もテーブルに積み木を置いては幸太に取らせる練習を繰り返した。幸太は幸恵に褒められることがよほどうれしかったのか、毎回懸命に手を伸ばして積み木を取った。何回か同じことを繰り返して、幸恵は幸太の上げた足を右の方へずらして着かせるようにした。幸恵が幸太の足を手で持って右に着かせることを何回か繰り返すと、幸太は自分で積み木を取ってから左足を右の方に着くようになった。
「上手、上手よ。幸太」
幸恵は幸太を手を叩いて褒めた。それから幸太は、積み木を右手でつかむ度に左足を右の方に着くようになった。何度も何度もこの練習をし、完全に右手でつかんで左足を右の方に着けるようになったため、今度は左手でつかんで右足を左の方に着く練習をした。こちらも何度も何度も練習した。これを毎日行っていたら、二週間ほどで幸太はテーブルに手をついて、つたい歩きをするようになった。積み木も何もなくても、つたい歩きをすること自体が楽しいのか、時間があると疲れるまで幸太はつたい歩きをした。
次に子供の城へ行った時に、幸太がテーブルでつたい歩きができるようになったことを話し、実際にそこでやってみせた。すると先生もたっぷりと幸太を褒めて下さり、今度は壁に向かってつたい歩きをする練習をするように言われた。練習のやり方をよく聞いて、早速次の日からその通りに幸太に練習をさせた。まず壁に向かって立たせ、そこでしっかりとバランスがとれるようにした。幸太は初めの日は、壁に向かって立つだけで少し怖がって、すぐにぺたんと座り込んでしまった。
「幸太、大丈夫よ。怖くないよ。幸太ならできるよ。頑張ってみよう」
幸恵は何度も言っては、幸太を何とか立たせ、壁に手をついて立たせるようにした。壁に向かって立たせることができるようになるまでに数日かかった。何とか幸太が怖がらずに壁に手をついて立つことができるようになったら、次にまたデザイン積み木を幸太から少し離れたところで幸恵が持ち、幸太に取らせようとした。幸太は幸恵が積み木を取ろうと言っていることは理解しているようだった。しかし、積み木を取るためには体重を傾ける必要があったために、何とか幸恵の方に向かおうとはするものの、まだバランスを保つことが難しいようで、なかなか動くことができなかった。幸恵もそんなに急にできるようにはならないと思っていたため、毎日幸太があまり疲れない程度に練習した。そのようにして何日もその練習をしていたら、ある日、突然幸太は何事でもないかのように体を動かし、積み木を取った。幸恵は少しびっくりしたものの、何回も同じことを繰り返していると、幸太は完全に体重をしっかり移動させて、積み木を取れるようになった。反対側に幸恵が積み木を持って試したところ、すぐに幸太は逆に体重をかけて積み木が取れた。幸太は体のバランスを保つことにすっかり自信を持ったようだった。それ以来、幸恵が練習をしようと言わなくても、幸太は一人で壁まで這って行き、壁に向かって立ち、右や左に伝い歩きをするようになった。
次に子供の城に行った時、壁に向かって伝い歩きができるところを先生に見せると、先生は幸太を大いに褒めて下さり、今度はカタカタを押して歩く練習をするように指導された。子供の城で、実際にカタカタを使い、どう練習するか教えていただいた。カタカタだけでは軽すぎて、すぐに前につんのめってしまうということで、カタカタの上に幸太の体重くらいの砂袋を乗せて、すべりにくくするといいということだった。子供の城で、その状態のカタカタで幸太に歩かせてみたところ、少し怖がってはいたが何歩か歩くことができた。この調子で家でも練習することになった。家にあいにくカタカタがなかったため、近所のハード・オフに見に行った。わりと安い値段で随分使い込まれたカタカタが売られていた。早速買って家に持って帰った。子供の城で言われたように幸太の体重くらいの砂袋を作らなければいけなかったが、当然家に砂などなかった。近所の公園の砂場でゴミ袋に砂を入れた。大体幸太の体重くらいの砂を入れられた。翌日から幸太にカタカタを押して歩く練習を始めさせた。子供の城でやってみた時より、幸太はぎこちなくしか動けなかった。カタカタにも問題があるように思われたし、教え方のこつがあるのかと幸恵は思った。毎日朝十時からと決めて、カタカタを押して歩く練習をした。幸太はカタカタを押すことは楽しかったのか、幸恵が練習をしようとしなくても、時間があると一人でカタカタを押していた。あっという間に上手に押せるようになった。上に載せていた砂袋をのけても幸太はまるで何事もなくカタカタを押せた。カタカタを押して自分の行きたいところへ行けることがうれしかったように見えた。幸太はしきりにカタカタを押しては部屋の中のいろいろな場所へ行き、お気に入りのおもちゃなどを取っては遊んでいた。カタカタが上手に押せるようになり、次に棒につかまって歩いたり、肩を支えて歩く練習をしたが、これも簡単にできた。幸太にも脚力がそれなりについてきたのだろうと幸恵とトド子さんは話した。
幸太は体力面では順調に成長できているようで、子供の城でも褒められた。筋力をつけることと同時に、知能面での成長も図れるようにそれまでにもいろいろな練習を行ってきた。この頃は、帽子や靴などを自分で被ったり、履いたりできるようになる練習をしていた。幸太の前に帽子や靴、くしなどを置いて、帽子を被ったり、靴を履いたりできるようになる練習をした。幸太にとっては、体を使う練習、もっとも幸太にはそれが何かの練習だという意識は当然なかったのだけれど、それらの練習は楽しかったのか、すぐにやってくれた。しかし、知能面での練習は気乗りがしなかったようで、それをさせるのに幸恵はそれなりに苦労した。帽子や靴を目の前に置いて、
「幸太、これ、お帽子よ。被ってみようか?」
幸恵は頻りに言い、実際に自分で被ってみるものの、幸太は全く無反応で、帽子に触ることすらしなかった。毎日、幸太の前に帽子や靴などを置き同じようにしてみたけれど、幸太はいつも全く反応しなかった。何かの工夫が必要だと幸恵は思ったものの、どうすればいいか分からなかったので、次に子供の城に行った時に先生に聞いてみることにし、とりあえずこの練習はあきらめた。
幸太が持っているおもちゃを渡してもらう練習に切り替えた。幸太はやはりデザイン積み木がお気に入りで、よく一人で遊んでいた。幸恵は幸太に言ってみた。
「幸太、積み木、積み木、ママにちょっと貸してちょうだい」
幸太は何を言われたかは理解したようだったが、どうして自分が楽しく遊んでいる積み木を幸恵に貸さなければいけないのかが納得できなかったのか、渡そうとはしてくれなかった。幸恵もすぐにできるとは思っていなかったので、やり方を変えてみた。
「幸太、ママが積み木でお城作ってあげるから、積み木貸して?」
そして幸太が床に置いていた積み木を何個か取り、縦に積み上げた。
「ほら、高くなったでしょ。もっと高くしましょ。ママに積み木貸して?」
幸太は積み木で遊ぶといっても、まだ上に積むことはできず、床に一つずつ色違いに並べるだけだった。そのため、積み木が初めて高くなったことがうれしかったのか、幸恵に素直に積み木を渡した。幸恵は倒さないように慎重に積み木を積んで、お城のような形にした。幸太はうれしそうな笑顔を浮かべて、幸恵が作ったお城を色々な方向から眺めた。積み木でこんなことができるんだとでも言わんばかりに、新しいことを発見したような表情を浮かべ、にこにこしてお城をしばらくの間眺めていた。幸太はこの頃、積み木でばかり遊んでいたので、幸太の持っている物を渡してもらうといっても積み木以外には何もなかった。それからしばらくは毎日、幸太に積み木を渡してもらっていた。幸太にとっては、幸恵に積み木を渡すとお城を作ってくれるので、何の躊躇もなく幸恵に積み木を渡した。こういうことでいいのだろうかと思いながらも、それ以外に方法がなかったのでしばらくはそうしていた。
その次に子供の城へ行った時に、幸恵は先生に幸太から積み木を受け取るやり方が正しいかどうか尋ねてみた。一回、普段家で行っていることをやってみるように言われ、幸恵は普段通りのことをしてみた。
「その通りでいいですよ」
先生はそう言って下さった。帽子や靴などを自分で被ったり、履いたりする練習の仕方についても尋ねた。靴については、まだ月齢的に自分で履くことは不可能なので、それが履くものだという認識ができれば十分とのことだった。先生が実際幸太の前に帽子や靴などを並べ、練習の仕方を教えて下さった。
「幸太くん、幸太くん、今、目の前に何があるかなあ?何だろう、これ。何するものかなあ。幸太くん。分かるかなあ。これは帽子。こうやって被るものだよ。幸太くんも被ったことあるよね。いいかなあ。これは帽子で、こうやって被るものだね。それで、こっちのは靴。お兄ちゃんたちも履いてるよね。これは靴で履くものだよ。帽子を先生が被ってみるよ。幸太くんも真似できるかな。帽子はこうやって被るものだよ。靴はこうやって履くもの。幸太くんは靴を履くのはまだ難しいよね。靴を履く真似だけしてみようか?」
幸太は先生に言われると、何かをしなければいけないことは分かるようで、それでも何をしたらいいかが分からず、とまどった表情をした。
「幸太くん、ゆっくりできるようになればいいからね。これから、ママと毎日この練習をしようね」
幸恵はこんな感じで練習していけばいいことが分かり、それほど頑張る必要はないと思い安心した。次の日から幸恵は毎日幸太の前に帽子などを並べ、教えていただいた通りの練習をした。いつかはできるようになると、気楽な気持ちで幸恵は毎日同じことをした。三週間ほどずっと同じことを繰り返していたら、幸太は帽子をとって頭に被った。
「すごいじゃない。幸太。できたわ。幸太はほんとにかしこい子ね」
幸恵は自然に言葉が出た。トド子さんに早速幸太の頑張りを見せた。幸太はまたすんなりと帽子を被った。
「幸太。ようやったわ。すごいやないの。どんどん、かしこなるわね」
トド子さんもびっくりして、素直に言葉が出た。幸太は二人に褒められてにっこりしていた。それからしばらく帽子を被っては外し、また被っては外すということを繰り返していた。幸太の療育は、環境に恵まれたこともあり比較的順調に進んでいるようだった。幸恵にとっては次から次へと課題を与えられて、まるで中学生の時の試験勉強の連続のような毎日だった。しかし、トド子さんがそのあたりはうまくバランスをとってくれた。トド子さんは客商売が長いせいか、あるいは生来のものだったのか、人の心の状態を察することが抜群にうまかった。幸恵がしんどい気分でいる時は、何気なく気持ちがほぐれる言葉をかけた。自分から積極的に幸太を支えることも厭わなかった。おそらくダウン症の赤ちゃんを育てるには最適な環境の中で幸太は育てられた。
幸太が一歳七ヶ月になった時、自分ひとりで床から立ち上がる練習を始めた。幸恵が後ろから介助して、まずはしゃがむ姿勢をとらせた。そして、この頃お気に入りだった布のボールを上の方にぶら下げた。
「幸太、幸太。ボール取ってみようよ。ボール」
幸恵はしきりにボールを連呼した。幸太はボールを取ろうとする意識はあるものの、まだ足の筋力がそこまでついていないのか、あるいはこつがつかめないのか、うまく立ち上がることはできなかった。幸恵はいつものようにそんなに簡単にできるようになるはずはないと気長に行おうと、毎日午前十時から三十分ほど練習をした。一ヶ月毎日練習したけれど、立ち上がることはできなかった。子供の城へ行き、その話をしたところ幸太の体重のかけ方に問題があるのではないかということで、先生が実際に幸太を介助して立たせてみた。体重を前にかけぎみにし、足の底の方へ力を入れるようにして立たせてみると、幸太はいとも簡単に立ち上がった。あまりのあっけなさに幸恵はびっくりした。次に介助を幸恵が交代して、先生がされたようにやってみた。すると驚くほどあっけなく幸太は立ち上がった。幸恵は改めて何事も少しの違いで、できる、できないが決まることを学んだ。次に、はいはいの姿勢から立ち上がる練習をしようということで、早速その場でやってみた。すると幸太は一発目で立ち上がれた。その日は幸恵はとてもうれしい気持ちで家に帰った。次の日から、いよいよ歩く練習を始めた。幸太を壁によりかからせ、幸恵がそのすぐ前に立ち、布のボールを持ち、頻りに何度も言ってみた。
「幸太、ボールよ。取ってみようか」
やはり幸太は初めの何日かは怖がってそこから動くことができなかった。しかし、何日目かの朝、それまでの色々な練習で足の筋力も十分ついていたのか、幸太は足を一歩前に踏み出すことができた。それだけで幸恵は大変うれしくて、幸太を両手で受け止めた。
「幸太。やったじゃないの。よく頑張ったわ。すごくかっこいいわ。幸太」
幸太は幸恵に褒められて、うれしそうににこにこと笑った。それから毎日毎日歩く練習をした。幸太は二歩、三歩と徐々に歩けるようになっていき、テーブルに置いた布のボールを取りに行けるようにもなった。幸恵は幸太を精一杯褒め称えた。
幸太が二歳半になった頃から弁別学習ということを始めた。これは言葉の理解力を高めるために、絵が描かれたカードを幸太に見せ、そのカードに描かれた絵と言葉を一致させるというものだ。
まず厚紙を切りカードをたくさん作り、それに絵を描いた。絵は本物に近いものの方がいいということだったので、図鑑を真似しながら幸恵が描いた。そして幸太の前にカードを四枚並べて置いた。分かりやすいものから置いた。犬、椅子、風船、はさみの絵を置いた。犬はワンワンと言い、幸太に分かりやすいようにした。何度も何度もワンワンはこれ、椅子はこれと言い、ワンワンと言ったら犬のカードを指で差すことを幸太が理解するようにした。初めは幸恵が自分でワンワンと言い、自分で犬の絵を指さした。そしてそれを何度も繰り返してから、幸太の手を持ち、犬の絵を指差した。幸太はなかなか集中することができなかった。楽しくのんびりするようにと子供の城で指導されたものの、楽しくすることは難しかった。幸太がこのことを嫌いにならないように、幸恵はひたすら笑顔でワンワンはこれ、椅子はこれと言い続けた。幸太は何をしようとしているのかなかなか理解しなかった。それでもいつかは分かるようになるだろうと幸恵は根気よく毎日毎日同じことを繰り返した。幸太は時に全くやる気にならない時もあったが、そんな時もとりあえず幸恵は一人でこれはワンワン、これは椅子と言い続けた。百枚のカードを作り、それを全て指差しできるように頑張ることになっていたけれど、幸恵はなるようになるという気持ちで、ただひたすら毎日同じことを繰り返した。
毎日毎日を夢中で過ごして、あっと言う間に時間が過ぎていった。いろいろな苦労が幸恵にもトド子さんにもあったが、子どものことを考えるとどんなことにも耐えることができた。幸太は本当によく笑う子どもだった。元気もよく笑う子どもだったけれど、幸太の場合は質が違うとでもいうように本当によく笑った。幸恵もトド子さんも幸太を見るといつも幸太は笑顔を浮かべていて、この子の体の中には幸せしかないように感じられた。
時代はバブルがはじけて景気が悪くなり、トド子さんの店もお客さんの数が目に見えて減り、そのままトド子さんの給料も減り家計は厳しくなっていた。しかし、幸恵がうまい具合にやりくりして何とか日々を過ごしていた。トド子さんは他の仕事をする気は全くなかったし、働いていたお店の人もお客さんも、いい人ばかりでお店を変わりたくなかった。幸恵もそんなトド子さんの気持ちをよく分かっていたので、もしいよいよお金に困ったら自分がどこかに働きに出ようという気持ちでいた。しかし、幸い何とかトド子さんの収入で生活は成り立っていた。
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