第10話

「あたしたち、もっと忙しいのよ。

 みんな、やらなきゃならないこと、たくさんあるんですもの。

 せめてここでは楽しく過ごさせてよ」


 カサゴの娘がきっぱりと言うと、


「そうよ。

 だいたい、あなた、普段からひどいことばっかり言ったりやったりしている癖に、困ったときだけ優しくしてもらおうだなんて、図々しいわ。

 違うというなら、一度でもよくしてあげたことのある魚に慰めてもらえばいいじゃない」


 イワシの娘も言いました。


 ユイの怒りが火を着けたように燃えあがりました。

 頭の中が、言えなかった言葉でいっぱいになって、ぐるぐる廻りました。

 ユイは店の戸を乱暴に開けると、そのまま外へ飛び出していきました。


 両手で激しく水を掻き、尾を絶え間なく左右に振りながら、ユイは泳ぎました。

 誰か、誰か、あたしを助けて!と、心の中で叫びながら。

 

 誰かいないか、誰かいないかと、目まぐるしくユイは考えました。

 そのとき、誰かの「ルカちゃんのお母さんも亡くなったんだよ」という言葉が光のようによみがえってユイの胸を貫きました。


「そうだ! ルカなら助けてくれる!」

 

 ユイは思いました。


「ルカのところへ行けばいいんだ。

 同じ立場なんだから、絶対にわかってくれる。

 そして、あたしをこの苦しみから救ってくれる」


 母親を亡くしたばかりのルカへの思いやりや配慮はみじんもなく、ただただ自分のことだけを考えて、ユイはルカの家を探すことに決めました。





 

 ドンドンドン!

 ドンドンドン!!


 ルカの家の扉が荒々しく叩かれました。

 古い扉が壊れてしまいそうで、ルカは慌てて声をかけました。


「どちらさまですか?」


 ドンドンドン!!

 ドンドンドン!!!


 扉の向こうの相手は何か言っているようですが、凄まじい音にかき消されて、何を言っているのか聞き取れません。

 けれど、自分ひとりになった今、安易に戸を開けるのはためらわれました。

 ルカはもう一度、声をかけました。


「どちらさまですか?」


「開けてよ! 早く開けてったら!」


 扉を叩く音の間から切れ切れに、叫び声が聞こえました。

 若い娘の声です。


「これ以上この調子で叩かれたら、扉が壊れてしまうわ。

 何しろ古い家だもの…」

 

 ルカは用心して扉を細く開けました。


「何してるのよ! 早くしてよ!」


 相手は怒鳴りながら、その隙間に手をかけて無理やり扉を開けると、家の中へ滑り込んできました。


「何をぐずぐずしているのよ!」


 ユイです。

 ルカはあっけにとられてユイを見つめました。


「…どうしてユイがあたしの家へ来るの?

 それに、どうしてここを知っているのかしら…?」


 ルカとユイは互いに行き来するほど親しくはありません。

 ふたりが声を交わしたのは、ユイがウツボの店で飾り櫛を買ったときだけです。


「サメの男の子たちと遊んでいたとき、家へ帰ろうかとちらっと思ったけど、楽しかったから、まあいいや、次の日にすれば、と思ったの!

 次の日は、エイの店でお酒を飲んでいたら、ちょっと母さんのことを思い出したんだけど、特に気にしなかったの!」


 ユイがすごい剣幕でまくしたてるのを、ルカは茫然と聞いていました。


「この娘、一体、何のことを言っているのかしら…?」

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