第36話 瓜二つ
オービットの目の前には一つの小瓶があった。今、巷で流行りの異世界トリップ薬とも呼ばれる代物。取り扱いは、ヒートという商人が営む店『トワイライト』のみ。もちろん一見さんお断りの商品で、ついに時価は王都の出稼ぎ労働者が稼ぐ額の十年分を越えた。となると、金持ちの貴族でも、趣味道楽の一環で買うには高すぎるオモチャになる。もちろん第二王子のオービットでも、こうして入手するまで随分と時間がかかってしまった。
(手の者の情報によると、兄上の恋人は異世界人らしい。どんな方なのだろう……)
しばらく前、離宮に入るサニーの姿を遠目に見たのだ。サニーは笑顔だった。オービットも鏡の前で笑顔の練習をしてみたが、その時のサニーのような心からの笑みを浮かべることはできない。
(僕も異世界に行けば、笑顔になれるだろうか)
ラックが少し無理をして小瓶を入手してオービットに献上したのは、オービットにサニーとの差をつけて、王位継承権第一位を奪って欲しいという下心があるからだ。オービットとてそれは分かっているが、今はそれをそ知らぬ顔で利用している。
(僕も見たい。もう一つの世界を!)
オービットがジャムの中身を口の中に全て注ぎ込み、その独特な甘みの強さにくらくらしてしばらくした時。少しずつ視界の景色は揺らいでいった。
(ここは……)
床はダンクネス王国の室内では一般的なタタミや板張りではなく、ふかふかの絨毯。窓辺には御簾やショウジの代わりにひらひらとした布切れが揺れていて、壁天井、そして並んでいる机や椅子に代表される調度類には優美な曲線が多様され、かなり意匠を凝らしたものばかり。オービットでなくとも、ここがダンクネス王国ではない|のだとすぐに気づくことができる風景が広がっていた。
「お前は誰だ?」
オービットが振り向くと、そこには自分よりも少し年下の偉そうな男が立っていた。ダンクネス王国では見慣れない、体にかなりフィットした衣服ではあるが、上等な身形であることは明らか。さらに、その男の斜め後ろには側近らしき者の姿もあることから、かなり身分が上の者だと当たりをつけた。
「私はダンクネス王国第二王子オービット・ダンクネスと申します。先触れもなく突然罷り越しましたこと、どうかお許しください」
オービットの周囲にはかなり年の離れた者から宰相を始めとする大物も多い。それらの人物の真似事をして平静と威厳を保つことぐらい、オービットには朝飯前だ。
「わ、私はシャンデル王国第一王子のエアロス・シャンデルだ。ようこそ我が国へ」
対するエアロスは落ち着き払ったオービットの態度に慄いて、足が竦みそうになっている。オービットの姿を見て、肩書きを聞いた途端、あのサニーの弟だと理解できたのは良いものの、早速あの完膚なきまでの敗北感を思い出してしまったのだ。こんなところで物怖じしている場合ではないと、背後に控えるリングは内心舌打ちするのだが、そんな様子にも気づけないエアロスである。
「私はこちらへ来るのが初めてです。エアロス殿には迷惑千万な話だろうが、たまたまやってきたのがここだったことは、私にとって幸運だった」
「オービット殿はキプルの実を?」
「はい。兄の想い人のこと、そして別の世界を見たくなったのです。そのためには、エアロス殿のような上に立つ者とすぐに接触する必要がありましたから。あ……どうなされました?」
エアロスはふらりと立ちくらみを起こしたのだった。白を高貴な色だとされてから、王族も日に焼けることを好まなくなって久しい。エアロスもほとんど外に出ることなく毎日を過ごしているため、体力的にも体格的にも貧弱なのである。オービットはすかさずエアロスに駆け寄った。
「すまない。少し、オービット殿の兄君のことを思い返して……」
と、その時、エアロスの袂からコロリと半円状の物が転がり落ちた。
「落とされましたよ」
リングが拾ってオービットに手渡す。それは、サニーがルーナルーナから預かっていたはずの半身の神具だった。
(しまった。兄上の捜し物を効率良く見つけるために失敬した物を、うっかり持ってきてしまったな)
実は、サニー達があちらこちらの街へ出向いて情報収集に明け暮れている間、オービットの手の者がサニーの部屋から持ち出していたのだ。
(大切な物だから、肌見離さずに持ち歩いていたのが仇になったか。いや、待てよ。もしかするとエアロス殿はこの神具について知っているかもしれない)
「オービット殿、こちらへ」
エアロスはオービットを王家の宝物庫へ案内していた。普段は一般人が立ち入ることは許されない場所だ。しかし、異世界からの来客という稀な事態に浮足立っていたエアロスは、王や王妃への紹介を済ますこともなく、先にここへ連れてきてしまった。
「素晴らしい……」
オービットは心からの称賛を送った。ダンクネス王家にも宝物庫があるが、中は武器類が多い。しかしシャンデル王家の場合は、大量の装飾品を中心とした宝が山積みになっていたのである。
「確か、磨いたところで光りもしないのに、ここに入っている変な物があったのだ。確か、それと同じような外見だったかと思う」
エアロスはそう言いながら奥へと進んでいき、古ぼけた木箱を高い所から取り出してきた。
「あった、あった。これだ」
「見せていただいても?」
「もちろん」
オービットは目を見張り、生唾を飲み込んだ。それは、半身の神具と瓜二つだったのだ。
「これはまるで、元々一つだったものが割れて、二つになったかのような見た目だな」
オービットもそれに同意して頷く。それしかできなかった。感激に打ち震えていたのだ。まさかこんなに早く見つかるとは思ってもいなかった。きっとこれから何十年もかかると信じていたのに、もう目の前にそれがある。
(これがあれば、兄上の恋は実る!)
オービットが拳を強く握ったその時、エアロスがこんな事を言い出した。
「この二つ、くっつけるとどうなるんだろうな?」
エアロスはおもむろに二つの神具を手に取ると、ゆっくりとそれらを近づけていった。
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