第6話 二度目の逢瀬と申込み

 ルーナルーナは、必死に目をこらした。どう見ても、ここは先程までいた自室ではない。かつ、つい前の晩に見た木材丸出しの質素な部屋そのものに見える。


(大丈夫。これは夢のようなもの。この前だって、眠れば元の見慣れた部屋に戻ることができたのだから)


 そう自身に言い聞かせながらも、目の前の男と再び巡り合えたこのに胸の高鳴りは抑えられそうもない。


(ずっと眺めていたいぐらい綺麗な男性だわ。少しぐらい髪に触れてもいいかしら? でも、起こしちゃったらどうしよう)


 ルーナルーナはおそるおそる手を伸ばそうとした。


 ――パチリ


 と音がなった気がした。目の前の男が長い睫毛を持ち上げて、はっきりとその瞳にルーナルーナの存在を捉えたのだ。そこからは、またもや素早かった。


 横向きに寝ていたルーナルーナは完全に仰向けに押し倒され、視界には天井ではなく、彼女を覗き込む男の姿が。しばらく見つめ合う二人。驚いて動けないルーナルーナが、神も羨む容姿だと思った瞬間、その男はようやく口を開いた。


「おはよう」

「え?」


 現在、二十の刻を過ぎて少し経った頃合い。ルーナルーナの常識において、「良い夜ですね」と言われることは肯んじても、このタイミングで朝の挨拶などありえない。けれど、男はルーナルーナの剣呑な視線など、どこ吹く風。眩しいばかりの笑顔を彼女に見せた。


「寝起きから意中の人に会えるなんて、俺の人生はついてきたのかもしれないな!」


 これ程間近ではイケメン耐性の無いルーナルーナ。しかも一般的には貞操の危機を迎えているような体勢だ。目眩を起こしそうになりながらも、何とか意識を保つことに集中する。


「あの……」

「あれ、言わなかったっけ? 俺はサニウェル。サニーって呼んでほしいな。で、君の名前は?」


 寝起きの良いサニーの勢いに負けて、ルーナルーナは正直に名を告げる。


「ルーナルーナか。良い名前だな。月の女神の名前を二回連ねるなんて、安らぎの闇を象徴する黒に愛された姫にはぴったりだ」

「姫なんて大層なものではありません。辺境の村から出てきた平民で、今はここ、シャンデル王国の後宮に務める侍女です」


 ここで初めて、サニーから表情が抜け落ちた。


「え……シャンデル王国? どこだ、それは。ここはダンクネス王国だぞ」

「ダンクネス王国? どこ、それ。私、知らないわ」


 途端にカタカタと震える二人。ルーナルーナがひたすらに混乱する一方、サニーは昼間(と言っても夜中過ぎの時間帯だったが)アレスとメテオから告げられた話を思い返していた。


「では、あの話はやはり真実だったのだな」

「あの話って?」


 ルーナルーナはサニーの独り言を拾って、首を傾げる。


「この地には、二つの次元が重なって存在している。俺と君がこうして顔を合わせられるのは、次元が歪んだせいなんだ。本来重ならないはずの二つの世界が一時的に結ばれて……」


 サニーは、ルーナルーナの黒髪を梳くようにして掬った。


「こうして触れることもできる」

「お伽噺みたい」

「そうだね。お伽噺みたいに、このまま君と結ばれることができればいいのに」


 少しずつ近づく二人の唇。後五センチ。後四センチ。後三センチ。

 ルーナルーナの限界は、ここまでだった。真っ赤になった顔をブンブンと左右に振る。


「待って! こういうのは段階を踏まなきゃいけないと思うの!」

「こんなに近くにいるのに、次はいつ会えるか分からないのに、我慢しなきゃならないのか?」

「あ、あのね、こういうのは夜会などでダンスした後にするものなのよ!」


 これはルーナルーナの理想であり、口からの出任せである。半分パニックに陥っていた彼女は、喋ることでどうにか場を持たせようと必死だった。


「うむ。シャンデル王国では、そういう習慣があるのか」

「そ、そうよ!」


 そこで、ルーナルーナはハッとする。これは良い考えだと思い立った時には、その願いが口から飛び出していた。


「あ、あのね、今度王城で夜会があるの。そこで私をエスコートしてくださいませんか?!」

「夜会……エスコート……。つまり、俺がルーナルーナの正式なパートナーであることを内外に知らしめる機会!」

「あの、そんな大それたものではなくてですね、今回だけ恋人のフリというか……」


 ルーナルーナが慌てて訂正しようとするも、サニーはすっかり自分の世界に入り込み、背後に薔薇を咲かせているかのような笑顔だ。


「えっと、まずは、サニウェル様のご予定をご確認いただいてからで結構ですので、もしお受けくださるのならば明後日の夕方までにお返事を……」

「ルーナルーナ、サニーと呼んで?」

「はい……サニー」


 ルーナルーナがモジモジしている間に、サニーは彼女の髪にキスを落とす。そもそも適齢期の男性に触れられる経験が皆無の彼女は、それだけで顔が沸騰しそうになった。


「よし、分かった。こうとなれば、側近とも相談して事前準備もせねばなるまいな。返事は明日のこの時間だ」


 それを聞いて、ルーナルーナはやっとのことで少し冷静さを取り戻す。


「でも、次元の歪みが発生するのは偶然のものなのですよね?」

「偶然は必然にすれば良い。愛の力で!」


 ルーナルーナはプッと噴き出しそうになったが、仕事で鍛えた鉄仮面を被り、真顔で持ちこたえた。


(この人、火遊びに興味を持ち始めたお金持ちのお坊っちゃんって感じがするけれど、もしかしてちょっと頭が悪いんじゃないかしら? でも、困っている私をすぐに助けてくれようとするところは、とっても優しいわ。それに、近くにいるとすごく安らぎを感じるの!)


「せっかくだから、ドレスも贈りたいな。どんなのが好きかな?……って、あれ?」


 その時、サニーは彼女の首元の傷に気がついた。ルーナルーナの瞼は少しずつ閉じていく。


「ルーナルーナ、ごめんね。もう二度と君を傷つけたりしないよ」


 サニーは王族のみが使える治癒の魔法をルーナルーナにかけた。たちまち傷が消えていく。そして、ルーナルーナ自身も消えていった。



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