第四十話 理想と想い――シュヴァルツ

「ぐ、あああああ……っ!」


 我ら魔族軍の攻撃によって、眼前の女騎士は宙を舞った。


「ようやく倒れたか。では、勇者アレスを追い――っ!」


 これで心置きなく人界を落とせる。そう確信していたのだが……

 シフォンと呼ばれていた女騎士は、再び立ち上がった。


「馬鹿な……これで何度目だ……! この軍勢相手に勝ち目はないと、なぜ理解できない……っ!」


 僕を含む、魔族軍全員が騒然とする。

 いくらボロボロになっても立ち上がるシフォンは、さながらゾンビのようだった。


「勝ち目がない事などわかっている……だが、私はリーネ様を守る者だ。死んでも、ここを通すわけには、いかない……ッ!」


 そこには、命を賭してでも大切なものを守るという、騎士の矜持が籠められていた。 

 そこで思ってしまった。

 ただ誰かを守りたい。その純粋な彼女の想いは、美しい。昔僕が抱いていた、すべての人が幸せになれる世界などという理想とは、比べ物にならないほどに。

 何故なのだろうか。それは、根本の、願いそのものの問題なのか。それとも……

 それを叶えようとする、姿勢の違いなのだろうか――


「ぐ……っ」


 吐き気がする。酷く頭も痛い。その事を考えると何故だか腹が立って、あの女騎士を直視できない。

 自分自身の中にあるエゴや欺瞞が、余さず浮き出てくるようで――

 いや、今は余計な事は考えるな。もうすぐだ。もう少しで人界を落とせる。

 そして、人界も魔界も一つにして、平和な世界をつくるのだ。僕の夢見た理想を、実現させるのだ。


 ああ、だけど――

 今僕の目の前には、ただ主を守りたいと願って戦い、ボロボロになっている女騎士がいる。

 この後も、もっと多くの人間を傷つけ、殺さねばならないだろう。

 僕の理想は――その果てに叶うのか? 真の平和とは、真の幸福とは、こんなものの先に存在しているのか?


 だけど、仕方がないじゃないか。

 デルタも、他の死んでいった臣下も――先に犠牲を強いたのは人界の方。ならば、僕達は、こうするしか道はない。

 それに、ヴァサゴが命を賭して僕に道を示してくれた。甘いだけでは駄目だと。犠牲がなければ、真の幸福は実現できないと。

 だから、ここで迷うわけにはいかない。僕は、冷酷無慈悲な魔王だ。魔族の未来のため、人界をここで落とす――!


「ま、魔王様……っ!?」


魔剣グランドデス抜刀トラクションを使う。それが、一番早いだろう」


 魔力を溜める。人界最初の犠牲は、僕自身が強いるべきだ。しかし、その直前――


 僕のものとは比べ物にならない魔力が、どこかで生じた。


「……なんだ、この魔力は……!?」


 全体がどよめく。

 と、同時に、空間転移の魔法陣から、ジョーカーが飛び出してきた。


「これは……十中八九カオスのものだな」


 そんな風にジョーカーが呟いた直後、レッカ、ムラジ、ショコも魔法陣から現れた。

 しかし、そんな事を気にしている場合ではない。

 だって、あの魔力は、あまりにも桁違いすぎる――ッ!


「たしかに僕は、人界を征服し、真の平和を実現したい。だから、決して人界の民を虐殺しようとは思わない。

 でも、あの魔力は……この王都どころか、周辺の地区まですべて飲み込むぞ。いや、下手したら人界全土……どころか、魔界にまで届くかもしれない……!!」


「そりゃあそうだ。言っただろ、カオスがこの世界を創ったと。創る事が出来るなら、壊す事だって出来る。あいつは、それだけの力を持っていやがる……ッ!」


「……!」


 僕は戦慄した。

 たしかに、ジョーカーからカオスの情報は聞いていたし、前世では会った事もある。

 だけど、こうして世界を滅ぼせるだけの魔力を見てしまったら――あまりのスケールの違いに、動けなくなってしまう。


「さて、俺の目的はカオスへの復讐だ。当然、あの魔力の渦巻く方へと行くが……お前はどうする?」


「僕は……」


 動けない。僕だけじゃないだろう。あんなものを見てしまっては、この場にいる全員が絶望してしまうに違いない。

 だけど。


「魔王様、私は行きます。私が生まれた魔界も、ムラジが生まれた人界も、私は失いたくはない。それでは」


「俺も行く。俺に大した力はないし、何も出来ないかもしれない。でも、黙って見ているだけなんてもっと出来ない。

 それに何より、まだ傷が完治しきっていないレッカを、一人であんな場所に送り込めるか」


 ジョーカー、レッカ、ムラジの三人は、そう言ってあの膨大な魔力源の元へと向かって言った。

 さらに、


「……っ!」


 魔族軍にやられて満身創痍の女騎士シフォンまでもが、ボロボロの身体を引き摺り、その後を追う。


「おい、そんな身体で向かうと言うのか、人間……!」


 魔族の一人が声をかける。


「あたり、まえだ……。あちらは、リーネ様とアレス様が向かった方角。ならば、助けに行かないと……」


 その言葉に、この場にいる全員が絶句した。

 規格外の存在であるジョーカーや四天王のレッカだけでなく、ただの村人やボロボロの女騎士までもが、あんな、見るだけで逃げ出したくなる、とんでもない魔力の渦中へ向かっていったのだ。

 その各々の背中を見て、何を感じたのか。魔族の一人が、口を開いた。


「俺も行く」


 その言葉に、皆がざわめく。


「世界の危機なんだろ。なら、魔族も人間も関係ない。我らは手を合わせて、この危機を乗り越えないと」


 それは、至極まっとうな言葉だ。だけど、そう思って踏み出せる人間がどれほどいることか。

 恐怖、不安、絶望。そういった感情がある限り、あんな災厄の中に自ら飛び込む事など出来っこない。しかし――


「僕も行こう」

「私も!」

「俺も!」


 次々に、魔族の皆から声が上がった。

 いや、声が上がっただけではない。皆は世界を崩壊させようとする巨大な力に向かって走り出した。


「嘘……信じられない……」


 いつの間にか、魔法陣の向こう側からこちらにやってきていたショコが呟く。

 僕は、それに同意を示した。


「ああ、僕も信じられない。けど――」


 だけど。それでも。

 例えどんな状況であろうと。どれほどの絶望にさいなまれたとしても。


「僕は魔王だ。皆が危険な場所に赴こうとしているのに、一人だけ後ろから見ているわけにはいかない」


 動かない足に力を籠める。

 そうだ、何を難しく考えていた。

 ただ、誰かを守りたい。その想いを美しいと思うのならば。

 僕は魔族を、そしてこの世界を守りたい。

 理想だとか、幸福だとか、そんなものを考える必要などない。

 ただ、守りたい。それでよかったのだ。

 ならば、今立ち向かうべきは人界ではなく――

 世界を壊そうとしている元凶だ。

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