第三十八話 近くにあった幸せ――アレス
屋敷からある程度離れた路地に着き、俺はリーネを降ろした。
だが、頭の整理が全くつかない。ローズが魔族と繋がっていた? そんな、ありえない。いくらなんでも、物語とかけ離れすぎている。
俺は、物語の通りの結末を迎えたかった。
それはつまり、アレスが魔王を倒して名実共に勇者となり、そして、ローズと結婚するというもの。
多少強引な手を使ってでも、俺はその結末を掴み取ろうとしてきたのに、ローズが魔族の内通者であったのならば、そもそもの前提からして崩れてしまう。
カオス、ジョーカー、ムラジ、魔王などの
でも、その望みは完全に
「どうしてここまで
多少のずれなら何とかなった。
でも、ここまでホーリーブレイヴの物語から変質しているのなら、それはもう、同じ世界観であるだけの――完全な別物じゃあないか……ッ!」
わけが分からず、俺はそう叫び、路地の壁を叩いていた。リーネが見ていることを失念するくらいに、完全に理性を失っていたのだ。
我に返った俺が後ろのリーネを見た時にはもう遅かった。彼女は唖然とした表情を浮かべている。
まずい……いや、別にいいか。もう、俺の人生は終わったようなものだ。
ローズが持っていた魔法陣は、空間転移の拠点となるもの。あそこから魔族軍がどんどん出てくるだろう。
王都に直接魔族軍が現れたらどうなるか。想像に難くない。
何が勇者だ。俺は結局、物語の筋書きに拘泥してローズを妄信し、結果、その所為で魔族軍の王都侵入をゆるした。
この後は、戦いなど出来ぬ一般市民もいるこの王都が戦場となり、多くの犠牲が出るだろう。
結局、俺は勇者どころか大戦犯なわけだ。本当に――もうどうしようもない。
「筋書き……? ホーリーブレイヴの物語……? アレス、もしかして……」
しかし、リーネの反応は予想外のものだった。
「アレス……突拍子もないようなことなんだけど……前世の記憶はある?
そして、前世で、この世界のことを物語として読んだ記憶は……?
それとカオスって言う名前の、いきなり人を刺してくるような人に、会ったことは……?」
リーネが、慌てたように質問を重ねる。
「……ある。前世の記憶も、ホーリーブレイヴを読んだことも、カオスに会ったことも。その口ぶり、もしかすると、君も」
「あなたも……」
俺とリーネは、声を揃えて言った。
「「転生者……!?」」
そこで、俺はようやく理解した。
ああ――そういう事だったのか。
「は、はは。そりゃあ話も変わるはずだ。俺以外にも転生者がいたのなら」
どうして今までその可能性に行き当らなかったのだろう。
カオスの言葉をそのまま信じていたのか、はたまた自分を特別な存在だと思い込みたかったのか。
――多分、後者だろうな。
俺は、魂の捻じ曲がった人間なのだろう。本当に、いつも自分のことばかりで、何も見えていなかった。前世でも、現世でも。
「と、なると、物語と明らかに違う行動をしていた奴らも、俺達と同じ転生者だったんだろうな。
元凶だろうカオスと、カオスと何らかの因縁がありそうなジョーカーはまた別だろうが……俺が会った中だと、ローズ、魔王、ムラジあたりか」
だとすると、もしかしたら魔王も、策略ではなく本当に和平を求めようとしていたのかもしれない。
何せ中身が違うのだから。
つまり、魔王がこのような手段に出たのも俺の責任か。
俺が和平勧告を信じず、それどころかその善意を利用し、奇襲を仕掛けた。その所為で、魔王の考えを変えてしまったのかもしれない。
だったら、俺が降伏を申し入れるしかない。当然、どうあれ俺の首は飛ぶだろうが、それで戦争を止められるなら、それに越した事はない。
まあ、今更そんな申し入れをしたところで、聞いてもらえない可能性も大いにあり得る。
そうなってしまったらもう、それこそ魔族軍と戦うしかない。
泥沼の戦争に突入してしまうだろうが、その前に俺が少しでも魔族軍を減らせれば、人間側もやりやすくはなるだろう。
どちらの展開になるにせよ、俺は殺される事になるだろうが……しかし俺の所為でこんな事になってしまったのならば、責任は取らなければならない。
そう思い、路地から出ようとした――その時、
「いかない、で……」
あの日と同じように、リーネが俺の服の裾をつまんでいた。
俺が死にに行くと感じ取り、止めようとしているのだろう。
だけど、それは――
「君が俺を止める理由はないだろう。
俺はホーリーブレイヴの勇者アレスじゃない。そのガワに転生しただけの、性根の腐った醜い男だ。
それに、君には辛くあたってばかりだった。物語のリーネの色眼鏡で君を見て、勝手に勘違いして、責めたてた。
だから、俺のことなどもう気にするな。俺が魔王への直談判を失敗すれば、ここもじき戦場になる。
だから、君はすぐに王都から避難するべきだ」
リーネも転生者というのなら、きっと彼女が恋していたのはホーリーブレイヴのアレスだ。
だからこそ、ずっと酷い態度をとってきた俺にも、ずっと関わろうとしてくれていた。
でも、それも終わり。俺達は、互いに転生者である事を告白した。
なら、リーネが俺に拘泥する理由なんて既にない。
だけど、それなのに――
「違う、違うの……!」
尚も、リーネは俺に語り掛ける。
「わたしは最初、確かにホーリーブレイヴの主人公としてのアレスに憧れていた。
あなたも、ほとんど物語の通りの行動しかしていなかったし、完全に物語のアレスと、今目の前にいるアレスを、同一のものとして見ていた」
真摯に、一生懸命に。リーネは僕に話す。
ああ――でもこれは初めての事じゃない。
どうして今まで気付かなかったんだろう。リーネはいつだって、懸命に話しかけてくれていた。
恥ずかしさを押し殺し、嫌われる事を恐れながら、それでも、なけなしの勇気を振り絞って。
いつもリーネは、真正面から俺に言葉をかけてくれていた。
「だけど、わたしは見てきた。あなたがずっと悩んだり、迷ったり、苦しんだりしていたところを。
周りにはそう見せないように気を配りながらも、どこか影を潜めているあなたを。
それは、どこまでも真っ直ぐで何よりも強かった物語の中のアレスにはなかった
だから、わたしも無意識の内に、あなたとアレスが別物だったということには気付いていたのかもしれない。
だけど、そのことが確定した今でも、あなたのことを好きな気持ちは、まだわたしの中にある」
心の中身をすべて出すように。
リーネは震える声で、言葉を紡ぐ。
その言葉は、絶望に染まっていた俺の胸中を、優しく、温かく照らしてくれた。
「たしかに、あなたはわたしが前世で読んだ物語のアレスじゃない。でも、現世でわたしが見てきたアレスは、他でもないあなたなの。
もちろん、あなたがわたしに対して不信感を抱いていると気付いたときは、すごく傷ついたけど……でも、その原因もわかって納得している。だから……!」
絞り出すような、リーネの吐露。
それは掛け値なく、本当に俺の心に響いた。
ああ、俺はこんな温かい言葉を、ずっと撥ね退けてきたのか。
今になって気付くなんて、あまりに遅すぎる。
遠くの幸せばかりを見つめすぎて、近くで俺の事を想ってくれている人がいる、こんなとてつもない幸せに気付かなかったなんて。
だから俺は、感謝の気持ちを述べた。
「ありがとう。そう言ってくれるだけで、俺は嬉しいよ。でも、それとこれとは別だ。俺は、責任を取らなきゃいけない。だから、行ってくる」
「アレス……」
リーネの視線を振り切って、僕は戦場へと歩もうとした。
その瞬間、
「はーあ、せっかくいい感じに混沌としてきたのになあ。
君が人柱となってまで戦争を止める覚悟を見せたなら、あの激甘魔王のことだ、和平を受け入れてしまうかもしれない。
そうなったらこの世界の崩壊は失敗だ。せっかく上手くいっていたと思ったのになあ……」
聞き覚えのある声と共に、見知った男が現れた。
言うまでもない。相手の神経を逆撫でするようなこの挑発的な声は――
「カオス……ッ!」
「と、いうわけで、君に解決に向かってもらっては困るんだよ。
なるべく君達の自業自得で世界が滅んでほしかったけど、それは叶わないようだ。
仕方ない。ローズの時と同様、僕が直接介入するしかないか」
軽く発せられたその言葉。しかし、それは聞き捨てならないものだった。
「やっぱり、ローズに何かしたのはお前だったか……ッ!」
「そこを責められても困るね~。君を裏切ったのは彼女の意志だ。僕はその手伝いをしたにすぎない。
まあともかく、僕が転生者に選んでおいてなんだけど、もう君達はいらないや。
今までよく展開をかき乱してくれた。それについては感謝している。だけど、君達の役目はもう終わりだ」
ニヤリ、と。背筋の凍るような笑みを浮かべて、カオスは言った。
「じゃあね、アレス、リーネ」
刹那。質、量、速さ、その全てがあまりに凄まじい魔術が、カオスによって射出された。
それは、俺とリーネの二人を穿つための、絶対的な死の嵐。
当然、俺では相殺しきれない。だが、俺とて人界最強の剣士だ。この攻撃を防げずとも、避けるくらいならなんとか出来る。
だけど、もしこの攻撃を避ければ――それは、後ろにいるリーネを貫くだろう。
「……」
一瞬の判断だった。俺は、カオスの攻撃を――
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