第三十七話 変わらぬ自分――ローズ
あるところに、一人の少女がおりました。
少女は幼い頃から虐待を受けていました。しかし誰一人として、少女を助けてはくれません。
そんな暗い日々を送っていた少女は、ある日、『ホーリーブレイヴ』という物語と出会います。
その主人公アレスは、強くて、優しくて、助けを求めている人がいたらすぐに助けてくれる、まさに完璧な人でした。
故に少女は思いました。アレスは、可哀想な人を必ず助けてくれる。なら、きっと自分の事も助けてくれるはずだと。
この辛い地獄から自分を救い上げてくれる筈のヒーロー。アレスはまさに、少女にとっての理想の相手、運命の人だったのです。
少女は願いました。祈りました。
いつか、運命の人アレスが、自分を助けてくれますように。そして願わくば、運命の人とずっと一緒にいられますようにと。
しかし、現実にはそんなロマンチックな事など起こる筈もなく。
少女が呪縛から解放されたのは、ただ成長して、十分抵抗できる年齢になったという、それだけの話でした。
それまでの間、少女はただ我慢して我慢して我慢し続け――
運命の人がきっと助けてくれると、その夢にしがみつく事しか出来なかったのです。
その時間はあまりに長く、辛すぎました。
故に、呪縛から解放され独り立ちした後も、その願いだけが歪な形で残り続けます。
ワタシは運命の人と結ばれるんだ。ワタシは運命の人に、助けてもらわなければならない。
そんな変化し、劣化し、肥大化した歪な想いは、既に叶わぬものとなっていました。
例え、本当にホーリーブレイヴの世界で、アレスに助けられ、結ばれたとしても。
それでも少女は救われないのです。だって、運命の人に助けてもらいたいと願ったのは、既に過ぎ去った過去の事なのですから。
少女の痛みは、少女の傷は、永遠に癒えません。
だから今さら運命の人に助けられても、少女はきっと満たされない。
結局、少女が救われるには、幼いあの頃に助けてもらうしかなかったのです。
何もかもが既に手遅れ。何故なら、少女の心はもうバラバラに砕け散り、粉々になっていたのですから。
その事に目を瞑り、少女はいつまでも、狂ったように運命の人を探し続けます。
華のような笑顔を浮かべて。心の中では
◇◇◇
ああ、やっと会えた。ワタシの、運命の人に。
彼に会えて安心したからだろう。シフォンに斬られてもまだ何とか立っていられた身体から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
「ローズ……!」
誰かがそう叫び、崩れ落ちるワタシの身体を支えた。
まあでも、そんなコトはどうでもいい。ワタシはジョーカー様に会えれば満足だ。
「ジョーカー、様……ワタシの運命の人……」
ジョーカー様は憐れむような目でこちらを見ている。それが、とても愛おしかった。
「あの時は気付かなかった。アレス様がワタシを龍から救ってくれると思っていたから……。でも、彼は間に合わなかった。
なら、実際に助けてくれた、アナタこそが、きっと、本当の運命の人よ……」
ワタシは、想いのままに言葉を紡ぐ。
「ジョーカー様、ワタシの、運命の人……。ワタシは、アナタのことが、好きよ……」
「死にかけているお前にこんなことを言うのは酷な話だが、それでも言わせてもらう。お前の気持ちには応えられない」
本当に。気持ちのいいくらいピシャリ、と。ジョーカー様は、ワタシのコトをフッた。
「俺はこれまで多くの世界を渡り、いろんな奴を見てきた。だから、何となくわかる。
お前は、相手を見ていない。俺そのものを見ているんじゃなくて、運命の人という偶像を、ただ俺を通して見ているだけ。
きっと、アレス相手にもそうだったんだろう。だから、いざアレスがその偶像と違う面を見せただけで、簡単に相手を乗り換えられるんだ」
「……」
「それに、お前を先に龍から救ったのは、俺ではなく、そこにいるムラジだ。あの時に運命を感じたのなら、そちらも少しは気にかけてやれ」
その言葉に、ワタシは遅ればせながら気付く。
ジョーカー以外の事など思考から外していたが、そういえば、今ワタシの身体を支えてくれているのはムラジだった。
「ああ、いたのねムラジ……」
「いたのねって……。相変わらずだな、お前は」
その声は震えていた。あのムラジのことだ。口ではワタシに軽口を叩きながらも、ワタシが死にかけているコトに、本当に動揺しているのだろう。
まったく――本当に、馬鹿な男だ。
「ふふ、でも、ワタシは相手を見ていなかった、か……。たしかに、そうかもしれないわ。
ワタシがそんなんだもの、そりゃあ、相手もワタシをきちんと見てくれるわけないか。
アレス様にせよジョーカー様にせよ、そんな奴のコトを好きになんてなれないのは、当然ね……。
いや、その二人だけじゃない。多分、他の皆もそうだったのかもね。ワタシではなく、ワタシという名の偶像を見ていたのかもしれない」
アレス様は、ワタシと話すとき、ワタシを通して違うダレかを見ていたようだった。それはそうだ。
ワタシがアレス様そのものを見ていなかったのだから、向こうがこちらをちゃんと見てくれるはずもなく。
きっと、ワタシを慕ってくれた連中も、ワタシを偶像としてしか見ていなかったのだろう。
ワタシは誰一人として人として見ず――故に、ワタシも多分、人として見られていなかった。
これはただ、それだけの話だ。
「そんなことはない。ちゃんとお前を見ていた奴だって、きっといた筈だ。
確かにお前は美人だけど、それだけであんなに慕われる筈がないだろう。お前という人間の中身まで、皆はちゃんと見ていたさ」
ワタシのコトを哀れに思ったのか、ムラジがそんなコトを言ってきた。
……いや、違うか。この男は、そんな気遣いが出来る奴じゃない。ただ単に、本心をそのまま言っただけなのだろう。
ああ――だとしたら一つ、気付いたコトがある。
「ふふ、そういえばムラジ、アナタだけは、ワタシのコトをちゃんと見ていた気がするわ」
ワタシの美しい外見ではなく。
しっかりと、ワタシという人間の心を。
「そんな事はないよ。俺は結局、お前が何を考え、何を思い、何をしたかったのか……何一つ理解してやることが出来なかった。幼馴染みとして失格だ」
「だからこそよ……。人の内面を全部理解するコトなんてできない。
ワタシのことを全部理解しているなんて言う奴がいたら、それこそワタシの表面しか見ていなかったってコトなんだから。
だから、アナタがワタシを理解できなかったのは、アナタがワタシの内面を、きちんと見ようとしてくれていたから」
「ローズ、お前……」
ワタシの言葉に別の意味を汲み取ったのか。ムラジのただでさえ震える声が、さらに揺れた。
このまま誤解されるのも嫌だから、ちゃんと言っておきましょうか。
「ああ、でも勘違いしないでね」
ワタシは、きっちりとムラジに念を押す。
「さっきの発言は、ただ事実を述べただけで、他意はないわ。
そもそも、ワタシはアナタのコトが嫌いよ、ムラジ。
ワタシの理想の人には程遠い、ただの腐れ縁の、馬鹿な男だとしか思っていないわ」
「はは……まったく懲りてないじゃないか。そういうとこ、ほんとお前らしいな」
ある日の夕方と同じような台詞を、ムラジは言った。
あの時も、今も、ワタシはこの男の前では変わらぬ自分でいたのか。まあ、たしかに、自然体ではあったのかもしれないけれど。
それならやはり、ワタシは最期までワタシでいるべきだ。
「当たり前でしょ。ワタシは死んでも懲りないわ。
きっと来世でも、こんな風にしか生きられないでしょうね」
現世みたく、前世の記憶を受け継げるとは限らないけれど。
それでも、ワタシは同じように生きるだろう。
「じゃあ、そろそろこの世からお
結局、この世界でもワタシの運命の人は見つからなかったんだもの。ならばこの世にもう用はなし。
だから、来世で待っていてね、運命の人。ワタシは、すぐそこに行くわ――!」
思いのままにそう叫び、ワタシの現世は、これにて幕を閉じた。
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