第三十六話 ジョーカーとショコ――ムラジ/ショコ/ジョーカー

 俺はレッカと共に、魔族と人族の戦争を止めるため、行動していた。

 こうして魔族の人々と話していると、思っていた以上に話が分かる人が多かった。どうやらそれは、魔王シュヴァルツの影響が大きいようだ。

 今でこそ主戦派の彼だが、もともとは穏健派だったらしく、その思想がある程度は浸透しているようだ。

 しかし、そんな折、


「兵や魔術師は、皆魔王城に集まれ。これより、空間転移を用いた、人界への奇襲作戦を始める」


 そんな音響増幅魔法アナウンスが、城下に鳴り響いた。


「……どういうことだ……!?」


「ショコの空間転移の魔法陣を人界の主要拠点に仕掛けられる算段でもついたか……。ともあれ、私達も魔王城に向かおう」


「わかった」


 レッカの言葉に従い、俺も魔王城へ向かう。

 何か、とてつもなく嫌な予感がする。

 気持ちの悪い胸騒ぎを感じつつ、ただ一心不乱に魔王城を目指した。



◇◇◇



 魔王城の地下の書庫――すなわち、ショコの魔術工房には、兵士がわんさかと群がっていた。

 そして、先頭に立つ者から順に、どんどん空間転移の魔法陣から生じたゲートを潜っていく。


「遅かったか……」


 そう呟いたレッカの言葉に頷きながら、俺は周囲を見回す。

 すると、ショコの傍らに、魔術で拘束されているジョーカーが見えた。


「ジョーカーさん!」


 俺は、急いでそちらに駆け寄る。

 次いで、レッカがショコに向けて呼びかけた。


「ショコ、こんなことは止めろ! どうしても駄目なら、私を通せ! 魔王様を説得して来る……!」


 しかし、そんなレッカの言葉は、ショコには届かない。


「……もう作戦は始まった……。ここで止めても、事態はこじれるだけ……」


 あまりにも平坦なその口調に苛立ったが、俺は何とか怒りを抑え、冷静を保ちつつ言葉を発した。


「なら、せめてジョーカーさんを解放してくれ」


 それを、


「……駄目っ!」


 ショコが、強く否定した。そこには、どこか感情が籠っているように思える。

 俺が魔界に来たのはごく最近だ。故に、当然ショコともあまり話してはいない。

 だからかもしれないけど、ショコがこんな風に言葉に感情を籠めるところは初めて見た気がする。

 基本的にショコは、ボーっとした、平坦な口調で話すのだ。

 何故、今回だけ言葉に感情が籠ったのか……しかし、今は考えている場合ではない。

 ジョーカーを解放してもらうため、俺は尚もショコに詰め寄る。


「ジョーカーさんは龍を一瞬で倒すような人だ。彼の力なら、戦争を終わらせるかもしれない」


「駄目ったら駄目……! だって、ジョーカーは……っ!」


「ショコ、もういい。俺の為にここまでしてくれて、ありがとうな。それでもやっぱり、俺はじっとしてられねえ性質タチみてえだ」


 ショコの言葉を、ジョーカーがさえぎった。

 途端、バチバチッと、音が鳴り――

 ジョーカーを縛っていた拘束が、破れた。しかし、ショコが解除したようには見えない。

 だとすると、ジョーカーが、自分の力で解いたのか――?

 だけど、それならどうして今まで素直に拘束されていたんだ? それに、今の言葉は一体……?


「駄目だよジョーカー!

 わかっているんでしょう!? 自分の身体がもう限界だってことくらい……! 生きているのが不思議な程に……!

 そんな状態でもう一度戦ったら、ジョーカーは確実に……しんじゃうよ……っ!」


 悲痛な声で、ショコが叫んだ。

 その言葉に驚き、俺はジョーカーを見る。

 ジョーカーはその言葉を受け止め、静かに口を開いた。



◇◇◇



 魔族側が、人界の隅にこっそりと仕掛けた魔法陣。その魔法陣は、わたしの魔術工房すみかである、この書庫と繋がっている。

 ここを経由して、空間転移はもちろん、魔法陣近辺の魔力測定なども可能なのだ。

 人界側に対する切り札。魔族軍にとっては、希望そのものだ。しかし、それはわたしに絶望をもたらした。


 魔王様が人界へ出かけたあの日、強大な魔力反応を検知した。それは、カオスという、規格外の存在のものだった。

 わたしは驚き、このカオスを何とかしなくてはという焦燥に駆られた。

 故に、彼と敵対していると思われるジョーカーが、魔法陣の近くにきた瞬間、強制的に転移させたのだ。


 そして、彼の身体を治癒しようとして、気が付いた。

 外側こそ取り繕っているものの、彼の中身はグチャグチャだった。

 立っているのが不思議とか、意識を保っていられるのが不思議とか、そういう次元の話じゃない。

 比喩ではなく本当に、生きているのが不思議な程だった。

 それに、治癒も効かない。ひとえに、カオスの魔力が残留している故だろう。

 ジョーカー自身も高い治癒力を持っているようだが、それもカオスの魔力による浸食を押しとどめるので精いっぱいのようだった。


 彼の目が覚めると、わたしはカオスについて訊き出した。

 カオスがこの世界の創造主であり、かつ、この世界を崩壊させるべく動いている異常者だと知った瞬間、わたしの絶望は一層増した。

 あれほどの魔力反応を持つ者が、この世界を崩壊させようと目論んでいるのなら――この世界に止められるものなどありはしない。

 あまりの力の差に、わたしは完全に屈していた。


 故に、どうせ世界が終わるのならば、たった一人でも生きていてほしいと、そう願った。

 そして、世界の崩壊に耐えられる者は、ただ一人。目の前にいるジョーカー以外ありえない。

 しかし、その彼とて、こんな状態で戦ったら必ず死ぬ。

 だが、話を聞く限り、彼はカオスに挑戦できる機会があれば、必ずそこに赴く、そういう男のようだった。

 故に、わたしは彼を拘束した――いや、違うな。こんなものは、全部建前だ。


 ただ、死んでほしくないと思ったのだ。彼のその、ボロボロの中身を見てしまった時に。

 こんなになるまで頑張り続けて、それなのに何も報われずにこのまま死ぬなんて、そんなものは認められない。そう思ってしまったのだ。

 そんな感傷には、何の意味もないだろう。

 この世界で彼が生き残ったとしても、彼はまた次の世界でカオスに挑む。結局、死期をただ伸ばすだけの行為だ。

 だけど、それでも。わたしは、この男に少しでも長く生きていてほしいのだ。

 自分があまりに愚かで、身勝手だとわかっていても。その気持ちだけは、偽れなかった。



◇◇◇



「駄目だよジョーカー!

 わかっているんでしょう!? 自分の身体がもう限界だってことくらい……! 生きているのが不思議な程に……!

 そんな状態でもう一度戦ったら、ジョーカーは確実に……しんじゃうよ……っ!」


 ショコの悲痛な叫びを聞いて、俺は胸が痛んだ。

 俺は放っておいたら戦いに行く。そして、今の状態でまたカオスと戦ったら――今度こそ俺は、本当に死ぬ。

 その事をわかっていたから、ショコは俺を拘束したのだ。

 むざむざ死にに行く俺を心配して。言っても聞かないからと、あえて強硬な手段をとった。

 だからこそ、俺は縛られたままでいようと思った。これほどまでに真摯なショコの気遣いを、無碍むげにしたくはなかったのだ。

 だけど――それもここまで。やっぱり俺は、じっとしてなんていられない。


「ああ、わかっている。

 カオスに受けた傷は、余程の魔力が無けりゃあ癒せねえ。そんな相手とずっと戦ってきたんだ。

 その度に手傷を負い、俺の身体はボロボロになっていった。

 それに、最初に世界が崩れた時も辛うじて生き延びただけだったし、時空を渡り歩くのだって負担がないはずもない。

 俺の中でどんどんダメージが蓄積していって、もうすぐ許容範囲を超えるんだってことも、お前以上にわかっているよ」


 ショコの言葉を受け止めて、ショコの心を受け止めて。

 それでも俺は、自分の道を歩く。

 あまりに身勝手だが、もとより俺は憎しみを糧に動く復讐鬼。良心なんて本来ならば捨て去るものだ。だから――


「だけど、それでも俺は行く。悪いが、そういう性分たちなんでね。

 お前が俺の身を案じて、こんな強硬手段に出てくれたことは、素直に嬉しいけど、ごめん。

 その気遣いを蹴って、俺は戦場へ行く」


 ばっさりと。

 俺はショコの想いを切り捨てた。


「……わたしの力じゃ、もう止めようがないね……」


 泣きながら、ショコが言う。

 いつもは無表情なショコの表情をここまで崩す事になってしまい、流石に後ろ髪をひかれる思いだ。

 けれど、俺はもう行くと決めた。だから、無言で魔法陣を通ろうとすると、


「わたしも、行くよ」


 決意に満ちた表情で、ショコが言った。


「おまえ……」


 俺が返答に窮していた、その時――


――空間転移の魔法陣から、血まみれの女が現れた。


 どこか見覚えのある顔だが、誰だったか――

 その答えを思いつくよりも早く、ムラジがその名を叫んだ。


「ローズ……!」

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