第三十五話 怒涛――アレス/リーネ/シュヴァルツ

 俺は、ホーリーブレイヴの主人公、アレスとして転生した。その力を遺憾なく発揮できるようにする為、鍛錬も十分に行ってきた。

 だというのに俺は負けた。カオスやジョーカーのように、この世界の外部、規格外の存在ではなく。

 何の能力も持たぬただの村人と、四天王とは言え手負いの魔族に。

 実力では、確実に勝っていた。本来ならば、俺は圧勝できた筈なのだ。

 くそ、くそ、くそくそくそ……!

 納得がいかない。出来る筈がない。こんなものは、こんなことは、認めてなるものか――!


 そんな風に憤りながらも、本当はわかっていた。

 ムラジは、ただ純粋に、レッカを守る為に戦っていた。人の為に、あそこまで真摯に戦える。それは、まさに勇者の在り方だ。

 その点、俺はどうだ。ただただ自分の為に、他者を犠牲にし、迷走し、挙句の果てにはこのザマだ。

 勇者アレスとして転生しておきながら、俺は勇者としての資格など、疾うになくしている。

 否、最初から、そんなものありはしなかったのだ。

 そう。わかっている。わかっているのだ。だけど、だからと言ってどうすればいいのだ。

 俺はもう、道を踏み外してしまった。ここから後戻りするなど、とても――

 そんな風に、負の思考がどんどん連鎖していた、その時、


「アレス様、大変です!」


 追い討ちをかけるような、事態が起きた。


「ローズ様が、いなくなりました!」


「……なん、だと……!?」


 俺の思考は、空白になった。

 ローズには、きちんと護衛を付けていた筈。なのにどうして――

 いや、今考えるべきはそこではない。

 一刻も早くいなくなったというローズを見つけなければ――



◇◇◇



 あの日から、わたしはアレスとほとんど話していない。貴族の集まりなどで顔を合わせる機会はあるが、そういうときも、挨拶を少し交わす程度だ。

 しかし、それでも何となくわかってしまう。アレスは、明らかに何かを気に病んでいる。目に見えて元気がないのだ。

 たしか、魔族への奇襲に失敗し、加えて、人界内に残留していた魔族の撃破も失敗したのだったか。

 ホーリーブレイヴの作中にはなかった展開だ。いや、そんな風に考えることに、果たして意味はあるのだろうか。


 わたしは、ずっとアレスを見てきた。ホーリーブレイヴの主人公としてのアレスを。

 でも、それはすごく、失礼な事なんじゃないだろうか。

 だって、アレスにせよローズにせよシフォンにせよ王様にせよ、彼等は物語の登場人物などではなく、この世界に生きる人間だ。

 わたしの前世ではそうだったけれど、少なくともこの世界で彼らをただの登場人物として見るのは、あまりに非人間的すぎる。


 思えば、皆そうだった。

 シフォンは、ホーリーブレイヴにおいて、あくまでリーネに従っているだけの騎士として描かれていた。

 ローズへの嫌がらせに加担する場面などはあったが、それ以外には特に描写が無かった。一面でしか、彼女を見る事が出来なかったのである。

 でも、この世界に転生し、彼女と話してみて、他にもいろいろな面があることがわかった。

 忠誠心が強すぎる事や思い込みが激しいところは玉に瑕だが、基本的に真面目で、主人のことを何よりも大切に考えてくれる、そういう性格だ。

 そういった面は、ホーリーブレイヴを読んでいるだけではわからなかったことだ。


 そして、アレスだってきっと同じ。

 ホーリーブレイヴのアレスは、強くて真っ直ぐで、どんな逆境にも負けない、完璧な勇者だった。

 でも、こうして実際に彼を見てきたからこそわかる。彼は、そんなキラキラした――都合の良いヒーローなどではないのだと。

 常に悩み、苦しみ、時には失敗したり間違ったりしながら、それでも、そういった内面を見せないように、周りには気丈に振る舞っている。

 そんな、普通の人間なのだ。物語の主人公ではない。今、この世界にいる、一人の人間だ。


 だからなのだろう。

 わたしがアレスを引き留めた時の言葉。わたしがアレスに責めたてられた時の弁明。

 どれもが、どこかアレスに響いていないように思えたのは。

 わたしが、ここにいるアレスではなく、物語の中のアレスに語り掛けていたからこそ、届かなかったのだ。

 だから、次にアレスと会う時は、物語の中のアレスにではなく、ちゃんと彼自身を見て、彼自身に向けて話そう。

 意識して出来ることではないと思うけど、でも、意識しなくちゃもっと届かない。


 アレスの顔を思い浮かべる。最近の、すっかり元気がなくなってしまった顔を。

 アレスは、かなり思い詰めている――遠目で見てもそうわかるのだ。

 アレスの事が本当に好きだと言うのなら、わたしは、彼を放っておくべきではないと思う。

 だけど、あの時の誤解も解けてないのに話しかけたら、余計にこじらせてしまうんじゃないか――そんな不安が、わたしの頭をよぎる。

 やっぱり、やめておいた方が……そんな風に思いかけたとき。


――やるべきだと思ったら、何も考えずに、とにかくやってみるくらいの気概があった方がいいかもね、麗奈の場合。


 前世でのサキちゃんの言葉を、ふと思い出した。

 そうだ。わたしはまた、問題を先送りにしようとしていた。

 いざ行動に移そうとなると、どうしようか分からなくて足踏みしてしまう。

 こんなことでは、前世から何も成長していないじゃないと、サキちゃんから笑われる。

 前世から何も学ばず、転生しても同じように生きる。そんなのは、あまりに馬鹿げている。

 いくら愚鈍なわたしにしたって、それではあまりにも成長がなさすぎる。


 やるべきだと思ったら、何も考えずに、とにかくやってみる。

 失敗するのは怖いけれど、でも、他ならぬ親友が言っていた事だ。なら、きっと大丈夫なはず。

 そう思い、わたしは立ち上がる。話してみよう、アレスと。

 あの日の誤解を解き、その上で、アレスの悩みも解決できたらいいな、そんな風に考えながら、わたしはアレスの元へ行こうと決意した。



◇◇◇



 どうしてローズはいなくなった? 俺の中に焦燥が走る。

 家の中にはどこにもいなかったので、急いで外に探しに出ると、丁度リーネ、シフォンが家から出てくるところだった。


「アレス!? そんなに血相を変えてどうしたの?」


「ローズがいなくなった」


「!?」


「リーネ、また君達の仕業か?」


 俺の言葉に、リーネは悲しそうな顔を、シフォンは憤怒の表情を浮かべた。


「アレス様、無礼を承知で申し上げますが、あれはローズの罠であり、私達は彼女に嫌がらせなどしていない。

 今回彼女が消えたのも、ローズ自身の策略に違いない。あの女は、本当に何を考えているかわからない、危険な奴なんです」


「何を根拠にそんなことを信じろと……っ!」


「それを言うのでしたら、私達がやった根拠もないはずでしょう!!」


「だが、お前達には前科が――」


「それがローズの罠だと言って――!?」


 そこで、シフォンが言葉を止めた。

 その視線の先には、いつの間にかローズが立っている。


「ローズ、一体どこに隠れて……」


「ちょっと魔界まで行っていたの。たった今、カオスの空間転移でこっちに戻って来たのよ」


「……!?」


 その時、極大の魔力反応を感知した。

 それは、ローズの持っている魔法陣の刻まれた魔術触媒アイテムから出ている。この感じは……空間転移!?


「ローズ、君は……!」


「魔界のスパイか、貴様!」


 俺が驚いている間に、シフォンが剣を抜き、ローズを斬りつけた。

 それと同時に、魔法陣の中から、わらわらと魔族が出てくる。


「……!」


 我に返った俺は、シフォンと共に後ろに退いた。

 その間にも、魔法陣から出て来る魔族は後を絶たない。


「なんで、こんな……」


「呆けている場合ではありません、アレス様! リーネ様を連れて、ここから逃げてください!」


「でも、シフォンは、シフォンはどうするの……!?」


 今にも張り裂けそうな、リーネの悲痛な声が聞こえる。


「私はここに残って足止めします」


「無茶だよ! あんな数の魔族……」


「ですが、このままではどの道全滅です! だから早く!」


 シフォンのその言葉には、強い意志が籠っていた。

 正直、混乱して頭がどうにかなりそうだったが、俺は何とかシフォンの言葉に頷く。


「……わかった」


「シフォン、駄目……!」


 シフォンを止めようと叫ぶリーネを担ぎ上げ、俺はその場から全速力で離れた。

 だが、それは何かしなければ頭がどうにかなりそうだったからであり、未だに状況の整理は追い付いていなかった。



◇◇◇



 空間転移で人界に赴き、最初に見えたものは血まみれのローズだった。


「……これで、作戦は成功したわ……だから、早くジョーカーに会わせて……」


 ローズは、あまりに深く切り込まれていて、回復魔法などを使ったとしても、もう助からない状態であることは明白だ。

 僕が今回の作戦に利用した所為でこうなってしまった事を考えると心が痛む。

 しかし、これからもっと大勢の人間を犠牲にせねばならないのだ。感傷に浸っている暇はない。

 だが、彼女はよく働いてくれた。せめて約束を守り、ジョーカーに会わせねばなるまい。


「わかった」


 魔法陣は、双方向型のもの。僕はそこに魔力を通し、ローズを魔界側へと送った。

 この魔法陣の先は、ショコの魔術工房だ。当然、そこにジョーカーもいる。


「さて、では本題に移るか。この王都を占領し――長きに渡る戦いに終止符を打とう。一時の犠牲を経て、真なる平和を実現する為に」

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