第三十四話 鋭い棘を持つ華――シュヴァルツ
僕は側近たちと、人界との戦に向けた話し合いをしていた。
ちなみに、レッカは参加していない。彼女はムラジと共に、戦争反対派を集めているようだ。
嘗ての僕と同じく、人界と魔界の戦争を回避しようとする者は一定数存在する。
しかし、やはり少数派だ。どちら付かずの魔族を説得し、引き入れたとしても、魔族全体の趨勢が、レッカ側に傾くことはないだろう。
少し前まで、僕とレッカは今と真逆の意見を持っていたというのに……何とも皮肉な話だ。
そんなことを考えていると――
不意に、何もなかった場所から、人間の女性が現れた。
「……人間!? 空間転移とは、余程の魔術師か……ッ!」
側近たちが、即座にその女性を殺そうとする。
「待て!」
僕は、慌てて彼らを制した。
「まずは話を聞こう。君は一体何者なんだ?」
「ワタシはローズ。ただのしがない村娘よ」
「……ただの人間が、どうやってこの魔王城に空間転移を?」
「カオスにやってもらったのよ」
「……!」
カオス……!? このローズという女性は今、そう言ったのか――?
混乱する僕に追い討ちをかけるように、ローズは言葉を続ける。
「そんなことよりも、ワタシをジョーカー様に会わせてちょうだい。彼がここにいることはわかっているの」
「何を訳のわからんことを……っ!」
側近の魔族たちの殺気が、さらに膨れ上がる。しかし驚くべき事に、ローズは全く動じていない。
余程肝が据わっていると見える。ともかく、こいつは普通じゃない。
それに、彼女はカオスのことも、ジョーカーのことも知っている。本当に、底知れない相手だ。警戒しておく必要があるだろう。
「……どうしてジョーカーと会いたがっているんだ?」
「そんなの、決まっているじゃない」
僕の問いかけに、ローズは恍惚とした表情で宙を見上げ、クルクルと舞いながら言った。
「彼が、ワタシの運命の人だからよ」
「……は?」
思考が、止まった。
運命の人――? 一体、どういう意味だ?
まさか、運命の赤い糸とか、そういう一般的な意味ではないだろう。
ならば、魔術的な用語か何かか?
あるいは――
混乱しながらも、必死にローズの発言の真意を考えていたが、そんな真面目な考察は一瞬で砕かれた。
「ジョーカー様は、アレスの代わりにワタシを助けてくれた。
なら、彼こそワタシが探し求め、恋焦がれた運命の相手に他ならない。そうでしょう?」
――いや、そこで同意を求められても。僕が知るかとしか答えようがないじゃあないか。
うん。確定した。
ローズは別に、肝が据わっているとかとんでもなく大物だとか、そういうわけではなく……
単にこの状況でも危機感を持っていないだけの――ちょっと頭が残念な
「そういうわけだから、早くジョーカー様に会わせなさい」
まあ、そうは言っても、カオスやジョーカーを知っている存在だ。下手に刺激すれば、どうなるか分からない。
とりあえず、話は合わせておくか――いや、待てよ。これは、使えるかもしれない。僕は内心でほくそ笑んだ。
「ああ、わかった。君をジョーカーと引き合わせてあげよう。ただし、一つ条件がある」
「いいわ」
ローズは即答した。
「まだ条件を言っていないのだが」
「運命の人に会えるのなら、どんな条件だって飲むわ。当たり前でしょう?」
だから、君の当たり前は万人にとっては当たり前じゃないんだって。まあでも、好都合だ。
そんなふうに思いながら、僕は彼女の意志を問うた。
「君はこれから人界側を裏切ることになるけど、その覚悟はあるかな?」
「ふふ、おかしなことを言うのね」
僕としてはそれなりに重い問いかけのつもりだったが、ローズはいとも簡単に答える。
「人を裏切るのに覚悟なんて必要ないでしょう?」
「決まりだな」
こんな、突如として振って来た都合の良い幸運によって、魔族側最大の奇策が打てる運びとなった。
これにより、事態は一気に、混沌へと加速する。
勝利を掴むのは、人界か、魔界か。
その戦いの趨勢の鍵となるのは、皮肉にも戦いの趨勢に興味を持たぬ者。
ただ自分と運命の相手が結ばれることのみに執着する、あまりに鋭い棘を持つ華だった。
◇◇◇
僕は、すぐに国中の兵士に、ショコの魔術工房に集まるように伝達し、自らも書庫に向かった。
「ショコ、少しいいか?」
「……いいよ」
「空間転移用の魔法陣を、人界の王都に設置できる目処が付いた。
それを利用して、軍を空間転移させ、一気に王都を攻め落とそうと思う。できるか?」
「……もち」
「おいおい、ちょっと待て。そいつは聞き捨てならないな」
そこに、ジョーカーが割って入って来た。
まあ、彼は大きな戦いが起こる事を危惧していたのだから、僕を止めようとしてくるのは当然だ。
「そんな大それた行動を取れば、確実に世界が乱れる。そうなってしまえば、カオスの思う壺だ」
カオス……その名を出されると少し不安ではある。現に、今回の作戦の要であるローズも、その関係者なようだし。
ただ、だからこそチャンスでもある。彼の介入があったという事は、この作戦が、大きく世界の在り方を変えるかもしれない証拠だ。
カオスにせよローズにせよ、利用できるものは全て利用する。こちらの心は決まっているのだ。
現状はカオスの差し金かもしれないが、これを利用しない手はないだろう。
このままこちらの望む状況をつくり、その上でカオスを出し抜く事も出来る筈だ。つまり――
「時間はかけない。短時間で王都を占領し、その後は混乱が起きないように、徹底的に反逆の芽を摘む。
そうすれば、あなたが危惧しているような混沌にはならないのでは?」
「いや、そう上手くいくはずがない。仮にうまくいきそうになっても、カオスが邪魔して来るだろう」
……これでも、ジョーカーは納得してくれないか。
ならば、仕方がない。こちらも言いたい事をぶつけるしかない。
「我々を助けてくれたあなたにこういうことをあまり言いたくはないのだが……」
正直、これを言うのは、昔の自分に言い聞かせているようで、心が痛む。
それに、ジョーカーは良い人間だ。この人の最も弱い部分に刃を突き立てるようで、少々躊躇しそうになる。
だが、そんな気遣いこそ何よりの侮辱だ。時には心を鬼にせねば、状況は何も変わらない。
それは、この世界でしっかりと学んだじゃないか。
だから、僕はジョーカーの目をしっかりと見据えて、話す。
「貴方はこの世界の人間でないから、そんな他人事を言えるんだ。僕達魔族にとっては、これが絶好の
これ以上人間を恐れる必要のなくなる、これ以上戦いを続ける必要がなくなる、そんな未来を掴み取れる一番の近道なんだよ」
こちらの立場を、余すことなくジョーカーに語り掛ける。
無論、理解してもらえるとも、理解してほしいとも思っていない。
だけど、ジョーカーは自分の立場を
「だから、悪いけどあなたの指示には従えない。あなたが優しい人だというのはわかる。
カオスへの復讐を生きる目的としながらも、その世界の人間を踏み台には決してしない。
あなたは、人族も魔族も、どちらも救いたいと思っているんだろう。
だけど、結局のところ、それはただの理想だ。そして――理想は現実に敗れるものだ」
僕がそうだったように。
きっと、優しい彼もいつか潰れる。
だから、あまりに
「あなたがもし、カオスを殺す、ただそれだけの為にのみ動いていたら、きっともっと早くに彼と決着を付けられたんじゃないか?
だけど、あなたは良心に動かされて、これまでの世界でもずっと寄り道をしてきたんだろう。
たしかに、それで死ぬ筈の命を生き永らえさせる事もあったのかもしれない。
でも、もっと早くにカオスを倒していれば、もっと多くの命を救えたはずだ――崩壊する世界を、減らせたはずだ」
指摘するとすれば、ここ。復讐鬼を名乗るにはあまりに優しすぎた男の、最大の欠点。
「結局、あなたは多くを救おうとして、それによってさらに多くの人を犠牲にしてしまっている。
理想なんて、結局はそういうものでしかない。大きな理想を抱けば抱くほど、どんどん破綻していく」
僕自身がそうだったからわかるのだ。
だから、ジョーカーには僕のように理想に溺れてほしくはない。
その想いは、確かに届いたのだろう。
だけどジョーカーはそれを受け止め、強く噛みしめた上で――
「それでも俺は、この道を貫くまでだ」
それでも、自らの意志を変える事を拒んだ。
結局、こうなるか。まあ、少し前までの僕なら、その意志を尊重する道を取ったかもしれない。
だけど、今の僕は違う。冷酷無慈悲な強き王になると、ヴァサゴに誓った。故に――
「そうか。ならば――拘束しろ、ショコ」
一言。僕はそう命令する。
ショコはこくりと頷き、ジョーカーを拘束術式で縛った。
自身の魔術工房にいる限り、魔術師は無敵だ。特に、この書庫は特別性。
加えて、術者が世界最高峰の魔術師であるショコならば、いかにジョーカーと言えど、手負いの状態では逃れることなど不可能だろう。
「ショコ、おまえ――!」
「……ジョーカー」
ショコが、震える口調で言った。
「……お願い、静かにしていて……」
「ショコ、おまえ……」
ショコの態度に何を感じたのか――ジョーカーは途端に静かになった。
そのやり取りに、どんな意味が籠められていたのかはわからない。だが、僕が踏み入っていいものではないだろう。
今僕のすべき事は、作戦の遂行だ。だから、僕はショコに再度声をかける。
「では、空間転移の準備、よろしく頼んだ」
ショコはコクリと頷いた。
これより、人界掃討作戦が、開始される。
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