第三十二話 帰還――レッカ
「着いたか……」
私が見回すと、そこはショコの魔術工房――すなわち、魔王城地下にある書庫の中だった。どうやら空間転移は成功したらしい。
ふと視線をそらすと、二つの人影が見えた。
一人は、私と同じく魔王直属の四天王である、ショコ。
もう一人は、見覚えのない男だ。しかし、ムラジの方は知り合いだったようで、男に声をかけていた。
「ジョーカーさん……ですよね?」
「ああ……お前はあのときの村人か。ええっと、名前は……」
「ムラジです」
「そうか。しかしムラジ、どうして魔族と一緒に?」
「いろいろありまして。後で事情は話すつもりですが、その前にこいつの治療をお願いできますか?
一応、応急手当はしてあるんですけど……」
「できるか? ショコ」
ショコはコクリと頷いて、私に治癒魔術をかけ始めた。
「ありがとう、ショコ」
その様子を見ながら、ムラジがジョーカーという男に対してこれまでの経緯を話す。
「なるほどな。大体事情はわかった。それじゃあ、こちらも事情を話すべきだな……いや、その前に、魔界の現状について話す必要があるか」
「魔界の?」
「それは、僕から話そう」
二人のものではない声がした。その声の主は、私も良く知る方の声。すなわち――
「魔王様! ご無事でしたか!」
「ああ。レッカ、君のおかげだ。ありがとう。
そして、レッカの方こそ無事で何よりだ。そこの君も、レッカを助けてくれてありがとう」
魔王様は深々と頭を下げた後、声の
「お互い、生きて戻れたことは喜ばしい。だが、やはり戻って来れなかった者もいる」
まあ、それはそうだろう。あれだけの奇襲を受けたのだ。全滅しなかっただけでも奇跡と言える。
「あのときの部隊で生き残ったのは、たった五人。さらに、四天王の一人であるデルタも失った」
「……」
あのデルタが……。彼は四天王最強の男だ。デルタの死は、魔族にとってかなりの痛手となるだろう。
「それに、死んだのはそれだけではない。この国の留守を任せていたヴァサゴも死んだ。
いや、こういう言い方は無責任だな。ヴァサゴは……僕が殺した」
「な……っ、どういう事ですか……!?」
意味が分からず、私は思わず訊き返す。
それに答えたのは、魔王様ではなくジョーカーだった。
「クーデターを起こしたんだとさ。そのヴァサゴとか言う奴が」
「なるほど……。たしかにヴァサゴならやり兼ねない」
さもありなん、と言った感じだ。ヴァサゴは自分が正しいと思えば、どんな事でもやる男だ。例え主君を裏切る事となっても、自分の道を貫くだろう。
やはり彼に留守を任せたのは失策だったか。
「僕がまんまと人間の罠に嵌り奇襲を受けることくらい、ヴァサゴにとっては想定内だったんだろう。
だから、その後に備えようとした。魔界の統治者である僕を殺すことで勢い付いた人間達が、魔界に攻め入ることを危惧したんだ。
故に、自らがリーダーシップをとって、人界と戦争できる体制を整えようとした」
項垂れ、熱の籠った口調で魔王様は語る。
そこにあるのは後悔、否、自身への憤怒だろうか……?
「つまり、すべては僕の失策の所為だ。僕が安易に人間を信じ、罠の可能性が高い場にみすみす乗り込んでしまった。
そんな不甲斐ない僕がつくってしまったこの情勢から、何とか立ち直る為に、ヴァサゴは自ら立ち上がったんだ」
「魔王様……」
少し前までは味方であったヴァサゴを殺したのだ。魔王様の心労は相当なものだろう。
しかも、デルタや、その他多くの臣下を失った後なのだから尚更だ。
「魔王様が気に病むことではありません。反逆者を処断するのは当然の判断だ。
貴方の選択は間違っていない。大事なのは、過去を悔やむことではなく、今後どうするか考えることです」
「そうだな。だから……」
そして魔王様は、今までの彼ではありえない発言をした。
「僕は、人界との戦争の準備を進めようと思う」
一瞬、聞き間違いかと思った。
いや、たしかに言っていることは正しい。だけど……
魔王様は、こういう性格の
「もちろん、今すぐこちらから仕掛けるつもりはない。というか、それは得策じゃない。
だけど、戦う準備をしておかなければ、魔界は人間によって征服されてしまう」
「抑止力を高めておく、ということですか。たしかに、現状、それは最優先事項ですね」
私はそう解釈した。まあ、いくら甘い魔王様でも、あんな奇襲を受ければそう考えるのは当たり前か。
良い傾向じゃないか。魔王様がその甘い理想を捨てることは、私も望んでいた事。これは喜ぶべきことだ。
だけど、この胸につかえる違和感は一体……
「ああ。そして、軍備が整えば、すぐにでも仕掛けようと思っている」
「!」
「大昔から、人界と魔界の小競り合いはずっと続いている。
その現状を打開するには、和平しかないと思っていたけど、今回のことでそれは無理だとわかった。
レッカ、君の言っていた通りだ。人間と魔族は決して分かりあえない。
なら、もう人界と魔界を一つにまとめ上げるしか、この世界が平和になる道はない。
もちろん、その過程で多くの血は流れるだろう。
だけど長い目で見れば、今のような状態が未来永劫続くよりも、短期決戦で世界を一つにまとめてしまうほうが、ずっと犠牲は少なく済むと思う」
……たしかに、筋は通っている。魔王様は、間違った事など言っていない。
でも、なんだ。この言いようのない不安感は、いったいなんなのだ。
「たしかに、それはそうかもしれませんが――しかし……」
言い淀む私に、魔王様は不思議な顔をして、ちらりとムラジの方を見た。
「ふむ。レッカは賛同してくれると思ったが……その人間と出会って、考えが変わったのかな?」
それで気付いた。変わっていたのは、魔王様ではなく私の方。
人界など滅ぼしてしまえばいいと思っていた私。しかし、ムラジと出会い、話し、助けてもらい……その過程で、私の価値観の方が変わってしまったのだ。
そう気付いてしまったら、あとはもう言葉が止まらなかった。
「はい。私もずっと、魔族と人間は分かりあえないと思ってきました。
でも、ムラジは、命懸けで私を守ってくれた。そんな人間もいるんだって分かったから……!
だから、少し前まで魔王様が掲げていた理想を、ほんの少しだけ信じられる、そんな風に思いかけていたのに……っ!」
「そうか……」
思わず心中を吐露してしまった私を、どこか懐かしむような目で眺め、魔王様は呟いた。
「そう思ってくれるのは素直に嬉しい。
たしかに、個々の魔族、人間であれば、そういう考えを持つ者もいる。嘗ての僕や、今の君のように。
でも、集団になってしまえば、話は別だ」
私に、否、自分に言い聞かせるように、魔王様は言葉を続ける。
「今は亡きヴァサゴや、少し前までの君と同じく、人間とは分かりあえないと思っている魔族は沢山いる。
それは、人間側とて同じことだろう。そういった魔族や人間が大多数を占めている以上、戦いは避けられない」
「それは……」
言い返せない。私自身がそうだったから。
「まあ、そういう事だ。では、僕は仕事に戻るよ。
レッカは、その怪我がよくなるまで、暫く養生していてくれ」
そう言って、魔王様は書庫を出て行った。
その後姿を見ながら、私の胸中には暗雲が立ち込めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます