第三十話 信頼――レッカ/ムラジ
地面を這って、何とか前へ進む。
今の私は、あまりに不甲斐ない。
立ち上がることすら出来ず、こうしてみじめに地を這っている事に対して、ではない。
命の恩人であるムラジに危険なことを任せ、ただ逃げている自分が不甲斐ないのだ。
本当に、ムラジには助けられてばかりいる。
まだ何の恩も返せていないのに、あいつは、こんなところで、私なんかの為に命を落としてしまうのか。
それだけは、絶対に駄目だ。
あいつは魔王様と同じく、人間と魔族の架け橋になれる存在、憎しみの連鎖を断ち切れるかもしれない存在だ。
誰もが、そして私自身でさえ馬鹿げていると断じる、限りなく実現の望みが薄い理想。
しかし、あいつならば成し遂げられると、何故だか信じることができる。ムラジはそんな存在なのだ。
――いや、違うな。こんなのはただの方便だ。
ムラジが命の恩人であることも、人間と魔族の架け橋になれる存在だということも、私の中では二の次だ。
ただ、死んでほしくない。理由なんてどうでもよくなるくらい、ただ純粋に、あいつには生きていてほしいのだ。
それくらい、ムラジは私の中で、大きく、特別な存在になっていた。
この感情を何と表現すれば良いのだろう。いや、そんなこと、心の奥底ではとっくに気付いている。
好きなのだ。どうしようもないほどに。
この世界の誰よりも、何よりも。
それほど多くの時間を、彼と過ごしたわけではない。だけど、それでも、わかるのだ。ムラジの心は、今まで出会った誰よりも温かい。
人間でありながら、魔族である私にここまでしてくれる。傷つきながら、命懸けで。
その姿は、眩しくて、尊くて、切なくて、痛ましくて――その全てを、私は愛おしく思のだ。
私は、ムラジのことを愛している。
ううん、もはや好きだとか愛しているだとか、そんな言葉じゃ表現しきれない。
だから私は、ムラジを犠牲にして、ただ逃げるなんてこと、絶対にできない……ッ!
でも、具体的にはどうする。この身体では、戦闘の役には立たない。一体どうすれば……
そのとき、ふと崖の上の大岩が目に入った。あれを落とせば、さすがの勇者とて対処に困るはずだ。
あの場所には、少し迂回して山道を登れば辿り着く。道中は木々も生い茂っているため、勇者の側からはこちらを見つけにくいだろう。
しかし、這って行くには時間がかかってしまう。それまでムラジが持ちこたえられるかどうか……。
いや、そこは信じるしかない。ムラジは、やると言ったら本当にやる男だ。
私が逃げるまでの時間稼ぎをすると、あいつは言った。
立ち上がれない状態の私が逃げ切るまで勇者の足止めをするなどあまりに荒唐無稽な話だが、ムラジの言葉なら、何故か信じられる。
あとは、怪我をしている状態で、あの岩を落とせるかどうかだ。正直、ほとんど不可能に近い。
だけど、ムラジは限界をこえて頑張っているのだ。ならば、私だってやる前から諦めてはいられない。
足りない部分は気合いで補ってでも、何とかしなければ――!
私は痛む身体を全力で動かし、大岩の場所へと急いだ。
◇◇◇
「くそ……いつまでもちょこまかと……ッ! いい加減諦めろ!」
苛立ったように、アレスは言った。
「お生憎様。こっちも必死なもんでね」
アレスと距離をとりながら、俺は呼吸を整える。
先程から、すんでのところでアレスの攻撃を避け続けている。
一歩間違えれば死に至る、綱渡りのような状況。
ここまでレッカを背負ってきて、ただでさえ体力を消耗しているのに、さらにどんどんとスタミナが削られていく。
一番厄介なのは、アレスが俺を無視してレッカを追うことだが……しかし、余程頭に血が上っているのだろう。アレスは俺しか見えていないようだ。
「ならば……これでどうだ!」
アレスが、その場で剣を振るった。
今はアレスと俺の距離は離れている。明らかに、剣の届く距離ではない。
しかし、嫌な予感がして、俺は真横に跳んだ。
次の瞬間、
「嘘、だろ……!?」
後ろにあった木が真っ二つになった。
斬撃波。アレス相手には、距離をとったところで逃げきれないということか。
しかし、そんなふうに驚いている暇はなかった。
いつの間にか、アレスが有り得ない速度で、目前まで迫って来ていたからである。
「……っ!」
間一髪。しゃがみ込むことで、アレスの剣は空を斬った。
しかし、それこそがアレスの狙いだった。
「ぐ、は……っ!」
アレスの蹴りが、俺に直撃したのだ。
そのまま、俺は数メートルも飛ばされた。
「が……ああっ!」
今のは、ただの蹴りの威力ではない。一体、どういうことだ……?
血反吐を吐きながらも、何とか起き上がると、さらにアレスが迫ってくる。
「悪いな。せめて純粋な剣技のみで倒してやろうと思っていたが、もうこれ以上は我慢ならない。剣と防具に、魔力を籠めさせてもらった」
「……っ!」
「俺の聖剣には魔力を増幅する力がある。その力と我が剣技を合わせれば、この世に斬れぬものなどない。どんなに硬い鉱物すらもな。
それに、距離も関係ない。直線上にあるのなら、先程の木と同様、この剣から発せられる魔力の余波が、離れた対象でも確実に切り裂く」
既に言葉を返す余裕もないまま、俺は必死に避け続ける。
今の蹴りのダメージで、俺はもう立っているのがやっとの状態だ。
しかも、さっきの剣の威力。あの木は、綺麗なくらい真っ直ぐ斬られていた。あんな剣技を喰らったら、掠っただけでも致命傷だ。
と、そのとき、崖の上に人影が見えた。
あれは……レッカ!?
そういえば、あいつはあの大岩を持ち上げることができると言っていた。まさか、あそこから勇者に向かって岩を投げようというのか……!?
あの怪我でそんな無茶をしたら――
いや、だけどあいつならやるだろう。ほんの数日間一緒に過ごしただけだが、それでも、あいつの性格は何となくつかめた。
人間に対して敵愾心を持っていて、いつもツンツンしているけれど、その実、真面目で、義理堅く、何よりも人を思いやる優しさを持っている。レッカはそういう
だから、無茶してでも俺を助けようとするだろう。近くにいれば無茶するなと止めるところだが、この距離では止められまい。
だったらせめて、精一杯応援してやる。
そう思い、俺は信頼の視線をレッカに送った。
この距離では互いに表情など見えない筈だが――レッカも同じように、こちらに向けて視線を送ったのが何故か分かった。
◇◇◇
遂に、大岩のある場所まで着いた。
急いで崖の下を見ると、アレスとムラジはまだ戦っている。
よかった。ここまで這ってくるのに、相当時間がかかってしまったが、何とか持ちこたえてくれていた。
すると、ムラジがこちらを見た。
ここからでは表情など見て取れないはずだが、何故だか、彼が信頼の視線を向けてくれていることが手に取るようにわかる。
ならば、私もそれに応えようと視線を送り、そして、自らの四肢に力を籠めた。
途端、怪我の痛みが強くなる。当然だ。ここまで這ってくるのにも相当無茶をしたのに、これから立ち上がろうとしているのだから。
しかし、それでも私は力を籠める。ムラジは、すべてを犠牲にして私に尽くしてくれている。ならば、この程度の痛みなど撥ね退けろ。
「ぐ……っ」
痛みを堪え、何とか立ち上がる。それだけで、すぐにでも死んでしまいそうなほど、私の身体は消耗してしまっていた。
だけど、ここからが本番だ。
私は、大岩を掴み、持ち上げようとする。
「ぐ、があああっ!」
傷口が開き、どんどんと血があふれ出ていく。
それでも、私は大岩を持ち上げる。そして――
「いっっっけえええぇぇぇぇぇ――――ッ!」
勇者目掛けて的確に狙いを定め、大岩をブン投げる。
その瞬間、頂点に達した痛みと失血によって、私の意識はそこで途切れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます