第二十九話 立ちはだかるアレス――ムラジ
動けないレッカを背負い、俺は今日も魔界へ向けて歩いていた。
より正確には、レッカの言う、転移用の魔法陣に向けて、だが。
なんでも、秘密裏に人界側に仕掛けられていたらしい。今の俺にとっては助かる話だが、しかし人界にとっては非常に恐ろしい話だ。
まったく、魔族側も抜かりがない。
「大丈夫か? ムラジ」
背中から、レッカの心配する声が聞こえた。
こんな風に、レッカはよく俺のことを気にかけてくれている。
最初は俺を警戒していたレッカが、ここまで俺を慮ってくれるようになったのだ。その事実だけで、疲労なんて忘れてしまえる。
「ああ、心配するな。この程度――」
「いや、少し休んだ方がいい。たしかに早く行かねばならないが、しかしその前にお前が動けなくなってしまったら元も子もないからな」
レッカの冷静な忠告。
むぅ……。たしかに、疲労が吹っ飛ぶと言っても、あくまで精神的なもの。肉体には相当ガタがきているだろう。
俺が動けなくなってしまってはどうしようもないわけだし、ここは強がらずに休んでおくべきか。
「……そうだな。すまない」
結局、ここまで来る間にも、何度も休憩を挟まざるを得なかった。
一刻も早く魔界へ行かなければ追手が来るというのに、何とも不甲斐ない話である。
「何を謝る。むしろ謝らなければならないのは私の方だ。私を助けるため、お前はこんな危険な目にあっているのだから。
まあ、とにかく、身を隠せる場所を探そう……ん? あれは……」
「どうした?」
レッカが何かを発見したようだったので、俺は訊き返した。
「いや、あそこの崖にある大岩、見覚えがあるな……そうか、あのときの戦場か。なら、魔法陣ももうすぐだな」
「ってことは、お前達が人間軍に奇襲された場所か」
「ああ。私はあの大岩を持ち上げ、魔力で強化して盾として活用したのだ」
……なんか今、サラッととんでもない事を言われた気がする。
「うへえ……万全のお前って、あんな大岩を持ち上げられるのか。魔族って凄いんだな」
「魔族だから、というわけではなく、魔族の中でも怪力な種族の出なんだよ、私は。
魔族と一口で言っても様々な種族があってな。それぞれ、全く違う特徴を持っているんだ。
例えば、私と同じく四天王の一人であるショコなんかは、魔族一の膨大な魔力を持っているが、身体能力に関しては人間よりも低い」
なるほど、そういうものなのか……。
しかし、四天王と言えば、前世においては創作物の中でよく使われていた印象だ。実際は、どんな感じなのだろう。そう思い、俺はレッカに尋ねる。
「四天王、か……。仲は良いのか?」
「いや、悪い。種族も性格も全然違うし、私もヴァサゴもショコも、基本的には個人主義と言うか、
デルタだけは、
あと、魔王様も良い
「ははは、本当にいろんな魔族がいるんだな。
でも、そういう話を聞いていると、やっぱり魔族も人間と同じなんだなと思うよ」
――レッカがそうだったように。
他の魔族も、きっとそうなのだ。壁をつくっているのは、人間の側。
だけど、こうして触れ合ってみればわかる。
人も魔族も――共に温かい。
「人間も魔族も同じ、か。
何だか、お前と出会ってから、魔王様の気持ちが少し分かるようになった気がする。
そうだ、お前の知り合いの話も聞いてみたいな」
俺以外の人間にも、憎しみではなく興味を抱いてくれるのか。
それは、何よりも嬉しいことだった。
だから、俺も声を弾ませて答える。
「そうだな……誰のことから話そうか……」
「見つけたぞ」
声がした。
振り向くと、そこに居たのは、金髪碧眼の端麗な容姿をした男。それは、つまり――
人界最強の剣士、勇者アレスだった。
「魔王直属の四天王が一人、怪力のレッカ。お前は、俺が手ずからここで殺す」
彼は、とてつもなく強い。レッカを背負ったまま、逃げおおせるのは不可能だろう。ならば、ここでとれる行動は一つだ。
「まだ傷が深いお前に、酷な提案をすることになってすまないが……」
レッカをそっと地面に降ろし、俺は言った。
「這ってでも、ここから逃げてくれ。時間は俺が稼ぐ」
「何を言って……ッ!?」
驚いた声をあげるレッカ。彼女には悪いが、現状これしか手がないのだ。
「ごめんな。立ち上がるのもままならない今のお前を、一人にさせてしまうのは心苦しいけど……」
「そんなことはどうでもいい! ムラジ、お前は何故、そこまで自分を犠牲にして私を……っ!」
悲痛なレッカの声。それを聞いて、なおさら決意が固まった。
レッカを――絶対に殺させはしない。
「レッカ、お前も言っていただろう。このままじゃ、俺もお前も人間に捕まる。なら、片方でも助かる道を選ぶべきだって」
「ムラジ……」
「だから行け。俺のことなど気にせず、魔界に戻って幸せに暮らしてくれ」
レッカは、涙声で答えた。
「……わかった。本当にありがとう、ムラジ」
レッカが這いつくばりながら、必死にこの場を離れる。それを確認しながら、俺はアレスに話しかけた。
「わざわざ待ってくれてありがとう、勇者アレス」
「俺は、最期の別れを邪魔するほど野暮ではない。
かと言って、魔族を見逃すほど慈悲深くもないがな」
アレスの眼光はあまりに鋭く、俺を射抜く。
普段ならば蛇に睨まれた蛙の如く怯んでしまうところだ。
だけど、今は違う。俺の後ろには、守るべき相手がいる。
だから俺は怯まない。
勇者がなんだ。人界最強がどうした。相手が誰であるかなんて関係ない。
だって、俺はレッカを守ると誓った。
ならば、相手と絶対的に差があろうが、何としてでも切り抜けろ。
人間に対して憎しみしか持っていなかったあいつが、少しずつ人間を信じられるようになってきたのだ。
その想いを、こんなところで壊されてたまるか。
「そこを退け。わが剣は魔族と魔物を屠る為にのみ振るわれる聖なるものだ。できることなら、人に向けたくはない」
「どかない。お前がレッカを殺そうとする限りは」
「そうか。ならばお前は俺の敵だ」
そう言って、アレスは剣を引き抜いた。
「震えながらも、こちらを睨み付けるその度胸。
どうやら、覚悟は本物のようだな。仕方がない。せめて一瞬で終わらせてやる」
そして。
たった一歩の踏み込みで、アレスは俺の目の前まで迫っていた。
なんて出鱈目。身体
「……ッ!」
思いっきり身をよじり、俺は何とか攻撃を避けた。
すると、アレスは目を丸くしてこちらを見つめる。
「これを避けただと……? お前、本当にただの村人か?」
「ああ。少しばかり動体視力は高いかもしれないけど」
できるだけ強がって返答したが、内心では、心臓バクバクだった。
アレスは、ただ身体能力が高いだけではない。
その技術すら、洗練されていた。
一切無駄のない、完璧な剣技。それを、常人離れした身体能力で放ってくるのだ。
言うなれば、人間が自分たちより強い猛獣に対抗する為につくりあげた技術を、猛獣が完璧に使いこなしているようなもの。
真の意味で、無敵。一瞬たりとて、時間を稼ぐのは難しいだろう。
今の攻撃を避けられたのだって、運が良かっただけだ。ギリギリでの回避だった。本当に、奇跡としか言いようがない。
こんな奴相手に足止めなんて、ほとんど不可能に近い。
だけど。それでも。
俺は、やり遂げなければならない。
ここでこいつを止めなければレッカは殺される。
それを許容することの方が、こいつを足止めするよりもよっぽど不可能だ。
だから、何としてでも俺は、ここでアレスを食い止める。
「……ふざけやがって。カオスやジョーカーみたいな理不尽過ぎる相手ならいい。魔王や四天王みたいな、純粋に強い奴ならまだわかる。
だけど、ただの村人だと……?
ホーリーブレイヴに名前すら出てこなかったモブ未満の存在が、ローズの危機に駆けつけただけじゃなく、魔族側に加担し、さらにはアレスであるこの俺の攻撃を避けただと……ッ!?
物語に書かれていない不確定な要素が多すぎる。
何故、皆俺の邪魔をする! 疑わしい、疑わしいうたがわしいウタガワシイ――ッ!
もう、何もかもが信じられない!」
アレスはその端整な顔を歪ませ、流麗な髪を掻き毟り、ヒステリックに叫ぶ。
その様子は、とても人々の為に戦う強き勇者には見えなかった。
「もう四の五の言ってられない。
不確定要素は排除しなくては。
殺す。
そして、アレスの猛攻が始まった。
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