第二十七話 レッカの吐露――カインズ/ムラジ

「はぁ……」


 憂鬱だ。ローズ様は王都へ行ってしまったし、何より――


――だから行くんじゃないか! ローズが龍にやられたらどうする!


 あの時、俺は動けなかった。ローズ様の危機だというのに、恐怖心の方が勝ってしまったのだ。

 しかし、ムラジは違った。あいつは、何の迷いもなく、ローズ様を助けに行ったのだ。


「……クソッ!」


 昔からローズ様は、あいつの前では自然体だった。

 俺や他の取り巻きには決して見せないローズ様の素顔を、あいつだけが知っている。それが、とてつもなく嫌だった。

 故に、俺はムラジに対して劣等感を覚えていた。

 それが、今回の一件で見事に燃え上がったのである。

 あまりに醜い感情だという事はわかっている。だけど、それでも俺はあいつが……


「……ん?」


 ふと、俺の視界の端に、歩いているムラジの姿が映った。

 一瞬、ついに幻覚が見えるほどにあいつへの憎悪が高まったのかと思ったが、どうやらあれは幻覚などではなく、本物のようだ。

 あいつ、こんな夜更けにどこへ行くんだろう。それに、なんかコソコソと行動しているように見える。


……ふむ。ここは、後を付けてみよう。ムラジの弱みか何かを握れるかもしれないし。


 俺はそう思い、ムラジの尾行を開始した。



◇◇◇



 あれから、俺は毎日レッカの元へ通っている。

 レッカの傷は未だ癒えず、立ち上がることもままならない状態だ。

 本当は付きっ切りで世話をすべきだと思うが、しかしずっとレッカの元にいては、俺自身の生活が立ち行かなくなってしまう。


 かと言って、村に連れて行くわけにもいかない。

 レッカは魔族――つまり、人間の敵だ。人に見つかればすぐにでも捕らえられてしまう。その後に待っているのは拷問、そして処刑だろう。


 故に、俺の取れる行動は、人目のつかない時間帯に、こっそりとレッカの元へ行くことだけだ。あまり長居は出来ないが、それでも、毎日話をすることで、レッカは少しずつ心を開き始めている。

 最初の頃はツンケンしていたレッカだが、最近では普通に接するようになってきた。


 こうしてみると、人間も魔族も何も変わらないのだなぁと実感する。姿形が違うからと言って、今のように敵対しているのは、本当に残念だ。

 まあでも、人間同士でさえ、身体的特徴や文化、イデオロギーの違いなどの様々な理由で、差別したり対立したりするのだから、人間と魔族が敵対してしまうのは仕方がないのかもしれない。

 そんな事を考えながら、レッカの世話をしていると、


「いつもすまないな……ムラジ」


 申し訳なさそうに、レッカがそう言った。


「なんだ、やけにしおらしいな。お前らしくもない」


「ふん、こうなったのもお前のせいだぞ、ムラジ」


 少しむくれた表情で、レッカは言う。


「私は、分からなくなっているのだ……」


「わからなく、なっている……?」


 俺が聞き返すと、レッカは俯き、絞り出すような声で答えた。


「私の父は、前線に配属された兵士だった。そこで、人間と戦い……殺された」


 停戦状態は名ばかりで、前線では突発的に小競り合いになることもあると聞く。レッカの父も、それで亡くなったのだろう。


「それからというもの、私は人間への復讐心のみで生きてきた。その為に強くなり、四天王の座にまで上り詰めた。しかし……」


 自身の葛藤を振り払うようにレッカは激昂した。


「ムラジ。お前に会って、その気持ちが揺らいでいる。

 私は、父を殺した人間が憎い。憎い、筈だったのに……っ!

 お前にこうして助けられる度、その憎しみが薄れていってしまっているのだ……!」


 そう言ったレッカの目から、一筋の涙が零れた。

 彼女は、自らの中にある、人間への憎しみが消えてしまうことを恐れているのだろう。

 人間に心を開いてしまったら、それは人間に殺された父に対する不義理になってしまう。そう思い、葛藤しているのだ。


 俺に、その苦しみはわからない。

 自分の痛みは、自分だけのもの。例え似たような痛みを抱えている他者がいたとしても、結局は似たような止まりである。本当の意味で、その痛みを理解することは出来ない。

 それに、レッカが抱えている葛藤は、非常にデリケートなものだ。下手に言葉をかけてしまえば、さらに傷口を広げてしまうかもしれない。


 だけど。それでも。

 俺は、レッカに向かって口を開いた。俺が思っていること。俺が、レッカと出会い、話をして感じたこと。

 それを今言わなければ後悔する。そんな感情に突き動かされて。


「お前が人間を憎むのは当たり前の感情だ。

 俺だって魔族に大切な人を殺されたら、恨んでしまうと思う。

 だけど、だからこそ俺は、そんなふうに互いにいがみ合わざるを得ない現状を、悲しく思うんだ。

 人間と魔族が敵対し、殺し合っているからこそ、憎しみは募り、さらに対立は深まってしまう。そんな連鎖は、どこかで止めなくちゃならない。

 だから俺は、魔族に対しても、人間と同じように接したいと思う。

 レッカと会って、話して、過去を知って……俺は、そんな風に思えるようになった」


「綺麗事だな。そんな馬鹿げた理想論を真顔で語るなど、お前はまるで、魔王様のような男だ……」


 呆れているような、それでいて泣きそうな声で、レッカは呟く。


「やはり私は、そんな理想に殉じることは出来ないよ。私はこれからもずっと、人間を憎み、恨み続ける。だが――」


 レッカは俺の目を真っ直ぐに見つめて、言った。


「ムラジ、お前だけは例外だ」


「……」


 その言葉を受け、何と返答しようか迷っていると、レッカは急に真っ赤になった顔をブンブンと振った。


「か、勘違いするなよ。

 別に、お前に対して特別な感情を抱いているとか、そういうのじゃないからな!

 ただ、命の恩人まで恨むのは、さすがに外道すぎると思っただけだ!」


「そうか……」


 レッカの出した答えがそれなら、俺がこれ以上口を挟むことではないだろう。

 ただ、俺に対して恨みの感情を向けずに済むと言うのなら、そこを起点にして、より多くの人間に対しての恨みの念も、少しずつ薄れていくことを祈るばかりである。


 と、そのとき。

 ガサリ、と外で音がした。


「……っ!」


 驚いて窓の外を見ると、カインズが走ってここから離れていくのが見えた。


「あいつ、俺をつけて……っ!」


 細心の注意をはらって村を出たつもりだったが、見られていたのか。

 これは非常にまずい。あいつがこのことを誰かに言いふらしたら、レッカは捕まってしまう。

 ここから逃げようにも、レッカは立ち上がることすら出来ない状態だし、事情を説明して、村人が納得してくれるとも思えない。

 一体、どうすればいい……ッ!


「ムラジ、落ち着け。まだ手はある」


 冷静にレッカが言った。

 藁にも縋るような気持ちで、俺はレッカに問う。


「本当か? この状況で何か打開策が――」



 え――? と、俺の思考は空白に染まった。


「どういうことだ?」


「そのままの意味だ。

 お前が私に脅され、仕方なく介抱していたということにすれば、少なくともお前は助かるだろう」


「何言ってるんだ! それじゃあレッカが……っ!」


「冷静に考えろ」


 俺の言葉を遮るように、レッカが言葉を挟む。


「このままだと、魔族である私はもちろん、私を助けたということで、お前も罪に問われるだろう。

 だからせめて、どちらか片方だけでも助かる道を選ぶべきだ」


 レッカの言うことは理に適っている。

 ここで俺が意地を張って、レッカの提案に乗らなければ、俺もレッカも罪に問われる。

 ならば、レッカの言う通り、俺が脅されていたということにするのが、最も賢明な判断だろう。

 だけど……ッ!


「そう暗い顔をするな。お前に助けられなければ、私はあそこで死んでいた。少しだけ死期が伸びただけでも儲けものだ。

 憎悪だけで生きてきた私が、お前のおかげで憎悪以外の感情を知ることが出来た。それだけで私は満足だ。

 人間に捕らえられ、処刑されたとしても、悔いはないさ」


 そう言って、レッカは出会って初めて、笑顔を浮かべた。

 だけど、それでもわかってしまう。これは、無理して浮かべた笑みだ。


 本当は、人間に捕まり、処刑などされたくない。

 ここで死んだら、悔いが残ってしまう。

 そんな思いを必死に押し殺し、俺を安心させるように、レッカは笑顔をつくっている。


 人間への憎悪を忘れまいと、ずっと張り詰めた表情を浮かべていたレッカの、最初に見せた笑顔が、俺を気遣う為のものだなんて――


――そんなの、あまりにも……ッ!


「――ッ! ムラジ、何を……っ!?」


 驚くレッカを、俺は背負い上げた。

 く……っ、重い……ッ!

 レッカは、人間よりも重量があるタイプの魔族のようだ。ましてや、レッカは今、怪我の所為で身体に力が入らない状態。かなりの負担が、俺の背にのしかかる。

 それでも、俺はレッカをおんぶしたまま、小屋の外へと歩を進める。


「ば、馬鹿……っ! 何をやっている!」


「魔界まで逃げ切る。そしたらもう、お前は人間に捕まる心配はない」


「自分が何を言っているか分かっているのか……!?

 魔族は、私と同じように、人間に対して悪感情を抱いている者ばかり。

 そしてお前は今、人間をも裏切ろうとしている。

 お前は今、魔族と人間、両方から命を狙われてもおかしくない、そんな行為をしようとしているのだぞ!

 それはつまり、この世界すべての者と敵対するということ。何の自衛手段も持たないただの村人が、すべてを敵に回すというのか!?」


「ああ。知っての通り俺は馬鹿だからな。どうあっても賢明な判断は出来ないらしい」


「……」


 レッカは、暫し絶句した後、小さな声で言った。


「……本当に、呆れた奴。でも――ありがとう、ムラジ」


「今度はちゃんと言えたじゃないか」


「うるさい、間抜け」


 こうして、俺とレッカの逃避行が始まった。

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