第二十六話 魔族と人間の邂逅――レッカ/ムラジ
「はぁ、はぁ……」
意識が朦朧としたまま、私は歩いていた。
人間どもの後衛魔術師部隊に単身突っ込んだ事は覚えている。その後無我夢中で戦い、気付けば攻撃は止んでいた。
あまりのダメージで記憶も定かではないが、しかしあの人数差だ。敵を全滅させる事が出来たわけではないだろう。おそらく、逃げられてしまったか。
「追わなくては……」
考えを纏める事すら出来ぬ頭で、私は歩き始めた。少しでも気を抜くとそのまま倒れてしまいそうになるような状態で、何とか歩を進める。
一体どれくらい歩いたのだろう。
ほんの少しのような、酷く長い時間のような……それすらももう分からないが……
と、その時、焦点すら定まらなくなった視界に、何かが映った。
あれは……人間、か……? だが、恰好から察するに、兵士ではないようだ。歩いている内に、戦場から離れてしまったのだろう。
まあ、どちらにしても同じ事。人間に見つかったのなら、後は殺されるのみ。
だが、ただでは死ぬまいと四肢に力を籠めたが……しかし、拳を挙げる事すら出来ず、私は倒れた。
ああ、これが私の末路か。人界などという忌まわしい場所で、人間の手によって殺されるのか。
ああ、せめて、魔王様が人界軍の魔の手から逃げられているといいのだが……。甘いところはあれど、魔王様は有能な男だ。ここで死んでしまっていい器ではない。
そんな事を思いながら、私の意識は完全に途切れた。
◇◇◇
俺は、村人に頼まれて、野草を取りに山を登っていた。
ローズが王都に行ってから、もうかなりの日数になる。
元気でやっているだろうか。アレスに愛想尽かされてないだろうか。
しかしまあ、何と言うか、あいつがいなくなると寂しくはある。ローズの親衛隊の彼らのように、ローズに対して特別な感情を抱いていたわけでもないのだが……。
そんな事を考えながら、俺は目当ての野草を採取していた。
しかし、この辺りは大体採り尽くした。もっと奥に入るしかないか。
いつもは行かない奥の方にいくと、寂れた山小屋のある場所へと着いた。
こんなところに山小屋があったのか。どう見ても空き家だ。
まあ、そんな事はいい。今は野草を……
「……っ!」
そのとき、見過ごせないものが視界に移った。
少し離れたところで、魔族がフラフラと歩いていたのだ。
魔族がいたというだけで驚きだが、何よりも特筆すべきはその有り様だった。その魔族は、全身血まみれで、見るからに重傷を負っていたのである。
その魔族は、こちらを睨み、しかしそこで力尽きたのか、地面に倒れた。
本当に酷い怪我だ。しかし、今治療すれば何とか間に合うかもしれない。
だが、魔族を助けたりなどしたらどうなるか。
確実に、俺の平穏な生活は音を立てて崩れるだろう。
だけど、その痛々しい傷を見てしまったら、もう……
「迷ってる暇なんて、ない……っ!」
俺は急いで魔族に駆け寄った。
そして担ぎ上げ、山小屋に運び、応急処置を開始した。
◇◇◇
夢を見ていた。
これは、まだ幼かった頃の記憶。夢の中の私は、父と共に楽しそうに笑い合っていた。
それは、今となっては二度と叶わぬ光景。何故なら、父はもうこの世にはいないのだから。
私の父親は、人間に殺された。
人界と魔界は、名目上は停戦状態とされているが、前線では一定の頻度で小競り合いが起こっている。魔族側の兵士であった私の父は、そうした小競り合いで死んだ。
故に、誓ったのである。
私は、何があろうと、人間を絶対に赦さないと。
◇◇◇
「目が覚めたか?」
声のした方を向くと、そこには人間がいた。
「……っ!」
私は驚き、急いで起き上がろうとしたが、傷があまりにも深く、痛みも強いため、思うように体を動かす事ができない。
「ああ、あんまり動くと傷が開く。今は安静に寝ててくれ」
人間が、まるで私を気遣うかのような口調で言う。
こちらを懐柔する気だろうか。
見れば、この人間は兵士ではないようだし、おまけに私には拘束具のような類のものが全く付けられていない。どころか、ご丁寧に応急手当などまでなされているようだ。
なるほど……傷を手当するなどしてこちらに優しい振りをし、私が自発的に魔族側の情報を話すように仕向けているのだな。その手には乗らないぞ。
「いくら優しくされようとも、お前達人間の魂胆は透けて見えている。私は情報など喋らないぞ」
「別にそんな事企んでないよ……。ああ、そうだ。腹減ってるかと思って食事を持って来たんだが、食べるか?」
「飯だと……? ふん、敵からの施しなど受けるわけが……」
そう言った瞬間、私の腹がグ~ッと鳴った。
「やっぱ腹減ってるか。お前が倒れてるのを見つけたのが昨日だもんな。少なくとも一日以上何も食べてないわけだし」
「く……っ。たしかに、腹は減っている。だが、どうあれその飯を食う気はない。敵からの飯など、何が入っているか分からん。大方、自白剤でも入って……」
「そんなもん入ってないっての。ほら」
そう言って、人間は持って来た食事の一つを自ら食べて見せた。
「な? 何もないだろ?」
「ぐぬぬ……。だが、私は……」
「ああもう、しょうがないなあ」
業を煮やしたのか、人間はおかゆを匙に乗せ、私の口元まで運んできた。
美味しそうな匂いに心が負けそうになり、私は思わず叫んだ。
「や、やめろ!」
そこで、私は失敗に気付いた。叫んだという事は、口を開けたという事。その一瞬の隙をついて、人間は私の口内におかゆを入れた。
「……っ!」
私は急いで吐き出そうと思ったが、しかし一度おかゆが舌に届いてしまうと、そのあまりの美味しさに、プライドよりも食欲が勝ってしまった。
「もぐもぐもぐ……ごくん。お、美味しい」
魔界での味付けとはまた違った独特な味に感嘆し、私は思わず頬を綻ばせてしまった。
「お気に召したようで何よりだ」
「な……っ、これは違う、断じて違うぞ……っ!」
私は慌てて弁明するが、人間は呆れたような声で切り返す。
「何が違うんだよ……」
「こ、これは決して、人間に対して心を開いたとか、そういうアレではなく、その……そうだ!
食べ物に罪はないからな。あくまでもこの粥が美味かったというだけで、決して他意は……」
「そっか、わかったよ」
「わかったならそのニマニマ笑いをやめろ!」
なんだこのやりとりは。
これじゃあまるで私が馬鹿みたいじゃないか。
「まあとりあえず、いろいろ持って来たからどんどん食べろ。傷を癒すんだから栄養を付けない事には始まらないしな」
「だから私は……!」
反論しようとしたが、先程と同じ手を使われ、私は結局、人間の持っていた食事を全部食べてしまった。
「うう……私は何と情けないんだ……」
自分の情けなさに恥じ入る。いくらこんなわけのわからない状況だとはいえ、こんな手に乗ってしまうなんて……
というか、そうだ。怒涛の展開に押され、まだ状況の確認すらしていないのだった。
慌てて周囲をよく観察してみると、私の今いるところは寂れた小屋のようだった。窓の外には木々が見える。
ここは森か、あるいは山の中か……そんな風に考えていると、人間が再び話しかけてきた。
「そういえば、まだお互い自己紹介してなかったな。俺はムラジ。この山の麓にある村に住んでる」
「私はレッカだ。見ての通り魔族で……って、待て。お前、ただの村人なのか?」
「ああ、そうだけど……」
「正直、何がどうなっているのかさっぱり分からない。私は、人間の兵士に捕まったんじゃないのか?」
「……ああ、そうだよな。まずは状況を説明するべきだった。と言っても、単純にレッカが大怪我して倒れていたから、近くの山小屋に運んで治療してただけだよ」
私は、手傷を負いすぎた所為で意識が朦朧としたまま、戦場の外まで歩いてきてしまったらしい。
何とも間抜けな話だ。しかし、それ以上に間抜けなのは……
「ムラジとか言ったな。お前は何を考えている? 私は魔族だぞ。なのに何故助けた」
「自分でも馬鹿だとは思うよ。でも、放っておく事は出来なかった」
そう言ったムラジの表情はあまりにも真っ直ぐで、私は一瞬、こいつに心を開きそうになってしまった。
「……っ」
しかし、唇を噛みしめ、その気持ちを抑え込む。
こいつは人間だ。決して心をゆるして良い相手ではない。
「……自覚していながらも私を助けるとは、本当に間抜けだな。呆れて物も言えない」
「ああ、そう言われても仕方ない。だけど――」
ムラジは、何てことのないように言葉を続けた。
「後悔はしていないよ。
こうしてレッカと話していると、お前が死なずに済んで良かったって、そう思える」
その声色に、わざとらしさは一切感じない。
こいつは、こんなこっ恥ずかしい台詞を、本心から言っているのか。まったく、こいつは――
「……本当に、呆れた奴。でも――」
ありがとう、と。
私は心の中で呟いた。
「だが、実際問題、これからどうするんだ? ずっとこのままここにいるわけにはいかないだろう?」
「……そうだな。まあでも、動けないレッカをこのまま置いていくわけにはいかないし、かと言って皆に心配かけるのもなぁ……」
「ふん、私はヤワじゃない。ここに置いていかれても死にはしないさ。ムラジ、お前はとっとと村へ帰れ」
ムラジが帰ってこないことを訝しんだ村人がここにやって来たりしたら、困るのは私だ。
――そう。この言葉はあくまで自分の身を守るためのもの。決して、こいつの為に言っているわけではない。
「……わかった。でも、明日また、食料と替えの包帯を持ってここに来るから、安静にして待っていてくれ」
「もう私に構うな、と言っているのだが……全く、本当に馬鹿な人間だな、お前は。何と言うか、調子が狂う」
だけど――お前の言葉は温かい。
そんな事を言おうとして、慌てて引っ込めた。
私は、人間に心をゆるしたりしない。そう自分に言い聞かせ、私はそれ以上何も言わずに、ムラジの背中を見送った。
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