第二十二話 崩れ去る理想――アレス/ジョーカー/シュヴァルツ

 俺は、完全に冷静さを失っていた。

 ジョーカー。この男を見ると、ひどく頭が熱くなる。

 もちろん、こんなものはただの八つ当たりだとわかっているが――

 俺が救うはずだったローズを助けた男。そいつが、今度は魔王を倒す機会チャンスまで、こうして奪おうとしている。

 それが、身勝手ながらも――心底腹立たしかった。


「ジョーカー、この前といい今といい、何故お前は俺の前に立ちはだかる!」


「それはお前がカオスの掌の上で動かされているからだ」


 あくまで冷静に、ジョーカーが言う。

 しかしそんな言葉など、今の俺には届かない。


「……たしかに、あのときまではそうだったかもしれない。だが、今は違う。

 俺はカオスの思い通りにも、お前の思い通りにもならない!

 お前らみたいな異分子イレギュラーに、俺の人生を壊されてたまるか……っ!」


 激情を抑えられず、俺は叫び、聖剣を振るった。

 しかし――


「な……っ!」


 聖剣は、ジョーカーに片手で掴まれた。

 掌に魔力を纏っているのだろう。その手からは、血の一滴も出ていない。

 なんて規格外。こいつは、聖剣の一撃をこんな簡単に防ぎやがった。


「なるほど、たしかにお前の剣技は卓越している。聖剣へ籠める魔力の制御コントロールもかなりのものだ。だが、肝心の心が追い付いていない」


「何……?」


 ジョーカーの言葉を訝しみ、俺は聞き返す。


「迷いがある、と言っているんだ。自分の今進んでいる道が正しいのかってな。その迷いが、お前の良さを打ち消してる。

 こんなザマじゃあ、真っ直ぐな信念を持つ奴には絶対勝てないぜ。相手が例え素人だったとしてもな。

 ましてや、自分より強者と戦うのに、そんな半端な心構えでいたんじゃあ――」


 刹那、ジョーカーから膨大な魔力があふれ出た。


「一瞬で、潰されるぞ」


 刹那。

 凄まじい魔力の奔流が、この俺を叩いた。


「ガ、は……ッ!」


 その衝撃は凄まじく、俺の意識を刈り取るのには十分だった。



◇◇◇



「……ふぅ」


 アレスを無力化した俺は、息を吐いた。

……正直、心底驚いている。

 結果だけ見れば、俺の完勝だ。こちらは一滴も血を流さず、アレスを気絶させたのだから。

 しかし、俺が受け止めたあの一撃は、とてつもない力を秘めていた。

 完全に防ぐ事ができたのは、あいつ自身の心に迷いがあったから。

 もしアレスが信念を持って俺に対峙していたら、戦いの結果はどうなっていたかわからない。

 つまり、心が身体に追いついたのなら、あいつは俺に迫る実力を秘めているということ。


 潜在能力では俺やカオスに遠く及ばないはずのあいつが、そこまでの力を身に付けているのだ。

 その裏に、どれほどの努力、どれほどの無茶があったのか。それを思うと、敬服せずにはいられない。

 だが、だからこそ悲しい。あいつが、カオスに翻弄され、自ら破滅への道に進んで行くさまが。

 それこそがカオスのやり口。最初に人の運命を狂わせ、あとは直接介入せず、少し世界に手を加えることで、少しずつ人々を、ひいては世界を破滅の道に追いやっていく。

 アレスは、否、この世界の人々は全て、その被害者だ。それを思うと、一刻も早くカオスを倒さなくてはという使命感が強くなる。


 ともあれ、今は目の前のことに集中しよう。

 アレスを無力化したとはいえ、まだ人界軍の兵士は多数いる。

 魔族軍とてまだ界境まで辿り着いてはいないだろうし、何としても、人界の兵士達を足止めしなくてはならない。

 しかし、あくまで彼らも、カオスに運命を歪められた被害者でしかない。故に、殺さず、後遺症を残さない程度に無力化する。

 この人数を無力化するのは骨が折れるが、やるしかない。

 グッと、四肢に力を籠める。同時に、身体中に痛みが奔った。

 やはり、今までの――とくに前回のカオスとの戦いでのダメージが色濃く残っている。その上、先程アレスの攻撃を無理して防いだのも、かなり響いているな。

 正直、今にも倒れそうな激痛だが、やるしかない。

 そう決意し、俺は人界の兵士達に応戦した。



◇◇◇



 僕は他の魔族たちと共に、人間の兵士たちの包囲をなんとか潜り抜けた。

 

「残っているのは……五人か」


 五十人の精鋭部隊が、十分の一になってしまった……いや、もしあのジョーカーという男が助けてくれなかったら、全滅だった。

 五人生き残っただけでも十分奇跡。しかし――それでも、悲劇である事には変わりない。

 そしてこれは、避けられた悲劇だ。


 僕が、和平交渉を受け入れるなどという甘言を信じてしまったから、こんな事になった。

 魔族と人間が手を取り合うなんて甘い理想に囚われて、現実が見えていなかった。

 そして浅はかな行動をして、結果、多くの魔族の命を散らせてしまった。

 この罪は、あまりに重い。僕は、本当に取り返しのつかない事をしでかしてしまった大馬鹿野郎だ。


「すまない……僕の所為で……ッ!」


 死んでしまった魔族たちへの懺悔の言葉が、思わず口から漏れる。それをきいた魔族の兵士の一人が言った。


「魔王様は悪くありません。悪いのは、奴ら人間です。せっかく魔王様が和平の話を持ち掛けたのに、その善意を利用して罠に嵌めるなど、言語道断だ」


 他の兵士も、口々に同意する。

 その優しさが染みて、僕の心は余計に痛んだ。


「ありがとう。でも、やっぱり悪いのは僕だ。だから、考えを改める」


 そう。今回の事態は、僕の甘い考えが招いたこと。ならば、まずはそれを改めるべきだ。


「和平なんていうぬるい考えは捨てる。

 また対話で解決しようと試みても、今回と同じ結果になるだけだ。話し合う前に、殺し合いが始まってしまう」


 故に、取るべき道はたった一つ。


「徹底抗戦だ。和平が無理なら、武力を以て、人界と魔界の戦争を終わらせるしかない」


 今回の衝突があった以上、もう戦争は避けられないだろう。

 もう話し合いなんて言っていられない。

 僕が魔王としてやるべき事は、理想に縋る事ではなくて、現実に対処する事だ。

 どうあれ戦いは避けられない。ならば、圧倒的な力を以て、戦争を短期間で終わらせる事のみ。

 それが結果的に、犠牲者を最小限に留める道となるだろう。

 そう思い、僕は、決意を新たにした。


「その為には、まず帰らないと。包囲を抜けたとは言っても、ここはまだ人界の領土。急いで界境を抜けよう」


 そして、僕達は界境へと向かった。

 しかし。こんな敗戦の将が、暖かく迎え入れられるはずもない。

 そういう意味でも、僕の考えは甘かったのだ。

 今回の件に反対している実力者に魔界の留守を任せるなど、国家運営としては下策も下策。

 結論から言えば。

 この後、僕と生き残りの先鋭部隊は捕らえられることになる。

 魔王の留守中に政権を握ったヴァサゴの手によって。

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