転 それぞれの決意

第二十一話 人間と魔族の激突――アレス/シュヴァルツ

 とうとう、この日がやってきた。

 和平交渉に対するこちらの返答を受け、魔族側が交渉の為に人界にやってくる。

 その魔族達に奇襲を仕掛けるため、俺は兵士達と共に待ち伏せをしているのだ。


 俺が留守の間、ローズは俺の屋敷に泊めさせ、しっかりと護衛を付けさせてもらった。

 護衛の兵たちには、リーネとその周りの者達を、ローズに近づけさせないように言い含めてあるので、また嫌がらせを受けることはないだろう。

 あの日の俺は、ホーリーブレイヴと違う展開に混乱し、作中に潜む脅威に対して疎かになっていた。それでは駄目なのだ。

 俺は、ホーリーブレイヴで起こった展開、そこから外れた展開、その全てに対応して動かなければならない。

 何もかもを疑い、何もかもに対処する。そして、俺は必ずや幸せを掴むのだ。

 故に、予測できる脅威は軒並み排除する。

 物語にある魔族との決戦の時期を待ってはいられない。前倒しで、脅威は叩ける内に叩いておく。


 ホーリーブレイブの物語において、魔族側は秘密裏に人界に仕掛けておいた空間転移用の魔法陣を用い、奇襲を仕掛けてきた。

 今回俺は、作中の描写からその魔法陣の位置をある程度割り出し、それを元に作戦を立てたのである。

 魔族側が界境から王都へと至る経路で、かつ俺の割り出した魔法陣の位置から近いところ。そこに、魔術師部隊を設置し、奇襲を仕掛けさせる。

 魔族軍は奇襲を受ければ、必ず空間転移用の魔法陣を使い、撤退しようとするだろう。そこで、俺もいる本命の部隊が待ち伏せしておくのだ。

 そうすれば、完全な挟み撃ちとなり、魔族軍を壊滅させることができる。

 さあ、来い。魔族よ。

 お前らを倒し、俺はまた一歩、ハッピーエンドへと近づく。



◇◇◇



――理想の実現が、もうすぐだ。

 僕は、ただそれだけを思い、意気揚々と歩を進めていた。

 今、僕は四天王のデルタとレッカ、それに、魔族の先鋭部隊五十人を引き連れて、人界の王都へと向かっている。

 界境を抜け、少し歩いた位置――空間転移用の魔法陣が秘密裏に設置されている場所のすぐ近くだ。

 しかし、この分ならそんな非常手段を使わなくて済みそうだ。

 界境を抜けるときも、人界側は怪しいことを仕掛けてこなかった。

 罠だというレッカの心配は、やはり杞憂だったのだ。このまま王都に行き、和平交渉も上手く進むだろう。

 僕はこのときまでは、そんな風に考えていた。

 理想の実現が目の前にあり、有頂天になっていたのだろう。あまりにも気楽で、あまりにも軽率だった。

 その愚かさを知らしめるように――現実は、突然牙を剝いた。


「……これは……っ!?」


 デルタが顔をしかめる。


「どうした?」


「まずいです……どうやら、囲まれているようだ」


 周囲を睨みながら、デルタは状況を話す。


「こちらの索敵術式が届かない位置から妨害術式を予め発動し、それを継続しながら徐々に近づいてきたのでしょうね……。

 しかし、そんな事、並みの人数、並みの連携では不可能。あちらは、かなり周到にこちらを潰しに来ているようです」


「そんな……! やはり罠だったのか……!」


 自分の愚かさに気付き、茫然とする僕に対し、窘めるようにレッカが告げる。


「だから言ったのです、甘すぎると!

 とはいえ、今は争い合っている場合ではない。こちらが気付いたと向こうに知れれば、一斉に攻撃されるでしょう。

 かと言って時をかけすぎては、さらに包囲が完璧になっていく。

 ここは、空間転移用の魔法陣まで、全力で撤退すべきかと」


「……そうだな。わかった」


 自分の判断を後悔しながら、僕はレッカに同意した。

 その場にいる全員も、同じように頷く。


「では、3――」


 怪しまれないように、先程までと同じように歩きながらも、撤退の準備を開始する。


「2――」


 緊張が走る。


「1――」


 そして。


「撤退――!」


 皆、一斉に踵を返した。

 ここにいるのは、魔族の精鋭部隊。予備動作なしで一気に振り向き、全力で走り出す。

 しかし、当然、人間側もそう易々と帰してはくれなかった。

 次々と、遠距離魔術が飛んできたのである。

 走りながらも、僕達は魔術を放ち、相殺する。

 しかし、如何せん数が違いすぎる上に、地の利もない。このままではジリ貧だ。


「チィ……ッ! ここは私が魔術師部隊に斬り込みます! そうすれば、少しはこの猛攻にも対処できる筈だ!」


「な……っ! レッカ一人を行かせるわけには……っ!」


「いえ、これが最善だ。この状況を切り抜けるのは至難の業でしょう。

 ただでさえ我々は少人数。私一人で敵戦力を叩けるのなら、それに越した事はない」


「でも、それじゃあレッカが……っ!」

 

 死んでしまう。

 こちらが魔術部隊をまず潰そうとする事くらい、敵も想定内だろう。そんなところにみすみす斬り込んで行ったら、レッカは確実に――


「魔王様。貴方は魔族の民を背負う者だ。こんなところで死んでいい器ではない。

 ですから、今はこの場を斬り抜ける事のみを考えるべきです。私が言いたいのはそれだけだ。では」


 そう言って、魔族一の怪力を持つレッカは近くにあった大岩を持ち上げ、それを盾とし、魔術の飛んできた方へと突撃していった。


 僕が、甘い考えで事を推し進めた所為で、こんな事になってしまった。

 これで、本当にレッカが死んでしまったら。彼女を殺したのは、間違いなくこの僕だ。

 僕は――


「魔王様!」


 デルタの声で我に返る。


「レッカの言う通りです。今はここをきり抜ける事のみを考えてください」


「……わかった」


 そう返答して、僕は他の魔族と共に走る。

 とにかく、空間転移の魔法陣の位置まで行けば……そう思っていたが、甘かった。

 魔法陣へ行くのを阻むように、人界の兵士達が立ちふさがっていた。


 これはただの偶然か……? それとも――人界側は、魔法陣の位置を予め知っていたというのか……?

 いや、今それを考えていても埒が明かない。目の前の兵士たちが、こちらに襲い掛かってきているのだ。


「……ッ! 応戦する!」


 そして、今度は近接戦が始まった。

 当然、人間の方が数は多いが、しかし兵士の質はこちらの方が高いようだ。

 これならばまだ何とかなるかもしれない――そう思ったのだが、しかしそんな淡い希望は、無慈悲な一閃によって打ち砕かれた。


「神速剣」


 本当に呆気なく、魔族の一人が首を落とした。

 まさに一瞬。凄まじい速度で突撃してきた男によって、両断されたのだ。

 情報としては知っている。

 特徴的な金髪と端整な顔つき。手に持つ聖剣から放たれる、芸術とすら見紛うほど流麗な一閃。この男は――


「最強の剣士――勇者アレス」


「作中の描写から、空間転移の魔法陣の位置を割り出し、それを元に兵を配置したが……よかった、上手くいったようだな」


「……? 何を言っている。作中……?」


「いや、こちらの話だ。

 それにしても、わざわざ魔王自らやってきてくれるとはな。

 魔族との火種を前倒しで作れればと思っていただけだったが、これは大きな収穫だ。まあ、ともあれ――」


 ギロリ、と。アレスは僕を睨み付け、無慈悲に告げた。


「ここがお前の死地だ、魔王シュヴァルツ」


 刹那、膨大な魔力が聖剣に集約していく。

 自らの魔力を聖剣の力で増幅し、魔力砲を放とうとしているのか。

 ならばこちらも、魔剣からの魔力砲で対抗するしかない――!


聖剣抜刀ホーリーブレイヴ


「……ッ! 魔剣グランドデス抜刀トラクション――ッ!」


 二つの魔力がぶつかり合う。凄まじい程の衝撃が拮抗する。

 しかし、徐々にだが、僕の攻撃が競り勝っている。このままいけば、押し切れる。


「うおおおおおっ!」


 叫び、そして。

 遂に、拮抗が敗れ、僕の魔力の奔流がアレスの魔力を破った。しかし――


「な……っ!」


 アレスは僕の攻撃の直線上にいなかった。

 どこに消えたかと焦る僕の身体が影に隠れた。

 影? まさか、頭上……ッ!


 気付いた時にはもう遅い。僕の頭上に跳びあがっていたアレスは、次なる攻撃を仕掛けようとしていた。


「過重斬」


 その攻撃が僕に当たる直前、


「魔王様、危ない……っ!」


 デルタが僕を突き飛ばした。


 そして、僕に当たる筈だったアレスの過重斬は――

 デルタの頭蓋を粉砕した。


「デ……ルタ……?」


 嘘だ。

 デルタは四天王最強の男。こんなところで死ぬ筈がない。

 必死にそう思おうとしても、わかってしまう。

 アレスの一撃。あれは、間違いなく凄まじい攻撃力を持ったもの。正面から喰らってしまったら、まず耐えられない技だ。

 それを、デルタは僕を守る為に、自らその身に受けた。ならば、彼は確実に――


「デルタ――ッ!」


 僕は叫んだ。しかし、そんな事をしたところで現実がなかった事になどなる筈がなく……


「次はお前だ」


 アレスが聖剣を引き抜くと、支えのなくなったデルタはその場に崩れ落ちた。

 彼はもう――死んでいた。


「……ス」


 その時、僕の頭の中で何かがキレた。


「アァァァレェェェスゥゥゥ――ッッッ!」


 アレスに向けて無我夢中で魔剣を振り下ろす。当然、アレスの聖剣で防がれたが、そんなもの構うものか。


「うおおおおおォォォォォッ!」


 力をさらに籠め、アレスを押し切ろうとする。しかし、


「力任せの攻撃ほど、御しやすいものはない」


 簡単に受け流され、カウンターで聖剣が振るわれる。


「――ッ!」


 身をよじり避けようとするが、それでも刃は僕の身体に刺さる。

 だが、負けるものか。こんなものは、デルタが喰らった一撃に比べれば軽いものだ。

 痛みを押し殺し、何度も魔剣を振るう。その度に避けられ、受け流され、返しの一撃を喰らい、少しずつダメージも蓄積していく。

 何故だ。どうして僕は、こいつに届かない。


「もうお前の太刀筋は見切った。しかし解せんな。魔王シュヴァルツはもっと強かったはず。

 これも本来のホーリーブレイヴとの齟齬か……。まあ、どうあれこれで終わりだ」


 そして、アレスが完璧な一撃を繰り出した。

 完全に避けられないタイミングで、確実に致命傷を狙った、高威力の一撃。

 ここで死ぬのか。

 ああ、レッカやヴァサゴの言う通りだった。

 僕は甘かった。人間と魔族が分かりあえるなんて絵空事を本気で語り、結果、守る筈の臣下を危険にさらし、大切な人をも失った。

 本当に、僕は最低で、死んだ方がいい人間だ。ここで果てるのも、ある意味おあつらえ向きなのかもしれない。

 でも、死ぬ前にせめて、まだ生き残っている魔族だけでも、この場から逃がしたかった――


 そんな風に思ったが……

 死の瞬間は、一向に訪れなかった。

 何故なら。


「やっぱりこうなっちまうか、この世界でも」


 僕とアレスの間に、一人の男が割って入ったからだ。

 アレスは、その男に向けて叫んだ。


「またお前か、ジョーカ――ッ!」


 ジョーカーと呼ばれた男は、アレスの言葉には答えず、僕に対して言葉を発した。


「ここは俺が引き付ける。お前は生き残りの魔族を連れて、早く逃げろ」


「でも、貴方は……」


「俺の事など気にするな。お前は魔族の王だろう。なら、魔族の事を最優先に考えろ。

 王ってのは自分の国民のことを何よりも第一に考えるべきだ。それに――」


 ジョーカーと呼ばれた男はアレスの方を見て言葉を続ける。


「あいつがああなっちまったのは、俺にも少なからず原因がある。だから、あいつの暴走を止めるのは、俺の責任だ」


「……わかった。ありがとう」


 礼を言い、他の魔族達と共に撤退を続ける。

 とは言え、空間転移の魔法陣の方向には、いずれにせよ近づけそうにない。ここは、普通に界境を越えるしかなさそうだ。

 それに、ジョーカーとて敵兵すべてを足止めできるわけではあるまい。

 この撤退戦は、今後も相当厳しいものとなるだろう。


――それでも。何としてでも、逃げるのだ。


 今回の事は、完全に僕の失態だ。僕は、その責任を取らなくてはならない。

 その為には、何としてもこの場を斬り抜ける。

 そう、胸に強く誓った。

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