第二十話 和平勧告の返答――シュヴァルツ

 僕は、城の地下にある書庫に立ち寄っていた。

 ここは、この世界すべての書物が揃っているとされる叡智の深淵。故に、悪魔の書庫と呼ばれている。

 そして、ここの主こそ、四天王の一人、ショコである。ここは書庫であると同時に、ショコの魔術工房でもあるのだ。

 悪魔の書庫の主は、この世界の全てを知ることができるという。まあ、いつもボーッとしているショコに、そんな印象イメージはあまりないのだけれど。


「……魔王様、また魔術の勉強……?」


 本を探している僕に、ショコは訊いてきた。


「ああ。魔族の皆を守るのは魔王としての責務だからね。その為には強くならなくちゃいけない。だから、剣術はもちろん、魔術についてもちゃんと勉強しておきたいんだ」


「……ふーん。魔王様がそう言うのなら、別にいいと思うけど……あ、でも、魔王様が今取ろうとしているその本を読んでも、特に意味はないと思うよ……」


「ん? これのこと?」


 ショコが忠告してきたので、僕は今取ろうとした本を指して聞き返す。


「……そう。それは燃魂魔術に関する本だから……」


「ふむ。燃魂魔術ってあまり聞いたことがないから、興味を惹かれたんだけど……」


「うん……研究対象としては面白いんだけどね……」


 淡々と、ショコは言葉を紡ぐ。


「……燃魂魔術は、魂魔術の中でも異端中の異端なの。

 その意味は文字通り……自身の魂を削って燃料にする魔術ってこと……」


 なるほど……。マイナーな魂魔術の中でも、さらに異端の魔術ならば、そりゃあ聞いたことがなくて当然か。

 そんな風に思っている僕に対し、ショコは尚も説明を続けてくれた。


「たしかに、魂のエネルギーを使って魔術を発動すれば、それはすさまじい奇跡を生み出せるかもしれないけど……

 でも、そんな危険な真似をしたら、どうなるかわからない……。

 最悪、死ぬどころか、魂そのものが完全に消失して……輪廻の輪から外れ、完全なる虚無に堕ちることになるかも……。

……そんなものは、使えないのとほぼ同義。だから、意味がないって言った……」


「なるほど」


 つまり、究極のハイリスクハイリターンな魔術ってことか。

 死ぬよりも高いリスクがあるのなら、たしかに半端な気持ちで使えるようなものではないだろう。

 しかし、知識がないよりはあった方がいいだろう。そう思い、僕はショコに提案した。


「まあでも、一応借りていっていいかな? 思わぬ役に立つこともあるかもしれないし」


「別に……いいけど……」


 そんな風にショコが頷いた、そのとき。


「魔王様、ここにおられましたか!」


 書庫の扉が開き、王城勤めの文官が入って来た。

 ショコはそれを不機嫌そうに睨む。


「……ノックしてから入って来て。心臓に悪い……」


「大変失礼いたしました、ショコ様。しかし、火急の用だったもので」


 ショコに対して頭を下げてから、文官は僕に向けて要件を告げた。


「人界から文が届きました。おそらく、和平勧告に対する返答かと」


「……! 本当か!」


 僕は急いで、その中身を確認する。すると、そこには驚くべきことが書いてあった。


「ショコ、悪いけど、また会議だ。僕は他の四天王を集めてくるから、ショコは先に会議室で待っていてくれ」


「……またー? うぅ……めんどい……」


 渋々という感じで動き出したショコを確認した後、僕は他の四天王たちを呼びに向かった。



◇◇◇



 四天王を集めた僕は、早速事の次第を語った。


「人界側が、和平勧告を受け入れてくれた。これより、具体的な交渉を、人界側としていこうと思う」


 その話を聞いた四天王の反応は、様々だった。

 神妙な顔で話を聞いているデルタ。

 呆れたような表情を浮かべるヴァサゴ。

 信じられないものを見るかのように驚くレッカ。

 いつも通りボーっとしているショコ。

 そんな中、デルタがこう問うてきた。


「しかし、我ら魔族の中には人界との和平を快く思っていない者も多くいます。交渉には誰が……」


「僕自らが人界に赴き、王と話し合ってこようと思う」


「……なっ!」


 僕の答えに、その場の全員が絶句する。

 しかし、僕は自分の考えを曲げる気は毛頭なかった。

 後から思えば、僕はこの時、理想の実現を間近に感じ、舞い上がっていたのかもしれない。


「僕の要請に、人間が真摯に応えてくれたんだ。なら、僕も誠意を見せなければ」


 そんな僕の話を遮るように、


「いい加減にしてください、魔王様。貴方は甘すぎる……っ!」


 レッカが声を荒げ、詰め寄って来た。


「この間も申し上げた通り、魔族と人族は分かり合えない。彼らが和平勧告を受け入れるなど、何か企みがあっての事でしょう。十中八九罠としか考えられない」


 真剣に、こちらに語り掛けてくるレッカ。

 対して、僕も真っ直ぐにレッカの目を見て答えた。


「それでも僕は、和平を受け入れるという人間の言葉を信じたい」


 その言葉に、僕が一切考えを曲げる気がないと悟ったのか、彼女は渋々といった様子で頷いた。


「わかりました……。ですが、私も同行させていただきますので」


 これだけは譲らない、といった調子で、レッカは言葉を続ける。


「罠だと分かっているところに、魔王様を単身送り込むわけには行かない。

 しかし、和平交渉という名目でいくのに、軍隊を丸ごと動員しては、人間に怪しまれる上に国防が手薄になる。

 ですから、そうですね……ここは、五十人程度の精鋭部隊を護衛に付けて行きましょう」


 なるほど、用心深いレッカらしい提案だ。まあ、これは勿論受け入れていいだろう。


「ああ、僕としても、レッカが付いてきてくれるのは心強い」


 そう言うと、続けてデルタからも申し出があった。


「私も参ります。何かあっては困りますので」


「わかった。じゃあ、他の二人には、僕達の留守をお願いするよ」


「はっ、そうかよ……」


 ヴァサゴが吐き捨てるように言う。

 そんな折、レッカがショコにこう尋ねた。


「ショコ、確か前に、空間転移用の魔法陣を秘密裏に人界の辺境に設置した事があったはずだ。

 その場所を知りたい。今回のことが人界側の罠だった場合、逃げるのに使えるからな」


「……魔法陣の場所ね。わかった。教える……」


 そのまま議論は進み、人間の元へと赴くのは、僕、デルタ、レッカ、それから腕の立つ兵士を五十人集めた精鋭部隊で行く事となった。

 これで、僕の理想にまた一歩近づけた。この時の僕は、そう信じてやまなかった。


――その理想がバラバラに砕け散るだなんて、夢にも思わずに。

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