第十九話 ローズの策略――シフォン/リーネ

 リーネ様の護衛騎士である私――シフォンは、王都の中央からやや東に位置する、とある宿へと向かっていた。

 現在、そこに泊まっているローズとかいう村娘に、訊かなくてはならない事があるのだ。

 発端は、ふと耳にした噂だった。

 なんでも、最近アレス様と仲良くしているという村娘、ローズに嫉妬し、リーネ様が嫌がらせを行っているというのだ。


 リーネ様は、とても素晴らしいお方だ。

 上流貴族でありながら、下々の者にも分け隔てなく接し、剣を振るう事くらいしか能のないこんな私にさえ、優しく接してくれる。

 そんなリーネ様が、嫉妬により嫌がらせを行うなど、どう考えてもありえない。リーネ様がそんな事をする筈がないのだ。


 こんな噂は、おそらく誰かの誤解や勘違いだろう。あるいは、リーネ様を蹴落としたい何者かが意図的に流したものか。

 後者の可能性を追うのは少々時間がかかるため、先に前者の可能性から潰す事にした。

 故に、まずはローズの話を聞いてみようと思う。そこから関係者を洗い出し、噂の出処を探れるかもしれない。

 そう考え、私はローズの泊まっている宿を突き止め、今に至る。

 その宿のあるスートリオ通りに行くと、とても美しい女性が歩いていた。

 よくよく見ると、噂に聞いていたローズの外見に合致する。

 丁度良いと思い、私は彼女を呼び止めた。


「失礼、ちょっといいかな?」


 すると、彼女はこちらを振り返り――


「……ふふっ、予想通り……来たわね、シフォン」


――予想外の一言を放った。


「な……っ、何故私の名前を……?」


 そう。私とローズは初対面のはずだ。一体誰から訊いたのか。

 そんな風に驚く私の元にゆっくりと近づきながら、ローズは言う。


「そんなコトどうでもいいわ。それよりアナタ、噂について問い詰めに来たのでしょう?」


「……!」


 私の名前を知っているだけじゃない。この女は、私が何をしようとしているかさえ完全に見抜いている。

 なんなんだ、このローズという村娘は……。

 そんな風に混乱する私に、ローズは尚も近づき、


「あの噂はね……」


 私の耳元で、妖艶に囁いた。


「ワタシが流したの」


 ゾクリ、と。

 背筋が凍るような錯覚を覚えた。否、それだけではない。

 心臓が早鐘を打ち、身体からは暑くもないのに嫌な汗がにじみ出ていた。

 事ここに至って、私はようやく気付いたのだ。このローズという女は、あまりにも恐ろしい。

 具体的に何が脅威かはわからない。というか、本来ならば恐れる要素などないのだ。

 魔力も感じないし、身体能力も高そうには見えない。どう見ても、ただの一般人である。故に、尚更不気味だった。

 こんな、何の戦闘能力も持たない華奢な少女に対して、本能が全力で危険信号を鳴らしているのだから。この女は危険だ。関わってはならない、と。

 しかし、私はそんな恐怖を押し殺し、何とか言葉を紡ぐ。


「どうして、そんなことを……? リーネ様に、何か恨みでもあるのか?」


「ないわ」


「だったら……!」


 恐怖に押しつぶされないように、強気で切り返す。しかし、そんなものでは、目の前の女は怯まない。


「ただね、踏み台にしようと思ったの」


 躊躇いも、遠慮も、悪びれる事すらなく。

 ローズは身勝手な言葉をあまりに自然に口にする。


「ワタシとアレス様が結ばれる為の、ね」


「それはどういう……ッ!」


 そこで、私は声を荒らげてしまった。当然、周囲の目がこちらに向く。

 しまった、はめられた。どうしてローズは囁くように話していたのか。そして、何故こちらを挑発してきたのか。

 冷静に考えれば避けられたはずだ。

 傍から見てもすぐに騎士と分かる恰好の私が、華奢な少女に向かって声を荒らげているのだ。

 私がローズを威圧させているようにしか見えないだろう。

 そして、私がリーネ様に仕えていることは、調べればすぐにわかること。

 つまりこの状況は、ローズが流した噂の信憑性を高めてしまっている。


「まさか、本当に……」


 そのとき、後ろから声がした。

 その声には、覚えがある。それは、この場を、最も見られたくない相手。

 嘘であってくれと願いつつ、恐る恐る、振り返る。しかし現実は残酷で、そこにいたのはやはり彼だった。


「アレス様、違うんです、これは……「アレス様!」


 私が弁明するよりも早く、ローズがアレス様の元へ走り寄った。


「ローズ、一体何があった?」


「黙っていてごめんなさい。ワタシ、ここ最近、嫌がらせを受けていて……」


「その女の言っていることは嘘です! 私はただ……っ!」


 慌てて叫んだ私を、アレス様はギロリと睨んだ。


「……ここは往来だ。一先ず屋敷で話そう。リーネも交えてな」


 その声色は、身を切るような冷たさだった。それで、わかってしまう。私の言葉は、完全に信用されていない。

 これが、ローズの策略か。私は、まんまと罠にはまってしまったわけだ。

 これで、私が信用を失うだけならばいい。しかし、リーネ様がアレス様からの信用を失ってしまうことになったら。それだけは、絶対に駄目だ。

 ああ、私は何という失態をしてしまったのだ。

 しかし、そんな後悔はもう遅く――アレス様は、ローズと私を連れて、屋敷の方向へと歩き出した。



◇◇◇



「……と、いうわけだ。これは君の命令だな?」


 家の玄関口で、わたしはアレスに疑惑の目を向けられていた。

 アレスの声色は、いつもとは全く違う。

 普段はアレスの声を聞くたび幸せな、同時に切ない気持ちになるのだが、今はあまりの威圧感に泣きそうになってしまう。

 アレスは本気で怒っている。その事が否応なしに伝わってきた。


「わ、わたしは……そんなこと……」


 必死に弁解しようとしたが、動揺して上手く話せない。

 ただでさえ本気の怒りを向けられているのに、その相手が憧れのアレスなのだ。平静でいられるはずがない。

 しかしそんなわたしの態度は、アレスの猜疑心をさらに刺激してしまった。


「その動揺……やはり心当たりがあるようにしか見えない」


 心当たり、と言われると、たしかにある。

 でもそれは、リーネはリーネでもわたしじゃなくて、物語の中のリーネなんだと、そんなことは言えるはずもなく。

 わたしは助けを求めるように、シフォンに視線を向けてしまった。

 わたしの臆病さと動揺の表われ。その動作は、さらにアレスの怒りを膨らませてしまった。


「もういい。ローズは俺の屋敷に泊める。君達が手出しできないように護衛を付けてな」


 そう言って、アレスはローズを連れて隣にある自分の屋敷へと入っていった。

 わたしは、作中のリーネと同じような行動などとっていなかったのに、どうしてこんな事になってしまったのか。

 わからない。わからない。

 わたしは一体どうしたら――


「リーネ様!」


 気付けば、シフォンに抱き留められていた。

 どうやらわたしは、アレスが自分の屋敷に帰っていった瞬間、ピンと張り詰めていた糸が解け、脱力してしまったようだ。

 そのまま倒れそうになったところを、シフォンに受け止めてもらったのか。


「ごめんねシフォン、ありがとう……」


「いいえ、いいえ! 謝らなくてはならないのは私の方です! 私の所為でこんな事になってしまって……」


「ううん、シフォンが謝る必要なんてないよ……」


 ホーリーブレイヴの作中では、たしかに実行犯だった彼女だが、それはリーネに対する行き過ぎた忠誠ゆえのものだった。

 あくまで黒幕はリーネ。そして、今この世界におけるリーネはわたしだ。

 つまり、この状況の責任はわたしにあるということ。どうしてこんな事になってしまったのかは分からないにしても、それだけは確かだろう。


「リーネ様……」


「……それと、本当に申し訳ないんだけど、このままわたしを部屋まで運んでくれると、助かる……。

 情けなくってあんまり言いたくないんだけど……なんか、ショックで力が抜けちゃって、歩けそうにない……」


 人生二周目の癖に精神メンタルが脆すぎる……。記憶を持ったまま転生したって言うのに、ほんと成長しないなあ、わたし……。

 結局、その後のことはあまり覚えていない。

 とは言え、他ならぬわたしのことだ。多分、そのまま部屋まで運ばれてすぐに寝ちゃったんだろう。

 嫌な事があるとすぐにふて寝して現実逃避するのは、わたしの悪い癖だ。

 こんな主人じゃ、シフォンにも苦労をかけてしまうな。ホーリーブレイヴでのリーネは悪女だったが、わたしみたいな人間よりかはまだ幾分マシかもしれない。


……こんな風な自己嫌悪すら、ある意味問題から目を逸らす為の無益な思考なのだろうか。

 ともかく、わたしには何もわからない。今回の事も、ローズの事も、アレスの事も、この世界の事も……そして多分、自分自身の心すらも。

 何もかもが意味不明で、何もかもがわからなかった。

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