第十七話 和やかな時間の裏で――アレス/ローズ
「これ、おいしいわね」
俺は今、王都にやって来たローズと一緒に食事をしていた。
彼女との出会いは本来のものとかなりずれてしまったが、今のところその後の展開は物語通りに進んでいる。
だが、釈然としないのも事実だ。
この幸せな時間が、ある日あっけなく壊れてしまうのではないか。そんな不安が、あの日からどんどん膨れ上がってきている。
この世界がホーリーブレイヴの物語からずれていっている事は、ほぼ確定と言っていい。
そしてその理由を知っているのは、カオスとジョーカー、あの二人をおいて他にはいないだろう。
あの二人の戦闘は常軌を逸していた。おそらく、この世界にあってはならざるもの。
この世界がホーリーブレイヴの物語通りであれば幸せになれる俺にとって、この世界の常識を超越した存在である彼らは邪魔者でしかない。
彼等によって俺の幸せが遠退くというのなら、彼らの力に屈しないよう積極的に事象に干渉し、俺の人生を盤石なものとしなくてはならない。
その為に、ホーリーブレイヴ作中の重要イベントは前倒しで終わらせる。ローズとの結婚、そして魔王の打倒だ。
魔王打倒に関しての策も平行して考えるとして……今はローズとの歓談中だ。彼女との仲を深めるのが先決だろう。
故に、今はローズとの会話を和やかに続けるべきだ。この俺の腹の中の黒い部分を決して悟らせてはいけない。
「ああ。これはサイレンス地方特産の茶葉を使っていてな……」
当たり障りのない話を続ける。
ホーリーブレイヴの物語と同じ。和やかなローズとの時間だ。
「まあ。アレス様は、サイレンス地方に行った事があるの?」
「ああ。昔あそこの魔物と戦った事があってね。しかし、あの村の住人は無口な人ばかりでな……」
お互いにいろんな話をし、笑い合う。
ローズのその笑みを見る度、あまりの美しさに絶句しそうになる。作中でも美しく描かれていたローズだが、実物はそれ以上だ。
長い黒髪に、エメラルドグリーンの瞳。華奢であり、かつ、しっかりと女性らしい体躯。ほっそりと繊細な指先。
まさに、完璧な美。芸術よりも芸術らしい美しさが、彼女にはあった。
それでいて無機的ではなく、有機的な人間らしさを感じる。それは、彼女の人柄故だろう。
無邪気なようでいて思慮深い、本当に綺麗な心の持ち主。
ローズは、物語のヒロインとして、必要なものをすべて兼ね備えていた。
だが時折、リーネの告白が俺の頭をかすめる。
ホーリーブレイヴを読んで、俺はあいつの性格を知っている。
だから、あんな女の事など、気にする必要はないと思う気持ちも少しはある。しかし――
――好き……なの。アレス、あなたの事が。
あのリーネの告白に、俺は少し惹かれてしまっていた。
正直、リーネの性格はホーリーブレイヴにおける彼女のそれとは違うように思える。
もちろん、物語の通り、普段は猫を被っているというという可能性も否定はできないが……
しかしこの世界でのリーネは、あまり自分をつくっているようには見えないのだ。
実際、本来であればそろそろリーネがローズに嫉妬し、嫌がらせをする頃である。しかし、その気配は一向にない。
ならば俺もリーネの評価を改め、物語の中のリーネとは違うものと考えなければならないかもしれない。
しかし、過程は前倒しにするとしても、俺はホーリーブレイヴのアレスと同じ結末を目指している。
ならば、俺の結ばれる相手はローズでなくてはならない。
だから、リーネの気持ちにはこたえられないのだ。しかし、今のまま返事もせずに放置しておくのはさすがに心苦しい。
よし。今度予定がない時に、リーネに会って、ちゃんと振ろう。それが最低限の義理というものだ。
「アレス様?」
「ああ、すまない。少し考え事をしていてな」
慌てて俺は返答した。
女子との会話の最中に他の女の事を考えているなど失礼極まりない。今は、ローズだけを見ていなくては。
ローズと話すこの時間は、幸せな人生を送る為の重要な布石だ。ボロが出ないよう、もっと慎重にならないと。
俺は気を引き締めて、しかしそれを悟られぬよう、努めて和やかに、その後の会話を続けた。
◇◇◇
「これ、おいしいわね」
「ああ。これはサイレンス地方特産の茶葉を使っていてな……」
現在、ワタシはアレス様と共に食事をとっている。
アレス様に出会ってから、ワタシの日々は変わった。
襲い来る龍から助けてくれたのが別人であった事には不満があったが、こうしてアレス様と知り合う事が出来て、ワタシは満足である。
アレス様に家まで送ってもらいながら、ワタシたちは話をした。
ホーリーブレイヴの物語と、ほぼ同じ話だ。当然物語の通りに事は進み、ワタシは今、王都に来ているのだ。
「まあ。アレス様は、サイレンス地方に行った事があるの?」
「ああ。昔あそこの魔物と戦った事があってな。しかし、あの村の住人は無口な人ばかりでな……」
ワタシとアレス様は、和やかに会話を交わす。この時間はとても楽しいものだが、しかし、一つだけ問題があった。
「そうなのね。ワタシも一度行ってみたいわ。いつか、一緒に行きましょう……って、アレス様?」
「ああ、すまない。少し考え事をしていてな」
このように、アレス様は上の空というか、心ここにあらずという感じな時があるのだ。
そうは言っても、それもほんの少しである。他の人では分からないくらいの僅かな変化だ。本来なら全く気にならない程度の微々たるもの。
しかし、ワタシには気になる事だ。
アレス様には、ワタシの事だけを想っていてほしい。ワタシに関わる事以外の一切に、一瞬たりとも思考を費やして欲しくない。
この望みを叶える為にはどうしたらいいだろうか。
そう。本来ならば、ワタシは龍に襲われているところを、アレス様に助けてもらう筈だったのだ。しかし、実際にそうはならなかった。
故に、「ローズは守るべき対象だ」と、アレス様に印象づける事が出来なかったのかもしれない。
だから、アレス様の恋の炎はあまり燃え上がらず、ワタシへの好意が中途半端なのだろう。
何か、アレス様の目をワタシだけに向けさせるようなイベントはなかっただろうか。
そう思い、ワタシはホーリーブレイヴの物語を思い返す。
そういえば、今は悪役令嬢リーネからの嫌がらせが始まっている筈だ。しかし、どういう訳か一向にそんな様子はない。
あのイベントがなければ恋は盛り上がらないのだが……
そうだ。ならば自分から起こしてしまえばいい。
ワタシが本当にリーネから嫌がらせを受ける必要はない。
ワタシがリーネに嫌がらせを受けている、とアレス様に思わせればいいのだ。
それならば簡単に出来る。
今までやってきた事と同じだ。
ワタシは、人生をより楽に進める為、今まで近隣の村人を数多く篭絡し、実質的な下僕とする事で、情報を得たり、不都合な状況を打開する事に役立てたりしてきた。
同じ事をすればいいのだ。
今度は村人ではなく、貴族連中を篭絡し、ワタシに妄信させる。そして、ワタシがリーネに嫌がらせを受けている、という話を信じ込ませるのだ。
それを繰り返し、話を拡散させる。その噂は、いつかアレス様の耳に届くだろう。そうなったら、アレス様は事の真偽をワタシに問うてくる筈。
そこで、その噂は本当だが、アレス様に心配をかけたくなくて言い出せなかったと涙ながらに語るのだ。
アレス様は、それでワタシから目が離せなくなる。
そうと決まれば善は急げだ。明日から、早速準備に取り掛かろう。
アレス様の、ワタシへの恋心を燃え上がらせる為の作戦だ。気合を入れて取り組もうと、ワタシは密かに決意したのだった。
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