第十五話 異物――アレス

「アレス様。わざわざ送ってくれて、ありがとう」


「この程度、礼には及ばない」


 足を捻ってしまったローズをおぶり、彼女の家まで運んだ後、俺とローズは筋書きシナリオ通りの会話を交わしていた。


「本当に優しいのね。でも、やっぱり何かお礼はしておきたいと思うの。

 だけど、生憎今はお礼の品も用意できなくて……。今度、きちんとお礼をしに、アレス様の家へ行ってもいいかしら?」


「そこまでしてもらうと、何だか悪いな……」


「ううん、昔から王都に行ってみたかったから、むしろいいきっかけになるわ」


「そうか、それなら良かった」


 俺は頷き、元の物語の通りに提案する。

 あくまで、表面上は。

 だけど、内心は気が気でない。こうやってアレスを必死に演じる事で、混乱する頭を何とか落ち着けようと頑張っているのだ。


「そうだ、どうせなら王都にしばらく滞在したらどうだ? 滞在費はこちらで持とう」


「こちらがお礼に行くのに、それこそ悪いような気がしてしまうけど……」


「構わないさ」


「ありがとう……。なら、お言葉に甘えさせてもらうわ」


 その後も物語通りの会話を続けた後、俺はローズとわかれ、彼女の家を出た。

 そのまま、先程の場所へと向かう。そこには約束通り、謎の男――ジョーカーが立っていた。


 遠見の魔術で、一部始終は見えていた。

 この男は、はぐれ龍を刹那の内に倒してみせたのだ。

 龍は、魔物の中で最上位トップクラスの強さを持つ。作中では、アレスさえもかなり苦戦していた。

 それを一瞬で倒した。この男は、一体何者なのだ?

 この世界で、アレスより強い者など、魔王シュヴァルツくらいの筈だ。その魔王にしたって、アレスよりほんの少し強い程度。ほぼ同等の実力と言っていいだろう。


 これまで作中とは違う展開になった事もあったが……しかし、このジョーカーという男の存在は、これまでとは比べ物にならない――すべての前提が覆されるような、圧倒的な異物だ。

 ローズが助かった事に安堵する余裕すらないほど、俺は混乱していた。

 その混乱を鎮める為にも、こいつと話す必要がある。

 まず、当たり障りのない事から話し、探りを入れようかと思い、俺は口を開いた。

 しかし、


「お前は、なんなんだ……!?」


 俺の口を衝いて出たのは、身勝手な叫びだった。


「全部全部、台無しにしやがって……お前も、リーネも、魔王も……ッ!」


 止まらない。俺の口は、勝手に動いていた。今までの、数多くの不安や鬱憤を吐き出すように。

 ジョーカーという、明らかにこの世界の異物たる者と二人きりになった事で、演じるべき「アレス」という人格ではなく、「俺」そのものの本音が爆発してしまったのかもしれない。


 いや、多分それだけではないだろう。

 俺は、こいつに嫉妬しているのだ。

 この世界にて最強である筈の俺よりも遥かに強い事。俺が助ける筈だったローズを助けた事。

 そして、何よりも悔しいのが――


――あの龍を俺が倒したって事は、極力秘密にしておいてほしい。そうだな……おまえが倒しておいた事にでもしといてくれ。


 その言葉だ。

 もちろん、何か事情があるのだろうし、当然、悪気があって言った言葉でもないのだろう。

 むしろ、俺にとってはプラスになる提案だ。

 だけど。

 その彼の言葉で、俺の歪なプライドは、ズタズタにされていた。

 余裕ある彼の言動一つ一つが、俺の矮小さを浮き彫りにしていっているようで――

 俺は、凄まじい劣等感を覚えていた。


「ローズは、俺が助ける筈だった! だけど、ローズを助けたのはお前だ!

 それを、俺が助けた事にしておけって……そんなの、そんなのはさあ……っ!」


 もう自分でも何を言っているのか分からなくなりながら、俺はジョーカーにただ言葉をぶつける。

 ただの八つ当たり。俺の印象を悪くするだけの、ただ醜いだけの行為。

 それに対して、ジョーカーは尚も余裕な態度を崩さずに答える。


「ちょっと落ち着け。冷静に――」


 しかし、その言葉は最後まで続かなかった。

 凄まじい攻撃が、ジョーカーに襲いかかったのである。


「な……っ!」


 驚いて、攻撃の向かってきた方向を見ると、そこには久しぶりに見る男が立っていた。

 そいつは――


「カオス……ッ!」


「やあ、久し振りだね。君にとっては、久し振りどころか前世振りか」


「なあ、この世界、ホーリーブレイヴの筋書きシナリオとずれて――」


 俺がカオスに尋ねようとした瞬間。


「カァァァオォォォォォスゥゥゥゥゥゥゥ――――ッ!」


 世界が割れるかの如き、凄まじい怒号が轟いた。

 その声の主は、ジョーカーと名乗っていた者。

 しかし、少し前までの余裕な態度など一片も残っておらず――

 彼は今、一人の復讐鬼と化していた。


「いつも通り、る気満々か。はは、本当に君は、いつも僕の邪魔をしてくれるね。

 まあでも、少しくらい障害になるものがないと張り合いがないか。精々楽しませてくれよ、ジョーカ――ッ!」


 その叫びと共に、カオスとジョーカー、双方の魔力が凄まじい程に膨れ上がった。

 そして、刹那の静寂の後。

 あまりに苛烈な魔術の応酬が、始まった。


 片方はいかり、片方は笑い、一目で最高峰と分かる魔術を連続で撃ち合いながら、両者は開けた場所へと移動していく。


「ま、待て……っ!」


 俺は、その二人を追いかけようとした。

 しかし、足に力が入らない。あの二人の強さに、竦んでしまっているのだ。

 それほどまでに、俺と彼らの力の差は圧倒的だった。

 俺は弱い。あまりにも。

 俺は膝から崩れ落ち、項垂れた。


 このままでは駄目だ。物語の通りのアレスのままでは。

 俺は、もっと苛烈に、自ら幸せを掴みにいかなくてはならない。

 ただ、己の為だけに力を付け、カオスとジョーカーに迫る強さを手にしなければ、あの二人の怪物によって、俺の人生は壊されてしまう。


 だが、奴らは強い。奴らの干渉で俺の人生を壊されないようにするのは、至難の業だ。

 だから。

 甘さも、優しさも、感情さえも、すべて捨てろ。

 周りの全てを疑い、利用し、この世界の行く末を理解しろ。

 さすれば、あんな怪物二人に揺るがされる事のない、確固たる道を歩ける筈だ。


 萎えていた四肢に力を入れ、俺は立ち上がった。

 奴らに負けない為の地盤をつくる為にも、まずは不安要素を潰す事から始めよう。

 作中とは違う動きを見せている魔族――その討伐をすべきだろう。

 物語の通りには行かないと分かった以上、不安要素は前倒しで潰しに行く。もっと早くに気付けば良かった。そうすれば、こんな事にはならなかったのだ。


 ホーリーブレイヴのアレスを完璧に模倣するだけでは、まだ足りない。

 アレスの物語の、さらにその先を。ハッピーエンドが確約されていないのなら、自分から幸福を掴みに行くだけだ。

 カオスの思惑も、ジョーカーの思惑も、どちらも超えて――

 俺は、俺だけのハッピーエンドを迎えてやる。

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