第十四話 はぐれ龍襲来――ムラジ/カインズ
村から少し離れたところに、大きな洞窟がある。
村人たちは現在、この洞窟の中に避難してきていた。
俺達の村は、ながらく魔物の来ない平和な村だった。しかし、今朝方、その平穏を壊す知らせが届いたのだ。
なんでも、西のはずれの方にある山脈から、はぐれ龍が一匹、下りてきたらしい。
当然そういった危険地帯付近には、魔物の進行を食い止める衛士がかなりの数配属されているが、しかしその龍はあまりにも 強暴で、衛士達は蹴散らされてしまった。
そして、辛くも生き残った衛士の一人が、龍が俺達の村に向かっているのを見て、最速の伝書魔物にその旨を記し、村に送り――
それを受けて、村長は村人全員に避難勧告を出し、皆がこの洞窟の中に集ったのである。
そんな時、カインズの狼狽する声が聞こえた。
「大変だ! ローズ様が、ローズ様がいない……!」
「……!」
そういえば、今日はローズが男連中と集まらない日だと言っていた。
おそらく、一人であのお気に入りの場所に行っているのだろう。
あそこは、常に人気のない、いわば秘密基地のような場所だ。
誰にも知られていない場所。当然、そこに知らせが届く筈もない。
ちくしょう、なんてタイミングが悪いんだ。今、あいつが村に一人でいるとしたら、本当にまずい!
俺は、居ても立ってもいられなくなって、洞窟の出口に向かって走り出した。
だが、それをカインズに呼び止められる。
「ムラジ! どこへ行く!」
「決まってるだろ! 村だよ! ローズが取り残されてるかもしれないんだろ!?」
「それはそうだが、しかし今行ったら危険すぎる! もう村に龍が来ているかもしれないんだぞ!」
「だから行くんじゃないか! ローズが龍にやられたらどうする!」
そう叫び、俺は再び走り出した。
「おい待て……っ!」
カインズがまだ何か言っていたが、これ以上時間を無駄に出来ないと思い、俺は無視して洞窟を出た。
◇◇◇
走り去っていくムラジを見ながら、俺はただ立ち尽くしていた。
ローズ様は俺の全てだ。
ローズ様は俺達を利用している。その事には何となく気付いていた。
それでも、俺にとって、ローズ様は最も敬愛する人物である。だって、何の取柄もない俺みたいな屑に、ローズ様は声をかけてくれた。
それが俺を利用する為の行為で、他に意味などなかったとしても、それでも 俺は嬉しかったのだ。
利用されるだけされて、それで捨てられたとしても文句など言わない。
扱いやすい、ただの駒だったとしても、補充のきく取るに足らない存在だと思われていても、それでも、ほんの少しでも必要としてくれた。
それが俺には、すごく嬉しかったのだ。
だから、俺はムラジと同じように、ローズ様を助けに行くべきだ。いや、ローズ様がいない事に気付いた瞬間に、真っ先に行くべきだった。
だと言うのに。
俺は、足が震えて動けない。ローズ様への愛よりも、恐怖心の方が勝ってしまっているというのか。
「……動けっ」
迷う事なくローズ様を助けに向かったムラジの強さに対する嫉妬、そして、何よりもあまりに情けない自分自身への嫌悪に苛まれ、俺はみっともなく吼えた。
「動け――ッ!」
しかし、結局。
俺の足は、一向に動こうとはしなかった。
◇◇◇
俺が辿り着いた時、まさに龍がローズに襲い掛かろうとしていた。
――クッ、間に合え……ッ!
俺は死ぬ気で走った。そして思いっきりローズに体当たりする。
「……っ!」
その勢いで俺もローズもそのまま倒れ込み、龍の攻撃が頭上を掠めた。
何とか、龍の一撃を避ける事が出来たようだ。だが、あくまで一撃を避けただけ。どうにかしてこの龍から逃げきらないといけない。
「ローズ、逃げるぞ!」
そう言って、ローズの腕を引っ張ったが、ローズは一向に動こうとしない。心配になって顔を覗き込むと、
「どうして……」
その表情は、憤怒と失望に染まっていた。
「どうしてアナタなの、ムラジ! ワタシはアレス様に助けられる筈だったのに、その役回りを奪うなんて……っ!」
あまりの事に気が動転しているのか、ローズは訳の分からない事をまくしたてた。
「いや、ちょっと落ち着けって! 今はそんな事言っている場合じゃ……ッ!」
しかし、そんな事を言っている場合じゃないのは俺も同じだった。
龍が、俺とローズに向けて、再び攻撃を放ったのである。
もう駄目だ。先程のようにローズを突き飛ばしている余裕もない。
せめて盾となろうと、龍の攻撃とローズの間に体を割り込ませた、その時、
「カオスに見つかると面倒だから、目立つ行動はしたくなかったんだがな……。まあ、この状況なら仕方ねえか」
虚空から一人の男が現れ、龍の攻撃を弾き返した。
「グ、ガアアアァァッ!」
それを受けて、龍がのけぞる。そこに、男は拳を叩きこんだ。たったそれだけで、龍の巨体は跡形もなく消し飛ぶ。
あまりの光景に、絶句してしまう。
龍は、魔物の中でも最高峰の強さを持っている筈。あの勇者アレスですら苦戦すると言われるほどの、とんでもない規格外だ。
それをたった一撃で、この男は消し炭にしたというのか。そんな事はありえない。
「それにしても、そこの女」
男はローズに向けて呟いた。
「助けてくれた男に、あんな言葉を吐くなんて感心しないな」
「ふん、ワタシはソイツに、助けてくれなんて頼んだ覚えはないわ。もちろん、アナタにもね」
そんなローズの毒舌により、俺は我に返った。
「おまえ、初対面の、しかも助けてくれた人に対してそんな事言うな」
ローズに注意しつつも、俺はほっとしていた。
龍に襲われるなんていう恐ろしい体験をしたのだ。
相当
多分、精神的に弱ったりはしていないだろう。そう思うと、少し安心できた。
まあ、それはそれとして、ローズが失礼な事を言ってしまったのは確か。ここはちゃんと謝っておくべきだろう。
「ローズが失礼な事を言ってすみません。後で言い聞かせておきますから。
それに、助けてくださってありがとうございます。何とお礼をしたらいいか……」
「悪いのはこの女だ。お前が謝る必要なんざ、これっぽっちもねえだろ。
それに、礼を言うのも筋違いだ。俺はヤバい状況になるまで手出しをせず、静観していた。極力、面倒事は避けたかったからな。
だから、礼なんて言うんじゃねえ。むしろもっと早く助けろっつって怒られても、文句は言えねえ」
男は、ぶっきらぼうに言った。
その様子を見ながら、ローズが落胆の声を発する。
「あーあ、なんだか白けちゃったわ。
本来の
やっぱりこの世界は、元の物語から少し変化しているのかしら」
「本来の
ローズの言葉に対して、男が何かを言い掛けた瞬間――
「一体、どういう事だ……?」
どこからか、そんな声がした。
その声のした方を見るや否や、ローズは今までにないほど嬉しそうな声で叫んだ。
「アレス様!」
そう。あの男は、この国で一番の有名人。勇者アレスである。
遠目で見た事があるだけだったが、こうして近くで見ると、本当に凄い人だ。何と言うか、
おそらく、龍が現れたという知らせを聞きつけ、ここにやって来たのだろう。
ローズは、アレスに会えた事が心底嬉しかったらしく、急いで駆け寄ろうとする。
しかし、すぐに転んでしまった。
「大丈……「大丈夫か!」
俺が声をかけようとした時には、既にアレスがローズのもとに駆け寄った後だった。
「足を捻っているようだな。手当てしよう」
「ありがとうございます。アレス様」
ローズが素直にお礼を言った、だと……! まあでも、相手が憧れの人ならそりゃあそうか。
だけど、足を捻ったというのは、多分俺の所為だ。龍の攻撃からそらす為に、思いっきり体当たりしちゃったもんなあ……。
緊急事態だったとは言え、もっと賢い助け方もあったのかもしれない。そう思い、俺はローズに謝る。
「その、多分それ俺の所為だ。ごめんな、ローズ」
「いいのよ、気にしないで」
おお。いつもなら、赦さないと返されるところだ。やはりローズは、アレスの前だと、いつも以上に猫を被ると見ていい。
「ところで、そこのあなたが、龍を倒してくれたようだが……失礼ながら、お名前は?」
何やら考え込んでいる男に対して、アレスがそう訊いた。
「ジョーカーだ」
男――ジョーカーは簡潔に答える。
「その、ジョーカー。後でいくつか訊きたい事があるんだが、いいだろうか」
「構わない。だが一つ、条件がある」
ジョーカーは、アレスだけではなく、この場にいる全員に向けて言った。
「あの龍を俺が倒したって事は、極力秘密にしておいてほしい。そうだな……おまえが倒しておいた事にでもしといてくれ」
奇妙な願いだが、まあ何か特別な事情があるのだろう。
何故だかアレスが苦い表情をしたのが気にかかるが……
「それはそうと、脅威が去った事、避難している村の人達に、早めに伝えておいた方がいいんじゃないか」
「それもそうですね。じゃあ、俺が行ってきます」
俺はそう言って、村の皆が避難している洞窟に向かった。
ジョーカーが一撃で龍を倒した事や、あの勇者アレスがやってきた事。
いろいろと驚くことはあったにせよ、被害者が出ずに済んでよかったと、俺は心から思うのであった。
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