第十三話 告白――リーネ

 結局、わたしはアレスに想いを告げられないまま、運命の日を迎えてしまった。

 つまり、ヒロインのローズとアレスが出会う日。

 もし、あの二人が出会ってしまえば、ただでさえゼロに等しい、わたしとアレスが結ばれる可能性は、完全になくなってしまう。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ……っ!


 あまりにも醜い嫉妬心が、わたしの中で渦巻いていた。アレス様がローズと一緒に笑っている。そんな光景を思い浮かべるだけで、頭がどうにかなってしまいそうになる。

 今なら、ホーリーブレイヴでのリーネの気持ちが分かる気がする。

 作中では、リーネは一貫して、アレス様とローズの仲を引き裂く悪役として描かれていた。

 だけど、リーネとして転生し、同じ立場になると、彼女の気持ちが痛い程わかってしまう。

 嫉妬に苛まれるというのは、こんなにも辛い感覚だったのか。今はまだ自分を抑える事が出来ているが、いつこの感情が爆発してしまうか分からない。

 わたしは居ても立ってもいられなくなって、アレスに会いにいくことにした。


 わたしは、アレスとローズが出会うエピソードを思い返す。

 たしかその日、アレスはいつものように、屋敷の庭で剣術の鍛錬を行っていた。

 その最中、近隣の村が龍に襲われているという知らせが入り、急いで駆けつける。その村で襲われていたローズをギリギリのところで助け、恋に落ちるわけだ。

 つまり、今、アレスは庭にいる。

 わたしはアレスの屋敷の庭に行ったが、アレスは鍛錬に熱中していたのか、わたしの存在に気付いていないようだ。

 邪魔しないように、静かに眺めている。やはり、こうして眺めているだけで、アレスへの想いが強くなっていく。

 暫しの後、アレスの鍛錬がひと段落ついたようなので、わたしは話しかける事にした。


「こ……こんにちは、アレス」


 緊張気味に声をかける。


「こんにちは、リーネ」


 そう答えてくれるアレスに対してドキドキしながらも、わたしはとりあえず思っていた事を口にした。


「その……毎日、鍛錬を続けていて凄いね……。子供の頃からずっとでしょ?

 わたしは、何でも長続きがしない方だから、アレスのそういうとこ、すごく憧れてた……」


「まあ、剣術の鍛錬は好きな事だしな……。

 昨日の自分より、ほんの少しでも成長しているっていう実感だったり、あるいは、理想の自分にだんだん近づいていく感覚があるからかもしれないな。


 ――いや、違うか。結局は、夢に向かって努力している自分自身が好きなだけなのかもしれない」


 そう語るアレスの横顔は、本当にかっこよかった。

 いつもは、どこか本音を抑えて話しているような感じのアレスだったが、その言葉は、彼が本心から話している言葉のように思えた。

 ああ、やっぱり好きだなあ……。

 この想いは、きっと、ずっと諦めきれない。だから――


「アレス……その、伝えたい事が、あるの……」


 わたしは、勇気を出して言った。


「な、なんだ……?」


「わたし、アレスの事が……」


 しかし、そう言った時は、既に手遅れだった。


「アレス様、大変です! 近隣の村に、龍が現れました!」


 アレスの家の使用人が、庭に飛び出してきた。

 終わった。完全に終わった。

 このままアレスは、ローズを助けに行き、二人は結ばれる。

 その様子を思い浮かべただけで、頭が真っ白になって――


「何やら緊急事態のようだ。すまないが今日はこれで……」


 そう言って背を向けるアレスの服の裾を、わたしは思わず掴んでしまった。


――引き留めてしまった。


 どんな反応が返ってくるか恐ろしく、わたしは顔を伏せたまま言う。


「いかない、で……」


 もはや、わたしは理性を失い、自分を制御コントロールできなくなっていた。

 ただ、心の内から湧き出てくる感情を、そのまま吐き出す。


「おねがい、だから……いかないで……っ!」


「リーネ、何を……」


「すき……なの。アレス、あなたの事が」


 言った。言ってしまった。

 頭の中が真っ白になったまま、暫しの静寂が過ぎ去り――

 そして、


「ご、ごめん。俺、行かないと!」


 アレスはわたしの手を振り解き、そのまま走り去っていった。


――やっぱり駄目か。


 わたしは、そのまま地べたにへたり込んでしまった。

 これで、わたしの恋は終わり。

 このままアレスはローズを助け、添い遂げる……

 いや、待て。

 わたしは少しの間、アレスを引き留めてしまった。

 もしもこの少しの遅れによって、アレスが間に合わなかったのなら。

 ローズは、龍に殺されてしまうのでは……?


 ただアレスと結ばれたいという想いで頭が一杯だったわたしは、そこにまで頭が至っていなかった。

 恋心と嫉妬にとらわれ、それ以外の事が見えなくなっていたのだ。これじゃあ本当に、作中のリーネと全く同じ悪女じゃあないか……っ!

 いや、それどころじゃない。だって、このままだと、ローズが死ぬ可能性がある。

 ローズに嫌がらせをする作中のリーネとは比べ物にならない。わたしは、間接的にローズを殺す事になるかもしれないのだ。


 でも、それは思い至らなかっただけで、故意じゃない。だから作中のリーネとは違う。そう言い聞かせようとしても無駄だった。

 ローズを殺してまでアレスと結ばれたい、そんな気持ちが全く無かったと、わたしは本当に言いきれるだろうか。

 もちろん、わたしはそんな事を思った事などない。だけど、自分の心というのは、自分でも分からない事だらけだ。

 先程の告白だって、心の底から湧き出てくる衝動に突き動かされ、口をついて出たものだ。

 そこから考えても、自分の感情を完璧に制御コントロールできていない事は明らかである。

 ならば、わたしは無意識の内に、恐ろしい事を考えてしまっている可能性も――


「その心配は無用だよ。ローズは死ぬ事はないさ」


 急に、後ろから声がした。振り返ると、そこには見知らぬ男が立っていた。


「……あなたは?」


「あれ? 覚えてないか。それとも、見てすらいなかったのかな。

 僕は、前世の君を刺した犯人だよ。気軽に、カオスって呼んでね」


「え……?」


 サーッと、血の気が引いた。

 衝撃的すぎて、頭が追い付かない。


「そう怖がらなくても、もう刺したりしないよ。あれはあくまで、君をこの世界に転生させる為だったからね」


 あの、刺された時の痛みと恐怖が蘇る。

 あまりの恐ろしさに、体が硬直する。今すぐこの場から逃げ出してしまいたいほどに。

 だけど。それでも。

 この男があの時、わたしを殺した犯人だと言うのなら。

 問わねばならない事がある。


「サ、サキちゃんは……あの時、わたしと一緒にいたは、どうなったの……?」


 恐怖を何とか押し殺し、わたしは言った。

 前世における――否、今でもわたしにとっての、一番の親友。

 サキちゃんも、あの場にいた筈だ。

 もし、このカオスとかいう男が、わたしを殺した後、彼女までをも手にかけていたとしたら……


「ああ、彼女は無事だよ。本当は殺そうとしたんだけどねえ……横合いからとんでもない逸材が飛び込んできたから、僕の興味はそちらに移ったんだ」


 その物言いには恐怖を覚えるが――しかしどうあれ、サキちゃんは無事だったようだ。その点に関しては、胸をホッとなでおろす。


「それにしても、本当にさっきのはファインプレイだったよ」


「ファインプレイ……? 一体、何の事……?」


「君がアレスを引き留めた事だよ。アレスがローズの救出に遅れれば、必ずジョーカーが現れる。

 ジョーカーはこちらを警戒しているのか、この世界に来てから、座標を確定させていない。

 つまり、この世界の住人でない事を利用して、非存在に徹しているのさ。

 その状態だと、こちらに干渉こそ出来ないものの、逆に干渉される心配がない。しかも、好きなだけこの世界の事を探れるからね。

 彼は、最も警戒すべき相手だ。だからこそ、とっとと実体となってくれた方が、こちらとしては対応しやすいんだ」


 カオスの話は、意味不明すぎてまったく付いていけない。

 しかし、そんなわたしをさらに置き去りにして、カオスは自分勝手に話を進める。


「そこで、君のファインプレイが光るのさ。

 この世界において、主人公であるアレスは、いわば悲劇のストッパーだ。その彼の行動が変わる事によって、悲劇は起きる。

 その場面を観測してしまったら、ジョーカーの性格なら確実に動くだろうねえ。つまり、実体化する。この世界の、一つの存在と化すわけさ。

 そうなってしまえば、この世界において彼は非存在に戻れない。ある程度、制御コントロールできるようになるって寸法だ」


「何を言っているのかわからない」


「そうだろうねえ。僕は相手が理解しえない情報を一方的にまくしたてるのが大好きなんだよ。

 まあでも、今回の話は君への賛辞だと思ってくれればいい。何せ君は、展開を一つ、前に進めてくれたわけだからねえ。

 ありがとうとだけ言っておくよ。じゃあ、これから忙しくなるから、僕は行くね」


 そう言って、カオスは去っていった。

 いろんな事が同時に起こりすぎていて、頭が変になりそうだった。

 その後の事は、あまり覚えていない。

 気付けば、わたしは家に戻っていた。

 カオスが、ローズが死ぬ事はないと言っていたあの時。

 わたしは、ホッとする反面、ほんの少し、落胆してしまっていた。

 それが意味するところを考えた瞬間、凄まじい自己嫌悪が、わたしを襲う。


「う、ああああああっ!」


 声を漏らさないように頭から布団を被り、わたしは叫んだ。

 自らの中の、醜くどす黒い膿を吐き出すように。

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