第五話 転生――シュヴァルツ

「ありがとうございます。こんな些事を魔王様に手伝っていただけるなど、光栄の至りです」


「礼には及ばない。国家というのは、国民がいてこそ成り立っているもの。ならば、魔王である僕が、国民の活動を手伝うのは当然だ」


 丁寧に頭を下げる青年に、僕はそう返答した。

 青年――といっても、彼は人間ではない。この世界において、「魔族」と呼ばれる存在だ。

 かく言う僕自身も、魔族である。今でこそ普通に受け入れているが、この世界に生まれてから暫くの間は、魔族としての身体に違和感を覚えていたものだ。

 何故なら、僕には前世で、人間として過ごした記憶があったからである。



 前世での僕の生涯は、幸せだった。

 普通の家庭に生まれ、普通に学校に通い、普通に就職し……

 そんな、順風満帆で、幸せな人生。

 だからこそ、僕はこうも思っていた。

 僕のように幸せな人生を送れる人がいる一方で、世界には今も戦争や貧困などで苦しんでいる人がたくさんいる。世界はどうしてこうも、不平等なのだろう。

 すべての人が幸せになれる。そんなふうに世界を変えられたら、どんなにいいか。

 そんなことを、毎日のように考えていた。

 しかし、出る結論はいつも同じ。すべての人を幸せにする、そんな力は、自分にはない、と。


「不可能だ、と結論付けるのが普通だと思うけど、君はあくまで、それを自分の実力不足だと考えるのかい? それ相応の力があれば、世界中の皆を幸せにできるって?」


 前世において僕が死を迎える少し前、初対面の男がいきなり僕に話しかけてきた。


「だ、誰ですかあなた? それに、僕の考えていることが何故……」


 突然の事に狼狽する僕に対して、男は尚も迫り、訊いてくる。


「いいから答えなよ。実力さえあれば、人々を幸せにできるのか」


 あくまでこちらの質問には答えようとしないその態度に溜息を吐きながら、僕はしぶしぶと、頭に浮かんだ答えを言った。


「まあ、ある程度の影響力があって、方法さえ間違えなければ、人々を幸せに導ける……とは、思います」


「そうかそうか。うん、何だか君を見ていると、懐かしい気分になるよ。あ、そうだ。昔話をしてあげよう」


「はぁ……」


 なんなんだこの男は。あまりにも話に脈略がなさすぎる。

 しかも、初対面の相手にこんな風に話すなんて……よっぽどの変わり者のようだ。

 しかし―― 


「昔々、あるところに、理想に燃えた魔術師がおりました。

 彼はこの世のすべての人々を幸せにするため、どんな願いも叶う魔術を開発したのです。

 その魔術のおかげで、皆が幸せになるかと思われました」


 その男の語り口には、不思議と耳を逸らせない、魔法めいた魅力があった。

 この話を流してはいけない。ちゃんと聞いておかないと、後々後悔する事になると。

 僕の心の奥深くが、そんな風に言っているような……


「しかし、結果は散々でした。願いを叶えれば叶えるほど、人はさらなる高みを目指したのです。

 欲望は際限なく肥大していき、心はいつまでたっても満たされない。結局、誰一人として、幸せにはなれなかったのです。

 人々はどんどん幸福に飢え、おかしくなっていきました。

 後に残るのは、混沌のみ。秩序を失った世界はどんどん歪みを大きくし、遂には跡形もなく壊れてしまったとさ。めでたしめでたし」


 聞きたくない。こんな話は下らない。

 でも駄目だ。この話を無視はしたくない。

 そんな相反する感情が、同時に沸き起こる。

 胸の内に湧いて出る感情。これは、恐怖と不安、だろうか。

 何の確証もないのに、僕の心は確信をもって、この寓話に耳を傾けていた。

 何故なら、この話が何かの予兆――僕の未来を暗示しているような気がして……


「純粋な思いや理想ってのはさ、結局、とんでもない災厄を引き起こすものなんだよ。

 それでも君が、誰もが幸せな世界を求めるというのなら――そして、ある程度の力があれば、そんな世界を生み出せるというのなら――僕にそれを見せてくれよ」


 とてつもなく凄惨な笑みで言う男。

 途端、鋭い痛みが奔った。

 気付けば、禍々しい剣が、僕の身体に刺さっている。


「君はホーリーブレイヴを知らないみたいだけど、まあ、役柄的には丁度いいか。流石に魔王に原作知識を持たれていては厄介だ」


 男は、意味不明な発言を続ける。

 今はそんな事を気にしている場合ではない。なのに、この耳は彼の話をしっかりと聞いていた。


「君にはこれから、魔王として異世界に転生してもらおう。この世界では、人間と魔族が敵対している」


 またもや、あまりに馬鹿げた突飛な話。しかし、何故だか一笑にふすことが出来ない。

 本当に、どうして僕は、この男の言葉から逃れられないのだろうか。


「魔族の長として、君はその世界を理想通りの――平和な世界に変える事ができるかな?」


 そんな問いかけを聞いたのが、僕の前世での最期の記憶。

 その後、僕は魔族の王、魔王の息子シュヴァルツとして生まれ変った。つまり、あの男の言っていたことは本当だったのだ。

 あの男が何者だったのかはわからないが――間違いなく、とんでもない存在だったということは理解できる。

 まあともかく、彼の事はどれだけ考えても答えなんて出ないだろう。今は、生まれ変わった僕の話をしようか。

 先代魔王――つまり現世における僕の父親は、既に亡くなった。故に、現在は僕が魔王として活動している。


 前世で抱いていた、人々を幸せにするという理想。王という立場ならば、それも不可能ではない。

 まあ、現世での場合は「人々」ではなく、「魔族」ではあるのだが、しかし、人と魔族との違いなんて身体的特徴くらいのものだ。

 一人一人ちゃんと感情があり、個性があり、日々悩みながらも懸命に生きている。そういう面において、人も魔族も何ら変わりはない。

 故に僕は、この現世では多くの魔族を幸せにすると誓ったのだ。それに、今は魔族と敵対している人族――つまり人間とも、和解の道を進みたい。

 もちろん、楽な道のりでないことはわかっている。しかし、この理想を現実にするため、僕は歩み続けてみせる。僕はそんな風に思うのだった。



 しかし、やはり理想はあくまで理想でしかなく――現実を理想通りになど出来っこないと。後に、僕は痛感する事になるのであった。それも、考え得る限り最悪の形で。

 しかし、それはまだ先の話。この時の僕はまだ、その事を知らない。

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