起 それぞれの転生

第一話 転生――アレス

――よし、今回も本物の勇者アレスと同じように行動できたな。


 ある少年を魔物から救い、村まで送り届けた俺は、安堵の息を吐いた。

 俺がこんな事を考えていると知ったら、あの少年はがっかりするだろう。だけど、仕方がない。これが真実だ。

 俺は勇者アレスであって、勇者アレスでない。

 こんな風に言うとまるで禅問答だが、これ以上に俺を的確に表現できる言葉など他にないだろう。



 俺には、前世の記憶がある。

 本当に、ろくでもない人生だった。

 幼い頃からあるスポーツに打ち込んでいた俺は、そのスポーツに自身のすべてを賭けていた。

 努力に努力を重ね、遂にはプロとして活躍できるレベルにまで上り詰めたのだ。

 しかし、ある時、俺は事故に遭って大怪我を負い、そのスポーツが一生できない体になってしまう。

 ショックだった。子供の頃から、多くの時間を費やして打ち込んできたものが、一瞬で台無しになった――それまでの努力が、すべて水の泡となってしまったのだから。

 それからというもの、俺は何かに打ち込む事が出来なくなった。

 どんなに頑張っても、ちょっとしたきっかけで全て破綻してしまう。その恐怖が俺を縛り、それからはずっと、何のドラマもない、つまらない人生を歩んだ。


 そんなある日、俺は幼い頃読んだ、『ホーリーブレイヴ』という物語の事を思い出していた。

 ホーリーブレイヴの主人公であるアレスは、幼い頃から鍛錬に励み、最強の剣士にまで上り詰める。アレスはその力を以て多くの人々を救い、勇者として尊敬されるようになった。

 最後には魔王を倒して、ヒロインと結婚し、幸せな生活を送る――まあ、典型的なハッピーエンドを迎えるわけだ。俺はそれが、本当に羨ましかった。

 努力が良い形で報われたアレスのような人生を、俺も送りたかったな――そんな風に思っていたとき、


「その願い、叶えてあげよっか」


 不意に、そんな声がした。

 直前まで、その声がした方には誰もいなかった筈だ。しかし、いつの間にかそこには、一人の男が立っている。


「……どういう事だ?」


 違和感を覚えながらもそう尋ねると、男は嫌な顔一つせず、陽気に答える。


「そのまんまの意味さ。君の魂を、勇者アレスとして転生させてあげるよ。

 君はアレスの物語を知っている。ならば、作中でのアレスと全く同じ行動を取れば、必ずハッピーエンドに辿り着けるはずだ。

 どうだい? 悪くない提案だろう?」


「……は?」


 俺は、思わず言葉を失った。

 何を言うかと思えば。こんな突拍子もない話、信じられるわけがない。この男、アニメの見すぎなんじゃないのか?

 いや、だがこいつは、何もなかった筈の場所にいきなり現れた。その上、俺が考えていた事をピタリと言い当てている。ならば本当に――?


「疑ってるね。虚空から現れたり、君の心を読んだりすれば、僕が超常的な力を持っている事は証明できると思ったんだけど、これくらいじゃあ足りないか。

 う~ん、どうしようかな。あ、そうだ。じゃあ、あれを見せてみようか」


 男が呟いた瞬間、空間がぐにゃりと捻じ曲がった。

 そしてそこから、一振りの剣が現れる。それは――


「アレスが使っていた、聖剣……っ!?」


 俺は戦慄し、思わず叫んでしまった。

 あれは間違いなく、勇者アレスが使っていた剣に他ならない。

 アレスの聖剣に似せて作っただけの偽物だ。そう思おうとしても無理だった。何故なら、霊的スピリチュアルな物などまるで信じていない俺でさえ、その剣からは凄まじいまでの超常的なエネルギーが感じ取れたからである。


「これでもまだ、僕の力を疑うかい?」


 ニヤリと笑い、問うてくる男。

 それに対して、俺は混乱しながらも、何とか答える。


「いや……お前の力は本物だ。でも、一体お前は何者なんだ? まさか……神様?」


 俺をアレスとして転生させる、この男はそう言った。輪廻転生に干渉できるなんて、相当上位の存在だとしか思えない。

 本当にこの男は神様か何かなんじゃないか……そんな風に思いながら、固唾を呑んで男の返答を待っていると、


「僕が神だって? おいおい、冗談言うなよ。僕は、神なんていう下らない存在とは全く違う。むしろ正反対と言っていい」


 あからさまに不機嫌な顔をして、男は答えた。


「ああ、そうは言っても悪魔とかじゃあないから、そこは安心して大丈夫だよ。

 まあでも、僕の力を信じてくれたようで何よりだ。

 さいごの確認だけど、君は本当にアレスとしての転生を望むんだね」


「ああ、もちろんだ」


 最後の確認だと言う男の言葉に俺は頷く。


「そっか。じゃあ――」


 男は、ニッコリと笑って言った。


「――殺すね」


「……え?」


 気付いた時には、アレスの聖剣が俺に突き刺さっていた。


「な……っ、なんで……ッ!?」


「なんでも何も、死ななきゃ転生できないだろう? それに、ちゃんと言ったよね、の確認だって」


 最後じゃなくて、最期の確認かよ――っ!

 そりゃあたしかに、死ななきゃ転生も何もないけど、でも、いきなり刺されたら困惑するに決まっているだろう……っ!

 大体、転生する為に死ぬ必要があるにしても、なんでこんな殺し方なんだ! そんな超常的な力を持っているなら、痛みとかなく、楽に殺すこともできるんじゃないのか……?

 そんな風に思っている僕の心の声を読んだのか、男はとぼけた口調で答える。


「あれ? お気に召さなかったかな。ほら、憧れた物語の主人公が持つ聖剣に刺されるってやっぱり嬉しいのかな~って思ってさ」


「嬉しいわけ、ないだろう……っ!」


 そう叫んだところで、俺は力尽き、その場に倒れた。


「そっか~それは残念。あ、そうだ。結局、君の質問に答えそびれちゃってたね。僕が何者なのか、だっけ? なんて説明したらいいかな。

 う~ん、めんどくさいから、細かい説明はまたいつかって事で。まあ、名前くらいは教えておくよ。僕の事は、こう呼んでほしいな」


 薄れゆく意識の中、男の声だけが木霊した。


「世界を混沌へと還す者――カオス、ってね」



 それが、前世における、俺の最期の記憶。

 そして現在、俺は本当に前世の記憶を保持したまま、勇者アレスとしての日々を送っている。物語の中に入り込んでいるという比喩を、文字通りの意味で体現してしまっているのだ。

 つまり、あの男――カオスの言葉は本当だったということ。

 結局、彼が何者なのかは分からずじまいだし、彼の事を完全に信用しているとも言い難いが、しかし、こうして本当に勇者アレスとして、ホーリーブレイヴの世界に転生させてくれた事には、心底感謝している。


 現在、アレスとしての俺の人生は順調だ。

 ホーリーブレイヴで読んだ通りの行動さえしていれば、必ず報われる。それが分かっているから、どんなにきつい鍛錬だって乗り越えられた。

 そして何より、アレスとして生活している内に、俺はかつての、我武者羅にスポーツに打ち込んでいた時の自分を取り戻していたのだ。

 努力は必ず報われると信じて、ひたすら頑張っていた、あの頃の情熱。それと同じ物が、今の俺にはある。

 ひたすら鍛錬に励んでいるし、周りに人がいる時は、原作通りの性格の、勇者アレスを演じている。そうする事で、本当に俺は、アレスと全く同じ人生を歩む事が出来ていた。


 まあ、完全にアレスと同じ行動をする必要はないのかもしれない。

 何もしなくても、アレスは恵まれた境遇の人間なのだ。だから、作中のアレスと違う行動を取ったとしても、幸せな人生を送れる可能性は、決して低くはないだろう。

 しかし、前世でのトラウマが、俺に完全なる物語の模倣を強制していた。

 すべての努力が一瞬で水の泡になるような、あんな瞬間はもう二度とごめんだ。だから俺は、確実に幸せになれる道があるのなら、一ミリだってそこからずれる事はしたくない。


 それは、残酷な事でもある。

 今日、少年を助けた事にしたってそうだ。

 今日のエピソードは、物語に含まれていた。だから、俺が作中でのアレスよりも早めに行動し、事前にあの場で待機していれば、少年は怪我を負わずに済んだ筈なのだ。

 しかし、俺は物語と全く同じ筋書きシナリオを辿る事を選んだ。彼が殺されそうになる直前、偶然通り掛かったアレスが、彼を助ける。その物語になぞらえた行動を、俺は取ったのである。


「悪い事、したな……」


 あの少年の顔を思い出す。

 目をキラキラさせて憧れの人物を見つめる、希望に満ち溢れた表情。あれは、子供の頃、ホーリーブレイヴを読んでいた時の俺と、同じ表情だ。

 アレスみたいに努力を重ねていれば必ず報われる。そう信じていた、あの頃の――


「……畜生ちくしょう


 俺はあの少年に言った。言ってしまった。

 無責任にも、作中の勇者アレスと全く同じ台詞を。


――ああ。努力は人を裏切らないからな。


 努力に裏切られた俺が、あんな台詞を、純粋な子供に。

 それがどんなに残酷な仕打ちか分かっていながら。


「畜生――ッ!」


 思わず、そう叫んでしまう。

 本当に最低だ。自分の幸せの為に、俺はあと何回、嘘を積み重ねれば気が済むのか。

 だけど、それでも俺はこの生き方を続ける。

 人々を助ける為にのみ日々鍛錬を行うアレスの生き方を模倣しながらも、俺は自分自身の幸せの為にのみ日々鍛錬を行う。

 何という皮肉な話。アレスと真逆の俺が、アレスの真似をして生きるなど。

 だけど。それがどんなに最低の行為でも、どんなに醜い生き方であったとしても。

 それでも俺は繰り返したくないのだ。前世と同じような経験は。


「どこまで屑野郎なのかね、俺は……」


 気分が沈んでしまったが、しかし、そろそろ王都に着く。

 こんな陰鬱な表情を浮かべているところを人に見られてしまったらまずい。人前では、ホーリーブレイヴの主人公としての勇者アレスを演じなくては。

 そう思い、俺は気持ちを切り替えて王都に入った。

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