「バカな風 後編」

  九 夫婦として登場する人

 風子がまさに小さなパソコンを開いた時,風子の携帯から最大音量でメロディが流れ出た。風子の知らない強い旋律だ。剛が勝手に設定しておいたらしい。風子が最近耳が遠いと剛は言う。

「はあい」「風子、いつも出るのが遅いね、返事するまで間がありすぎるぜ」

「そうだった?ごめん。で、何」

「ちょっと課長代理が顔見せてな、おれ暇そうなのでラーメンでも行くか」

「もう夕食すんだけど」

「構わない、おれともう一度食べろ」

 風子は抑圧されたという感じをぐっと飲み込んだ。

「いいわ、準備する」

と、パソコンを閉じた。もう一度携帯が鳴ったら、外に出る。いつもの激辛ラーメンに行く。すでに銀婚式は済んでいる。それほど長く暮らしていると相手の出方はお互いわかっている。


 ポストのそばで剛に拾われて、車で二十分走る。剛は制限時速をきっちり守る。信号では歩行者および自転車にきっちり注意する。彼らは黒い服を来ていたり,ライト無しで信号無視で猛スピードで渡ろうとするからだ。従って剛は横断歩道を曲がるのに、他のドライーバーよりのろのろ進む。

 前が空いていても、時速40キロは守る。後ろから危険を冒して追い抜く車も多いので、風子は気が気ではないのだが、もう何も言わない。剛と走っているとかえってこのまま事故死することもあるかと思う。でも剛は正しいのだ、制限速度で走っていたのだから。

「見ろよ、あいつ赤信号を突っ走ったぜ。まったく!おい、今追い越したのは禁止地帯だったよな、百キロは出してるな、まったく。何故みんな法律を守らないんだ、おい、また無灯火自転車だ、あれで事故が起こると自動車がいつも悪いんだよな」   

 剛は絶えず罵っている。

「運転に集中!」

と、さすがに風子が怒鳴る。いつもは静かな風子がときに怒鳴ると、剛が妙に神妙になることを最近数年体得した。妻の強みだ、風子はやった、という感じをつかの間楽しむ。


 ラーメンをすする音を、なるべくたてないように剛が食べる。風子はほどほどにすする。剛がちらと見た。すするのを辞めて前歯で切り落とす。剛のあれこれの流儀は風子をいつも不安定にさせる。風子自身ではいられない。風子は雲散夢死してしまう、せいぜい不自由感が積み重なる。それが日常である。

 しかし少なくとも、こうして外食すれば家事をしないで済む。命令一下、家政婦のように走り回らないでいいし、その分不満感は減る。剛は、風子の負担を軽くするために意図的に外食に誘うのだと言っている。少し気を使ってくれる様子を強調するところがおかしい。時にはまずい風子の料理以外のものを食べたいくせに、と思うが、やはり全体が滑稽なので少し笑った。剛は苦心して、熱いめんを口に押し込んでいる。


 剛は、年をとってもいわゆるロン毛のスタイルを変えない、おまけに人目を引く程好い男であった面影が今も残っている。女に限らず男もちらと目を留める。若い頃は二人で歩いていると、町中で声をかけられることがあった。

「あの、すみません、自分はホモなのですが、あなたがとても気に入りました。いや、それだけを言おうと思いまして」と、丁寧に言われたことがあった。

 この話はまるで人生の華ともいうべき、夫婦にとって数少ないほこらかに笑い合う話題である。そんないくつかのエピソードが、日常の不満や鬱屈を吹き飛ばす瞬間として働くとき、お互いを失うことがあれば、それは少なくとも友情を失うような、人生の味方を失うような喪失であるのだろう。風子自身そう感じたり、想像してみたりすることがあった。剛はいつも絶対に風子を失いたくない、とはっきり言った。まさにあざみとの重婚状態の真っ最中であっても。

 美し気な夫と連れ立ち、夫に魅力的だと思われている妻として、夫婦として少し世間に身をさらすとき、風子は少し心が華やぐ。剛は一瞬にしてそんな少しロマンチックな風子の気分を壊すのが得意だった。あるいは一瞬にして恥ずべきパートナーに変身するのである。


  十 ネットの世界の人

 恥ずかしい、と風子が感じるのは、その時の食事でも剛がたえず誰かを批判してやまず、あらゆることに文句を付けることであった。そんなうるさい夫に我慢出来る人間がいるとは誰にも思えないだろうと思ってしまう。せいぜい自分も、似たような口うるさい文句好きの人種であると思われるだろう。あるいは、自分が世にはやっている家庭内暴力の犠牲者であって、それにもかかわらず出来るだけ平気な顔をしているのが、わかる人はわかってしまっているであろうことが嫌だった。風子自身を恥じた。


 しかし剛は性格的に高慢であるとはいえなかった。むしろ人生の目的を、単に「生き残ること」と定義しているくらいだ。世の風潮に踊らされてキャリアなどを積もうとは思わない、潔い男でもあった。とは言え、剛にもやはり、思い出しては得意になる、いい気分を得られる核になる部分が人生の中にあった。高校時代まで剛は数学と絵画の天才であると周囲から思われていた。

 その時の熱中の感覚、その成果と満足感、それらはやはり剛の中で輝いていた。人生の岐路に立った時、実学を選び就職に有利な工学を自ら決定したのだが、今ではその捨ててしまった夢の道が、唯一剛が好んで語るポジティブな、追いかけるには遅すぎるがいつまでも忘れたくない話題であった。


 そんなものは風子にもある。それどころが夢の道はたくさん存在した。たくさん過ぎた。あれもこれも好きだ、というのは結局どれも選ばないのと同じである。案の定彼女の人生は、結婚して主婦であり母でありパートであるというありきたりのパターンそのものだ。にもかかわらず幻の、魔法の世界は賑やかに広がっていた。


 四角い箱、ボタンを押すと光が射して来る。有機物である人類が、ここにたどり着いた無機質の電子の単純世界は一かゼロかで成り立つ。そこには算数とは違う法則があり、とてつもない計算の高速化と、この果ては原子にまで手をかける程の最小化への道筋が、すでに見えている。その流れにどうして風子も乗らずにいられよう。

 剛は当然ながら、この金属と理論と電子の世界を理解した。敦はもっとよく理解して理屈を超えた直感と情感とでその世界へと、遥か彼方へと歩み去った。


 剛は、その世界の危険を察知した。悪意とプライド、どちらかの入り口からその危険はこっそりと忍び込んで来る。たくさんの反悪意ソフトが作られるのは当然だが、それにまさる悪知恵も程度をあげてくる。その追いかけっこを剛は否、とした。

 ほとんどパソコンに触らない剛に比べ、風子はインターネット接続の世界に魅せられている。悪意に襲われる可能性を軽視しているというより、自分を投入出来ることに魅入られている。


 たとえば、風子は新聞やテレビに対する批評家の立場を取る。それに自ら描いた絵をつけることもできる。どんなに稚拙なものであろうと、誰に何も言われない。誰も見ないはずだが、見られる可能性は存在している。赤の他人が、風子のさえないページを仮に、読んだとしてその人の自由で何かコメントを書いて来るか、黙って無視するか、という結果になる。無数の人がそんなページを持っている。偶然がお互いを知り合わせたり、意図的にグループを作って、その仲間内でのみ連絡をし合っても良いのだ。

 ネットサーフィンでコメントをつけて回り、やがて話の水準の合うブログやサイトをみつけたり、やがて大きな政治経済の塾のようなものが形成されたりする。その中心には本物の学者が居たり、あるいは遺族のグリーフケアなどの集まりへ発展したりする。


 現実の風子には縁遠い出来事であるとはいえ、社会への関わりのまねごとは出来る。まねごとではあれ、そんなものも風子には普通の人間として必要である。

 剛はメールもしない。携帯は風子と繋がっているためだけに持っているのだ。剛はきょろきょろしない。興味は自分と生活費と家族、風子、それだけだ。社会や周囲の存在は批判の対象として、剛の日常を飾っていた。


 健康や食事や、身体機能とくにリンパに関して自分の記録としてのブログを風子は作った。そこでは字体の色を変えて書くことにした。それはそれで内容が把握出来る面白さがあった。最初、ブログの壁紙、というかデザインを各々の提供媒体によって選ぶ楽しみもあった。そのブログでは、風子はちょっと太った中年のおばさんで、実像に近い。そしていつも体重を気にして、重力六十キロと書いた。時々いやらしいコメントがはいっている。あわてて削除する。また入って来る。何を思ってんだかと、ぶつくさ言う。

 洋風の今風の室内を墨絵風にデザインしたアンパランスな軽さ、それが今風子が使っている意匠である。ちょうど作り始めたのが冬至のころだったのでそれをハンドルネームした。冬空、というタイトルにした。それらのアイデアの出現や色柄との出会いの楽しさは、それだけで十分喜びを与えてくれる。

 使い勝手を試し、またさまざまな別人になることが出来るために別のサーバーへ行く。


 そこでは、澄んだ青い色のシンプルな真面目な雰囲気を使った。そして純文学風な短い詩のようなものを書き並べた。長編を並べると結局は順番が逆になるので、余り読み勝手は良くない、電子図書が盛んになる気配だそうだが、読みやすいかどうか風子はまだ知らない。未知の領域だ。

 大手のヤフーにも風子はブログを開いてみた。主に日常の憂鬱を嘆くという趣向である。風子はここでは自然や植物の項目にチェックを入れた。あらゆる人々があらゆることについて、あらゆる趣向で書きまくっている。一つの語句、たとえばガーデニングと検索させる。何万というブログが収集されるのだ。どうしたの、みんな、と、呟いてしまう。風子もその一員である。一秒間に百近い新着日記がやってくる。その秒以下の単位で記される一覧表はオリンピックの、たとえば百メートル競技の計測と違わない。

 風子はそんな電子の世界を、あるいはガーデナーとして、あるいは新聞好きの男性として、あるいはなり損なった老年の自称小説家として、そこらの小太りの健康好きおばさんとして、あるいは大人気の科学者ブログのおっかけとして、ユーチューブで猫好きとして、カリブ音楽好きとして、走り回っているのだ。現実の世界では、百メートル四方、ないしは二キロメートル遠方くらいしか走り回っていない。

 現実の道路を自分の足で歩くと、膝が少し壊れて来る。外反母趾が悪化する。非現実の世界をあまりに闊歩すると、脚は大丈夫だったが、眼がかすんでくる。そこが風子のいる社会の一面である。

 

 しかしもうひとつの社会もある。そこもまた電子の世界である。

 アメリカから、他の文明国から、テレビは人間の夢をドラマにして制作放映して来る。そんな放映の中からおのずと観賞する番組が決まって来るのだが、風子はできるだけ録画と言う手を使って貯めておく。そうすると剛がいるときに、ふたりそろって見ることが出来るものもやはりいくつかある。

 風子の方が興味の範囲が広い。剛はしっかりしたサイエンスフィクションか、戦士ものが好きなのだが、風子があれこれ見るので、つい一緒に毎週見たりする。もっともそんな場合は、集中出来ずに風子に向かってあれこれの自分の意見を述べ立てる。剛の意見をいう声がおおいに邪魔なので、風子は時にはつい、いらいらして言う。


「意見はいつも聞いているからさあ。そんなに色々言いたいんなら、ブログとか新聞とかに投書したらどうでしょうかねえ。よっぽど世の中の役に立つんじゃない、私に言われてもねえ」

「そんなばかなことしねえよ」

と、剛は一蹴する。しかし、その後少し考えているようでもある。

 外国の、架空の世界の中で、大勢の人々が協力し合って、これでもか、という力の入れ様で、面白く極端に空想とリアルを混ぜ合わせて、美しいのみならず魅力的な存在感のある俳優を、つぎつぎと見つけてきてはエンターテインメントを提供する。それを享受するのは風子のような受け身の大衆である。しかし制作に関わっている彼らも時代の大衆の一人なのだ。ただ、制作者たちの名前はそこに書かれて残っている。風子の名前は、墓にしか残らないだろう。風子はどんな毎日を送ったか、何を感じてどんな外見だったか、僅か五十年も時が立てば風のように消えてしまう。何か、たとえば紙の日記があったとしても意味を持たない。燃やされてしまう。有名な作家の日記なら別だが。


 ネット上の趣味のグループには自由に参加出来る。同年代の見知らぬ人々が集うそんな集まりは、まるで夢の中のようでありながら、画面に現れる文字や写真を実際に書き送る人間が存在して、各自のリアルな生活を暮らしている。

 日々の些細な感慨が日記として公開される。それに対するコメント、コメントに対するコメント、そこでは知力の限りを尽くした丁々発止のやりとりが、礼を尽くした言葉で執り行われる。謎の人物として自分のある部分だけを提示することを前提とする、抜きつ抜かれつの、ほめ殺しで、相手と自分の能力が高まる。新しい自己認知の世界がある。


  十一 ボランティアを希求する人 

 十年来のノートパソコンを使って、風子にして別な風子の存在を、そうしてあちこちで味わうことが出来るのは、せいぜい一時間半程であるが、毎日少しずつ、いくつかの自分へと自分を切り分けて、それぞれ異なる書き手と交信する。

 パソコンをパタンと軽く閉じた。疲れた眼を揉みながら、風子はもう次のドアへと向かっていた。歯を磨く。歯間ブラシを使うのが長い習慣になっていた。五十才を過ぎた頃、敦が母親に率直に言った。     

「母さん、口臭があるよ、年寄りの。何とかしてよ」         

 そうは言われてもどうしたらいいのかわからなかったのだが、ともかく買ってみたのが歯間ブラシだった。そのあと普通のブラシで眠る前に十分磨くようにした。舌も少しこすった。

 それは正しい方法だったらしい。口臭のない中年として高笑いも出来るし、顔を寄せて話をすることも出来るようになった。しかし、そうして世の中で少し気をつけていると、口臭にも種類があるとわかった。中年からの口臭は口内の汚れによる。しかし風子が注目したのは若人の、男女を問わない口臭であった。


 それは特別な単一の、同じ臭気である。苦みのある化学物質の匂いだ。それは心身へのストレスの証拠であった。新聞の雑多な記事の中に、その情報を読んだとき、風子はすぐにわかった。スーパーや生協や集金や、急ぎ足の学生や、高校生や敦自身にも、風子は感じ取った。その兆候は、最初男性に多かったのだが、次第に若い女性にも広がった。結婚前の、これから妊娠すべき若いメスがすでに疲れておどおどしていた。恋を願望する力も減じたことだろう。自分のことだけでぎりぎりなのだ。不安と絶望を抑制することだけで手一杯なのだ。

 そんな若者を、あるいはもっと悲惨であるはずの虐待されている児童を助けることはできないのだろうか、風子は歯を磨きながら鏡の中へ問いかける。絶対何かをしなきゃいけないのだ。社会全体で。必要なら無償のこの手で。しかし、仕組みと資格の中で、風子は役立たずであるだろう。わかっていたらとっくに何かを始めている、と頷く。


 実際には、何をしている訳でもなかった。最も簡単なのは、町内の公園や空き地に花を植える「ちょっとボランティア」的な活動だった。しかし、そこで満足してはいけないと風子は思う。それで何も始めることが出来なかった。

 まずいのは勿論剛の意見であった。健康のために週に一時間半、仕事に毎日約四時間、周子の世話に毎日二時間、それが剛の許すことの出来る風子の自由時間である。そうしながらも剛の妻以外であってはならない。この縛りが風子から社会奉仕の精神を無いも同然にしていた。被害者への少しの寄付金ですら、本当に必要としているところへは届かず、内部の上層部がかすめとるのみだ、と剛は強く主張して止まない。それを突破出来るのかどうか、風子は試したことも無いのでわからない。出来ないと思うので試さないだ。


 夜に町内を見回るために、たとえば犬の散歩とかも或は有効であるかもしれない。日常的に怒声や泣き声の聞こえる家があれば要注意なのだ。

 以前は、風子の家の方も要注意であった。風子が我が身の心配から、警察に見回りを頼みに行ったこともあった。警察から帰ってみると剛が烈火の如く怒っていた。黙って自転車で姿を消したからだ。そのころはまだ携帯がなかった。

 もっとも剛は、あざみと連絡が取れなくなっても我を忘れる程猛り狂った。妻の前で愛人と連絡がとれなくなったと激高した。風子は心底失望したし、信じられない人だと思った。自分が一つの形でしか存在しない、それをうまく周囲の思惑に適用させることを、むしろ恥だと思っていたのだろうか。恥という感覚も無かった、そう言えば。恥じる必要が無かった。自分が自分であることを天地にかけて恥じる必要はなかった。剛がそう言った訳ではない、それは風子の推測であり、確信であった。それを阻止すること、それに反駁すること、それはありえない。剛の人権蹂躙であるからだ。


 風子はベッドを整える、剛が起きっぱなしにしていたのだ。

 まっすぐ上を向いて、脚枕をする。両腕は丹田の上にくむ。安定剤が効いて来るのでやがて眠る。時には詩の本をすこし読んだり、小難しい本を眠るために読んだりする。

 剛は朝方帰ってきて、ひょっとして風子のパソコンを覗くのではないかとふと思う。いくつもブログその他に書き込んでいるのを知ったら、何というだろう。風子が剛の結界から大々的に手を広げているのを知ったら。

 その不安に打ち勝つのは難しい。ポジティブに考えることにする。それが明るみに出た時、剛は別れを決意するだろう。黙っていることも嘘の一種で、剛は嘘をつかれたり騙されたりするのが死ぬより嫌いだった。従って、もし剛が剛であれば、恐ろしい修羅場になるだろう。しかし、怒る怒られるという従属関係がそこに余りにも露呈することになると、それこそ終わりかもしれない。風子が切れるのだ。

 ボランティアという希求から、風子が出入りしているサイトがあり、メディアを論じるブログや新聞社の提供する読者サイトもある。そこらへんで何らかの発言をしているというだけの行動から、より一歩踏み出す必要と覚悟を風子自身、持っているのかどうか、不明瞭だった。それを考える環境に無かったのだ。


  十二 虚実不明の寄り添う愛を見いだす人

 沼の底から悪魔の手によってひきあげられるような、理由の無い恐怖が、眠りに落ちようとする風子を再び鋭い白日の意識下に引き戻す。すべてもう手遅れだ、もう殺されるしか無い、と一瞬にして悟る。現実に目覚める。

 ある時期、あざみとの関係が終わった頃、彼女がきっと自分に復讐しに来ると信じた。夜中に目覚め、ドアがきしる音がきこえないか、耳を澄ませた。復讐者に対抗する方法を考えた。縄で縛ることができたら一番だが、それに失敗して、包丁で切り掛かってこられたら、身を低くし脚払いをかける、それだけでは足りない、何か拳法を習わなくてはと焦った。その時はやはり剛をすでに自分の味方だとみなしていた。

 しかし今ではあざみ関連の恐怖は忘れ去られている。


 今風子が曝されているのは剛への恐怖であるが、しかし実は恐怖を抱く程のたいした理由は無い。自分の生活は剛への強大な反権力を含んでいないんじゃないか、とも思う。浮気は勿論、心に想う男も無く、あるのは少しの不誠実と不満。そして、恐怖である。

 もっとも、一日の大半を風子はその感情とは無縁に生活している。恐怖は薄まっているのみなのか。恐怖の対象を人間として愛することが出来るのか。愛はどこへいけばいいのか。恨みはどうするのだ。自分の罪悪感はどうなっているのだ。ぼんやりと、なるがままに風子の生活は進んでいく。

 

 ついに風子は眠ったらしい、何故なら夢を見たからだ。

 剛が倒れた、と会社から電話が入った。きっとそんなことになると思ってたわ、と一瞬思った。それは剛のわがままな生き方を、日頃から風子が心中では非難していたことを表していた。自業自得、とも思った。剛の生活全体が不健康そのものなのに、依怙地にそれを守り通したんだから。

 夢の次の場面では、道ばたに剛がうつぶせに倒れていた。誰もそばにいず、救急車もいなかった。茫々たる都市のコンクリートに囲まれて死んだ鳥の黒い影のように横たわっている。白い顔の片側が見えた。

 それは昔愛着していたお気に入りの男の横顔である。剛のすべてを愛していた、いつもいつも、そして永遠に離れたくなかった、ずっと抱いたり抱かれたりしていることが真の望みだった。まだ良く知らないうちに、一瞬のうちに恋の虜になったのだ。そんな風子がいた。風子は衝撃のために大きくあえいでいた。どうしよう、どうしよう、とやたらにくり返した。

 しかし、風子の姿は現れず、心だけの存在だった。剛は茫々たる世界の中で一人黒い点として横たわっている。


 親も無く、妻も無く、友も無く、仲間も無く、唯一の血縁である敦はいつも父親を敬遠していた。剛の中で、彼の母親は剛を可愛がらない人物として固定されていた。父親とは縁が薄かった。唯一可愛がってくれた祖母に対しては、何らかの罪の意識を抱いていた。その最期の時を十分に見守ることが出来なかったという。そして、剛のただ一人この世で繋がるはずの風子は、剛にはじきとばされていた。

 もう冷たいのか、まだ息があるのがわからない剛の影に風子は近づいてもいなかった。

 野生のヒョウか何かのような、孤独に生きるほか無く、孤独に死ぬ、それが風子の夫だ。

 剛の恐ろしい程の孤独な姿が、虚ろな風子の中の心のようなものに届いて襲った。今さら、愛している、同情している、最期まで見捨てない、とか言っても何も変わらないその孤独を、理解した。哀れさに落涙した。

「なぜそこまで自分をひとりぼっちにする。なぜ私のそばに来なかったの。同情も哀れみもあなたは拒否するのね、きっと。もっと愛させてほしかったのに、いつも私と言うあり方を拒否したじゃない、どうして。あなたは私を愛してなんかいなかったし、そうだ、私もあなたと言う人間を受け入れられなかった。愛って幻、幻にすがりついてこの一生すごすのはもうたくさんでしょ。あなたもそれに目覚めてほしい。愛なんか幻、ありうるのは家族としてのグループ感情」

と、語りつつ、風子は目覚めていった。


 ドアのカギが回って、剛が帰宅した。今日は早い。風子はふとんに一層もぐった。もし剛が今ここに入ってきたら、優しく抱きしめることができるだろうか。そんな気分ではある、と思った。仲間として、孤独を癒すものとして。

 それを剛が受け入れるかどうか、風子にはわからない。剛はあくまでも風子を愛していて、風子からは愛されていない、というスタンスのままであろう。自分の次の反応が吉と出るか、ただの嘲笑と自己憐憫であるか、風子にはわからない。

「あなた、おかえりなさい」

と、風子は寝とぼけたような声をかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る