「バカな風 中編」

 五 主婦である人

 静かにドアの鍵を回す。風子の風来坊、と剛は折あるごとに言う。まるで外で自由を満喫しているかのように。運悪く今日のように、途中で目が覚める時には。

 剛はすでに居間に居た。

「丼もの買ってきたけど、どうする?」

と、おもねるように風子は尋ねる。ふん、と音がするのが、よろしいという意味だ。

「もう一度暖めろ」「まだ温かいけど」

「暖めてくれ」   

 風子はレンジに丼を入れ、それから、しまった、と慌てる。コーヒーがまだだった。出来立てのコーヒーは剛にはいつも熱すぎるのだ。自分でもちょうど昼食を食べていい頃なので、かたわらインスタントラーメンを準備する。

「なんだ、君のは買わなかったのか」

 風子はこっくりする。

「ラーメン、食べたかったから」

「バカヤロ」

 風子はこの罵倒が大嫌いだが、口を閉ざしている。挑発に乗ったらだめだ。おれと同じもの食べたくないんだろ、とか、愛してるよ、とか嫌がらせにもっていくつもりなのだ。とは言え、うっかり口調を合わせて「私も愛してるわ」と言うとする、「バカヤロ、ウソツキメ」とくる。

「ちょっと醤油」「はい」「うむ」

「はい、唐辛子」

 うまく進んでくれて風子には有り難い。これから仕事に出なければならないのに難癖を付けられては困る。その隙は見せられない。前回は遅刻してしまったのだ。午後毎日雇ってくれるところはどこでも働きに行く。客商売には向いていないので、どこであれ裏方の仕事に雇ってくれれば良い。それが現実だ。

 剛は夜勤の職から朝方帰り、それから昼過ぎまで睡眠をとった。いつもはもう少し遅くまで眠っているのだが、と風子は剛の睡眠時間を計算する。

「おい」

「どうしたの」「お茶だ、お茶」

「あ,お茶ね」

「お茶ね,じゃないだろ、のろまめ」

「機嫌悪い、おおこわ」  

 風子も無駄には剛と長く暮らしていない。少しは茶化すことも出来る。失敗する危険もある。風子の強みは、剛が天涯孤独であり,友人もいない、あざみすら逃げていったことだ。風子しかいない。

「あたしが先に死んだらどうする?」

「知るかそんなこと!終わりだ」

 その言葉は本気だと風子は思っている。心底ぞっとするが、とりあえず無視する。


  六 仕事をする人

 風子の目下の仕事場は、自転車で二十分離れた産直スーパーの店である。別に楽しい仕事ではない。家に置いてきたものは忘れることにする。労働時間は今では彼と変わらない位だ。文句を言いたい心は無視する。無視しなければ生きていけない。

 比較的新しいその店の店主は、脱サラのような感じのもそっとした中年、店員はみなパートで三十代女性三人と風子五十六才である。年齢的には先輩格だが、仕事のできは格下なので、

「りんごを箱から出して下さぁい」

などと、指示される。手書きの値札やお奨め品の宣伝文句もこの種の店にありがちな素人臭さはあるものの、制作係の美佐子さんは腕を上げてきて,楽しそうだ。風子はどこの職場でも、リンパを整えた体力気力で一生懸命切り抜けてきたつもりだ。いつの間にか、和気あいあいという雰囲気の中心になっている。話術もないし、リーダーと言うのでは全くないのだが、悪意の無さが安心させるのか、ここひと月程で親密度が増してきた。間違ったりすることをお互い受け入れ,間違いが起こらないようお互い注意する。注意が悪意でない、という癖が職場についてくるのはおもしろいものだ。

 週に一度しか会わない趣味関係の仲間とは、表面的な対話となる。しかし時にはぐっと深く突き刺して気持を見せ合ったりはする。心がそのせいで残る、慕わしい気持ちにもなる。


 職場のようにほぼ毎日、一緒に居る環境は、仕事だけの事務的な接触に終わるのが多い。それは仕事の量や厳しさに左右されるだろう。競争心ばかりに駆り立てられる雰囲気では、本当に神経がすり減り,それでも頑張るとやがて燃え尽き症候群になる。そんな責任を負わされないようにするのも一つの手だ。

 来客が途切れたり,スタッフルームで一休みする時、寺本さんがいると少し妙な会話が始まる。実は不倫しているんだけど、彼とのセックスがもうひとつなの、と言い始める。美佐子さんは,急に素知らぬ風をする。お宅はどうなの、と寺本さんに突っ込まれると、

「うちは、べ、別に正常よ」 

と、頬を染めてボキボキ言う。

「ピンと上までいくの」

「え、あ、も、ちろんよ」

「実はね、すごく嫌なことあったの、うちで」

と、風子が切り込んだ。居合わせた視線がぐっと向けられた。

「うちのだんなの彼女がさあ、もう以前のだけど、全然止まらないんだって、だんなが得意になって」

「な、ーー」

と、みんなの目が宙に浮いた。

「何がーーー、え、ピンと?」

「そうよ、ピン、なんてものじゃなくてピンピンピンピンよ、逃げて回ったって」「何で?」

「もう恐ろしくなってよ、彼女自身でも」

 みんな静まって、動悸を押さえている。喉がごくんと鳴った人もいた。

 しまった、これは強すぎた、と風子は白けた場をとりなそうと、

「きっとくすりでも使ったんでしょ、クワバラよね、ふざけてるわよね」

と、笑い声を放った。

 何となく気もそぞろに、ぼつぼつと、それぞれが店の配置に付いた。


 風子の心臓がドキッと弾んだ。喜び、ではない。いまさら恐怖ではないが、困った、見張られている、というドキッである。

 我々は共依存なのだ,心理学の記事を読んで知ったその言葉を、いつものように自分に言う、諦めの呪文だ。剛も知らん顔をして、乾物の辺を見ている。誰かが、いらっしゃませ、と挨拶した。風子は見られないような隅に隠れて、座り込んで何かを整理するふりをした。後ろ向きになって、剛に気づかないようにみえるようにした。

 どうしてそうするのか、自分でもわからなかった。家に帰れば、剛がこのことを非難するのは目に見えていた。

「おれがいても気づかなかったてか?ありえねえよ。恥ずかしい?おれが?せっかく顔を見に行ってやったのに、冷たい女だ。愛情なんかやっぱりな、なんもないんだろう」


  七 哲学する人

 四時間の労働を終えたのは間もなくのことだ。群青色の空のもと、風子はまた三々五々同僚と別れて帰路についた。剛の登場が与えた習慣的な不安と、それを諦観する作用とが胸を押しつぶした。

(剛によれば、愛は人を弱くする。傷つきやすくするんだそうな。それはわかる。でも、なんて言いながら、私を非難し暴言を吐き抑圧するのだ。愛なんて、大体いい大人がいつまでも拘るなんて、あり得ないよ。愛なんて生物の作戦にすぎない。狡猾な作戦だ。巧妙で効果的な生物戦略であるのに。)

 風子は次第に自分一人の世界に沈み込み始めた。誰もいない。

 冷たい風が毛糸の帽子の編み目からひしひしと沁み込んだ。愛情の由縁とその働き方の根本を知らなければならない。そこに全宇宙の真実と嘘の概要がある。


 (私を次第に微細に分化していく。ますます少なくしていく。

 ついには、最初の形、二つの大小の細胞の混雑したものとして、涙の雫のような水滴の中で、球体となり、なまこのようなものと化す。

 たちまちのうちに、神経の中心とそこから延びていく形とを形成する。

 六週間もたてばまなこの形が現れ、心臓が拍動し、小さな四肢すらも萌芽する。

 ますます巨大化する。進展する。見事な神秘の連係プレイ、無限数の試みの最適な結果だ。

 命令一下の、系統を意識しての発育ではない。近辺の要請にお互いに従っているのみらしい。隣の隣の隣の隣。

 その隣りではもうアポトーシスの実行中で、その結果小さな指のかたちが生成してきた。自己組織化。この環境ではこの遺伝子がほどけるべきだ、とでもなっているのだろうか。


 この秘密へとまだまだ人類は捜査中だ。道は遠い。しかしいつか果たすだろう。発生の秘密の全容の解明。もし地球がまだ棲息可能であれば。

 などなどなど、の行程を経て、途中でミスプリントなどのせいで正しい発生が妨げられた場合、システム的に早目に除去される。脳内の神経網は構造的に基礎的配備が整う。

 脂肪を蓄える期間が最後のひとつきだ。胎児は明るさ、音、親の声、言葉、母親の感情状態、などとっくに感じているらしい。そしてあのふっくら柔らかいぷちぷちのピンクの生物が日の下に出現する。肺胞をプチプチ開き、酸素を取り入れることが出来るまで激しく呼吸する、つまり泣き叫ぶ。

 などなど、頑張って赤子を対象物として観察描写記録してみるが、考えてみると、だれひとりとして新生児でなかったもの、このすべてを体験し通さなかったものは、この世に生まれたものの中にはいない。他人事でなく自分もそうであったことが、覚えていないので、そうか自分もみんなもそうだったんだと考えつくとき、何かとても妙な、一体感、罪を免れたような気分になる。


 そんなこんなで、無事に第一日目、第二日目、第三日目、と日を数えていくわけだが、まるで創造主の世界の創造にも匹敵するほどに、産めよ増やせよ世に充ちよ、とばかり増えていくもの、それは体重のみではない、脳神経細胞の網の目だ。

 読んだところによると、まるで薮のように、絡みあうほどにびっちり増えてしまう。それからがまた大変な行程が始まる。

 あらゆる刺激はその回数が増えるごとに、より強いより太い神経の回路の束を形作る。こうして環境に適した脳の回路が出来上がる。

 こんなあんなするうちに、子どもは整備された環境にあれば、恐ろしく早く知識を吸収する。ママがすべてである。他には空腹と眠気と好奇心を感じる。快不快と不安も安心も感じる。

 ああ、そう言えば喃語という時期があったなあ、懐かしい。ともかくいろいろな音を発声する。ありとあらゆる音で、言葉ではない音で話し続ける。周りの人のように発声しているつもりだろうか。楽しい自由なお話タイム。魔法の時代だ。


 たとえばひとつの突破口は、こんな具合に見つかるだろう。

 積もうとした積み木を落としたり、食べようとしたお菓子がうまく口に入らない時、あぁあ、と最も接触の多い、安心出来る人が言う。その音には慰められるし、がっかりや怒りをそらしてくれる効果がある。なので、同じ音を出そうと始めて試みる。これは結構簡単だった。

 一つの失敗を巡って、母と子どものやりとりが始まる。対話だ。

「あぁあ」 「あぁあ」

「あぁあ」 「あぁあ」

と、際限なく喜びとともに繰り返す。もうばっちり接続した。 

 そのうちに、マ、という音に大好きな人はよく反応する。うっかり「ンマ」「マンマンマン」とか口が動いてしまおうものなら、ニコニコ笑って大喜びの声を出して大好きな人は励ましてくれる。「マ」真似をする。「マ」もう一度、「マ」真似をする。「マ」簡単だ。

 もう一つよく聞く発音、余りにしばしば聞くので小さくても神経細胞で満杯の脳はすぐ慣れる。犬だってすぐ覚えるのだ、自分が呼ばれていると。自分というものが感じられるとして。まあ、犬も感じるだろう、自分の地位を、生存を、快不快を。

 その音が聞こえたら、大好きな人を見る。笑っているので笑う。笑うとその人も笑う。楽しい。その音と一体になった感じなだ。その音がともかく切り離せなくなる。たとえば「あっちゃん」と、目の前で言われる。真似をする。「アッタッ」発音というより息がでているだけだが、また笑ってくれる。嬉しくてお腹のそこから空気が吐き出される。高い音だ。キャッキャッと聞こえる。楽しい。 

 ついに決定的な時が訪れる。

「ママ」が誰であるか、「あっちゃん」が誰であるか、おおよそわかってきた。

「あっちゃん、ママって言ってご覧、マ、マって」

「マ マ」と簡単に真似出来る。

「はあい」

と、ママが言った。なんだ?と、眼を丸くする。「もう一度、ママって言って」 「ママ」 「はあい」

 お、これは真似っこ遊びだ。

「あっちゃん!」

と、ママが妙に強く言った。

「アーイ」

これでどうだ。ママは眼をきらきらさせている。「あっちゃん」 もう一度だ。

「アーイ」

 嬉しさと喜びと誇らしさが爆発したみたいにママはくるくる回った。一緒に回ったら少し頭の中が変な気がした。

 何度も遊ぶ。夕方に現れるパパの前でも、何度かやる。失敗はしない。

 

 生後一年前後になると、ママのしていることを真似して付いて回る体勢になる。そばにくっついて、「アッタンも」と言う。すると「あっちゃんもしたいの、はいどうぞ」とか「危ないからダ、メ」とか反応してくる。諦めたり、怒ったり、アッタンの反応もそれぞれだ。

 またしばらくすると、もうひとつ決定的な瞬間が来る。

 あっちゃんは気づく。ママはあたし、という言い方もする。パパはおれ、という言い方をする。あっちゃんはどう言えばいいのかな。

「あっちゃんも」「それ、あっちゃんの」とかいう代わりに、じゃ、男の子だからオレかな。テレビの強い男はオレってよく言ってるし。

 そこで、さまざまな要因を配慮して「オレもする、あるいはオレもほしい」と言うことにした。ここに、すでに他と異なる自分と言うひとつの存在が意識されている。他人ではなく、自分の快不快、欲動、嫌悪、不安、喜び、誇らしさを感じる。そのひとかたまりのものが自分である。この存在そのものである。)


 風子は思い出して小さく笑った。「これだあれ」と、写真の中の敦を指差したことがあった。敦は見つめたがたちまち難しい顔をして考え込んだ。まだおむつをしていた頃だ。そんな子供が考え込む、不思議な光景でもある。あたたん、と敦は熟考の後答えた。

 何と賢い子供であることか。一般的な赤ちゃん、だと認識してそれを記号で伝えた。母親は残忍な喜びに溢れて笑った、嘲笑した。これ、あっちゃんよ,あっちゃんよ、と言いながら笑い転げた。

 敦は何も言わずになおも写真を凝視していた。母親の嘲笑に驚き耐えていたのだろうか。母親は子供を驚かせたことで、有頂天になるほど愉快だったのだ。

 あっちゃん、敦は無事に自己同一性を育むことが出来た。その中身は幸いにも中くらいの満足と安心と誇らしさとで成り立っていた。現在にいて喜びがあり、あしたへの希望とがあった。時には嫌な気持ちも抱いた。耳鼻科へ連れて行かれるとき、欲しいものを買ってもらえないとき、遊び友達と仲良く出来ないとき。

 しかし幸いにも幼児の頃まで辛うじて、敦は感情のバランスの適正な環境で育てられた。全身全霊で四歳の男の子であり、その周囲のまだ小さな世界の中にいて、それなりの感情をもつ、ただ一塊の存在である。

 

 ああ、そうか、と風子は突然立ち止まった。剛はあの頃の敦のような一本気なのだ。世の中とその時々に折り合って、自分を合わせられない。そんなことを拒否している。一本の剛い曲がらない樹なのだ。だから風子への愛を貫くというのだ。それがどんな影響や反応を避け難く生み出すとしても、それが剛自身に不利益となるとしても。何故なら剛には余りにも明らかなのだ、自分が正しいことが。間違いや嘘や自己欺瞞、悪意、虐待、そんなものは頭にない。愛することは唯一ひとの誇るべき正義なのだ。


   八 家族を束ねる人

 敦は風子のただひとりの無償の愛情の対象である。風子の人生からなにか悟りのような認識が得られたとき、携帯から何気なく,押し付けがましくなくそんな感慨について彼方に住む敦に一言書き送る。敦はそれらを無視していっさい返事を寄越さない。風子はそれもあり,だと思って無視を受け入れる。

 敦が一人で、家族内の不穏な空気に耐え,学校でのいじめや忘れ物の多さに耐え,思春期の驚きと恥ずかしさに耐え、初恋が無惨に破れたことに耐え、次第に男臭くなり,ごつごつと毛深くなっていったことに耐えて、大人になる。それを黙って感じながら,風子は、我が子が自分と違う人間になることに耐えていた。


 いつも敦の意見や意志を風子は受け入れたが、片方では自分の考えや希望の影響がひそかに忍び込んでいるかもしれないことに注意した。敦が風子に似てまじめでありながら、風子に似ずウィットに富んでいるのは本当に楽しかった。敦と話すと、わくわくする思い出が増えた。

 陽子は敦の妻になることを望んできてくれた。天恵そのものだった。敦が幸せで充たされていることを風子はどんなに喜んだことだろう。そう思い描いては風子は笑みを抑えられなかった。


 そんな風にもう敦は巣立ってしまった。剛と古い賃貸マンションに残された。もっとも風子の母親が近くに弧老として独居している。風子などという風変わりな名前をつけただけあって、母親の名前も周子である。

 幼い時は母親は絶対の、生存をかけた拠り所、つまり愛の対象であった。子供時代を過ぎると、風子は父親の人間性を高く評価するようになった。これは稀なことであったはずだが事実父の思いやりは海のようだった。 


 相対的に母の周子の価値が下がったのは面白いことと言わざるを得ない。つまり周子はかなり自己愛の強い、吝嗇で完璧主義な人物であることが、次第にわかってきたのである。自然児という面はあった。嘘をついたりおべっかをつかうことを風子に許したし時には推奨し、人種差別もわきまえていた。それをもって自然児の特徴ということが出来る。勿論自然児の良い面も持ち合わせていた。

 一方父の義男は大脳皮質的な理念的な、不自然的な余りに温和な公正な、余りに無私な男であったがために,子供の風子には、操作されているような不快さが少し感じられたものだ。自分のことは自分でできるようになると、母を愛することが不必要になると、父への敬愛が増した。

 義男との会話や触れ合いの親しく、信頼のおける感じを思い出しながら、風子は自宅方向に近づいて行った。星のまたたきを見つけた。生きていてほしかったなあ、と心の中で呟いた。ね、と星に向かって頷きかけた。


 風は冬そのままの冷たさだった。何か嫌な不吉な逃げ出したいような感覚がふと甦る。すでに十年も経っていた。この絶望的な感覚は久しぶりに風子を捕まえた。敦のことを考えたせいで,敦自身が学校から帰りながら、逃げ出したい程に怯えて、不安で顔色も変わる程に怯えつつ、それでも帰る家であったことを思い出した。敦自身が数年前、告白した。風子はそんなことは言われるまでもなく知っていたのだ。気づかぬ振りをしていたのでもない。そうであるはずなのにそのことを考える余裕がなかった。

 今,剛はよくある警備会社に短期の仕事を得ていた。余り人と喋らなくても良いと言う点と、剛自身が夜警のシフトをやりたがるのでこのまま続きそうだった。風子のパート先の産直店にふらりと現れてから、剛はそのまま仕事に出かけた。風子にとってその時間は母親の周子に夕飯をとらせる時である。

 

「かあさん」  

と、風子は遠慮のない大声を上げて部屋に入って行く。板の間をどたどたと歩くのを、周子が好まないのは知っていたはずだが、もう忘れていた。周子も注意や嫌みをいうことは全くなくなった。笑い顔で嬉しそうに、「ふうちゃん」と、目を合わせてほっぺたの皺を伸ばした。そうすると元来の肌理の細かな色白の肌合いがつかの間甦ってきらりと光る。

 子供の頃、家族って何、と義男に尋ねたことがあった。義男は明確に定義した。

「家族って、喧嘩もするし,気に食わないことも言ったりするだろ、他人だったらそれで本気に嫌いになって別れたりする、でもなあ、家族はそのうち嫌なことを忘れ,普通に一緒に暮らせるのさ、欠点を許すっていうのかな、別れたくないんだ」

 周子が風子の心を傷つけたこともあった。その逆もあったことを思い出す。そんなことは昔話だ。周子にとって一人娘の風子が唯一の頼りとなって以来,ふたりはよく笑い合う。物忘れや、転んだり歯を忘れたり、花を写したり、食べこぼしたり、ごみを代わりに捨てに行ったり、ささいなことに笑い合う。笑い飛ばしている。そんなお互いになろうとは双方とも考えなかったのだが。おいしい、と笑い、まずい、と笑った。


 周子の世代は、戦後の食糧難こそ味わったが,その後の希望に満ちた高度成長時代を生きてきて、人生の収穫に恵まれている。

 周子はもとより豊かではなかったが,貧しくもなく預金も持っていた。その後ほとんど利子がつかないために目減りしていくのは致し方無いとしても、国民年金、介護保険ともに長期的な視点から見ると、最も手厚い状況にあると言える。

 周子には幸いにもペースメーカーを装着するほどの心臓障害があったために、要介護認定を受けている。デイサービス,ヘルパー制度を利用するので、風子の介護もまだ楽しみのうちといってもよかった。

 家事全般、得意とは言えない風子にも、料理は独創的なものならうまくできた。少なくとも周子と二人で食べる分には。周子は、暖かくて風子と一緒の食事では、たいていの場合、

「おいしかった、全部」

と、言って喜びをみせる。風子もまんざらではないので、それが介護が楽しみとなる要点であった。


 剛の仕事の都合次第では、その後に、あるいはその前に、剛の食べる食事の準備が必要となる。食事の好みに関しても、真っ正直だ。健康のためとか栄養を考えてものを食べるのは邪道であって,うまいものと好みのもの、食べ慣れたものしか受け付けない。葉野菜を出すと

「おれはうさぎじゃない」

と、剛は言う。根野菜ははなから嫌いである。ビタミン不足になって吹き出物ができても譲らなかった。キャベツの似たのと生の大根は好きである。果物は幾種類か食べる。

 

 周子の世話が済んで、風子は自宅に戻ろうとする。彼は早朝まで守衛さん、風子は夜気の中、星へも届けと吐息をフッと吐きつけた。

 夜九時過ぎたころである。道路のほぼ斜め向かいに建つ、自宅のある市営住宅まで星や月を眺めて帰るのももう五年になった。その前の五年は周子が毎晩道を渡って風子宅へ通って来た。そうか、実は母親も料理が嫌いだったのか、と風子はわかった。昔、台所で、

「どうしてこんなに毎日毎日料理しなきゃならないんだろう」

と、周子がため息とともに言ったことを妙にはっきり覚えていたが、今の周子の状態ならともかく、まだ体の動いていた五年前にもいっさい料理しなかったことが、今頃合点が行く。趣味の書画か、庭の手入れ、そのほうが食べることより大事だったのだ。介護も受け,娘の風子がやっと煮炊きをしてくれるようになったので、周子にはいまが趣味三昧の生活であった。ほんとに運のいい人だな、と風子は思う。優しい真面目な夫,親孝行な娘。

 そう言えば、剛も真面目だ。余りにも自分に真面目だった。



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